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28日の近鉄ハイキング・大念佛寺「幽霊掛け軸」と・・抜粋編

8月30日     28日の近鉄ハイキング・大念佛寺「幽霊掛け軸」と・・抜粋編
             大念佛寺「幽霊掛け軸」と「大阪夏の陣」歴史散策
久し振りの近鉄ハイキング、知人達3人と4人で参加、最近はJRハイキングへの参加
が多くて、此のハイキング参加であみま倶楽部会員証へのスタンプが36回目となった
此れから9月10月11月の3ケ月で4回スタンプ貰うと今年の目標、40回を達成する・・・
コース  近鉄 駅フリーハイキング 
今川駅(受付・スタート)~今川・清水橋~土筆公園~今川を後にして白鷺公園~大念
佛寺・瑞祥閣(幽霊掛け軸他展示)・本堂~駒川・北育和橋~櫨橋(はぜばし)~五輪橋
~五輪塔~桑津天神社~大阪阿部野橋駅(ゴール・解散)
ハイキング解散後
14:50にJR天王寺駅中央口で待ち合わせ
阿倍野で昼飲み会 15:00~17:00 今日は飲み放題で・・・
28日の近鉄ハイキング・大念佛寺「幽霊掛け軸」と・・全編 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-29-1
志都美駅へ向かう
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志都美駅
左側葛城山~右側二上山
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今川沿いの遊歩道へ向かう
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今川の今昔
今川公園、土筆公園、はぜ橋、うるし堤公園、
大坂町奉行・土井大炊頭利位が漆産業の育成と堤の補強を兼ねて、今川や西除川の
堤に漆を植えたのが、戦中まで残っており、この名前があるが、戦時中の燃料難に盗
伐されて絶滅しました。
現在は櫻の名所で春には夜桜見物のぼんぼりと枡席が奪い合いになる賑わいを見せ
ています。
うるし堤(復元地)
第二次世界大戦前、今川の堤には、一抱えもある見事な漆の並木がありましたが、戦
時中の燃料難から、徐々に盗伐され、遂には根まで掘り起こされ、全く姿を止めぬまで
になりました。(今六橋の欄干(木製)まで、盗難に遭い、欄干のない橋になるという、ひ
どい時代でした・・・)
今六橋から北の今川西側河川敷に、約20本の漆が植えられています。秋になると紅葉
した「うるし堤」の昔を偲ばせる風情が残されています。
既に50年以上経ち、年数の割には大きくなっていませんが、毎年11月頃、ひとたび寒気
が訪れると、漆特有の紅葉のグラデーションが楽しめます。

白鷺公園へ向かう
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白鷺公園で小休止(コーヒータイム)
大念佛寺へ向かう
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大念佛寺
1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢の
お告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。平安
末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初の宗派で日本最初の念
仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体
裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。
日本仏教の宗派は古来、十三宗五十六派と称していました。戦後、多くの宗教法人が分
派独立したり、新たに開立したりして今ではその数も百六十程になっています。しかしその
教義及び歴史と伝統の上に立ってみると十三宗がその根本であることに変わりありません。
融通念佛宗は古くから“大念仏宗”又は“融通大念仏宗”と呼ばれ親しまれてきました。日本
仏教十三宗のうちで成立順にみると第六番目になります。天台宗、真言宗に次いで平安時
代後期に成立した古い歴史を持つ宗派です。鎌倉時代になると、浄土宗、浄土真宗、日蓮
宗など相次いで成立しましたが、融通念佛宗はその先駆けをなしたもので国産仏教第一の
宗派といえるのです。なぜならそれまでの宗派は三国伝来といってインド、中国または朝鮮
を経てわが国に伝えられた、いわば輸入仏教であったからです。
良忍上人はかねてより聖徳太子尊崇の念が深く、名帳勧進を兼ね太子ゆかりの四天王寺
に詣でた折、平野が融通念仏を広めるのにふさわしい土地柄であるとの太子の夢告を得ら
れました。平野の地は征夷大将軍 坂上田村麿の第二子広野公の管轄下におかれ、その菩
提寺である修楽寺(明治初年、廃仏毀釈により杭全神社に吸収された)の別院だった香華院
において融通念仏会を修したところ、参集の人びとがあとを絶たない盛況ぶりでした。鳥羽
上皇はここを念仏勧進の根本道場と勅されました。これが総本山大念佛寺の開創です。
又、本堂は大阪府下最大の木造建築物であり、国の登録有形文化財です。
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瑞祥閣(幽霊掛け軸展示場)・・・年に一度8月第四日曜日にのみ展示される
今回も展示場前のテントには大勢が順番待ちに並んで座っている、40~50分待ち?
「亡女の片袖・幽霊の掛け軸」
1617年元和3年の六月三日、奥州の観音様を信仰しておられた一人の信者がおられました。
箱根権現参拝の為に、地獄谷に差し掛かりますと女の人の声がします。「お助け下さい。私は
旅の途中にこの谷に落ち命を落としたものですが、成仏できず地獄に落ちてたいへん苦しんで
おります。主人に頼んで摂津の国に大念佛寺というお寺で私の回向をお願いするよう伝えてく
ださい。私の主人は摂津の国の住吉宮の神官をしている松太夫と申します」というのです。亡
女からその証拠にと片袖と香合を手渡された巡礼者は摂津の国までやってきて松太夫を探し
出し、その品を見せるとそれらは帰らぬ妻のものであると、大念仏寺の第三十七代目の道和
上人に回向を願い出ました。法要は夜を徹して行われましたところ、明け方紫の雲がたなびき
その中に一人の女性の姿が現れました。それが松太夫の妻であり、「成仏できました。有難う
ございました」とお礼に現れ西の空に消えていかれたそうです。そして、その片袖と香合も今も
この大念仏寺に伝わっており、その片袖を鑑定いただきましたところ、その布は間違いなく江
戸時代初めの頃の片袖であるということでございます。
女性の方がお裁縫を習われますと、縁起が悪いので夜に片方の袖だけを付けてから寝ては
いけない、付けるなら両袖を付けなさい。と教えられると思いますが、これはこのお話が全国
に伝わった有名な逸話で、夜に片袖だけを付けてはいけないという教えの元になっています。
12幅の幽霊の掛け軸
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駒川沿いの遊歩道へ向かう
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駒川沿い
五輪橋~五輪塔
桑津三丁目付近の駒川に架る橋で、近くに五輪塔が有るので「五輪橋」と命名されている。
大坂の陣で桑津は激しい戦場となり、この地では徳川家康に江戸城留守居役として動けな
かった福島正則に替わって豊臣方に付いた侍大将・柴田権十郎正俊と、徳川方の蜂須賀
九郎右衛門が死闘を繰り広げた。権十郎が九郎右衛門の首を討ち取るが、自らも重傷を
負い、自刃した。住民が2人の供養をし2つの五輪塔を建立したが、1基(九郎右衛門墓)は
行方不明となっている。
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桑津天神社へ向かう
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桑津天神社
「日本書記」によると応神天皇が日向の国から美女の誉れ高い髪長媛(かみながひめ)を
召され、桑津に住まわせたと記載されている。媛はのちに仁徳天皇の妃となた。その後、
髪長媛の宮跡に蓮寺が建てられ、応神天皇と共に八幡宮で祀られていたが、明治の神仏
分離で桑津天神社へ還された。桑津天神社の主神は少彦名命(すくなひこのみこと)で、
此れは、仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹ったとき、天皇が少彦名神に全快を
祈って快癒し、それが縁でこの地に同神を勧請された。
髪長媛は、神の資格のある采女として日向国より召され、仁徳天皇妃となり、桑津の地に
居住していたという。祭神は少彦名神をはじめ、明治時代の合祀により菅原道真、須佐之
男命、奇稲田比売命、野見宿禰、天児屋根命、布刀玉命、天宇受売命、猿田毘古神、経
津主命、健甕槌命の計11柱。
又、桑津の地名は古代、桑の木が多い津(河が内海であった時の港)に由来するが、桑の
木で蚕を育て、繭から絹がつくられる。髪長媛が機織りの名手であった事は、此の地が古
代から絹織物と縁があた事を想像させる。境内に接して大阪の陣で戦没した将士の慰霊
碑があり、桑津で豊臣方と徳川方の激しい戦いが有った事を偲ばせる。
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阿部野橋駅へ向かう、あべのハルカスが・・・
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ハイキング解散後
14:50にJR天王寺駅中央口で待ち合わせ
阿倍野で昼飲み会 15:00~17:00 4人で飲み放題、楽しいひと時・・・

おまけ
18時過ぎに家へ戻るが未だ此の明るさ
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我家の鉢植えのハイビスカス
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8月26日の生駒観光・生駒谷コース壱分駅~抜粋編

8月27日      8月26日の生駒観光・生駒谷コース壱分駅~抜粋編
                生駒市観光ボランティアガイドと歩く
平成29年1月度の歴史探訪の会のコース候補の下見として?歩いてみる事に
した、上田酒造様と往馬(いこま)大社は何度か訪問した事が有るが他は初め
て歩く場所なのでボランティアガイドのお世話になることにしました・・・
コース  生駒市の代表的な観光コース   生駒谷コースを逆方向に・・・
近鉄生駒線 壱分駅~往馬大社~竹林寺古墳・竹林寺・行基墓~忍性墓~
円福寺~往生院・輿山墓地~美努岡萬墓~菊司酒造~南生駒駅 歩程約6km
7棟の春日造檜皮葺きの社殿が立ち並ぶ「往馬大社」から、奈良時代の僧・行基
の開基と伝えられている「竹林寺」および「行基の墓」を見学し、平安後期の作と
される木造の十一面観音立像が安置されている「円福寺」を訪れるコースです。
生駒市観光ボランティアガイドの会のY邉様、お世話になり有難う御座いました。
下記のセカンドブログへ、詳細な・生駒谷コース壱分駅~全編を投稿済です。
              気の向くままに・・・・
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-27
志都美駅へ向かう
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志都美駅
左側葛城山~右側二上山
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近鉄 王寺駅
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近鉄生駒線 壱分駅でガイドのY邉さんと合流して
今回は上田酒造はコースから外れたが・・・
上田酒造
水・技・米にこだわり、生駒市で本物の酒を造り続ける蔵元です。名水とうたわれる
生駒の地下水を使って造られる酒。「酒に心あり」を胸に、酒造りにむかう蔵人たち。
折り紙つきの酒造米を使用し、最高の精米歩合による仕込み。丹精こめて造った名
酒の数々を造り続けています。

往馬大社(いこまたいしゃ)
生駒山をご神体とした古社です。広さ3ヘクタールにおよぶ鎮守の森は、奈良県の天
然記念物として指定されているほか、伝統行事の火祭りは県の無形民俗文化財とし
て指定されています。
奈良県生駒市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。生駒神社(いこまじん
じゃ)と通称される。
生駒山の神である伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神、および氣長足比賣命(神功皇
后)・足仲津比古命(仲哀天皇)・譽田別命(応神天皇)・ 葛城高額姫命(神功皇后の
母)・息長宿禰王(神功皇后の父)を祀る。
伊古麻都比古神・伊古麻都比賣神は古代より火を司る神として信仰されている。大嘗
祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々当社が献上することとなってお
り、今上天皇の大嘗祭においても当社の火燧木が使用された。『北山抄』『元要記』『亀
相記』などには当社の神が「火燧木神(ひきりぎのかみ)」と書かれている。10月第2日
曜日(元は10月10日)の例祭は「火神祭」と呼ばれ、龍田大社の風神祭、廣瀬大社の
水神祭とともに古来より朝廷の崇敬を受けてきた。
創建の年代は不詳であるが、古代、当地に住みついた人々が生駒山を神体山として
祀ったのを起源とするものとみられる。文献での最も古い記述は、『総国風土記』の雄
略天皇3年(458年)条に「伊古麻都比古神社」とあるものである。延喜式神名帳では大
和国平群郡「往馬坐伊古麻都比古神社二座」と記載され、大社に列し、月次・新嘗の
奉幣に預ると記されている。
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竹林寺古墳・竹林寺・行基墓・忍性墓
竹林寺は、奈良時代の僧・行基(668年~749年)の基礎を築いたと伝えられています。
行基は 749年に奈良市菅原寺(すがはらでら)において82歳で生涯を終え生駒山で火
葬され竹林寺に埋葬されています。本堂に向かって右手に行基の墓が、左手の墓地に
忍性(にんしょう)の墓(五輪塔)が建っています。忍性は文殊菩薩と行基を強く尊敬して
おり行基と同じように自らも慈善事業に努めました。遺言により遺骨は竹林寺・極楽寺
鎌倉市)・額安寺(大和郡山市)に分骨されています。
竹林寺古墳
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竹林寺
ガイドのY邉さんと竹林寺へ
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行基墓
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)は、
奈良時代の日本の僧。生年については、677年4月する説もある。僧侶を国家機関と朝
廷が定め仏教の民衆への布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆
や豪族など階層を問わず広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。また、道場や
寺院を多く建立しただけでなく、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、困窮者のための布施
屋9所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げた。朝廷からは度々弾圧や禁圧
されたが、民衆の圧倒的な支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大
僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏
(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の
一人に数えられている。
河内国大鳥郡(757年に和泉国へ分立、現在の大阪府堺市西区家原寺町)に生まれる。
682年(天武天皇11年)に15歳で出家し、飛鳥寺(官大寺)で法相宗などの教学を学び、
集団を形成して近畿地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動した。
704年(大宝4年)に生家を家原寺としてそこに居住した。その師とされる道昭は、入唐し
て玄奘の教えを受けたことで有名である。
民衆を煽動する人物であると朝廷から疑われたこと、また寺の外での活動が僧尼令に
違反するとされたことから、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。だ
が、行基の指導により墾田開発や社会事業が進展したこと、豪族や民衆らを中心とし
た教団の拡大を抑えきれなかったこと、行基の活動を朝廷が恐れていた「反政府」的な
意図を有したものではないと判断したことから、731年(天平3年)弾圧を緩め、翌年河内
国の狭山池の築造に行基の技術力や農民動員の力量を利用した。736年(天平8年)に、
インド出身の僧・菩提僊那がチャンパ王国出身の僧・仏哲、唐の僧・道璿とともに来日し
た。彼らは九州の大宰府に赴き、行基に迎えられて平城京に入京し大安寺に住し、時
服を与えられている。738年(天平10年)に朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられた。
(日本で最初の律令法典「大宝律令」の注釈書などに記されている。)
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忍性墓
忍性(にんしょう)
建保5年7月16日(1217年8月19日) - 乾元2年7月12日(1303年8月25日))は、鎌倉時
代の律宗(真言律宗)の僧である。房名(通称)は良観。貧民やハンセン病患者など社会
的弱者の救済に尽力したことで知られる。
大和国城下郡屏風里(現奈良県磯城郡三宅町)に生まれる
忍性は早くから文殊菩薩信仰に目覚め、師叡尊からは真言密教・戒律受持・聖徳太子
信仰を受け継いでいる。聖徳太子が四天王寺を創建に際し「四箇院の制」を採った事に、
深く感銘しその復興を図っている。四箇院とは、仏法修行の道場である敬田院、病者に
薬を施す施薬院、病者を収容し病気を治療する療病院、身寄りのない者や年老いた者
を収容する悲田院のことで、極楽寺伽藍図には療病院・悲田院・福田院・癩宿が設けら
れており、四天王寺では悲田院・敬田院が再興されている。また、鎌倉初期以来、四天
王寺の西門付近は「極楽土東門」すなわち極楽への東側の入り口と認識されており病
者・貧者・乞食・非人などが救済を求めて集まる所となっていた。忍性はここに石の鳥居
を築造しこれらの人々を真言の利益にあずからせようとしたと言われる。
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円福寺
真言律宗の古刹です。寺伝では749年~757年に、行基によって創建されたと
伝えられています。生駒谷を見下ろす山腹に位置する。山号は龍華山(りゅうげさん)。
本堂は室町時代初期の建築といわれ、重要文化財に指定されています。
宝篋印塔2基 - 本堂前に並んで建つ。北側の塔(写真左)は初重に四仏の種子を
刻み、永仁元年(1293年)の銘がある。南側の塔は初重に四仏の像を刻み、北側の
塔と同じ頃の造立と推定される。
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往生院・輿山墓地へ向かう
のどかな良い風景が続く・・・
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往生院・輿山墓地
往生院は、行基の遺体を火葬した地として伝えられている。宝篋印塔は、本格的
なものでは最古の紀年銘を持つ
奈良時代の僧・行基が天平21年(749)に没した時、遺言により火葬し、遺骨の一
部を葬ったのが此の地であったと伝えられる。華厳宗(けごんしゅう)の寺院で、本
尊は行基菩薩。本堂の裏側には行基の墓塔と伝わる五輪塔が安置されている。
また、本堂の北にある宝篋印塔(ほうきょういんとう・重要文化財)は、正元元年
(1259)の銘が有り、県内最古として知られる。
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美努岡萬墓(みののおかまろのはか)
奈良県指定史跡
奈良時代の官人であった美努岡萬の墳墓です。1872(明治5)年に土取り中に偶
然、墓誌が発見さました。墓誌は長方形の銅板で銘文を陰刻してあります。銘文
から美努岡萬のものであることが明らかとなりました。現在は住宅地の中ですが、
かつては山林の中にありました。古代の人物の墓所が明らかとなる例は県内でも
少なく貴重なものです。
美努岡萬連墓誌 (みののおかまろむらじのぼし)重要文化財
東京国立博物館所蔵
墓誌は、1872(明治5)年に土取り中に偶然、発見しました。縦29.4cm、横20.6cm、
厚さ0.3cmの銅板に銘文を陰刻してあります。銅板の一面に、縦横に罫線を刻み、
11行にわたって176字が記されています。
それによると、岡萬は天武天皇13年(684)に連の姓を賜っています。大宝元年(701)
に遣唐使の一員として渡唐し、帰国しています。従五位下を授かり、主殿寮の頭を任
じられ、神亀5年(728)に67歳で没しています。岡萬は『続日本紀』にもその名がみえ、
奈良時代に活躍した官人のようです。墓誌は重要文化財に指定されています。
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菊司酒造
大阪と奈良を結ぶ奈良街道の宿場町であった小瀬の地で、江戸時代の1705年
(宝永2年)より伝統の酒造りを続けている蔵元。総業300有余年。自然と伝統が
織りなす名酒の数々を造り続けています。生駒山系の天然水である井戸水を、
無濾過で仕込水に使用しています。やや硬水で、水自体に味わいがあり、そこか
ら醸し出される味がお酒にも表れています。また、造り酒屋ならではの純正酒粕
をふんだんに使った奈良漬けの製造・販売もしています。
急にお邪魔したにも関わらず美味しいお酒を試飲させて頂き有難う御座いました。
スイカと胡瓜の奈良漬、とても美味しかったです・・・
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南生駒駅で
ガイドさんと分かれて・・・
生駒市観光ボランティアガイドの会のY邉様、有難う御座いました。
おまけ
王寺駅へ戻り、王寺の船戸児童公園でD51を見ながら昼食・・・
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8月23日の歩こう会・京都鉄道博物館-2

8月24日          8月23日の歩こう会・京都鉄道博物館-2
                     歩こう会 8月度例会
歩こう会の8月度例会は納涼コース?冷房の効いた館内をウロウロする、残暑
厳しい暑い夏の日の為のコース設定だ、参加者は91人、京都駅に集合して歩い
て梅小路のリニューアルされた京都鉄道博物館へ直行、既にチケット売り場は
長蛇の列、我々は団体の入園出来る違う入口から入館、子供と家族連れ多い・・

コース  京都駅西口エントランスへ10時集合~京都鉄道博物館へ・・・
今回も机上の計画通りにはいかず、テンヤワンヤ?お年寄りが多いから時間
通りいかないのは仕方が無い、夏休みで博物館も混雑しており我々だけが居
てる訳じゃないので団体行動が難しいのは予測して自由行動にする予定には
していたが、館内に入って直ぐから計画が狂うとは?現実には駅での集合から
遅刻の方がいたり、既に計画にズレが生じていたので・・・
次回からは、此れまでよりもっと緻密に計画を練る必要あり?と考えさせられた
志都美駅
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京都駅スタート
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梅小路公園へ向かう
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梅小路公園
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京都鉄道博物館
HPより引用
SLから新幹線まで53両が京都・梅小路に集結。
「地域と歩む鉄道文化拠点」として驚きや感動の体験を通して鉄道の歴史や
安全、技術を学べる日本最大級の鉄道博物館です。
京都鉄道博物館には、梅小路蒸気機関車館に収蔵・展示していた20両の蒸気機関
車も含めた53両の車両を収蔵・展示しています。展示車両には0系新幹線電車の第
1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹
線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大のC62形蒸気機関車など、歴史的な
価値を持つ車両を収蔵しています。

入って直ぐに団体の集合写真を撮る計画は?・・・
人が多くて不可能に?それでも1枚・・・
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11時開演のジオラマに順番待ちで並ぶ計画は?・・・
到着が遅れて間に合わず・・・
次回11時45分開園に順番待ちする前に班毎の写真撮影に
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機関車の前で班毎の写真を撮る計画は?・・・
撮影場所に指定されていて団体での使用ができず、場所をズラせて・・・
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11時45分開園のジオラマに順番待ちで並んで20分以上待って・・・
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此処までは、
8月23日の歩こう会・京都鉄道博物館-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-24
此処では、続きを
15分間のジオラマをみて昼食タイム・・・
昼食を終えて、少し新旧の車両を見て撮ってから・・・
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新旧の新幹線も
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懐かしい特急列車
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国産1号の蒸気機関車
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大型の蒸気機関車
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最初に班毎の写真を撮った蒸気機関車の整列してる場所へもう一度
来てみた、あまりにもせせこましく並んでいるので写真撮る気にもならず・・
折角の時代物の機関車達、もう少し広い場所にゆったりと並べてあげたら
見栄えもし、写真にも撮りたくなるのに、ウナギの寝床で残念だ・・・
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木造の旧二条駅を移築?
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4人で早々に退散、京都駅前に戻って
駅前地下でビールでも飲んで帰るか?
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京都のお土産
ヨモギ入り生麩餅
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おまけ
我家の鉢植えデュランタ、クロトン、パッションフルーツ
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8月21日のJRハイキング(てくてくツアー)・犬鳴山-2

8月23日     8月21日のJRハイキング(てくてくツアー)・犬鳴山-2
                犬鳴山七宝瀧寺参道の渓谷を歩く
参加予約申込み先着100人、先着100人に入れなかった方がいた様だが当日
参加者72人、うわさ?では、前日迄に18人が、当日朝10人がキャンセルした為、
前日迄は当日は曇り空の予報だった様に思ってたが当日の日根野駅前は快晴、
日の当らない渓谷を歩くので・・・・それでも汗をかく、解散後の温泉が良かった。
泉佐野観光ボランティア協会ガイドの皆さん、お世話になり有難う御座いました。
コース JRふれあいハイキング 泉佐野観光ボランティア協会主催 歩程約4km
JR日根野駅→バス20分・犬鳴山バス停(集合)~両界の滝~大護摩場・塔の滝
~犬鳴伝説の墓~志津の涙水~身代不動明王~行者の滝~修験道資料館~
(解散)~希望者は犬鳴山温泉郷・み奈美亭・温泉~犬鳴山バス停→日根野駅
志都美駅
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日根野駅前
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犬鳴山駐車場(集合・スタート)
犬鳴山
犬鳴山(いぬなきさん)は、大阪府泉佐野市の犬鳴川渓谷を中心として、そこへ
流れ込む燈明ヶ岳(標高558m、西ノ燈明ヶ岳ともいう)等の山域全体の総称。
「犬鳴山」という名称の山があるわけではない。
名勝地や金剛生駒紀泉国定公園の指定を受けるなど豊かな自然を持つ。七宝瀧
寺参道としての犬鳴川を持ち、決して高い山域ではないにも関わらず、渓流沿いの
山岳景観は「大阪府 緑の百選」にも選ばれ、地元民に深く愛されている。関西国際
空港が開港してからは、空港からもっとも近い温泉「犬鳴山温泉」がある場所として
名前が広がった。山中には、七飛瀑(両界の滝、塔の滝、弁天の滝、布引の滝、古
津喜の滝、千寿の滝、行者の滝)をはじめ大小48の滝がある。このうち行者の滝は
滝に打たれる修験場として知られている。一般の一日体験も可能であり、女性でも
参加できる。(ただし有料、要予約)
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犬鳴山温泉郷・美人の湯
み奈美亭の温泉が割引で入れる
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大阪みどりの百選(犬鳴山渓谷)・大杉の前に碑
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まめづた (豆蔦)
わが国の本州、宮城県以南から四国九州それに台湾や中国に分布しています。
樹木や岩肌などに根茎を這わせて着生します。栄養葉は円形から楕円形で、やや
肉厚で互生します。胞子葉は線形からへら形で立ち上がります。胞子嚢は中肋の
両側につきます。
ウラボシ科マメヅタ属の常緑シダ類で、学名は Lemmaphyllummicrophyllum。
英名は Green penny fern。
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総門・いよいよ犬鳴山に入る
犬鳴山には真言宗犬鳴派の本山「七宝瀧寺/七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)」があり、
役小角が661年、大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれて
いる。古くは犬鳴山を含む金剛・和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山
は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場となっている、日本
の霊山のひとつである。
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二の橋
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迎への行者尊
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両界の滝へ向かう
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両界の滝
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瑞龍門へ向かう
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瑞龍門
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神宝橋
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役行者広場
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大護摩場
役の行者像&大師像
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此処までは
8月21日のJRハイキング(てくてくツアー)・犬鳴山-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-23
此処では、
此の続きを、8月21日のJRハイキング
       (てくてくツアー)・犬鳴山-2 として詳細を投稿します。
続きは、神明橋~
神明橋
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塔の滝
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犬鳴伝説の墓・・・義犬
地名の由来
犬鳴山という名前は、七宝瀧寺の山号である「いぬなきさん」に由来したものである。
宇多天皇の御代、紀州の猟師がこの山域で狩りをしていた際、突然連れていた犬が
激しく鳴きだし、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった。怒った猟師は犬の
首をはねたのだが、その首はそれでも飛び跳ね、今まさに猟師に襲いかかろうと狙っ
ていた大蛇に噛み付いた。犬は、主人が大蛇に狙われていることを知って鳴いていた
のであった。愛犬に救われたと気付いた猟師は、これを悔いて七宝滝寺の僧となって
愛犬を供養した。 このことを聞いた天皇はいたく感動し、七宝滝寺に『以後「いぬなき
さん」と改めよ』と勅号を賜ったと伝えられている。
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観音堂
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志津の涙水
犬鳴山七宝瀧寺は、院号を「白雲院」と呼ばれていますが、これには乙女の哀しい物
語があります。その昔、淡路の小聖という修験者がいて、しばしば御所へ出入りしてい
るうちに、官女の志津女という美人に想われる身となりました。小聖は修行の妨げにな
るからと志津女を振り切って、犬鳴山中に逃れてきました。志津女は小聖をあきらめき
れず、あとを追って諸国を探し求め、遂に泉州犬鳴山に小聖が修行しているのを風の
たよりに聞き、修行僧に一目会うべく犬鳴山まで来ました。しかし、険しい渓谷の山路と、
飢えと寒さ、そして俄にたちこめてきた白雲によって道を見失い、ついに路傍に悶死しま
した。村人は志津女の死体をねんごろに葬りました。こうした事があってから、犬鳴山に
白雲が立ちこめる日は必ず雨が降るので、村人は「志津の涙雨」だと言い、また、倒れて
いた附近からこんこんと湧き出ている清水を「志津の涙水」と呼ぶようになりました。志津
女の墓は、本堂下手100mの附近、参道の傍らにあり、その下より今も涙水のように、清
水がボトボトと湧き出ています。書院はこの時から、白雲院と呼ばれるようになったと伝え
られています。また、一心を込めた願い事がある場合、この水を持ち帰り、毎日飲用する
と必ずや願い事が成就するといわれています。 附近にお志津地蔵尊の御堂が建立され、
一願成就のお地蔵さまとして信仰を集めています。
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お志津地蔵
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身代不動明王
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古津喜の滝・・・水が無かった
イワタバコの花
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韋駄天
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三宝荒神社
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犬鳴山七宝瀧寺
犬鳴山は、斎明天王の7年(西暦661年)、修験道の開祖である役小角が28歳の時に開基
されました。大和の大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれます。役行者の開
山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられています。また葛城峯中の
奥の院とも呼ばれ、葛城二十八宿修験根本道場でもあります。役行者は当山で、国家案穏、
五穀豊穣、緒人快楽の密法を修せらた。
本尊は役行者の自作による倶利伽羅大龍不動明王(秘仏)で、古来より運気の守護、命乞
い不動尊として四方の人々の篤い信仰を集めています。その御姿は、秘剣に龍が巻き付い
た形像です。倶利伽羅不動を本尊とする寺院は日本国内で類例がありません。
倶利伽羅大龍不動明王は、悉地明王(悉地とは成就の意味)ともいわれ、古来より願望成就
の守護神であり、生命乞の不動明王として霊験あらたかです。
布袋尊
布袋尊七宝瀧寺では、寺伝に残る弘法大師空海が当山の七瀑に七福神を祭祀されたとい
う伝説に因んで、古くから本堂下に布袋尊が祀られており、和合成就の神として人々の信仰
をあつめています。布袋尊は俗に「布袋さん」「布袋さま」などと呼ばれ、大きなおなかと大き
な耳、そして背中の大きな袋と、杖が特徴です。当山の布袋尊は南海沿線七福神霊場にお
ける布袋尊霊場となっています。
院号「白雲院」の由来と「志津の涙水」
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行者の滝・・・此の日は滝行が有り、行者の滝へは行けなかった
行者の滝を遠目に見てUターン、帰り道に、イワタバコの花・・・
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修験道資料館
葛城二十八宿修験根本道場
二十八経塚
葛城山とは、和泉山脈、金剛山脈の総称で、紀伊国、和泉国、大和国、河内国の四ヶ国
の国境を西から東へ、そして北へとL字型となった峯々です。総延長二十八里(112km)に
及び、西は加太、友ヶ島から北端は大和川上流亀ヶ瀬に至ります。役行者はこの場所に、
法華経二十八品の一品あてを各所に埋納して経塚を築造し、入峯修行者のため二十八ヶ
所の参籠行場を作りました。これが「葛城二十八宿」です。犬鳴山には、その第八品の受
記品を燈明ヶ岳の頂上に納経されており、現在経塚大権現として篤く信仰されています。
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犬鳴山温泉郷・み奈美亭(美人の湯)で汗を流してバス停へ
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熊取駅行のバスが来たので乗って熊取駅・・・
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王寺駅前でバス待ち
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8月12日の馬見丘陵公園-2

8月14日            12日の馬見丘陵公園-2
中央エリアの向日葵と百日紅は見て撮ってブログへ投稿したが、他の所は
向日葵の苗の状態しか見てなかったので改めて向日葵と百日紅を目標に
して馬見丘陵公園へ行って見た、前回の8月2日に見て撮って回った場所の
向日葵は、未だ健在の所と丁度咲き終わって根を掘り起こしてる場所、未だ
苗の状態しかみて無かった所も既に根を掘り起され、既に耕されて次の苗を
植える準備が整えられてる所も?有り、向日葵ってとても短い命なんだ?と・・
公園中央口から
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芝生の丘の向日葵&百日紅
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結びの広場の女郎花
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上池周辺
陽だまり広場
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ウッドデッキを渡って
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竹取公園への陸橋から二上山を
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竹取公園のシンボルを横目に
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いにしえの丘周りの池
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巣山古墳
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南口駐車場・巣山古墳前丘
向日葵は既に掘り起されて一つも無い
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陸橋を渡り東駐車場
此処の向日葵も既に掘り起されて・・・
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倉塚古墳&一本松古墳
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下池を見ながら一本松古墳を通り
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公園の外の景色も素晴らしい
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此処までは、
8月12日の馬見丘陵公園-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14 
下池の周りを
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ムクロジの大木に実がびっしり
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ウッドデッキを渡り古墳の丘&菖蒲園
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バラ園の向日葵
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バラ園から花の道を通り
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トンネルを潜って北エリアへ
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向日葵を含む黄色の花
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チョコレート色の向日葵見っけ・・・
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彩の広場
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此の続きは
8月12日の馬見丘陵公園-3 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿しました。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-14-1
続きは、彩の広場途中から  
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集いの丘には向日葵と百日紅が・・・
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ベニバナトチノキの実が
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秋へ向けて養生中のダリア園
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チョコレート色の向日葵
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公園館へ向かう
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  セミも・・・
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公園館
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おまけ
さがり花の新芽、パッションフルーツ、サツマイモ
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8月10日のJRふれあいハイキング・奈良駅~2

8月12日    8月10日のJRふれあいハイキング・奈良駅~2
              夏のお花見・なら燈花会
JRふれあいハイキングに参加、暑い中、参加者は205人だった様です・・・
コース JRふれあいハイキング 奈良県ウオーキング協会 歩程約10km
JR奈良駅(集合・16:30スタート)~ならまち~東山緑地~浮見堂~浮雲園地
~春日野園地~東大寺(解散・20時頃)~奈良県庁前~興福寺~猿沢池~
JR奈良駅・・・奈良県庁で1人別れて県庁屋上で夜景を見ながら夕涼み・・・
22080歩で約14.9km歩いた事に、ナイトウオーク初参加  参加会費500円
奈良県ウオーキング協会の皆さん、お世話になり有難う御座いました。
予定よりも少し遅れて16時50分に奈良駅をスタート、ならまち散策?東山緑
地(軽食・トイレ休憩)から、18:時30分にスタート、浮見堂の池のほとりで小休
止、此処で19時、ローソクが灯り燈花会スタート、足元に注意してウオーク・・・
志都美駅
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JR奈良駅
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ならまちへ向かう
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ならまち
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東山緑地へ向かう
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東山緑地(軽食・トイレ休憩)
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   出発前に燈花会の説明・・・
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浮見堂へ向かう
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   新薬師寺前
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浮見堂の池のほとりで燈花会待ち?
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此処までは、
8月10日のJRふれあいハイキング・奈良駅~1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-12
今年で18回目となる、なら燈花会
燈花会の概要・・・なら燈花会HPより引用
1300年前に都として栄えた奈良。
広大な自然の中に古代日本のおもかげが今も残る。
そんな奈良にふさわしい、どこか懐かしさを感じ、
心を癒してくれるろうそくのやさしい灯り。
『なら燈花会』はゆったりと時の流れる世界遺産の地、
奈良に集う人々の祈りをろうそくの灯りで照らし出します。
1999年に誕生した『なら燈花会』。古都奈良にろうそくの灯りがとけ込み、
人々の心にさまざまな感動を与えてきました。夏のたった10日間だけ、
広大な奈良の緑と歴史の中にろうそくの花が咲きます。
『燈花』とは、灯心の先にできる花の形のかたまり。
これができると縁起が良いと言われています。
『なら燈花会』を訪れた人々が幸せになりますように。
そんな願いを込めてろうそく一つ一つに灯りをともします。
浮見堂、19時より、燈花会スタート 
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浮雲園地
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春日野園地
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東大寺
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東大寺(解散)
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県庁前へ向かう
県庁&県庁屋上・・・屋上は涼しかった
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8月6日のJRハイキング・四条畷駅~2

8月7日          8月6日のJRハイキング・四条畷駅~2
            JRふれあいハイキング・楠木一族の野望を探る
今回も1人でJRふれあいハイキングに参加、暑い暑い1日だったが、初めて
訪れる野崎観音?が、コースでは無いが最後に控えており、此れを楽しみに。
コース  JR四条畷駅~野崎参り公園~JR野崎駅  参加費用300円 
JRふれあいハイキング  大東市観光ボランティアガイド「やまびこ」
四条畷駅(集合)~小楠公御墓所~四條畷古戦場~和田賢秀墓所~住吉平田
神社~四條畷神社~ハラキリの地~北条古戦場~十念寺~東高野街道~野崎
まいり公園(解散)~慈眼寺(通称 野崎観音)~野崎駅
参加者26人、2班編成で見所での詳しいご説明、エピソード等を・・・
大東市観光ボランティアガイド「やまびこ」の皆さん!有難う御座いました。
今日のコースは、歩程約4kmと12時頃解散だったが、折角此処まで来たのに
野崎まいりをせずに帰るのは・・・今日は18600歩で約12.5km歩いた事に
志都美駅
此れは万葉まほろば線の・・・
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小楠公御墓所
楠木 正行(くすのき まさつら)は、南北朝時代の武将。楠木正成の嫡男。「大楠公」
と尊称された正成に対して「小楠公(しょうなんこう)」と呼ばれる。初名は正之(まさ
より、まさこれ)と伝わる。父の意志を継ぎ、足利尊氏と戦った。
正成の長男として河内国に生まれた。幼名は多聞丸。幼少の時、河内往生院など
で学び武芸を身に付けた。延元元年/建武3年(1336年)の湊川の戦いで父の正成
が戦死した後、覚悟していたこととはいえ父の首級が届き衝撃のあまり仏間に入り
父の形見の菊水の短刀で自刃しようとしたが、生母に諭され改心したという。
正平3年/貞和4年(1348年)に河内国北條(現在の大阪府四條畷市)で行われた四
條畷の戦い(四條縄手)において足利側の高師直・師泰兄弟と戦って敗北し、弟の
正時と共に自害して果てた。
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    大きな楠木が植えられている・・・
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他の御墓所
京都市右京区の善入山宝筐院に墓(首塚)がある。
大阪府東大阪市六万寺町の往生院六萬寺にも墓があり、こちらには胴体が葬られ
大阪府四條畷市雁屋南町にも墓があり、こちらには巨大な楠が植えられている。
京都府宇治市六地蔵柿ノ木町の正行寺(首塚)
大阪府東大阪市山手町にも首塚がある。
鹿児島県薩摩川内市上甑町付近にも甑島墓所がある。

古戦場、今は水田
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和田賢秀墓所へ向かう
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和田賢秀墓所
和田 賢秀(にぎた けんしゅう)は、南北朝時代の武将。名は「かたひで」とも読まれ、
また源秀(げんしゅう)とも記される。四條畷市の墓所石碑には、正面に『和田源秀
戦死墓』と刻まれている。
楠木正季の五男(末男)で、楠木正成の甥。湊川の戦いで伯父・父らが戦死した後、
楠木一門の棟梁となった従兄弟の楠木正行に従い、共に勢力を回復していった。
楠木一族の中でも武勇の誉れ高く、正行に従い常に参戦している。正平2年(1347
年)に紀伊国の隅田一族を、また河内国で細川顕氏や山名時氏を打ち破った。
正平3年(1348年)正月、四條畷の戦いで敗れ、正行らが自刃した後高師直の陣に
潜入していたところをかつて味方であった湯浅本宮太郎左衛門に討たれた。
討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、本宮太郎左衛門はそれが元で死ん
だとされており、土地の人々は賢秀の霊のことを歯噛様(はがみさま)、
転じて歯神様として祭っている。
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四條畷神社へ向かう
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住吉平田神社の前を通り
当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平・延喜年間(889~923年)の
頃、飯盛の麓に鎮座したとあるが、往昔のことは不詳である」としている。1815年
(文化12年)の『南野村改邑鑑』には「(住吉吉田神社は)現在まで三牧大和とその
子伊織、孫大和と3代神職が続いているが、それまで社家がなかったので(三牧家
が神官となった)元文年間(1736~41年)住吉大明神の神主吉田家に願い出て
受領したので、これを機に住吉神社と平田神社とが合祀した」との記録が残る。
「住吉神社」は往時より飯盛山麓にあり、その時期や、海の神である住吉社がこの
地に祀られた理由などは不詳であるが、「平田神社」はもとは南野村字平田にあり、
1853年(嘉永6年)の『南野村庄屋重右衛門扣帳』には「慶長年中(1596~16
15年)の頃、この地で打死した平田という人の御霊を祀る祠があった」とある。慶長
年間に打死(討死?)と言うことは大坂の陣の戦死者を祀ったものか。
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四條畷神社
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。
南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神としている。父の
楠木正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して、嫡男の楠木正行は小楠
公(しょうなんこう)と呼ばれるが、地元四條畷市民や近接地に住む大東市民の間で
単に「楠公さん」と言えば正行や当社を指す場合が多い。1975年(昭和50年)には
「楠公」という町名まで誕生し、他にも周辺に楠公と付く地名が複数誕生している。
創建の歴史
河内国讃良郡南野村字雁屋に「楠塚」と呼ばれる楠木正行の墓があった。
明治期になると明治政府によって南朝が正統とされ、正行の父である楠木正成が
大楠公として神格化されると、その父の遺志を継いで南朝のために戦い命を落とし
た嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と呼ばれ崇められるようになった。
それに伴い、1878年(明治11年)に楠塚は「小楠公御墓所」と改められ規模も拡大、
同じ頃、南野村飯盛山の山麓にある住吉平田神社の神職らが中心となり、楠木氏
らを祀る神社の創建を願い出た結果、1889年(明治22年)12月16日に神社創立と
別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許され、翌1890年(明治23年)に住吉
平田神社の南隣の地に創建した。
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    本殿前の木の鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の御下がり?
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此処までは、
8月6日のJRハイキング・四条畷駅~1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-07
此処では、其の続きを
8月6日のJRハイキング・四条畷駅~2 として、詳細を掲載します。
ハラキリの地へ向かう
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    ランタナの花が黄色からピンク、赤と変わるのは、
    黄色の時は昆虫に来て欲しい、赤はもう昆虫に来て貰わなくても良い・・・
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ハラキリの地(小楠公自害の地)
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古戦場へ向かう
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古戦場、今は公園
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北条古戦場
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十念寺へ向かう
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十念寺
当山の創基は、十念寺に残る江戸時代の『本堂再建奉加帳』によると、貞和年中
(1345~50年)四條畷の合戦で多数の戦死者が出たが、永禄年中(1558~70
年)に至るも、なお霊魂休まらず、里人がこれを厭い、融通念仏の功徳により、霊を
慰めた。この折、木の宮坊という人は私田をなげうって寺院を建立し、楠木正行を
始め一族郎党の菩提を弔ったのが当山の始まりと伝わる。元は融通念仏宗の寺院
であったが、現在は西山浄土宗の寺院である。
元来、生駒山地の山沿いには融通念仏関係の遺跡が多く、十念寺もその1つに数
えられている。平野の大念佛寺(現在は浄土真宗の寺院)ともゆかりの寺院。
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野崎まいり公園で解散
野崎まいり公園は、歴史・自然・文化を活用し、市民のレクリエーション活動、文化、
コミュニティ活動の振興及び観光による集客をすすめ、地域産業・文化の振興に資
する目的で造られました。
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通称 野崎観音
慈眼寺( じげんじ)は、大阪府大東市野崎にある寺院。山号は福聚山(ふくじゅさん)。
宗派は曹洞宗。本尊は十一面観世音菩薩。本尊にちなみ、野崎観音(のざきかんの
ん)の通称で知られる。
生駒山地北部の中腹に位置し、境内からは大阪平野を望むことができる。境内から
吊り橋を通って飯盛山などへ至る登山道があるため、休日は登山者の参詣も多い。
5月頭の無縁経法要(「有縁無縁すべてのものに対し、感謝の読経を捧げる行事)は
「野崎詣り(のざきまいり)」の通称で知られ、江戸時代より続く。「野崎詣り」の期間は
参拝客で賑わう。
かつての「野崎詣り」は大坂から船で参詣する風景が見られ、人形浄瑠璃や落語等
のフィクション作品の舞台となっている。
天平勝宝年間(749年 - 757年)にインドから来朝した婆羅門僧正が、行基に「野崎は
釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サルナート)に似ている」と語り、それを受けた行
基が、白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりと伝えられる。本尊は
長谷寺の本尊と同木から彫られたという。
平安時代、遊女・江口の君(江口の長者)が、難病治癒の報恩を感謝するため現在の
場所に寺を移転し、再興に尽力(同寺では中興の祖と位置付けられている。なお、寺
院移転に関しては真言宗関与説がある)。
中世以後は戦乱により衰微し、特に永禄8年(1565年)には三好義興・松永久秀の戦
禍(東大寺大仏殿の戦い)にかかり、本尊を除いて全焼した。元和2年(1616年)に青
厳によって再興され、天和2年(1682年)に「野崎詣り」が始まる。元禄・宝永年間(16
88年 - 1710年)までに、同行事が盛んになるにつれて、門前が繁栄するようになった。
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     南條神社、境内から市街地が・・・
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    慈眼寺
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   帰りに山門を・・・
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かつて西側一帯には付近の川(大和川付け替え以降は寝屋川および支流の谷田川)
につながる大きな池・深野池があり、大坂側のターミナルである天満橋の八軒家浜か
ら深野池にかけて「野崎詣り」の参拝客向けの屋形船が行き来していた。船の搭乗客
の間では、陸路を歩く参拝者と罵り合う風習があったといい、競り勝てば一年の幸を
得られる、と信じられたと伝わっている。
♪♪ 野崎小唄の歌詞・・・
(一) 野崎参りは 屋形船でまいろ  どこを向いても 菜の花ざかり
   粋な日傘にゃ 蝶々もとまる  呼んで見ようか 土手の人
(二) 野崎参りは 屋形船でまいろ   お染久松 涙の恋に
   残る紅梅 久作(きゅうさく)屋敷  今も降らすか 春の雨
(三) 野崎参りは 屋形船でまいろ  音にきこえた 観音ござる
   お願かけよか うたりょか滝に  滝は白絹 法(のり)の水
※江口の君(遊女 妙の前)
六条天皇の仁安二年(1167)秋十月、四天王寺詣でを終えた西行は、その道すがら
に東国への旅立ちを思い立って江口の里へさしかかる。ところが、にわかに一点が
かき曇って、大粒の雹雨が、沛然と降り始めるのである。(略)西行は、やむなく時雨
待つ間の仮の宿りを求めようとしたが、あたりには、妖し気な賎が屋ばかりが軒を連
ねて、江口の里の色街とは、まさしくかようなところであろうかと思わせる風情であっ
た。(略)西行は、漸く意を決してかたわらの賎が屋の閾をまたいだ。「にわかの雨に行
きくれておる者、是非とも一ときの雨宿りをお許し願いたい」だが、西行の僧形を見て
とった主の遊女は、容易に許す気色をみせなかった。「この屋は、あなたさまのまいら
れるところではございませぬ」主の遊女は、四十余りにもなろうかと思えたが、よほど
信心深い女であったに違いない。その声には、怒りにも似た響きが籠められていた。
西行は、何とか口実を設けては遊女達と浅からぬ縁(えにし)を結ぶ破戒僧に見粉わ
れたことを口惜しく思い、世の中をいとふまでこそかたわらの 仮のやどりをおしむ君
かなと、詠み捨てて、降りしきる宵時雨の中へ立ち去ろうとした。すると、主の遊女は、
初めてほほえみを面に浮かべ、世をいとふ人としきけば仮の宿に 心とむなと思ふば
かりそと、詠み返して、急いで西行を賎が屋の内に招じ入れた。(略)西行は、心を打
たれ、しばしのやどりにと思ったその賎が屋に脚を止めて、主の遊女と、何くれとなく
一夜を語り明かしてしまうのである。「わたくしは、平資盛(すけもり)の娘で、妙の前と
呼ばれておりましたが、平家没落の後は、乳母を頼ってこの江口の里へまいり、いつ
しか遊女にまで身を落して世過ぎをいたしておりまする。

野崎駅・・・暑かった-
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8月4日の藤原京跡の花蓮&キバナコスモス-2

8月5日      8月4日の藤原京跡の花蓮&キバナコスモス-2
         前回、今シーズン2回目の藤原京跡訪問に続いて3回目・・・
藤原京跡の花蓮訪問?今シーズン1回目は、7月14日、2回目は7月28日で
今回は3回目、藤原京跡蓮田の花蓮を見に行って来ました。1回目は3つある
蓮田の内、真ん中の”古代蓮”だけがチラホラ花が立ってる?状態で両サイド
の蓮田には殆んど花が立っていない状況、2回目は其れから丁度2週間後、
14日間が過ぎ、7月28日に訪問、八分咲き?粗満開に近い状態を見て撮る
事が出来た、今回は其れから1週間後の8月4日、3つの蓮田が満開に、ガラ
も少し目立ち、もう此れ以上の満開は無い?状態を見る事が出来、藤原京跡
の今シーズンの花蓮は此れでおしまい、次この辺りに来る時は本薬師寺跡の
ホテイアオイが満開になる頃&コスモスが満開になる秋頃になる・・・・・
前回7月28日に、帰りの通りすがりに見たキバナコスモスのゾーンも行って・・・
藤原京(ふじわらきょう)
橿原市のかしはら探訪ナビから引用
わが国最初の都、藤原京。その16年の栄華は、日本の歴史上に大きな役割を
果たしました。大和三山が見守った藤原京の歴史ドラマ
藤原京は、中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城でした。持統
天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷したのは694年のこと。新たな都の造営は、
亡き夫・天武天皇を意志を受け継いだ中央集権国家の確立には欠かせない一
代事業でした。その大きさは、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、
平安京をしのぐ古代最大の都です。藤原京時代には大宝律令が制定され、貨
幣も発行されました。初めて「日本」という国号を使用したのも藤原京を発した
遣唐使でした。
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
藤原宮跡は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところです。藤原宮は
一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施
設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の
官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16年間の都でしたが、藤原
宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。藤原宮跡では、季節ごとに
美しい花が植えられ、菜の花やコスモス、キバナコスモス、ハスなど色とりどりの
大地のカーペットを楽しむことができます。また、藤原宮跡は大和三山の絶好の
眺望スポットとなっています。藤原宮跡から見る朝陽・夕陽は息をのむほどの秀
景です。平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要
眺望景観」に指定されました。
花蓮見学の臨時駐車場から大和三山を撮る・・・
畝傍山
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香久山
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耳成山
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蓮田へ歩きながら、畝傍山を撮る
蓮田で耳成山をバックに蓮田を撮る
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蓮田から畝傍山を撮る
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蓮田から香久山をバックに花蓮を撮る
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蓮田から耳成山をバックに花蓮を撮る
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蓮田から畝傍山をバックに花蓮を撮る
畝傍山の後ろ、葛城山や二上山は朝靄の中に在り見えない・・・
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此処までは、
8月4日の藤原京跡の花蓮&キバナコスモス-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-05-1
此処では、此の続きを、
8月4日の藤原京跡の花蓮&キバナコスモス-2 として詳細を掲載します。
続きは、蓮田から畝傍山をバックに花蓮を撮る~
蓮田から畝傍山をバックに花蓮を撮る
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蓮田から耳成山をバックに花蓮を撮る
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蓮田から香久山をバックに花蓮を撮る
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駐車場へ戻りながら
蓮田から畝傍山をバックに花蓮を撮る
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畝傍山を撮る
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耳成山を撮る
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駐車場を移動して
醍醐池
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醍醐池西側のキバナコスモスエリア
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キバナコスモスエリアから耳成山を撮る
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8月2日の馬見丘陵公園・向日葵&百日紅-2

8月3日          8月2日の馬見丘陵公園・向日葵&百日紅-2
           至所に向日葵が植えられていたのでそろそろ咲く頃かと?
馬見丘陵公園&竹取公園には良く行くので、中で色々な場所に向日葵が植えられ、
手入れされてるのを見てたので、もうそろそろ咲く頃?中央エリアとバラ園付近へ見
に行って来ました、両方ともバッチリ咲いていました、百日紅も青空に映えて綺麗・・・
中央口から入って
駐車場に車を停めて
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芝生の丘の向日葵&百日紅
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佐味田石塚古墳群
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結びの広場の女郎花?&休憩所
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上池
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下池
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下池周辺の百日紅
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古墳の丘
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下池ウッドデッツキ、未だ亀は見当たらない
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菖蒲園横の栗の木に栗が・・
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此処までは、
8月2日の馬見丘陵公園・向日葵&百日紅-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-08-03-1
此の続きを、
8月2日の馬見丘陵公園・向日葵&百日紅-2 として掲載します。
続きは、バラ園の向日葵&芙蓉~
バラ園の向日葵&百日紅
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バラ園の芙蓉
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バラ園周辺の向日葵
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向日葵の背中から・・・
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バラ園周辺の百日紅
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公園館へ戻る
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公園館周辺の百日紅
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駐車場へ戻る
北エリアと南エリアの向日葵&百日紅は、日を改めて行って来ます。