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1月18日の生駒谷・往馬大社初詣&歴史ウオ-クー2

1月21日      1月18日の生駒谷・往馬大社初詣&歴史ウオ-クー2
                  歴史探訪の会会員1月度例会
歴史探訪の会は現在、会員数41人(定員60人?)、活動月は、奇数月で
今年は、1月、3月、5月、7月、9月、11月の7回開催予定になっています。
1月は、生駒谷・往馬大社初詣&歴史ウオ-ク
コース:菜畑駅(集合)~往馬大社~竹林寺古墳~竹林寺~行基菩薩墓~
忍性菩薩墓~円福寺~青山台集会所(昼食休憩)~輿山墓地・往生院~美
努岡萬呂墓~菊司酒造(試飲・買い物)~南生駒駅(解散)
生駒市観光ボランティアガイドの会にお世話になり、有難う御座いました。
志都美駅へ向かう
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葛下川
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志都美駅
葛城山~二上山
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王寺駅で近鉄王寺駅に乗り換え
菜畑駅(集合)、生駒市観光ボランティアガイドの方達と合流
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往馬大社(いこまたいしゃ)
生駒山をご神体とした古社です。広さ3ヘクタールにおよぶ鎮守の森は、奈良県の
天然記念物として指定されているほか、伝統行事の火祭りは県の無形民俗文化財
として指定されています。
奈良県生駒市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。生駒神社(いこまじん
じゃ)と通称される。
生駒山の神である伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神、および氣長足比賣命(神功
皇后)・足仲津比古命(仲哀天皇)・譽田別命(応神天皇)・ 葛城高額姫命(神功皇后
の母)・息長宿禰王(神功皇后の父)を祀る。
伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神は古代より火を司る神として信仰されている。大嘗
祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々当社が献上することとなってお
り、今上天皇の大嘗祭においても当社の火燧木が使用された。『北山抄』『元要記』『亀
相記』などには当社の神が「火燧木神(ひきりぎのかみ)」と書かれている。10月第2日
曜日(元は10月10日)の例祭は「火神祭」と呼ばれ、龍田大社の風神祭、廣瀬大社の
水神祭とともに古来より朝廷の崇敬を受けてきた。
創建の年代は不詳であるが、古代、当地に住みついた人々が生駒山を神体山として
祀ったのを起源とするものとみられる。文献での最も古い記述は、『総国風土記』の雄
略天皇3年(458年)条に「伊古麻都比古神社」とあるものである。延喜式神名帳では
大和国平群郡「往馬坐伊古麻都比古神社二座」と記載され、大社に列し、月次・新嘗
の奉幣に預ると記されている。
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往馬大社
  観音堂見学
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竹林寺古墳
生駒市有里町に所在する古墳時代前期の前方後円墳である。竜田川上流域(生駒谷)
における唯一の前方後円墳で、周辺には他に主だった古墳も存在していないことから、
この地域の首長墓であったと目される。行基や忍性の墓所で知られる文殊山竹林寺境
内にある小規模な前方後円墳である。築造年代は出土した円筒埴輪の特徴から、古墳
時代前期後半の4世紀中頃と比定される。前方部先端と後円部の一部が失われ、後円
部は墳頂に通じる小道が通り、掘削(くっさく)による損傷が生じている。その他の部分は
雑木林に覆われ、開墾による削平(さくへい)を受けておらず、原型を比較的よく留める。
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竹林寺
生駒市有里町にある律宗の寺院。奈良時代の僧・行基の墓があることで知られる。山号
は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。竹林寺は生駒山の東麓の山中に位置する。奈良時
代に架橋、治水などの社会事業に奔走し、東大寺大仏の造立にも力のあった僧・行基の
墓所がある寺である。行基が壮年期に営んだ小庵が後に寺院とされたものと思われる。
行基は文殊菩薩の化身と信じられており、寺号は文殊菩薩の聖地である中国の五台山
大聖竹林寺にちなむ。明治時代以降は廃寺同然となり、本山の唐招提寺が管理していた
が、20世紀末から境内の整備が進められている。
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竹林寺は、奈良時代の僧・行基(668年~749年)の基礎を築いたと伝えられています。
行基は 749年に奈良市菅原寺(すがはらでら)において82歳で生涯を終え生駒山で火
葬され竹林寺に埋葬されています。本堂に向かって右手に行基の墓が、左手の墓地
に忍性(にんしょう)の墓(五輪塔)が建っています。忍性は文殊菩薩と行基を強く尊敬
しており行基と同じように自らも慈善事業に努めました。遺言により遺骨は竹林寺・極
楽寺(鎌倉市)・額安寺(大和郡山市)に分骨されています。

行基菩薩墓
河内国大鳥郡に生まれる。682年に15歳で出家し、飛鳥寺(官大寺)で法相崇などの
教学を学び、集団を形成して畿内を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活
動した。704年に生家を家原寺としてそこに居住した。その師とされる道昭は、入唐し
て玄奘の教えを受けたことで有名である。行基は奈良時代、貴族の為のものとなって
いた仏教を民衆に広め、橋や溜池を作るなど民衆の為に社会事業を行ったとされてい
る。その行基がこの近くに一時期居を構え、母親の最期をみとったそうだ。その後、聖
武天皇より大仏建立の為に招聘( しょうへい)されるが、82歳で人生を終えると母親の
近くに眠りたいと、この地に埋葬されたという。行基(ぎょうき/ぎょうぎ)668年~749年
は、奈良時代の日本の僧。僧侶を国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への
仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず
広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。また、道場や寺院を多く建立しただけで
なく、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、困窮者のための布施屋9所等の設立など数々の
社会事業を各地で成し遂げた。朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な
支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正
の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏造立の実質上の責任者と
して招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。
東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」
と呼んで いる。
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忍性菩薩墓
良観房忍性は、建保5年(1216)に大和国城下郡屏風里(現在の奈良県磯城郡三宅
町)で生まれた。早くに亡くした母の願いを受けて僧侶となり、西大寺の叡尊を師として、
真言密教や戒律受持の教えを授かり、貧者や病人の救済にも身命を惜しまぬ努力をし
ました。特にハンセン病患者を毎日背負って町に通った忍性の人柄がうかがえます。
後半生は活動の拠点を鎌倉に移し、より大規模に戒律復興や社会事業を展開します。
忍性は行基の大ファン?16歳の忍性は額安寺(奈良県大和郡山市)に入った。忍性は
19歳から6年間毎月竹林寺に参詣したという。参詣を始めた年に竹林寺で行基の舎利
が発見された。行基は奈良時代の僧で、貧民救済や土木事業などの社会事業を行い、
大仏建立にも尽力したことが知られ、平安時代以降に文殊菩薩の化身とされた。忍性
が竹林寺へ6年間参詣し、その生涯を文殊信仰に基づく救済に捧げたのは、行基を範
とするとするところが大きいと云われる。忍性は、鎌倉・極楽寺で87歳で臨終を迎えた。
遺言により遺骨は三分され、額安寺、竹林寺、極楽寺に埋葬された。人々の救済に努
めた忍性に、後醍醐天皇は「菩薩」号を追贈した。
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忍性は早くから文殊菩薩信仰に目覚め、師叡尊からは真言密教・戒律受持・聖徳太子
信仰を受け継いでいる。聖徳太子が四天王寺を創建に際し「四箇院の制」を採った事に、
深く感銘しその復興を図っている。四箇院とは、仏法修行の道場である敬田院、病者に
薬を施す施薬院、病者を収容し病気を治療する療病院、身寄りのない者や年老いた者
を収容する悲田院のことで、極楽寺伽藍図には療病院・悲田院・福田院・癩宿が設けら
れており、四天王寺では悲田院・敬田院が再興されている。また、鎌倉初期以来、四天
王寺の西門付近は「極楽土東門」すなわち極楽への東側の入り口と認識されており病
者・貧者・乞食・非人などが救済を求めて集まる所となっていた。

円福寺
真言律宗の寺院。生駒谷を見下ろす山腹に位置する。山号は龍華山(りゅうげさん)。
寺伝では天平勝宝年間(749年~757年)に行基によって創建されたとされるが、沿
革は明らかではない。度重なる火災のため、境内には鎌倉時代の再建による本堂の
みが残る。
重要文化財
本堂(附:棟札1、旧来迎壁額縁1、旧床板1、旧野地板断片1、旧鬼瓦2、旧丸瓦2) -
入母屋造、本瓦葺き、和様の三間堂。来迎壁(仏壇背後の壁)の墨書から応安4年
(1371年)の建立とみられる。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)2基 - 本堂前に並んで建つ。北側の塔(写真左)は初
重に四仏の種子を刻み、永仁元年(1293年)の銘がある。南側の塔は初重に四仏の
像を刻み、北側の塔と同じ頃の造立と推定される。
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此処までは、
1月18日の生駒谷・往馬大社初詣&歴史ウオ-クー1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。   
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-01-21
此処では、此の続きを
1月18日の生駒谷・往馬大社初詣&歴史ウオ-クー2 として~詳細を掲載します。
青山台集会所(昼食休憩)へ向かう~
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溜池には氷が張っていたが梅もほころぶ陽気?
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青山台集会所(昼食休憩)、午後は往生院へ・・・
興山墓地・往生院
輿山古墓群の中にあり、奈良時代の僧行基〔ぎょうき〕が天平21年(749)に没した時
火葬された生駒山の東陵にあたると伝えられています。本尊は行基菩薩坐像で、境
内には宝篋印塔(重要文化財)などが残っています。
竹林寺の奥の院と云われます。(華厳宗) 輿山「往生院」です。行基の遺言により彼
の遺体を焼き遺骨の一部を葬ったのがこの地であったと伝えられます。中世以降、
生駒谷10郷の惣墓となっています。本堂裏にある五輪塔「行基供養塔」は南北朝時
代のもので高さ187cm。境内にある宝篋印塔は正元元年(1259)銘があり県内最古
として知られます。
大仏造営中の749年、喜光寺(菅原寺)で81歳で入滅、生馬市の往生院で火葬後竹
林寺に遺骨が納められ多宝塔を立て墓所とした。また、喜光寺(菅原寺)から往生院
までの道のりを行基の弟子が彼の輿をかついで運搬したことから、往生院周辺の墓
地地帯は別名、輿山と呼ばれるようになった。
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美努岡萬墓(みののおかまろのはか)
奈良県指定史跡。奈良時代の官人であった美努岡萬の墳墓です。1872(明治5)年
に土取り中に偶然、墓誌が発見さました。墓誌は長方形の銅板で銘文を陰刻してあ
ります。銘文から美努岡萬のものであることが明らかとなりました。現在は住宅地の
中ですが、かつては山林の中にありました。古代の人物の墓所が明らかとなる例は
県内でも少なく貴重なものです。
美努岡萬連墓誌 (みののおかまろむらじのぼし)重要文化財
東京国立博物館所蔵
墓誌は、1872(明治5)年に土取り中に偶然、発見しました。縦29.4cm、横20.6cm、
厚さ0.3cmの銅板に銘文を陰刻してあります。銅板の一面に、縦横に罫線を刻み、
11行にわたって176字が記されています。
それによると、岡萬は天武天皇13年(684)に連の姓を賜っています。大宝元年(701)
に遣唐使の一員として渡唐し、帰国しています。従五位下を授かり、主殿寮の頭を任
じられ、神亀5年(728)に67歳で没しています。岡萬は『続日本紀』にもその名がみえ、
奈良時代に活躍した官人のようです。
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竜田川
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菊司酒造(試飲・買い物)
大阪と奈良を結ぶ奈良街道の宿場町であった小瀬の地で、江戸時代の1705年
(宝永2年)より伝統の酒造りを続けている蔵元。総業300有余年。自然と伝統が
織りなす名酒の数々を造り続けています。生駒山系の天然水である井戸水を、
無濾過で仕込水に使用しています。やや硬水で、水自体に味わいがあり、そこか
ら醸し出される味がお酒にも表れています。平成10年より発売銘柄「往馬」は特
定名称酒の限定流通商品です。また、造り酒屋ならではの純正酒粕をふんだん
に使った奈良漬けの製造・販売もしています。美味しいお酒を試飲させて頂き有
難う御座いました。スイカと胡瓜の奈良漬もとても美味しかったです・・・
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南生駒駅(解散)
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コメント 4

mamu7010

 コースも良くて、日和も良くて、人数も適当で良いですネ。
往馬大社、竹林寺、円福寺の公開も、、、
〆の菊司酒造の奈良漬がこれまた!!!

by mamu7010 (2017-01-22 08:12) 

Loby

先週辺りまでは、各地で大雪とニュースしていましたが、
梅が咲くほど暖かいところもあるのですね?
驚きました。
by Loby (2017-01-22 08:18) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
今日はY田さん、O村さんと3人で橿原神宮前駅~
久米寺~橿原神宮~畝火山口神社等~喜多酒造
様へ甘酒求めて、酒蔵みてある記に行って来ます・・・
by taharas (2017-01-22 08:25) 

taharas

Lobyさん
遠い所から?コメント有難う御座います!(^^)!
前日迄は寒かったんですよ!此の朝も奈良では
氷点下だったが日の出と共にぐんぐん気温が上がり
12度くらい迄上昇!高齢者には又と無い良い一日でした。
by taharas (2017-01-22 08:32) 

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