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2月28日の近江大橋を渡り膳所の城下町散策-2

3月4日      2月28日の近江大橋を渡り膳所の城下町散策-2
              2月度歩こう会会員例会 歩程約8㎞
JR瀬田駅南口(1階) 10時30分集合  参加費300円 参加者は77人だった。
コース
JR瀬田駅~近江大橋~膳所城跡公園~膳所神社~和田神社~石坐(いわい)
神社~義仲(ぎちゅう)寺~JR膳所駅
此の日の私の万歩計は、20745歩で約13.8km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
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西名阪自動車道の高架
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志都美駅
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JR瀬田駅前で受付
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萱野神社で朝礼
萱野神社(かやのじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社。神紋は「蓑亀」。別称と
して「九帝王宮(九帝王社)」「九大王社」とも。祭神は開化天皇 - 第9代天皇の1柱
で「九帝王大明神」とも称している。
彦坐王命(開化天皇皇子)第4世にあたる治田連(はるたのむらじ)は、淡海国造と
してこの地に居住したといわれる。『国造本紀』には成務天皇期に彦坐王3世孫・大
陀牟夜別が淡海国造に任じられた旨が記され、『新撰姓氏録』には治田連が彦坐
命の後裔で4世孫の彦命に功があり治田連の姓を賜った旨が記されている。治田
連は栗太地域(後世の栗太郡)の開拓に携わったという。そして雄略天皇6年に治
田一族の遠祖である開化天皇を祀ったのが創祀とされる。
和銅8年(715年)に旱魃が発生した際、農民皆が雨乞を行うと、里の山中の洞穴か
ら亀が出てくるとともに大雨が降りだしたという。この伝承に因み神紋は「蓑亀」とい
う独特のものであり、拝殿前には藁で作られた亀が飾られている。当社には古来よ
り氏子や領主、代々の膳所城主の崇敬が篤かったといわれ、境内の寄進も行われ
た。明治に入り、祭神を開化天皇1柱とするとともに、社号も1869年に現在の「萱野
神社」に改めた。
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近江大橋へむかう
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近江大橋を渡る
近江大橋(おうみおおはし)は、滋賀県大津市丸の内町と同県草津市新浜町を結
ぶ琵琶湖上の道路橋である。近江大橋有料道路の一部として滋賀県道路公社が
建設し、管理していたが、2013年12月26日をもって無料開放された。琵琶湖上の
他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋、北側約19kmに琵琶湖大橋がある。
全長 : 1,290m。最高点における水面からの高さ : 11.7m
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膳所城跡公園へむかう
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膳所城跡公園で昼
近江大橋西詰のすぐ南側に突き出た地にあった膳所城は、徳川家康が関ヶ原の
合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、
湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣
白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。
この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映
るは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
戸田(とだ)・本多(ほんだ)・菅沼(すがぬま)・石川と城主が変わった後、本多6万石
代々の居城として長く偉容を誇りましたが、明治維新で廃城になり楼閣(ろうかく)は
取り壊されました。城門は重要文化財で、膳所神社や篠津(しのづ)神社に移築され
て残っています。
現在、本丸跡は、膳所城跡公園として整備され、春には桜の名所として花見客を多
く集めています。
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此処までは、
2月28日の近江大橋を渡り膳所の城下町散策-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-03-04
続きは、公園散策~
昼食タイムの後に公園散策、集合写真撮影
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膳所神社へ向かう
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膳所神社
社伝によりますと、天智天皇の大津京遷都のとき、膳所の地が御厨(みくりや)の
地と定められ、天武天皇の代に大和国から食物の神を移して祀ったのが膳所神
社の始まりとされていますが、確かな資料は、平安時代、この一帯が天皇の食事
としての湖の魚介類を献上する場所に指定されたことによると言われています。
御祭神は食物をつかさどる豊受比売命(とようけひめのみこと)です。江戸時代、
膳所藩の領地になると、本多家歴代藩主に信仰され、神社の領地や社殿の寄進
がたびたびありました。なお、正面に建っている薬医門は、もともと膳所城の城門
を移築したもので、重要文化財に指定されています。北門や南門も膳所城の門で
すが、南門は近年建て替えられました。
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和田神社へ向かう
和田神社
御祭神は、タカオカミノカミ。本殿は、鎌倉時代の建築で重要文化財に指定されて
います。社伝によりますと、創建は白鳳時代といわれ、現在の社名のいわれは、
この地の湖岸が和田浜と呼ばれていたことによります。 境内にある高さ約24m、
樹齢600から650年と言われる銀杏の木は大津市指定の天然記念物です。関ヶ
原の合戦で敗れ、捕らえられた石田三成が、京都へ護送される途中、この銀杏
の木につながれたという伝説が残っています。
また、和田神社の表門は、江戸時代、文化五年(1808)に創建された膳所藩の
藩校である遵義堂(じゅんぎどう)の門を移築したものです。
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石坐(いわい)神社で時間調整?
今から千三百有余年の昔、神託により天智天皇が勅使を遣わして神代より鎮まり
給う御霊殿山の天津磐座に八大龍王神・海神豊玉比古神(石坐大神)を御鎮斎な
されました。といわれるが、創建年代等は不詳。祭神は彦坐王(ひこいますおう)と、
天智天皇、伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)とその子大友皇子
(おおとものおうじ)(弘文天皇)、豊玉比古命、海津見神です。前四柱の神像は平
安および鎌倉時代の作で、重要文化財に指定されています。
古代の文献によれば彦坐王だけを祭神とし、江戸時代には八大龍王社(はちだい
りゅうおうしゃ)と呼ばれて水神として広く信仰を集めたといいます。かつては、相模
(さがみ)川上流の御霊殿(ごりょうでん)山上にありましたので、山には今でも祠
(ほこら)が残っています。本殿は、市を代表する鎌倉時代の神社建築で、古色(こ
しょく)豊かで優美な姿をしています。神像とともに、重要文化財です。
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義仲寺へ向かう
義仲寺
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あ
わづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったこ
とに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したとい
われています。江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺
の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)が度々訪れ、のちに芭蕉が大阪
亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
境内には、芭蕉の辞世の句である「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」など数多くの句
碑が立ち、偉大な俳跡として多くの人が訪れます。このほか、本堂の朝日堂(ちょうじ
つどう)・翁堂(おきなどう)・無名庵(むみょうあん)・文庫などが立ち、境内全域が国の
史跡に指定されています。
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※源義仲
源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏
の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ
よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、
旭将軍とも)と呼ばれている。
以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利
伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と平氏の狼藉によっ
て荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安維持の失敗と大軍が都に居座った
ことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和とな
る。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼
朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。
巴御前は義仲の妾、夫人では無い。

JR膳所駅へ向かう
膳所駅-京都駅-大阪駅-王寺駅へ
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コメント 2

mamu7010

 木曽義仲に巴御前、青春の思い出?良いですネ。
夢中で読んだ作り物の小説を思い出します。
滋賀県かぁ~。
by mamu7010 (2017-03-06 16:02) 

taharas

mamu70101さん
コメント有難う御座います!(^^)!
滋賀県は遠い?往復の時間だけでも5時間以上、
次回の和歌山県も往復5時間、ちょっと遠いね・・・・
by taharas (2017-03-07 01:15) 

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