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2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-2

3月3日      2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-2
                近鉄駅フリーハイキング  歩程約12㎞
知人と2人で参加、風が少しで陽射しが結構あったので丁度良いハイキング日和。
コース 近鉄駅フリーハイキング 生駒線 王寺駅受付 9時半~11時
王寺駅(受付)~鹿塚~寺風集会場~健民グランド(トイレ休憩)~藤の木古墳~
法隆寺~中宮寺墓~法輪寺~山背大兄王墓跡(昼食)~法起寺~九頭上池~
郡山城跡・柳沢神社・天守跡・盆梅展~郡山市街~JR郡山駅
此の日の私の万歩計は31170歩で約20.9km歩いたことになっていました・・・
近鉄生駒線王寺駅を
スターとして大和川を渡る
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国道25号線の竜田川を渡る
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鹿塚
昔、聖徳太子が多くの家臣とこの辺りを通った時、家臣の飼い犬が鹿と喧嘩
をして、犬が鹿の足に噛み付き、それを見た太子が鹿の手当てをして逃がしまし
たが、数日後、また犬が鹿を噛み殺したので、太子がこの事を深くお考えになり、
これは前世の宿業によるもので、恨みの恐ろしさを悟り、それを忘れない様に鹿
塚を造りました。
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お寺風の集会所
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健民グランドへ向かう
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健民グランド(トイレ休憩)
グランド前の池
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藤ノ木古墳へ向かう
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藤ノ木古墳(国指定史跡)
藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は玄室内から大量に出土した土師器、須恵器の年代
から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に
畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。藤ノ木古墳は、法隆寺(斑鳩
宮)の創建よりも古く550年から600年の間に造営されたと云われている。(法隆寺の
創建:600年代初期)大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていた
が、墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、従来の見解を訂正することになった。
未盗掘の横穴式石室で、家形石棺に成人男性2人が合葬されていた。
副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の
一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではなく、その一族
の人物であったと推測されている。
2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖
徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅
部皇子の可能性が高いと論じている。
一方、副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天
皇が合葬された」との説もあり、なお、南側被葬者については、女性説も存在する。
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法隆寺西門へ向かう
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法隆寺西門から入る
世界最古の木造建築。多くの建造物などが国宝・重文に指定され、1993年12月には
法起寺と共にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
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八角堂、夢殿とおなじ
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東門へ抜けて夢殿
夢殿
行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を
上宮王院(東院伽藍)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の
中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、そ
の周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代
に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。この夢
殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える
聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。
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中宮寺宮墓へ向かう
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中宮寺宮墓地
宮内庁が治める陵墓
被葬者は、高栄女王(後西天皇皇女)・栄恕女王(霊元天皇皇孫女)・栄暉女王
(霊元天皇皇曾孫女)。尊智女王(後伏見天皇八世皇孫女)・尊覚女王(後伏見
天皇十一世皇孫女)・成淳女王(後伏見天皇十八世皇孫女)それと後西天皇塔
の6基1塔からなる。
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中宮寺宮墓地前のなぎの木の実
なぎ
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法輪寺へ向かう
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法輪寺
聖徳太子の病気平癒を願って山背大兄王が建立したといわれる。(諸説あり)。
三重塔は1975年の再建である為、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には
含まれていない。
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此処までは、
2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-03-03
此処では、続きの山背大兄王墓跡~
山背大兄王墓跡(昼食)
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳 - 皇極天皇2年11月11日(643年
12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』よ
り厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこ の いらつめ)
で大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
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法起寺へ向かう
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法起寺
法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。
古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。山号は「岡本山」(ただし、奈
良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。本尊
は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完
成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部と
して世界遺産に登録されている。
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九頭上池(くずがみ池)
615年(推古23年)聖徳太子が46の巨刹を創建し、その内の西岳院と満念院が共
に最後に建立され、いずれも満願寺と名乗り、今は満願寺町に町名だけを残す廃寺
ですが、その南約150mの所に太子が造成された池で、池畔を春、夏、秋、冬の各
ゾーンに分けて、浮御堂もあり、九頭上とは九つの頭の上に太子が乗っている意味。
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郡山城跡へ向かう
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郡山城跡・柳沢神社
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天守閣跡が整備され4月オープン
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郡山城跡・盆梅展へ
会場へは入らず外の梅だけで満足
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郡山市市街・紺屋川
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薬園(やくおん)八幡神社の梅
鳥居の横に「国史現在社薬園八幡神社」の石碑が立っている。これは『続日本紀』
(巻十七)に、「天平勝宝元年(747)十一月、於南藥園新宮大甞。以因幡爲由機
國。美濃爲須岐國。」とあることによる。大仏造営の宇佐八幡大神が多いに力を発
揮し、宇佐から八幡大神を大和に勧請した。その際、平城京の南、当社の北約1k
mの梨原の薬園新宮内にお迎えした。それが当社の創建の由緒。後に東大寺へ
遷座の際御神霊の分霊は当社にとどまった。
聖武太上天皇の勅願で、朝廷より奉幣に預かったが、次第に衰え、足利時代末期
に当地に遷座した。
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王寺駅から信貴山を撮る
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コメント 3

hatumi30331

枝垂れ梅が綺麗やね〜〜♪^^
歩いてますね〜〜
私もようやく前のように歩けるようになりました。^^
by hatumi30331 (2017-03-03 07:55) 

mamu7010

何度行っても梅林・盆梅展良いですネ。
一時Myブームであちこちの盆梅展へ行ってましたが?
最近は郡山城盆梅展だけになっています。

by mamu7010 (2017-03-04 10:43) 

yakko

お早うございます。
素敵なコース !  楽しめましたね〜(∩.∩)
by yakko (2017-03-09 08:32) 

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