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奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?ー4

10月29日        奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?ー4
10月6日~24日の日程で奄美・加計呂麻島に里帰の為、ブログを約1ヶ月、
休止状態でしたが27日~順次投稿していますので宜しくお願い致します。
10月6日 大阪関西・伊丹空港~奄美空港
奄美市名瀬の叔母の家に1泊して、サガリバナの蕾が未だ有る
10月7日  ・・・天長丸に乗せて貰う
叔母の車を借り、南大島の古仁屋港~加計呂麻島へ
フェリー「かけろま」がドック入り(10月1日~18日)の為、民間のフェリーで・・・
プロパンガス業者に連絡してタンクを設置して貰い、コンロと給湯器が使える
10月8日 加計呂麻島・芝集落での朝散歩
10月6日~8日に着いては、下記のセカンドブログへ投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-27-3
其の続きは
10月9日~12日迄について、
奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?-2 として
    下記のメインブログへ投稿しました。
      http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2015-10-28
9日~12日迄の・・・
朝の散歩の風景等を
生家の庭のクロトン、2つとも小さく剪定して帰ろう??
此処では其の続きを
奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?-3 として
     下記のセカンドブログに投稿しました。
    http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-29
10月12日~の予定
10月12日  加計呂麻島~奄美本島へフェリーで渡り、名瀬の叔母の家に宿泊
  此の日は祝日で10時半に予定していたフェリーが運航せず、11時半だと言う、
 瀬相港のとなりの集落、伊子茂にある特別介護老人ホームを訪問、親戚の人
 に会って話をして1時間時間をついやし・・・とても喜んでくれたので嬉しかった
  かけろま守る君にも会えたし
名瀬に着いて、6日に見たサガリバナの蕾が咲いて
珍しいと言う、サガリバナが日中にしなびた格好で残っていた
10月13日名瀬の朝散歩は大熊漁港
  朝日小学校の校庭にプレジャーボートが
  浦上にある平有盛神社  浦上地区公民館の土俵  パパイヤも・・・
朝の散歩を帰るとサガリバナが咲いていた
10月13日奄美空港へ、2組出迎えに行く
  11時10分には、大阪伊丹空港~家内と娘が到着する
     2人を出迎えて赤木名に有る元祖鶏飯のみなと屋へ昼食に
     天皇陛下がおかわりをして・・・伝説の鶏飯
  14時30分には、羽田空港~奄美空港へ千葉から妹2人が到着する
     妹2人を出迎えて5人であやまる岬と土盛(ともり)海岸観光に・・・
今回の奄美大島行きは、10月4日に済ませた祖母と母の33回忌法要
墓参りと叔母達家族含めた奄美での会食(皆が揃う13日夕食)をする・・・
10月13日  叔母の家で会食の後、妹2人はウエストコート奄美へ、
        家内と長女は、ビッグマリン奄美へ各々1泊、
10月14日
   14日の朝、ホテルへ迎えに行き、名瀬~古仁屋へ休憩入れて1時間半、
   古仁屋港か5人でフェリー(天長丸)で、30分で加計呂麻島へ渡る・・・
加計呂麻島瀬相(せそう)港~西の端、実久(さねく)集落へ義弟の墓参りに
実久集落で墓参りを済ませ、大島海峡展望所&夕日の丘で景色を堪能して
芝集落の祖母と母の先祖代々の墓と親戚のお墓詣りをして生家で昼食休憩、
妹2人は、15日に奄美空港~羽田空港へ帰る為、バスで瀬相港経由古仁屋
~奄美市名瀬へ14日中に出て1泊、15日に東京経由して千葉へ帰る。
此処まで・・・
此の続きを奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?-4 として掲載します。
重複しますが、実久集落の海岸~夕日の丘からの風景を再掲載します。
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家内と長女の伊丹空港組は、16日に奄美空港~伊丹空港の為、1日遅れて
15日に加計呂麻島を出発、奄美市名瀬で1泊して奄美空港へ、定期航路の
フェリーかけろまが運行していたら其の日に加計呂麻島をでて空港へ間に
合うのに、ふぇりーかけろまが18日迄ドック入りしてた為にこんな日程に・・・・
10月18日の朝の散歩
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10月19日の朝の散歩、他
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  道路脇から5~6mだけススキを刈った畑へ行って、・・・
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   おまけ・・・・猪の入らない畑?
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此処まで
此の続きは、奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?ー5 として
         下記のセカンドブログへ投稿します。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-29-2
10月20日の朝の散歩、大島海峡で船釣り

10月23日 フェリーかけろまに乗る

6日~24日の奄美大島に滞在期間中にフェリー7回利用、7回目の1回だけ
フェリーかけろま、フェリー天長丸に何度もお世話になりすっかり馴染に?・・・
10月24日  古仁屋港での朝の散歩

奄美空港から離陸~大阪伊丹空港へ
1人で此の荷物はしんどい?歩く距離の少ないコースで帰る。
空港バスで近鉄上本町駅~五位堂駅~タクシーで自宅へ・・・・

奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?-2

10月28日        奄美大島・加計呂麻島へ帰省奮闘記?-2
 10月6日~24日の日程で奄美・加計呂麻島に里帰の為、ブログを約1ヶ月間
休止状態でしたが27日~順次投稿していきたいと思いますので宜しくお願いします。
10月6日
大阪関西・伊丹空港~奄美空港
奄美市名瀬の叔母の家に1泊して、サガリバナの蕾が未だ有る
10月7日  ・・・天長丸に乗せて貰う
叔母の車を借り、南大島の古仁屋港~加計呂麻島へ
フェリー「かけろま」がドック入り(10月1日~18日)の為、民間のフェリーで・・・
プロパンガス業者に連絡してタンクを設置して貰い、コンロと給湯器が使える
10月8日
加計呂麻島・芝集落での朝散歩
10月6日~8日に着いては、下記のセカンドブログへ投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-27-3
此処では
10月9日~について掲載します・・・・
生家の庭のクロトン、2つとも小さく剪定して帰ろう??
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10月9日の朝の散歩
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  今日は曇りか?
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   今朝の釣果
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   帰り道にグアバを2ヶ貰って、次のの2ヶは我が家の・・・
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10月10日の朝は雨で散歩せず
10月11日の朝の散歩
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   蘇鉄の新芽が蝶々に食べられてこのありさま・・・
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10月12日 今日は名瀬へ車で出る
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  我が家の庭の雑草も少なくなって・・・
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  瀬相港のシンボル、タカラ貝のオブジェ?
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此の続きは、下記のセカンドブログへ投稿します。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-29
10月12日~の予定
10月12日
加計呂麻島~奄美本島へフェリーで渡り、名瀬の叔母の家に宿泊
10月13日奄美空港へ、2組出迎えに行く
  11時10分には、大阪伊丹空港~家内と娘が到着する
     2人を出迎えて赤木名に有る元祖鶏飯のみなと屋へ昼食に
  14時30分には、羽田空港~奄美空港へ千葉から妹2人が到着する
     妹2人を出迎えて5人であやまる岬と土盛(ともり)海岸観光に・・・
  今回の奄美大島行きは、10月4日に済ませた祖母と母の33回忌法要
  墓参りと叔母達家族含めた奄美での会食(皆が揃う13日夕食)をする・・・
10月13日
   叔母の家で会食の後、妹2人はウエストコート奄美へ、家内と長女は
   ビッグマリン奄美へ各々1泊、
10月14日
   14日の朝、ホテルへ迎えに行き、名瀬~古仁屋へ休憩入れて1時間半、
   古仁屋港か5人でフェリー(天長丸)で、30分で加計呂麻島へ渡る・・・
加計呂麻島瀬相(せそう)港~西の端、実久(さねく)集落へ義弟の墓参りに、

実久集落で墓参りを済ませ、大島海峡展望所&夕日の丘で景色を堪能して
芝集落の祖母と母の先祖代々の墓と親戚のお墓詣りをして生家で昼食休憩、
妹2人は、15日に奄美空港~羽田空港へ帰る為、バスで瀬相港経由古仁屋
~奄美市名瀬へ14日中に出て1泊、15日に東京経由して千葉へ帰る。

家内と長女の伊丹空港組は、16日に奄美空港~伊丹空港の為、1日遅れて
15日に加計呂麻島を出発、奄美市名瀬で1泊して奄美空港へ、定期航路の
フェリーかけろまが運行していたら其の日に加計呂麻島をでて空港へ間に
合うのに、ふぇりーかけろまが18日迄ドック入りしてた為にこんな日程に・・・・

6日~24日の奄美大島に滞在期間中にフェリー7回利用、7回目の1回だけ
フェリーかけろま、フェリー天長丸に何度もお世話になりすっかり馴染に?・・・

10月5日の馬見丘陵公園ー1

10月27日        10月5日の馬見丘陵公園ー1
10月6日~24日の日程で奄美・加計呂麻島に里帰の為、投稿が遅くなりました、
つきましては、10月5日の撮影分から順次投稿していきたいと思いますので・・・・

 やまと花ごよみ2015 第5回馬見フラワーフェスタ
開催日時:平成27年10月3日(土)~10月18日(日)10時~17時
 10月5日の開園前に急きょダリア園をメインに撮って来たもので、今朝改めて
馬見丘陵公園のダリア園他コスモス等、撮って来た写真は追って投稿する予定・・・
ダリア園
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此の続きはf、10月5日の馬見丘陵公園ー2 として 
      下記のセカンドブログへ投稿します。
    http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2015-10-27-2

9月30日のJRふれあいハイキング・天満駅~1

10月1日        9月30日のJRふれあいハイキング・天満駅~1
           アート満喫!・船場三休橋筋(栴檀木橋筋)ウオーク
知人と2人で参加、此の日の参加者は248人だったようです。
本当の秋のハイキング日和で殆んど汗をかかずに歩けた?様な気がする。
コース  JRふれあい  大阪・関西歩け歩け協会主催  参加費500円    
天満駅~徒歩5分~扇町公園(受付・スタート)~天神橋筋商店街~大阪
天満宮~川端康成生誕地~天満の子守歌像~天満橋~八軒家浜~天神
橋~中之島公園~栴檀木橋~三休橋筋・適塾・緒方洪庵像~綿業会館~
中央大通り~靭公園(昼食場所)~田蓑橋~蛸の松~ほたるまち~福沢
諭吉生誕地~福島公園~福島駅
志都美駅
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扇町公園(受付・スタート)~
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天神橋筋商店街~
天神橋筋商店街(てんじんばしすじしょうてんがい)は、大阪市北区にある
アーケード商店街。南北2.6キロメートル、600店の日本一長い商店街だ。
天神橋筋商店街では、人通りの増加に伴い、自転車と歩行者との接触事
故が多発するようになったことから、商店街側が自転車の通行規制を大阪
府警察に要望。これを受け同府警は、2014年1月31日以降に天満駅南側
において、時間帯を区切っての自転車の通行規制を実施することになった。
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大阪天満宮~
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区に鎮座する神社。
大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた
際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神
信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという
奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させた
のが始まりである。
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川端康成生誕地~
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和
47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後
にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府
出身。東京帝国大学国文学科卒業。代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽
獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝
的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記
述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のでき
ごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明され、
研究・追跡調査されている。
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南天満公園
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天満の子守歌像~
天満青物市場跡にある天満の子守唄 碑
大川を挟んで京阪天満橋駅の対岸にあたる場所に南天満公園がありますが、
その一角に、天満の子守唄の碑が建てられています。天満青物市場の跡碑も、
この近くにあります。天満の子守唄は、そうした天満の青物市場の存在感を示
すために自然発生的につくられた歌で、青物市場から大根を船積みする情景
が歌にされてます。
ねんねころいち 天満の市で  大根そろえて 舟に積む
舟に積んだら どこまでゆきゃる  木津や難波の 橋の下
橋の下には 鴎がいやる  鴎とりたや 竹ほしや
竹がほしけりゃ 竹やへござれ  竹はゆらゆら 由良之助

この歌ほど全国にひろがった例はないと言われているけれども、そのへんは
どうなんでしょうか?天満の青物市場にかぎらず、木津村でも難波村でも、大
阪にはたくさんの子守り娘が奉公に出てきてましたから、彼女たちの歌う唄が、
近畿一円から四国、中国地方へ広まっていったんでしょう。
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天満橋~
八軒家浜~
上町台地北端の西麓、天満橋と天神橋の間において、平安時代までに渡辺津
(わたなべのつ)と呼ばれる外港が成立した。大江、国府津、窪津、楼津などと
も呼ばれ、摂津国の政治の中心であった渡辺の地はまた、四天王寺、住吉大社、
高野山、そして熊野三山への参詣道である熊野街道の起点として駅楼が置かれ、
海陸交通の要地として栄えた。
大阪平野の形成にともなって西へ移動した河口と離れて河港に姿を変えたことや、
遷都等の要因によって外港としての役割は縮小したが、同地における寄港地とし
ての機能は近世以降も残ることになる。
江戸時代には、同地は船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれる
ようになり、京(伏見)と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる過書船のターミナルと
なるなど、淀川舟運の要衝として栄えた。
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天神橋~
天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺
線)の橋で、大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、16
34年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。
難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
浪華三大橋の中で全長が最も長い。また、1832年(天保3年)の天神祭に
おいて、橋上からだんじりが大川へ転落して溺死者13名を出す事故があり、
「天神橋長いな、落ちたらこわいな」と童歌に歌われた。
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中之島公園~
大阪市の都心部、中之島の東部に位置する。周囲一帯はオフィス街で、
都会の憩いの場となっている。難波橋と阪神高速1号環状線の間には
バラの花壇が設けられ、春や秋にはバラの花が咲く。また、南北方向に
水路が流れ、東西にバラ園があり、ばらぞの橋が架かっている。なお、
この水路はちょうど天満堀川(現在は埋立。阪神高速12号守口線)の
延長線上にあたる。天神橋より突き出た東端部は、大川を堂島川と土
堀川に分けて尖っていることから「剣先」と呼ばれ、先端には安藤忠雄
の構想による噴水が設置されている。
1766年(明和3年)、当時の中之島東端に「山崎ノ鼻」と呼ばれる新
地が埋立造成されて遊興地・景勝地となった。1891年(明治24年)に
大阪市初の市営公園として整備され、1921年(大正10年)に行われた
大川の浚渫で出た土砂の埋立により、現在の形状となった。
開園当初は公園の西側に豊國神社があり、江戸時代以来の風情も残
っていたが、明治後期には大阪ホテル、大阪府立中之島図書館などの
洋館が建つようになった。大正期には、中之島公会堂の建設に伴って
豊國神社は図書館西側へ移転。その西側に大阪市庁舎(3代目)が完
成する頃には上述の浚渫が行われ、公園も西洋庭園に生まれ変わった。
※その後、豊國神社は大阪城公園へ移転、現在に至る。
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中之島公会堂
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株
式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を
寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立
され、建設計画が始まった。北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄
之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に
参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事
業・寄付の習慣に強い印象を受けた。彼は父の遺産と私財をあわせた
100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退
し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。
設計は、懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信
一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実
施設計を行った。1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11
月17日にオープン。岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大
きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年(大正5年)に自殺し
た。建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサン
ス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッショ
ンを取り入れており、アーチ状の屋根と、松岡壽によって天地開闢が描
かれた特別室の天井画・壁画が特徴となっている。
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此の続きは
・9月30日のJRふれあいハイキング・天満駅~2 として
        下記のセカンドブログに投稿します。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/

栴檀木橋~三休橋筋・適塾・緒方洪庵像~綿業会館~
御堂筋と堺筋の中間に位置し、栴壇木筋(せんだんのきすじ)ともいわ
れる。マメ科の大きな並木が整然と続いて緑が豊かな通りであり、近代
の大大阪時代を思い浮かばせる、レトロな近代建築が軒を連ねる様は
洗練された趣がある。かつての船場の繁栄を思わせて良い散歩道であ
る。北は北区中之島の大阪市中央公会堂の真横からはじまり、土佐堀
川を栴檀木橋でわたり、船場の中央を南北に貫いて長堀通の三休橋跡
にいたる。 さらに島之内を通って太左衛門橋で道頓堀川をわたって中央
区の道頓堀商店街で終わる。三休橋交叉点より北は歩道もある幅の比
較的大きな道であるが、全体的にこじんまりとしている。通りには企業の
本社ビルが多く、かつて、船場のメインストリートの一つだった名残である。
適塾
適塾(てきじゅく)は、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後
期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾(てきてきさい
じゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」
が名の由来である。幕末から明治維新にかけて活躍した人材を多く輩出し、
現在の大阪大学医学部の前身とされたいる。
緒方 洪庵
緒方 洪庵(おがた こうあん、文化7年7月14日(1810年8月13日) - 文久
3年6月10日(1863年7月25日))は江戸時代後期の武士(足守藩士)、医
師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢
献し、日本の近代医学の祖といわれる。
諱は惟章(これあき)または章(あきら)、字は公裁、号を洪庵の他に適々
斎・華陰と称する。豊後佐伯氏の佐伯惟寛(惟定の弟)の末裔とされる。
綿業会館
綿業会館(めんぎょうかいかん)は大阪府大阪市中央区船場にあるルネ
サンス風の歴史的建造物。三休橋筋に面して立つ。2003年12月25日に
国の重要文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産に認定された。
中央大通り~
靭公園(昼食場所)~
靭公園
総面積約9.7ha、東西約800m、南北約150mの細長い形をしており、
中央を南北に通るなにわ筋によって東園と西園に分かれています。
平成16年にリニューアルされたバラ園や、4面のテニスコートを備えた
靱庭球場、四季に彩られるケヤキ並木などがあり、西園には、16面の
テニスコートを有し、国際大会にも利用できる靱テニスセンターがあり
ます。ビジネス街の憩いの場、スポーツの場として幅広く利用されて
います。
田蓑橋~蛸の松~ほたるまち~
田蓑橋
1693年(元禄6年)、堂島開発に伴い、最初の橋が架設された。木造で、
橋長は46間半9寸5歩(91.9m)、幅員2間8寸(4.2m)。この橋は1885
年(明治18年)の洪水時に落橋。直後に木桁橋で復旧された。
1901年(明治34年)に鉄柱の橋として改築された。1929年(昭和4年)、
第一次都市計画事業に於いて鉄筋コンクリート柱の橋に改築された。
1965年(昭和40年)にかさ上げと同時に鋼床版桁橋に改築された。
蛸の松
蛸の松(たこのまつ)は、大阪市福島区福島1丁目にある松の木の名称。
堂島川の右岸・田蓑橋北詰の袂にある。
最初の蛸の松は、堂島川の左岸・現在の田蓑橋南詰のもう少し下流側、
玉江橋との中間ぐらいの位置にあった。 枝振りが蛸の泳ぐ姿に見えると
いうことから、「蛸の松」と呼ばれるようになった。 その松の木は慶安年
間に福島正則が植えたといわれており、その後、すぐ近くに屋敷を構え
ていた浅野氏が毎年扶持十石を与えて維持したという。 しかし、明治44
年(1911年)についに枯れてしまった。 その切株の一部は、現在も大阪
教育大学の天王寺キャンパス内に保存されている。なお、現在の蛸の
松は平成16年(2004年)に護岸工事の一環として植えられたものである。
福沢諭吉誕生地・ほたるまち
福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(18
35年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士
のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者
であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染
病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『
時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長
を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59
年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。
天保5年12月12日(1835年1月10日)、摂津国大坂堂島浜(現・大阪府
大阪市福島区福島1丁目、通称 ほたるまち)にあった豊前国中津藩(現・
大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士・福澤百助と妻・於順の次男(末子)
として生まれる。諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が『上諭条
例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生
まれたことによる。
福島公園(ゴール)~福島駅