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1月29日の近鉄ハイキング・上本町駅~七福神-2

2月3日        1月29日の近鉄ハイキング・上本町駅~七福神-2
             29(ふく)よ来い!1.29(いいふく)求めて 七福神
知人と3人で参加、此の日まで29(肉)!1、29(良い肉)を求めて、と解釈してて、
大笑い、29と言う日付には私の頭の中に肉しか無かったのかと、後の七福神に
当日迄、頭の中が巡りつかなかった?行かなかったのが不思議・・・大笑い・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 大坂上本町駅9時半~11時受付 歩程約10㎞
大阪上本町駅(受付)~四天王寺~今宮戎神社~大国主神社~大乗坊~法案寺
~長久寺~真田山公園(昼食)~三光神社~心眼寺~大阪上本町駅(ゴール)
M村・O村・田原の3人で大坂七福神巡り、私の万歩計は、26726歩で約18.5km
志都美駅へ向かう
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志都美駅
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鶴橋駅で近鉄に乗り換え
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大阪上本町駅(受付)済ませて
四天王寺へ
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四天王寺・布袋尊
「初夢(はつゆめ)」で少しでも縁起の良い夢を見る方法、昔から、七福神の乗っ
ている宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると、いい夢が見られるそうです。少し面倒
ですが、その七福神の紙に「長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良
きかな」 という歌を書いておくと、なお良いそうです。
四天王寺にも大阪七福神めぐりの札所「布袋堂」がございまして、堂内に入って
すぐに、ご本尊の乳布袋がおわします。その風格から「乳のおんばさん」と呼ばれ
ており、昔からの言い伝えで、ご婦人がこの布袋尊に立願すれば、 乳がでない人
や授乳が不十分の人には乳を授け、また出過ぎて困る人には乳上げを授けると
いわれています。
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※大阪七福神めぐり
・大国主神社 大国天・大乗坊   毘沙門天・長久寺   福禄寿・四天王寺  
 布袋尊・今宮戎神社 恵比寿・法案寺   弁財天・三光神社  寿老人
※なにわ七幸めぐり
・大阪天満宮 学業成就・大念佛寺  諸芸上達・住吉大社  厄除祈願・今宮
 戎神社 商売繁盛 ・太融寺 無病息災 ・四條畷神社 心願成就・四天王寺
 家内安全

一心寺・・・一心寺HPより引用
浄土宗(南無阿弥陀仏と唱えます) 山号:坂松山  院号:高岳院
一心寺の発祥は文治元年(1185)。
浄土宗をお開きになった法然上人がこの地の四間四面の草庵「荒陵の新別所
(あらはかのしんべっしょ)」で「日想観*」を修せられたことが由来とされています。
草庵は法然上人の本名をとって「源空庵」と呼ばれ、その後「一心寺」へと改称さ
れました。1600年、関ヶ原の戦いがあった年、徳川家康公の第8男仙千代君が夭
折し、一心寺で葬儀が営まれましたが、導師を務めたのは時の住職で、家康公と
同郷三河の僧本誉存牟(ほんよぞんむ)上人でした。以来、家康公との結びつき
が強く、慶長19年(1614)の大坂冬の陣では家康公の本陣が当地におかれました。
そして江戸時代末期からは年中無休で施餓鬼法要を行う「おせがきの寺」として賑
わい、明治20年にお骨佛が造立されてからは「お骨佛の寺」として親しまれ、開か
れた寺、庶民の寺としての歴史を歩んできました。
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安居神社
創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原
道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、
風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。大丸の創業者の
下村彦右衛正啓がよく信仰していたので大丸天神と称されることがある。また、大坂夏
の陣で真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之碑が、他
に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの井)の址な
どがある。
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通天閣を眺めながら進んで
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区の新世界中心部に建つ展望塔である。
2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった。公式キャラクターは「ビリケン」。大
阪の観光名所として知られる。現在の通天閣は2代目である。
再建翌年の1957年(昭和32年)から、総合電機企業の日立製作所が、塔の側面に文字
広告を掲出。当初は、松下電器産業(現在のパナソニック)に広告の掲出を打診したが、
当時社長だった松下幸之助の判断で掲出を見送った。幸之助は配線工として初代通天
閣の工事に携わっていたが、日立のネオンが「地元の名物」として広く認知された後年に、
広告の掲出を見送ったことを悔いたという。
初代通天閣は、1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会誘致において、東京との激
しい招致合戦に勝利、パリに飛びパリ万国博の仕組みを詳細に調査して成功に導いた、
当時の大阪商業会議所会頭・土居通夫が、この博覧会の跡地に新世界ルナパーク、パリ
のエッフェル塔を真似た通天閣の建設を構想する。土居は周囲の猛反対を押し切って、
パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような初代通天閣が1912年(明治45年)
7月3日にルナパークと共に建設された。設計は設楽貞雄。建設費用は約9万7000円で、
当為の入場料は10銭。300尺(91m)という触れ込み(実際は250尺/約75m)で、その当時
東洋一の高さを誇っていた。 藤沢南岳によって命名された通天閣は、ルナパーク開発会社
である大阪土地建物の社長であった土居の名前を入れる意図が含まれているとされる。
通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、人々に親しまれていた。大阪で
2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置され評判となった。現在の二代目と同じ
ように塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり(1920年(大正9年)に導入)、当時の
広告は「ライオン歯磨」であった(後に阪神電車の広告も加わる)。通天閣の電灯工事には
当時大阪電灯に勤務していた松下幸之助(後にパナソニック創業者、当時17歳)が配線工
として参加している。1938年(昭和13年)に吉本興業に買収された後、太平洋戦争中の19
43年(昭和18年)1月16日に直下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣の脚部が加熱に
より強度不足となる。そのため、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で同
年2月13日から塔は解体さ初代通天閣は姿を消した。なお終戦後赤錆となった残骸が明石
市の浜辺で見つかっている。
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合邦辻・閻魔堂
古伝によれば合邦辻は合法辻とも言われ、「えんま堂」は聖徳太子の開基と伝えら
れています。当時の大伽藍は消失して辻堂となり、明治の中頃に今の融通念仏宗
西方寺の境内に移されました。浄瑠璃「摂州合法辻」の舞台となる「えんま堂」もここ
のことで、俊徳丸の難病がなおるという浄瑠璃のくだりからその故事に因縁をもとめ
病気平癒を祈願する人が訪れています。
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今宮戎神社
今宮戎神社は大阪市浪速区恵美須西一丁目に鎮座し、天照皇大神・事代主命
・外三神を奉斎しています。創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建
立されたときに同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。
戎さまは、ご存知のように左脇に鯛を右手に釣竿をもっておられます。そのお姿
は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。当
社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として一時中断がある
ものの宮中に鮮魚を献進していました。又このような海辺で物資の集まりやすい
土地では、海の種々の産物と里の産物、野の産物とが物物交換される、いわゆる
「市」が開かれますが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には開か
れるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが祀られるようになりました。
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敷津松之宮・大国主神社、木津勘介
敷津松之宮(しきつまつのみや)は、大阪府大阪市浪速区にある神社。地元では
「木津の大国さん」と呼ばれて親しまれている。
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摂社の大国主神社がよく知られており、付近の町名(浪速区大国)や駅名(大国町
駅)の由来にもなっている。敷津松之宮・大国主神社との併記も見受けられるが、宗
教法人としての登録名は敷津松之宮である。神功皇后が三韓征伐より帰朝し、住吉
大社から敷津の浜を航行していると、海岸に荒波が打ち寄せており、渚に松を3本植
えて、ここより潮が満ちないよう祈願し、その松の下に素盞嗚尊を祀ったのが由緒と
されている。1744年(延享元年)2月に神託があり、出雲大社を勧請して摂社の大国
主神社が建てられた。以来、今宮戎神社と並んで大阪市街からの参拝が多い神社と
なり、甲子の日には大変な賑わいを見せた。また、戎橋の由来と同様に、道頓堀川に
架かる大黒橋は当社への参道に由来する。大国主神社は大阪七福神めぐりの一社
でもある。
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境内には現在の浪速区や大正区にあたる地域の開発に尽力した中村勘助(木津
勘助)の像がある。西成郡木津村の北部(関西本線以北)が大阪市へ編入された後、
当社由来の「木津大国町」のほか、中村勘助由来の「木津勘助町」という町名も誕生。
1980(昭和55)年に「敷津西」に変更されるまで存在した。境外末社として西成区松
2丁目に敷津松之宮西成旅所がある。
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此処までは、
1月29日の近鉄ハイキング・上本町駅~七福神-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-02-03
続きは、大乗坊~
毘沙門天大乗坊
大乗坊(だいじょうぼう)は大阪市浪速区日本橋にある高野山真言宗の仏教寺院。
もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年
- 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を
奉じて各地に流寓し本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。 文禄
(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現
在地に移転。 万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進によ
り寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる。昭和20年(1945年)の空襲で
堂宇は全焼。大阪七福神めぐりの1つ。
木造毘沙門天立像  重要文化財(大正3年4月17日指定) 南北朝時代 御前立の
立像。信貴山・鞍馬山・北山本山寺と並んで日本四毘沙門天の1つに数えられていた。
毘沙門天は秘仏で、60年に一度の開帳であったが、現在では毎年春秋2回(5月と11
月の第2日曜)開帳されている。
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安井道頓・道卜碑
近年いろいろな資料から、道頓は安井姓ではなく成安道頓という人で、道頓と道卜は
兄弟や従兄弟ではなく、成安道頓は平野郷の人で、安井道卜は中河内郡久宝寺村の
出身という説が有力となっている。[安井家由緒書(安井家文書)及び平野次郎兵衛覚
書(東末吉文書)など]
このことは、安井道卜の子孫が1965年(昭和40年)に、道頓堀川の所有権をめぐり、
国、大阪府、大阪市を相手に起こした裁判の過程においても、かなり明らかになってい
る。(11年かかった裁判の結果は、安井家の所有権は認められなかったが、先祖の道
頓・道卜を功績を称えるという大岡裁きであったという)
堺筋・日本橋の北詰めにある石碑には「贈従五位安井道頓、安井道卜紀功碑」とあり、
裏面には漢文が刻まれているが、解説書などによると「道頓堀は1615年(元和元年)
安井道頓・道卜の従兄弟により開削された」旨の両名らを称える表彰文が刻まれてあ
るそうである。この顕彰碑は1915年(大正4年)の建立。
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法案寺・弁財天
法案寺(ほうあんじ)は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。
通称・日本橋聖天。山号は志宜山(しぎさん)。高野山真言宗・準別格本山。
本尊・薬師如来。現在、仮本堂(聖天堂)には聖観音・歓喜天(聖天)・不動明王・弘法
大師などを祀る。境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などを祀る。境内の弁財天は
「大阪七福神」の一つになっている。寺伝によれば、推古天皇の頃(593年 - 628年)に
聖徳太子が志宜野(しぎの)(大阪市城東区鴫野(しぎの))に法案寺を建立したという。
建立した場所の地名から山号を「志宜山」とし、仏法弘通の公案をしたところから寺号
を「法案寺」としたという。
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長久寺
大園山長久寺・・・ 福禄寿  大阪七福神巡り
1579年(天正7年)豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野
修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。
1712年(正徳2年)本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、宝暦(1751~64年)、明和
(1764~71年) 年間に復興した。その後盛衰興廃があったが、戦前・戦後の数度にわた
る道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小され現在に至っている。現在の本堂は
1963年(昭和38年)の完成で、鉄筋コンクリート造りである。淀君が建立し、400年近く
維持されてきた本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩 院として活用
されており、その他、淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘
楼は茨木市・妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存し
ているとのことである。これらのことから、当院の最盛期での規模の大きさが伺うことが出
来る。 尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人である、原惣右衛門の墓がある。
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※原惣右衛門・・・赤穂浪士
原惣右衛門元辰(はら そうえもん もととき)は役職は足軽頭、禄高は300石扶持で、討
ち入りメンバーの中では、大石内蔵助(1500石)、片岡源五右衛門(350石)についで、
No3の高給取りであった。惣右衛門は殿中で刃傷事件が起きたとき、警護留守役として
伝奏屋敷に詰めていたが、事件勃発後、即刻引き上げを命じられたが、狼狽する藩士を
指揮し、わずかな時間で、運び込んでいた道具を撤収させた。続いて、鉄砲州浅野邸引
き払いにも、右往左往する人達を指揮し、大きな混乱も無く荷物運搬を終えている。そし
て、その夜のうちに、大石瀬左衛門とともに早駕籠に乗って、赤穂への凶変急報の第2陣
の使者として出発するなど、機敏な活躍ぶりを見せている。谷町・長久寺境内には惣右衛
門の墓と並んで、惣右衛門が建てた母和田氏の墓があり、この母は1702年(元禄15年)
8月、わが子を励ます遺書を残して自害したとも伝えられているが、事実でないとする説も
ある。切腹時の年齢は56歳。また、討ち入り義士の1人岡嶋八十右衛門は実弟である。

近松門左衛門の墓
近松門左衛門は1653年(承応2年)の生まれで(出生地については諸説あり)、本名は
杉森信盛、幼名は次郎吉といい、越前・吉江藩士杉森市左衛門信義の次男として誕生
する。元禄年間を中心として、貞享~享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、17
24年(享保9年)に72歳で没した。近松は、竹本義太夫や2代目義太夫のために100作
を越える浄瑠璃を著す一方で、坂田藤十郎のために20数作の歌舞伎狂言を著している。
「曽根崎心中」、「心中天網島」、「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれ
る人間の姿は今日に通ずる所も多く、伝統芸能や演劇、映画などの中で再創造され、たく
さんの人に感動を与え続けている。
尚、近松門左衛門の墓は兵庫県尼崎市久々地の「広済寺」にもある。
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鎌八幡・園珠庵
円珠庵(えんじゅあん) 大阪府大阪市天王寺区空清町にある真言宗豊山派の寺院。
鎌八幡(かまはちまん)
元和の大坂冬の陣の時真田信繁(幸村)が、陣所内にて当時信仰を集めていた御神木
に「鎌八幡大菩薩」と称して慣例に習い鎌を打ち込み、必勝を祈願したところ、大いに戦
勝をあげたと伝承されている。江戸時代以降は、真言宗の祈祷と結びつき、現在の形の
「悪縁を断つ鎌八幡」として信仰を集め、現在に至っている。
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真田山公園(昼食)
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三光神社
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある
神社である。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。
反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として
奉職し、現在は86代目と伝える。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東
の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山
神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮
(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。
更に、鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置か
れ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿
の下に残っている。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。
末社 武内宿禰社(武内宿禰) -- 社家・武川氏の祖神。長寿であることから七福神のうちの
寿老人と同一視され、大阪七福神(浪速七福神)の一つとなっている。
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O村さんを玉造駅へおくって・・・
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真田丸顕彰碑
天王寺区役所では、真田幸村が大坂の陣の際に築いた「真田丸」の地に顕彰碑を設置し、
平成28年2月1日(月曜日)に除幕式を行いました。
現在、大阪明星学園(天王寺区餌差町)がある辺りは、戦国武将・真田幸村(信繁)が大坂
冬の陣で築いた大坂城の出城「真田丸」があった地とされています。天王寺区役所は、昨年
7月、地域の歴史的・文化的資産を活かし、天王寺区の活性化を図ることに賛同いただいた
同学園と「真田丸顕彰碑の設置に関する協定」を締結し、このたび、同学園の東側(心眼寺
側)に面した敷地の一角に「真田丸顕彰碑」を設置しました。
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興徳寺
8世紀に行基によって開創されたといわれる。
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心眼寺
1622年、真田昌幸・真田信繁の父子の冥福を祈るために造られた堂宇を起源とする寺。
大阪大空襲で焼けたため、当時から残るものは無いとされる。真田信繁の墓が有る。
京都見廻組 組士の墓も有る。近江屋事件で坂本龍馬暗殺に関与した桂早之助・渡辺
吉太郎の墓所が、ここ心眼寺にある。
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大阪上本町駅~五位堂駅
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コメント 4

hatumi30331

四天王寺さんへ行って来られたんですね。
今年も沢山歩き初めてますね。^^
健脚なればこそ!
私もようやく足が治ってきて、歩いてます!^^

by hatumi30331 (2017-02-03 07:53) 

taharas

hatumi30331さん
お早うございます!コメント有難う御座います!(^^)!
歩くのが辛そうな方を見ると、普通に歩ける自分がどれ程
幸せかを感謝しながら歩いています。
今年も頑張って歩きますよッ! ♪♪ 歩こう会だ~ ♪
by taharas (2017-02-03 09:08) 

mamu7010

 歩く目的がはっきりしている、こんなハイキングも良いですネ。
今宮戎さん以外、良かったです。
まだまだ近鉄もなめられている?なって、感じました。
by mamu7010 (2017-02-03 20:02) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
明日は懇話会、ああっもう今日か?
昨日は午後から汗かいて準備してきたよ・・・
by taharas (2017-02-04 00:13) 

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