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10月22日・秋の御所歩きと、梅乃宿酒造蔵開き-2

10月31日       10月22日・秋の御所歩きと、梅乃宿酒造蔵開き-2
                   近鉄駅フリー酒蔵ハイキング
初めてのコースに知人と4人で参加、秋の酒蔵倉開きで美味しいお酒に・・・
コース  近鉄駅フリーハイキング  近鉄御所駅受付9時半~11時
近鉄御所駅(受付)~崇道神社~飯豊天皇陵~屋敷山公園~梅乃宿酒造~
梅乃宿酒造物流センター尺土駅(ゴール)
此の日の私は、30663歩で約20.8km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
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   葛下川
志都美駅
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JR御所駅~近鉄御所駅へ
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近鉄御所駅で
受付を済ませて崇道神社へ向かう
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崇道神社(すどうじんじゃ)
崇道神社は崇道天皇(早良親王)を祀ります。崇道天皇の名称は非業の死を遂
げた早良親王(さわらしんのう)に贈られた追号です。奈良時代末期、桓武天皇
の弟・早良親王は長岡京遷都めぐり起った藤原種継暗殺事件に連座し、淡路に
移送中に自ら食を絶ち船中で亡くなった。その後、皇室に種々不幸が起り悪疫も
流行したので、みな早良親王の祟りと恐れられ、800年に崇道天皇の追号が贈ら
れました。現在でも京都の御霊神社に祀られています。
菅原道真を祀る天満宮ほどは多くはないのですが、崇道天皇は御霊神社、崇道
神社として各地に祀られています。狭い境内に大きなムクロジとムクノキ2本が社
殿を中にしてならんでいます。
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  ムクロジの大木
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飯豊天皇陵へ向かう
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   セイタカアワダチソウが綺麗で美味しそう?
ブタクサに似てる為、可愛そうに花粉症の原因、との濡れ衣を着せられているが、
切り花や食用として輸入された外来種、私も未だ食べた事はないが、葉も花も指
で揉むと良い香りがする。ものの本にはタラの芽よりも美味しい、新芽は御浸しや
天麩羅、蕾や花も天麩羅で、香りが強いので病み付きになると書いてある。
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  牛舎&溜池
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飯豊天皇陵(いいとよてんのうりょう)
歴史の表舞台から立ち去った最初の女帝と言われる飯豊天皇の墓です。「古事
記」・「日本書紀」によると、角刺神社(つのさしじんじゃ、葛城市歴史博物館南隣)
で政務を執り行ったことが伝えられています。
全長約90mの前方後円墳。前方部を南西に向け、周濠を巡らしている。現在宮内
庁により「飯豊(いいとよ)天皇埴口(はにぐち)陵」に治定されて、その管理下にあ
り整備されています。周辺遺物から、6世紀前半の築造と推定され、また、飯豊天
皇は、「角刺神社」に祀られている飯豊青皇女で、別名忍海郎女(おしみのいらつ
め)とも云い、古事記では代23代顕宗(弘計)、代24代仁賢(億計)両天皇の伯母
となっており、日本書記では彼らの姉となっています。
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※飯豊天皇
葛城市HPより引用
五世紀末ごろ、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)によって葛城氏の宗家が滅ぼされまし
た。その雄略天皇の死後即位した清寧天皇は、跡継ぎを残さないまま死去します。
後継者を決めるため、葛城の忍海の人々が大王家につながる二人の皇子を見つけ
出します。ところがこの皇子たち、億計王と弘計王の兄弟は互いに譲り合って、なか
なか皇位につこうとしません。
そこで、王位の空白を埋めるために臨時に政務を執り行ったのが飯豊女王でした。
忍海の「高木の角刺宮」で政治を行い、その皇居は歌に詠まれるほど美しいものだっ
たそうです。倭辺に見が欲しものは忍海のこの高城なる角刺の宮(『日本書紀』)
(意味:大和のあたりで見たいものは、忍海にあるこの高城の角刺の宮です)
飯豊天皇は、歴代天皇の系譜に名前を連ねていません。あくまでも臨時に政権を執っ
ただけなので、正式に即位したとはみなされなかったからです。『扶桑略記』(※)には
「飯豊天皇」と記載されているものの、いくつかの記録があり、飯豊天皇の記述は一致
しません。履中天皇の子とされたり、市辺押磐皇子の子とされたりします。ただ忍海部
女王の呼ばれていたことからも分かるように、飯豊女王がここ葛城の忍海で一時天皇
の位につき、政治を執り行ったようです。
飯豊天皇は、北花内にある墳墓「飯豊天皇埴口丘陵」に眠っています。現在も忍海の
人々は、角刺宮の伝承地とされる角刺神社の横の忍海寺に安置される十一面観音菩
薩立像(平安時代)を「飯豊女王の化身」と言い伝え、歴史から忘れ去られた女帝をし
のんで毎月17日に法要を行っています。
『扶桑略記』(※)
(※)平安末期の僧皇円が神武天皇から堀河天皇までの事柄を編年体で記した歴史書

屋敷山公園へ向かう
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屋敷山公園(昼食場所)
葛城市HPより引用
葛城山の麓にある総面積約58000平方メートルの総合史跡公園です。敷地内には屋
敷山古墳、公民館、体育館、図書館、グラウンド等があり、文化・スポーツの活動拠点
になっています。
屋敷山古墳とは 5世紀の中頃の築造とされる前方後円墳(全長135m)で、古代豪族
葛城氏に関係するといわれ、国指定史跡です。
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屋敷山公園を後に・・・
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此処までは、
10月22日・秋の御所歩きと、梅乃宿酒造蔵開き-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-31
此処では、続きを
10月22日・秋の御所歩きと、梅乃宿酒造蔵開き-2 として詳細を掲載します。
屋敷山公園を後にして住吉神社へ向かう
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住吉神社
表・中・底筒男命の住吉三神を祭神としていますが、本来は桑山氏の氏神であった
ようで、明治初期に辨ノ庄の諸鍬神社から分離し、明治十四年に現在の場所に遷
座しました。
※辨ノ庄の諸鍬(もろくわ)神社
鎮座地:葛城市弁之庄119-1  ■祭神:品陀和気命 息長帯比売命 玉依比売命
■拝殿は入母屋造り、間口六軒もある立派な建物。鳥居は境内にもあるが、一の
鳥居は百余メートル離れた南にあり、八幡宮の額が掲げてある。桑山氏の産土神
を祀る。
1月9日、葛城市内の神社のトップを切り、弁之庄諸鍬神社でおんだ祭が行われま
す。五穀豊穣を祈願して、古式にのっとりお田植えの神事を執り行う伝統行事です。
午後からの神事の後、忌竹に囲まれた神殿での田植えの所作が行われます。牛が
鋤を引き馬鍬で田をならした後、松葉を苗に見立てての田植え。牛がのんびりしす
ぎているので、牛使いが「こら、もっと早よ引かんかい」と叱りつけます。周囲からは
笑い声が上がります。
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梅乃宿酒造へ向かう
デュランタが綺麗&変電所前
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葛城市役所 新庄庁舎
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近鉄新庄駅
新庄の由来・・・葛城市HPより引用
新庄は高野街道に沿う集落でしたが、布施氏が屋敷山古墳とその周辺に新たな城を
築いたことから、「新城」と呼ばれていたようです。
関ヶ原の戦いののち、紀州・若山(現:和歌山)から入部した桑山一晴が、布施氏の新
城跡に陣屋および家臣の屋敷を構築するとともに、その東方に商工業者が住む新しい
城下町をつくりました。その陣屋や屋敷町、城下町を合わせて「新庄」と呼ばれるように
なったとされています。
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梅乃宿酒造へ向かう
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梅乃宿酒造
梅乃宿酒造株式会社 Hより抜粋引用
商号:梅乃宿酒造株式会社  1893年(明治26年)吉田熊太郎商店 創醸
1950年(昭和25年)梅乃宿酒造株式会社 設立、代表取締役 吉田武司 就任
1979年(昭和54年)自社ブランド中心に移行、 吟醸酒の本格醸造着手
1984年(昭和59年)四代目社長 吉田暁 就任
2001年(平成13年)リキュール・焼酎製造免許取得 東京事務所開設
2003年(平成15年)清酒1600石醸造 2004年(平成16年)梅酒 本格製造開始
2007年(平成19年)リキュール用充填ライン新設 梅乃宿東京営業所設立
2008年(平成20年)麹室新設   2009年(平成21年)冷蔵倉庫新設
2013年(平成25年)五代目社長 吉田佳代 就任 翌年 物流センター開設
企業理念
一、私達は、伝統文化の継承と発展を追求し続けることにより、地域社会の
繁栄に貢献します。
一、私達は、職業奉仕の精神をもって、お客様に安らぎと感動を提供します。
一、私達は、相共に夢を語り、夢を育み、その夢の実現に精励します。
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  シュウメイギク
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  梅乃宿酒造のシンボル
  樹齢300年の梅の木
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梅乃宿酒造物流センター
今日22日と明日23日は2016年蔵開きが開催
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尺土駅へ向かう
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尺土駅
尺土駅~二上山駅~徒歩~二上駅
二上山駅
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おまけ
下田駅でおりてJR香芝駅へ向かう
鹿島神社
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JR香芝駅でICOCAの処理?
今朝JR御所駅で降りた際、ICOCAが使えず、証明書発行・・・
証明書を持ってJR香芝駅で清算処理、此れをしないとICOCAが使えない

10月19日の歩こう会コース下見・御影駅~魚崎駅-2

10月29日        10月19日の歩こう会コース下見・御影駅~魚崎駅-2
                   12月度歩こう会・納会コース下見
歩こう会、神戸地区担当の世話人が先に予約してくれた灘の酒蔵へ向けてウオーク、
酒吞み以外の方々にも楽しめるハイキングを目指してコースを選定、2人で歩いて確
かめて来ました・・・
コース:阪急御影駅~深田池公園(受付)~弓弦羽神社~本住吉神社~東灘区役所
~だんじり資料館~住吉川遊歩道~住吉川公園(昼食)~だんじり資料館(トイレ)~
酒蔵見学(浜福鶴吟醸工房)・試飲・買い物~魚崎八幡宮~魚崎駅を予定
此の日の私は、23315歩で約15.7km歩いた、が下見コースは16000歩で約8.7km?
志都美駅
葛城山~二上山の山並み
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阪急御影駅前
御影城址(平野城址)
阪急神戸線の御影駅の北側改札口を出て、線路沿いに西側へ進んだところにある
御影北小学校が平野城の城跡推定地とされます。御影駅の北側すぐのところにある
深田池は平野城の堀の一つとして活躍した名残とも伝わりますが、この城の詳細は
あまりわかってないようです。観応年間(1350~52)に、南北朝の武将・赤松則村
(別称・円心 ※後醍醐天皇方に当初はつくも、晩年は足利尊氏方の武将として活躍
した室町幕府下の守護大名)の家臣、平野忠勝の居城だったと伝わります。
平野城があったとされる時代は、足利幕府初期の頃の内紛である「観応の擾乱」の
時代。平野氏はこの戦いに敗れ、その後この城がどんな運命を辿っていったのかは
歴史の闇に眠ったままのようです。
ただ、残念ながら遺構はありませんが、冒頭に触れた深田池の北側の出入り口にある
案内板には、この平野城についても多少触れられています。
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深田池公園
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弓弦羽の杜
弓弦羽神社
社伝によれば、往古、神功皇后三韓より御凱陣の時、長門國豊浦より摂津國難波
浦に向かわれる途中、忍熊王(おしくまのみこ)が兵を挙げたのをお知りになり、皇
后自ら当地で弓矢甲冑を納めて熊野大神を斎奉しご祈念されたところ、戦には大勝
し、それより後は諸々の願い事は、全て御心のままに叶いました。この故事により、
神社背後の秀麗な峰を弓弦羽嶽(弓矢)とも六甲山(甲冑)とも言います。又、神功
皇后がこの里の泉(澤の井・阪神御影駅南)に、お姿を写しになった故事によりこの
里は「御影」(みかげ)となりました。
8世紀末に、この弓弦羽ノ森(ゆづるはのもり)を神領地と定め、嘉祥2年(西暦849
年)正月14日神祠を造営して改めて熊野大神をお祀りいたしました。この時、熊野
那智大社の別當慶覚は「摂津國灘浦遊鶴羽之峯権現の故事当文庫に記録あり云
々……」と祝文を送ったと言います。
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※サッカー発祥の地は?イギリスか中国か?の論争はさておき・・・
神戸と横浜は開港以来様々な文化が海外から伝わり、それぞれを発祥地として
日本全国に広まった。サッカーもそのひとつであり、1888年には日本で最初の対抗
試合が、外国人クラブであるKR&AC(神戸)とYC&AC(横浜)の間で行われた。
日本のサッカー発祥地はどっちだ?!
日本へのサッカーの伝来は、1872年に神戸市の外国人居留地で行われた試合が
最初という説と1866年横浜市山手でイギリス軍が行った試合が初という説がある。
試合の内容としては「軍人」VS「市民」「横浜市民3年以上」VS「横浜市民3年以下」
などの編成であった。 1873年、東京市京橋区築地の海軍兵学寮において、イギリス
海軍中佐(Commander)アーチボルド・ルシアス・ダグラス を団長とする、イギリス海
軍軍事顧問団(the Second British Naval Mission to Japan)が紹介したのを最初と
する説もあるがはっきりしない。もう一つの説として、1874年、工学部工学寮(現在の
東京大学工学部)のスコットランド人の測量技師ライマー・ジョーンズが体育教育の
一環としてサッカーを教えたという説もある。なお、日本サッカー協会はダグラス
"少佐"起源説を支持している。その後は神戸、横浜を中心とした外国との交易港の
ある街ではイギリス人を中心とする外国人によるサッカークラブが創設され、サッカー
が行われていた。こうした港湾都市において最初の伝来が見られたことはスペインの
バルセロナ、イタリアのジェノヴァ、ブラジルのリオデジャネイロと同一の例には枚挙
の暇がない事である。

本住吉神社へ向かう
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本住吉神社(トイレ有り)
本住吉神社(もとすみよしじんじゃ)は、兵庫県神戸市東灘区にある神社である。旧社格
は県社。底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉三神)および神功皇后を主祭神とし、天児
屋根命・大山津見命を配祀する。東灘区渦森台北端の西山谷(住吉川の支流)西岸に奥
宮(1970年建立 主神:住吉三神 配神:神功皇后・宗像三女神・厳島大神(宗像三女神と
同じ)・オオヤマツミ)がある。
社伝では、日本書紀において、神功皇后の三韓征伐からの帰途に船が進まなくなり、神託
により住吉三神を祀ったと記される「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」の地
が当地であり、当社が住吉三神鎮祭の根源であると伝え、そのために古くから「本住吉」と
呼ばれるとしている。「大津渟中倉之長峡」の地は現在の住吉大社であるとする説が有力で
あるが、当社では住吉大社も当社からの勧請であるとしている。本居宣長も本住吉神社の
主張を支持している。
延喜式神名帳には記載されていない。古くから「本住吉」と称してきたが、明治初年の『神
社調査明細書』には「住吉神社」と記載された。神社側からの申請により、明治38年(1908
年)に「本住吉神社」に復称した。社殿は1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、
現在の社殿はその後復興したものである。
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東灘区役所へ向かう
西国街道・有馬道石碑
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東灘区役所でパンフレットを貰う
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だんじり資料館(トイレ有り)
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住吉川遊歩道
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倚松庵(いしょうあん)
倚松庵(いしょうあん)は、兵庫県神戸市東灘区に建つ歴史的建造物。文豪谷崎
潤一郎の旧居。ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。
庵号は夫人の名前「松子」に因む。
「倚松庵」と呼ばれる家は6軒あったが、一般的に「倚松庵」といえば、谷崎の居住
期間の長さからこの旧居を指す。
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此処までは、
10月19日の歩こう会コース下見・御影駅~魚崎駅-1 として
              下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。 
           http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-29
此の続きは、
10月19日の歩こう会コース下見・御影駅~魚崎駅-2 として
                     此のメインブログへ詳細を掲載します。
続きは、住吉川河川敷遊歩道~
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住吉川(すみよしがわ)
住吉川は、神戸市東部を流れる河川。二級水系の本流である。六甲山麓から短く
下る急流(9km)であるため扇状地が形成され、中流では天井川となっている。
急流に加えて生活排水も流入しないため、市街地にも拘らず蛍が棲息するほどの
清流。またこの水が、灘五郷における酒造の一端を担っている。反面、阪神大水害
をはじめ幾度かの水害をももたらしてきた。人々のランニングのコースになっている。
倚松庵をはじめ両岸には大規模な邸宅が多く、旧住吉村の流れを受け継ぐ阪神間
モダニズムの住宅地の一角をなす。
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住吉川公園
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菊正宗酒造記念館の横を通り東求塚古墳へ
菊正宗酒造HPより引用
江戸中期、神戸・御影の地で、酒造りを始める。万治二年(1659年)、徳川四代将軍
家綱の時代。材木商として活躍していた嘉納治郎太夫宗徳が、当時、先端の製造業
であった酒造業に手を広げ、本宅敷地内に酒蔵を建て、酒造業を本格的に開始。
ここに菊正宗350余年の歴史が始まりました。良質な酒米と宮水という、六甲山系の
自然の恵みを丹波杜氏の職人技で醸した辛口を携え、地の利を生かして港から遠く
は松前(北海道)にまで取引に出かけたという本嘉納家。伊丹、池田といった先達を
凌駕し、新興の酒造蔵としての名声を確かなものにして行きます。ちなみに、嘉納の
姓については、約600年前、御影沢の井の水で酒を造り、これを後醍醐天皇に献上
したところ、ご嘉納になったので嘉納の姓を賜ったとのいい伝えがあります。
※『嘉納』とは、「ほめ喜んで受け取ること」という意味です。
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東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)へ向かう
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東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)
4世紀後半に造られた前方後円墳。菟原処女の伝説に登場する茅渟壮士(ちぬおとこ)
の墓と伝えられるが、実際にはこのあたりの豪族のものとみられる。元民有地であった
ため、塚は崩されて原型は留めていない。現在は西側の前方部が神戸市立遊喜幼稚
園の敷地、東側の後円部が求女塚東公園となり、円形に土を岩で囲んだ残土の上に
東求女塚之碑が立てられているだけである。
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浜福鶴吟醸工房へ
浜福鶴HPより引用
全国の酒処のなかでも生産量で全国一を誇るのが、灘五郷と称されるこの地です。
当蔵元も老舗酒造元として明治初期には「大世界」という銘柄で酒造業を営んでい
ました。昭和の大戦で国の企業整備により、一旦菊正宗酒造との合併を余儀なくさ
れたが、終戦後、姫路の味噌・醤油などの醸造元が、日本酒文化を高め灘五郷の
一翼を担うためにと資本参加。その名も銘酒「福鶴」として酒造業を再開することに
なりました。地酒蔵元として「福鶴」ブランドの独自性を保ちながら、規模に左右され
ない愛される味一筋に歩んできました。昭和30年過ぎまでは魚崎浜も白砂青松の
風雅な趣を残しており、当蔵元も浜辺まで50メートル程に臨む、まさに"鶴が舞い福
来たる"という名にふさわしい佇まいでした。昭和時代後半から平成にかけて隆盛を
誇った日本酒も、嗜好変化の波にさらされ、蔵元すべてが経営の難しい局面を迎え
る時代となりました。そして当蔵元もユーザーには恵まれながらも、後継者がいない
という経営面での課題に直面、ちょうど昭和から平成へと年号が変わる節目に、ご
縁があり酒造蔵元グル-プとしては国内有数の「世界鷹」ブランド:小山本家
酒造の一員として酒造りを続けられることになりました。安定した経営基盤のもと、
伝統の技とこだわりの酒造りに努めていた矢先、1995(平成7)年、阪神・淡路大震
災で当蔵元も甚大な被害を受けました。情緒ある木造酒造蔵の街並みも全壊し、
茫然の感がありました。灘五郷すべてが被災しましたが、世界に誇る日本酒の伝
統や文化の灯を消してはならないと、地域一丸となって事業再開を目指すこととな
りました。震災後も伝統蔵元として、地域貢献を再生のポイントとして考えました。
そしてその答えが、酒造りの全工程を公開(見学酒蔵としての再生)することでした。
多大な投資に踏み切り、「浜福鶴吟醸工房」として年間を通じて“造る” “見せる” “販
売する”の三拍子そろった次世代の酒蔵を目指した・・・。
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魚崎八幡宮
魚崎八幡宮神社の由緒
魚崎は酒造りで名高い灘五郷の一で、かつては「五百崎(いおざき)」と称してい
ました。その由来は、神功皇后の三韓征伐の際、この浦に五百艘の船を集めて
準備し、武庫の水門から船出したことによるとされます。江戸時代、魚崎村の氏
神は住吉村の本住吉神社だったようですが、明治の頃に八幡宮神社を氏神とす
るようになりました。八幡大神を主祭神とし、御祭神は天照皇大神、八幡大神、
春日大神、八衢比古神、八衢比売神、久那戸神が祭られております。
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10月16日の平群コース下見・竜田川駅-2

10月28日         10月16日の平群コース下見・竜田川駅-2
                    11月度の歩こう会予定
平群町観光コースをボランティアガイドの案内で3人で見て廻って来る事に・・・
コースは、烏土塚古墳~岩床神社旧社地~岩床神社・消渇神社~西宮古墳・
中央公園(昼食予定地)~平群神社~椿井井戸~椿井春日神社~平等寺春
日神社~三里古墳~長屋王墓~吉備内親王墓~平群駅
志都美駅へ向かう
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  葛下川
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志都美駅
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近鉄生駒線王寺駅で乗り換え
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竜田川駅(無人駅)でガイドさんと待ち合わせ
烏土塚古墳へ向かう
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烏土塚古墳
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  烏土塚古墳から信貴山を撮る
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岩床(イワトコ)神社へ向かう
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岩床神社旧社地
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消渇(ショウカチ)・岩床神社へ向かう
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消渇・岩床神社
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  岩床神社
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  消渇神社
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御神水
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中央公園・西宮古墳へ向かう
中央公園(昼食予定地)
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西宮古墳
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此処までは、
10月16日の平群コース下見・竜田川駅-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-27
此処では、此の続きを
10月16日の平群コース下見・竜田川駅-2 として詳細を掲載します。
平群神社
お祭りの準備中で外から眺めただkれ・・・
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傘地蔵へ向かう
竜田川を渡る
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傘地蔵石仏
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椿井井戸へ向かう
大分登って来た・・・遠くに信貴山が見える
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椿井井戸
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お寺の石仏&バナナ
お堂の瓦に松茸が、昔は松茸の産地だったらしい
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  バナナ
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椿井春日神社・宮山塚古墳
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平等寺春日神社へ向かう
溜池と道祖神(大きな陽石)
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平等寺春日神社
此処にも溜池がある
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三里古墳へ向かう
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三里古墳
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長屋王墓へ向かう
コンニャクの花
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長屋王墓
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吉備内親王墓
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平群駅へ向かう
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10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-3(ダリア園)

10月24日      10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-3(ダリア園)
                 早朝から近所の公園散策へ
馬見丘陵公園では、10月8日~23日迄第6回「馬見フラワーフェスタ」開催。
同時に奈良フードフェステバル2016「セエフエスタin馬見」も開催、他にも
イベント予定満載だが、人混みが苦手?10月14日の開園前に行って見た・・
竹取公園の駐車場に車を入れて8日に続き散策スタート、園内を撮り歩き・・
竹取公園
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陸橋を渡って
馬見丘陵公園中央南口へ
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  ユリノキも紅葉?半纏(はんてん)の木とも言う
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未来の広場へ向かう
ウッドデッキ&ブリッジの入口へ・・・
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上池の横を
未来の広場を通り梅林を通り倉塚古墳・・・
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一本松古墳
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下池
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古墳の丘(カタビ古墳群)
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菖蒲園の横を通り
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バラ園へ
バラ園の廻りはコスモスが満開
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此処までは、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-1 として
         下記のメインブログへ詳細を投稿済みです。
        http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2016-10-23-1  
此の続きは、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-2 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-24
続きは、
バラ園の廻り&花の道~
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トンネルを潜り北エリアへ
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北エリアのハギ
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此処では、此の続きを、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-3(ダリア園)として詳細を掲載します。
続きは、
北エリアのダリア園
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此の続きは、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-4 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
           http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
北エリアの集いの丘~
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ダリア園廻りの花苑&花サポータ花壇
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トンネルを潜ってバラ園へ戻り、公園館へ向かう
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公園館を通り結びの広場
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ナガレ山古墳前を通り、竹取公園へ戻る
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竹取公園
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10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-1

10月23日      10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-1
                 早朝から近所の公園散策へ
馬見丘陵公園では、10月8日~23日迄第6回「馬見フラワーフェスタ」開催。
同時に奈良フードフェステバル2016「セエフエスタin馬見」も開催、他にも
イベント予定満載だが、人混みが苦手?10月14日の開園前に行って見た・・
竹取公園の駐車場に車を入れて8日に続き散策スタート、園内を撮り歩き・・
竹取公園
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陸橋を渡って
馬見丘陵公園中央南口へ
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  ユリノキも紅葉?半纏(はんてん)の木とも言う
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未来の広場へ向かう
ウッドデッキ&ブリッジの入口へ・・・
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上池の横を
未来の広場を通り梅林を通り倉塚古墳・・・
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一本松古墳
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下池
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古墳の丘(カタビ古墳群)
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菖蒲園の横を通り
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バラ園へ
バラ園の廻りはコスモスが満開
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此の続きは
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-2 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
バラ園の廻り&花の道
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トンネルを潜り北エリアへ
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北エリアのハギ
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此の続きは、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-3 として
           下記のメインブログへ詳細を投稿します。
         http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
北エリアのダリア園
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此の続きは、
10月14日の馬見丘陵公園&竹取公園-4 として
            下記のセカンドブログへ投稿します。
          http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
北エリアの集いの丘~
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ダリア園廻りの花苑&花サポータ花壇
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トンネルを潜ってバラ園へ戻り、公園館を通り結びの広場
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ナガレ山古墳前を通り、竹取公園へ戻る
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竹取公園
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10月13日の東大阪地蔵ウオーク・布施駅-2

10月20日     10月13日の東大阪地蔵ウオーク・布施駅-2
                近鉄ハイキング・大学生とコラボ
近鉄ハイキング東大阪地蔵ウオーク(大学生とコラボハイキング)に参加した。
コース  近鉄 駅フリーハイキング  布施駅コンコース受付9時半~11時
近鉄布施駅(コンコース)受付~道案内地蔵~深江稲荷神社~如意輪観音石
仏~高井田地蔵~渡し地蔵~西岸地蔵~御厨地蔵~天神社~辻の地蔵~
長田神社(子安地蔵)~首つき地蔵~アミューズメント産業研究所~大阪商業
大学・谷岡記念館(ゴール)~近鉄河内小阪駅
大学生とのコラボで地蔵スタンプラリー開催ウオーク。大学生の皆さん有難う
御座いました。此の日の私は、23482歩で約16.2km歩いたことに・・・
志都美駅へ向かう
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  葛下川
志都美駅
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柏原駅で降りて近鉄堅下駅に乗り換え
柏原駅
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近鉄布施駅(コンコース)受付
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商店街を道案内地蔵へ向かう
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道案内地蔵
堤防状に旧街道が少し高くなるところに建てられており、此処はかつて法明
寺の山門が有った場所であり、地蔵さんは人々を寺へ案内する役目を果たし
た事から付けられた名前である。此の地蔵石仏は、きめの細かい花崗岩質
で2m近くもある立像であります。
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※法明寺
融通大念仏宗中興の祖といわれている法明上人は、弘安2年(1279)深江
に生まれ、出家し真言の秘法、天台の教義を学び、融通大念仏宗も修めて、
この地に草庵を建てたのが法明寺の起こりです。上人は71歳で逝去され東
大阪市にある上人の御廟は東大阪市の指定文化財・史跡に指定されてい
ます。
深江稲荷神社へ向かう
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深江稲荷神社
元深江村の氏神。っ祭神は稲荷大神、笠縫大神、鏡作大神で、鳥居の横に
「深江菅笠ゆかりの地」の碑が立てられています。現在の奈良県田原本町
に居た笠縫氏族が、菅の生えていたこの地に移住し代々菅笠作りを職業と
していました。深江菅笠はお伊勢参り等に愛用され、また伊勢神宮式年遷
宮歴代即位式の大嘗会には、この地の菅製品を献上されていました。
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如意輪観音石仏へ向かう
如意輪観音石仏
お堂内にまつられている像高70cm、頭に宝冠をかぶり、片膝を立てやや首を
かしげながらほお杖をつきほほえみを浮かべる観音さまは、昭和2年(1765)
に念唱寺の住職によって南側を通る暗峠奈良街道の一里塚横にまつられて
いたものを府道の新設によりこの地に移設されました。
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高井田地蔵へ向かう
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高井田地蔵
地元では、清水地蔵と呼ばれる地蔵菩薩真言の梵字を彫った珍しい地蔵菩薩
立像です。中には高さ約1メートルの荒々しい花崗岩質の自然石が立てられ中
央を四角に堀りくぼめた中に地蔵立像が刻まれています。この地蔵堂が立つて
いる場所は、暗越奈良街道が、かつての旧大和川とまじわる自然堤防上に有り
ました。
皆さん並んでる、長蛇の列?
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※暗越(くらがりごえ)奈良街道
玉造二軒茶屋より生駒山の暗峠を越えて奈良三条へ通じる街道で奈良~大阪を
結ぶ最短コースです。江戸時代には伊勢参りの人で賑わいました。商店街を歩い
ていても一段高くなっているのがよくわかります。ブランドーリ商店街から道案内
地蔵周辺の旧道筋の両側とも菅笠の店や茶店が軒を並べていた様子が摂津名
所図会に描かれています。
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渡し地蔵
堂前の線香立ての石柱に「渡シ地蔵」と刻まれている。地蔵石仏は、高さ95cm
幅30cmの舟形光背内に高さ70cmの地蔵菩薩立像をまつっています。
この場所は、旧大和川の本流である長瀬川の西堤にあたり、大和川付替え以
前は川幅が200m近くもあって、舟の渡し場になっていました。
此処も並んで順番待ち・・・
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西岸地蔵へ向かう
西岸地蔵
暗越奈良街道沿いということもあって、お地蔵様の多発地帯?今回のスタンプ
ラリーお地蔵様の一つ。見た目にはフツーの地蔵堂ですが、東大阪市の解説板
付きです。長瀬川の西岸に位置することから西岸地蔵となったらしいですが、以
前は新喜多地蔵と呼ばれ、お堂を改修する際に建材から西岸地蔵の墨書がみ
つかったので元の名前に戻ったとのことです。
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此処までは、
10月13日の東大阪地蔵ウオーク(大学生とコラボハイキング)-1 として
              下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
          http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-18  
此処では、此の続き
御厨地蔵へ向かう~
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御厨地蔵
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天神社へ向かう
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天神社
大名持命、少彦名命のニ神を祭神とし、古くは御厨神社とも呼ばれていた。
境内には五穀の神と水の神、火の神も祀られ、鳥居の内側右手に村相撲
が行われていた事を示す力士たちの寄進となる社号の石碑が有ります。
境内には石燈籠など沢山の石造物が存在するほか、市の天然記念物に
指定されている楠木の巨木も有ります。
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辻の地蔵へ向かう
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まんうけ地蔵尊・・・スタンプラリー外のお地蔵さん
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辻の地蔵
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長田神社へ向かう
長田神社
長田神社と子安地蔵
長田から西堤にかけて細長く続く旧集落は、古くは旧若江郡の北辺に広
がっていた大きな湖沼(新開池)の南岸上にそって営まれた古い集落です。
長田村の中央字相生と呼ばれたところに鎮座する長田神社は、品陀別命
(応神天皇)、息長足姫命、多紀理毘売命の三神を祀っています。神社の
北方には、字意伎宮屋敷、弓場と呼ばれたところがあり、神社が消失した
ため現在地に移されたといわれます。境内には本殿の他に末社として塞
神社・愛宕神社・稻荷神社・水神社・琴毘羅神社があります。境内の北側
には、「摂取庵」と呼ばれる浄土宗の堂があり、鎌倉時代末期の木像地蔵
菩薩立像(像高91cm)が安置されています。この地蔵像は、地元に伝わ
る「子安地蔵縁起」によれば、嘉禄年中(1225~27)恵心僧都作と伝えら
れ、江州(滋賀県堅田で子安地蔵としてまつられてきたものが、有縁の地
である長田村へ移されたことがわかります。地蔵像及び子安地蔵縁起とと
もに、この地の歴史を伝える文化財として昭和49年3月25日に東大阪市
文化財保護促進条例により有形文化財に指定されています。
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   境内に二宮金次郎像
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長田神社の直ぐ近く
歯痛地蔵・・・此処にもスタンプラリー外のお地蔵さん
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内介地蔵尊・・・スタンプラリー外のお地蔵さん
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変電所横を通り
新家菅原神社へ向かう
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新家菅原神社
説明板によると『新家は新しく開かれた村という意味で、全国各地に同様の地
名があります。本市の新家は、規矩(きく)氏によって開かれたと伝えられていま
す。規矩氏は、戦国時代に栄えた和歌山の根来寺に属する武士集団の一員で
した。当時、全国統一を望む織田信長と敵対し、天正13年(1585)羽柴秀吉によ
る紀州攻めにあい、根来寺は消失し、人々は各地に離散しました。その後、天
和2年(1616)規矩九右衛門と弟の新三郎がこの地を開拓し、村をつくりました。
暗越奈良街道の北側に沿う家並みの背後にある氏神の菅原神社は、菅原道
真公を祀っています。
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首つき地蔵へ向かう
首つき地蔵
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アミューズメント産業研究所へ向かう
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アミューズメント産業研究所
大阪商業大学の付属研究所で、レジャーやアミューズメント施設に対する
国民の関心が高まり、余暇活動の重要性が見直される昨今、日本初の
アミューズメント産業の研究機関として設立されました。
国内外の民族玩具や世界のゲーム等の収蔵品等の展示も有ります。

大阪商業大学へ向かう
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大阪商業大学・谷岡記念館(ゴール)
※谷岡記念館
昭和10年に城東商業学校(現大阪商業大学)本館として建設されました。従
来の学校建築とは違う意匠を取り入れたモダニズム建造物で、間口15間・奥
行25間の規模で表玄関を大理石造りとし、南正面に一部5階となる塔屋を設
けて時計台としています。内部は3階4階を吹き抜けとした1,500名収容の講
堂を設けています。平成12年10月には国の登録文化財となりました。
現在は近世大阪の商業に関する古文書・貨幣・両替屋で使用された道具類、
河内の農具・木綿資料等を展示する商業史博物館として利用され、一般にも
公開されています。

近鉄河内小阪駅
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10月11日の奈良大和巡礼シリーズ(3)岡寺-2

10月16日        10月11日の奈良大和巡礼シリーズ(3)岡寺-2
                  近鉄万歩ハイキング平日ウオーク
知人と2人で参加、予報では秋のハイキング日和、此の日もその通り空気が乾燥
して涼しい、絶好のハイキング日和になりました・・・
コース  近鉄万歩ハイキング  飛鳥駅受付9時半~10時  歩程約9km
飛鳥駅(受付)~高松塚古墳~定林寺跡~太子の湯~橘寺~石舞台古墳~岡寺
~川原寺跡(弘福寺)~亀石~鬼の俎・雪隠~猿石・欽明天皇陵~飛鳥駅(ゴール)
此の日の私は、25100歩で約17km歩いた事に・・・

※奈良大和四寺巡礼・古都浪漫への誘い・・・四寺巡礼シリーズパンフより
奈良大和中央部は、神武天皇が大和朝廷を建国以来の我が国歴史発祥の地です。
初瀬朝倉(はせあさくら)・磐余(いわれ)・飛鳥(あすか)・藤原京へと移りゆく幾代も
の都が点在した土地で古来より国中(くになか)とも呼ばれてきました。此の由緒ある
古都の地に創建された四カ寺は、何れも1200年以上の歴史を誇る、明日香に位置
する岡寺、磐余に位置する安倍文殊院、初瀬朝倉に位置する長谷寺、室生寺です。
悠久の歴史が今に息づくこの四寺の御本尊及び中尊は、全て国宝・重要文化財で
す。訪問された方々には、此の数多くの名宝をご参拝頂き、更には年中境内を埋め
尽くす花々によって皆様の心を十分に満たされる事を念願して奈良大和四寺巡礼を
開創・・
志都美駅へ向かう
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  葛下川
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志都美駅
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志都美駅~高田駅~徒歩~高田市駅
高田市駅で近鉄に乗り換えて
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飛鳥駅(受付)
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高松塚古墳へ向かう
高松塚壁画館
高松塚
高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史
公園内)に存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳
で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年
に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
2009年に本来の形状に復元され、一般に公開されている。
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定林寺跡へ向かう
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定林寺跡
定林寺跡(じょうりんじあと)は、奈良県高市郡明日香村立部にある寺院跡。現在
無住の小堂が建つ。別名に立部寺、常林寺など。寺伝などによると聖徳太子建
立四十六ヶ寺(または七ヶ寺)の一つとされるが、その詳細は判明していない。小
堂の西側の春日神社境内に塔跡をはじめ基壇、礎石等の遺構が残る。
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橘寺へ向かう
太子の湯
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橘寺へ向かう、遠くに二上山が・・
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橘寺の裏を通って
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には
「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、
垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の
実を植えたことに由来する。
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※橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立
七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと
伝わる。史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀』天武天皇9年(680
年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼い
た)とあるのが文献上の初見である。

石舞台古墳へ向かう
イタドリの花
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此処までは、
10月11日の奈良大和巡礼シリーズ(3)岡寺-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-16-1
続きは、石舞台古墳へ向かう、途中~
飛鳥川にかかる玉藻橋を渡る
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石舞台地区公園で小休止
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石舞台古墳へ向かう
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石舞台古墳の見える丘で昼食
石舞台古墳
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※石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、古墳時代後期の古墳。国の特別史跡に指
定されている。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失わ
れ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有
力視されている。墳丘は現在失われているが、下部は方形で、20-50センチメート
ル大の花崗岩の貼石を約30度の傾斜で積み並べられていた。墳丘の周りに幅5.9
-8.4メートルの空堀がめぐり、幅約7.0メートルの外堤が設けられている。外堤を復
元すれば一辺約80メートルで、高さは約1.2メートルである。封土(盛土)の上部が
剥がされているため、その墳形は明確ではなく、2段積の方墳とも上円下方墳とも、
あるいは、下方八角墳とも推測されている。石室内部には排水施設がある。約30
の石が積まれ、その総重量は2,300トンに達すると推定されている。

岡寺へ向かう
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イタドリの花
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かなり登って漸く岡寺
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岡寺
岡寺(おかでら)は、真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうが
いじ)とも称し、詳しくは東光山真珠院龍蓋寺という。本尊は如意輪観音。西国三十
三所第7番札所。『東大寺要録』「義淵伝」、『扶桑略記』等によれば、天武天皇の皇
子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。
この時、同時に龍門寺なども建立された。史料上の初見は、天平12年(740年)7月
の写経所啓(正倉院文書)である。現在の寺域は明日香村の東にある岡山の中腹
に位置するが、寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは奈良時代
前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、創建当時の岡寺は現在の治田神社の位
置にあったものと推定されている。寺跡は平成17年(2005年)に「岡寺跡」として国の
史跡に指定された。現在では真言宗豊山派の寺院だが、義淵僧正は日本の法相宗
の祖であり、その門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいた。義淵僧正
が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺であった。江戸時代
以降は長谷寺の末寺となった。
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樹齢500年の皐月
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※義淵(ぎえん・ぎいん)僧正
義淵(ぎえん・ぎいん、皇極天皇2年(643年) - 神亀5年10月20日(728年11月29日))
は、奈良時代の法相宗の僧。『続日本紀』によると俗姓は市往氏であるが、『扶桑略
記』では大和国高市郡の出身で俗姓を阿刀氏とする。
父母が長年観音菩薩に祈願して授かった子で、天武天皇により皇子とともに岡本宮
で養育されたという。出家して元興寺に入り唯識・法相を修め、龍蓋寺(岡寺)、龍門
寺などの5ヶ龍寺を創建した。文武天皇3年(699年)、学行褒賞で稲1万束を賜り、大
宝3年(703年)に僧正に任じられた。元正・聖武両天皇の下で内裏に供奉した。『続
日本紀』には、先代からの行いを称され727年(神亀4年)に岡連の姓を賜り兄弟に仕
えることを許された、とある。『三国仏法伝通縁起』によれば、弟子に玄昉・行基・隆尊・
良弁などがおり、道慈・道鏡なども義淵の門下であったという。
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岡寺三重塔からの眺め
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岡寺の境内
境内に天竺牡丹が綺麗に咲いています。
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天竺牡丹の花が睡蓮鉢に飾られていた
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此の続きは、
10月11日の奈良大和巡礼シリーズ(3)岡寺-3として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
天竺牡丹の花が睡蓮鉢に飾られていた~
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本堂
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岡寺を出て治田神社へ
治田神社
当社の創建は明らかではないが、延喜式巻十の延喜神名帳の式内社とされている
ので、平安時代(10世紀)には社があったことがわかる。さらに当境内地からは凝灰
岩の基壇や礎石、瓦が出土することから、8世紀初頭の岡寺(龍蓋寺)創建伽藍が
あったと推測されており、寺の鎮守神として、境内に祀られでいた可能性がある。この
鎮守神を祀ったのが、後に治田神社になったとも考えられる。元々は治田氏の祖神
が奉祀されていた・文安年間(1444~48)に一時大国主命の和魂である大物主命
を奉祀されたことが古書にある。さらに社名を八幡宮と称して応神天皇を奉祀し今日
に至っている。
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※史跡 岡寺跡
岡寺(龍蓋寺)は儀淵僧正によって建立されたと伝えられている寺院であるが、創建
当初の伽藍は、仁王門の西方、ここ治田神社境内にあったと考えられている。境内
地には礎石がいくつか残っており、拝殿の地覆石には凝灰岩の切石が使われている。
また、古瓦の散布もみられることから、このあたりに古代の建物があったことは間違
いない。

橘寺&川原寺跡へ向かう
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橘寺入口に聖徳太子御誕生所の石碑
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川原寺跡
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亀石へ向かう
亀石
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鬼の俎・雪隠前を通り
猿石(吉備姫王墓)&欽明天皇陵
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飛鳥駅へ向かう
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飛鳥駅~五位堂駅
五位堂駅
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おまけ
琉球朝顔がまだまだ元気に咲いている
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巡礼衣(おいずる)
岡寺の御朱印・・・・
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10月8日の馬見丘陵公園&竹取公園-2

10月14日      10月8日の馬見丘陵公園&竹取公園-2
                 早朝から近所の公園散策へ
10月8日~23日、馬見丘陵公園では、第6回「馬見フラワーフェスタ」開催。
同時に奈良フードフェステバル2016「セエフエスタin馬見」も開催、他にも
イベント予定満載だが、人混みは苦手?10月8日の開園前に行って見た・・
竹取公園の駐車場に車を入れて公園内を約2時間歩いた事に
シルバー朝市で里芋とさつま芋を購入して散策スタート、2時間弱歩いた・・・
竹取公園
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竹取公園から馬見丘陵公園南エリアへ入る
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いにしえの丘~巣山古墳&秋の花畑
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墳観(つかみ)橋を渡りカリヨンの丘へ
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倉橋古墳&一本松古墳&下池
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古墳の丘~下池&ウッドデッキをムクロジの大木へ
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此処までは、
10月8日の馬見丘陵公園&竹取公園-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-14 
続きは、古墳の丘~菖蒲園を通ってバラ園へ
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バラ園から花の道を通りトンネルを潜り北エリアへ
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北エリアのダリア園~集いの丘へ
今年のダリア園は花よりも支柱が目立って何か嫌?
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此の続きは、
10月8日の馬見丘陵公園&竹取公園-3 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
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続きは
集いの丘~花サポータ花壇を通り
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ダリア園の後ろを通り、トンネルを潜り中央エリアへ
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トンネルを出て、花の道を乙女山古墳裏のススキを・・・
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花の道からバラ園を横切ってベニバナトチノ木を・・・
ベニバナトチノ木にピンポン玉くらいの実が・・
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公園館の方へ
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芝生の丘の横を通り結びの広場からナガレ山古墳
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南エリア&竹取公園へ渡る陸橋へ
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竹取公園への陸橋、其の先には二上山が・・・
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竹取応援駐車場へ
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10月6日の奈良大和巡礼シリーズ(2)長谷寺&安倍文殊院-2

10月13日   10月6日の奈良大和巡礼シリーズ(2)長谷寺&安倍文殊院-2
                  近鉄万歩ハイキング平日ウオーク
知人と3人で参加、予報では秋のハイキング日和、その通り空気が乾燥して涼しい
絶好のハイキング日和になりました・・・
コース  近鉄万歩ハイキング  長谷寺駅受付9時半~10時  歩程約12km
長谷寺駅(受付)~長谷寺~長谷山口坐神社~十二柱神社~白山神社~玉列神
社(たまつら神社)~阿弥陀寺~等彌神社(とみ神社)~桜井市護国神社~天満
神社~安倍文殊院・ウォーナー塔・晴明 天文観測の地~桜井駅(ゴール)
此の日の私は、33476歩で約22.5km歩いた事に・・・

※奈良大和四寺巡礼・古都浪漫への誘い・・・四寺巡礼シリーズパンフより
奈良大和中央部は、神武天皇が大和朝廷を建国以来の我が国歴史発祥の地です。
初瀬朝倉(はせあさくら)・磐余(いわれ)・飛鳥(あすか)・藤原京へと移りゆく幾代も
の都が点在した土地で古来より国中(くになか)とも呼ばれてきました。此の由緒ある
古都の地に創建された四カ寺は、何れも1200年以上の歴史を誇る、明日香に位置
する岡寺、磐余に位置する安倍文殊院、初瀬朝倉に位置する長谷寺、室生寺です。
悠久の歴史が今に息づくこの四寺の御本尊及び中尊は、全て国宝・重要文化財で
す。訪問された方々には、此の数多くの名宝をご参拝頂き、更には年中境内を埋め
尽くす花々によって皆様の心を十分に満たされる事を念願して奈良大和四寺巡礼を
開創・・
志都美駅へ向かう
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  葛下川
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志都美駅
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桜井駅で近鉄に乗り換えて
長谷寺駅(受付)
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長谷寺へ向かう
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長谷寺
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号
を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。
西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知ら
れる。大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之
坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情
は不明である。寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の
西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年
(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開
山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。承和
14年(847年)12月21日に定額寺に列せられ、天安2年(858年)5月10日に三綱が
置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置された
とみられている。なお、貞観12年(870年)に諸寺の別当・三綱は太政官の解由
(審査)の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺とともに朝廷(太政官)の
統制下に置かれた。長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を
集めた。万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶
民にも信仰を広めた。
木造十一面観音立像(本尊)
長谷寺の本尊像については、神亀年間(720年代)、近隣の初瀬川に流れ着いた
巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟り
の根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長
谷寺開山の伝承がある。伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわ
れのある木材を用いて刻まれたものと思われる。現在の本尊像は天文7年(1538
年)の再興。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品だが、10メートルを超える巨像を破
綻なくまとめている。国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。
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   10月桜も咲いて・・・
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   開基(創立者)は道明上人・・・
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長谷山口坐神社
初瀬川の南岸上に北面して鎮座する旧指定村社。延喜式の式内大社で大山祇神
を主神とする大和六山口社の一つです。後に手力雄神を配祀しました。
「当神社は長谷山の鎮の神として太古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代
倭姫命を御杖として、この地域の「磯城厳樫の本」に約8年間天照大神をおまつりに
なった時随神としてこの地に手力雄神をまた北の山の中腹に豊秋津姫命を祀る二
社を鎮座せられた。長谷寺縁起やその他の古文書によるとこの地方は三神の里初
瀬川は神河表参道の朱塗りの橋は神河橋と書かれている。
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此処までは、
10月6日の奈良大和巡礼シリーズ(2)長谷寺&安倍文殊院-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12-1
此の続きは、
十二柱神社へ向かう~
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十二柱神社
出雲集落のほぼ中央、旧初瀬街道沿いにある旧指定村社です。十二柱という名前
の通り国常立神(くにとこたちのかみ)など神世七代の神々と、天照大神など地神五
代の神、あわせて十二柱の神々を祀っています。参道を抜け石段をあがり境内に入
ると、鳥居の脇の狛犬を四人の力士がささえています。出雲の集落は当麻蹴速(たい
まのけはや)と、我が国初の天覧相撲で勝利した 野見宿禰(のみのすくね)を祖とし
ており、この地は相撲をとった穴師の相撲神社とならぶ、相撲発祥の地として知られ
ています。鳥居の東側手前に立つ大きな五輪塔は、高さ2.85m鎌倉時代初期の五輪
塔で、もとはここから約300m南方の野見宿禰塚に鎮座していたもので、明治16年の
農地整理で塚がなくなった際、この地に移設されました。4側面に単独梵字仏を彫り、
また地輪には一字一石経を納める、全国でも珍しい五輪塔と言われています。尚、
十二柱神社の境内地一帯(境内社の東方一帯との説も)は第25代武烈天皇の「泊
瀬列城宮跡」伝承地とされ、この付近に「天皇屋敷」、「御屋敷」などの地名を残して
います。境内には武烈を祀る武烈天皇社の祠と「泊瀬列城宮跡」の石塔があります。
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  野見宿禰塚から移設した五輪塔&力士が支える狛犬
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  武烈天皇の宮跡の伝承地
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白山神社へ向かう
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白山神社
境内に雄略天皇『泊瀬朝倉宮伝承地』の碑が有ります.
この地は第21代雄略天皇・泊瀬朝倉宮伝承地とされ境内には保田與重郎が建立
した記念碑『萬葉集發燿讃仰碑』も建ちます。境内に『奉寄進白山社 荘保22(16
47)天九月吉祥日。黒﨑村教清』と刻銘された古い石燈籠が有ります.祭神;白山
比咩命、菅原道真
※雄略天皇 泊瀬朝倉宮伝承地・・・桜井市教育委員会の石碑より
桜井市黒崎の「天の森」が、朝倉宮の地であろうとの説は、『大和志』や『日本書紀
通証』などで、述べられている。が立地的に見て、宮を営むのに適地ではない。保
田興重郎氏は、この白山神社付近をその候補地とし、雄略天皇の歌で始まる『万
葉集』の発祥の地として、神社境内に記念碑を建立したものである。
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玉列(たまつら)神社へ向かう
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玉列神社(たまつら神社)
三輪山の南麓に鎮座、椿の花でも有名です。明治10年に村社から大神神社の境外
摂社に定められ、古くは玉椿大明神と呼ばれていました。祭神の「玉列王子神」たま
つらおおじのかみは、本社・三輪の大物主大神おおものぬしのかみの御子神です。
延喜式(927年)の神名帳にも見える 、初瀬谷における最古の神社です。本殿は檜
皮葺春日造、安永2年(1773)の建築。祭神;玉列王子神 (玉列は魂貫の意という)
配祀:天照大御神、春日大神。大神神社末社の「祓戸社」「金山彦社」「猿田彦社」
「愛宕社」があります。石鳥居の左手に社務所があり、その北側の庭(参道左手)に
200種500本の椿が植えられています。
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阿弥陀堂・・・(融通念仏宗)「慈恩寺」
玉列神社の石鳥居の右手側には、かつての神宮寺・慈恩寺の阿弥陀堂が建ち
ます。南北朝の争乱によって廃寺の憂き目に会い、現在は阿弥陀堂一宇を残
すのみとなりました。本尊;阿弥陀如来(平安時代後期の作)市の文化財に指定
奈良時代から南北朝の頃まで、広大な寺院があったと言われています。当時、
この付近一帯は、法相宗の本山である奈良の興福寺の領地でした。慈恩寺の
名は中国法相宗の祖であり、西遊記でも有名な玄奘三蔵が住した唐の大慈恵
寺にちなんでいるといわれます。境内には付近の伊勢街道沿いから移した石仏
や道標が多数祀られています。堂の正面に保存木「樹齢800年」の大ケヤキが
有ります。
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此の続きは、
10月6日の奈良大和巡礼シリーズ(2)長谷寺&安倍文殊院-3 として
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等彌神社へ向かう~
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等彌神社(とみ神社)
等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市桜井にある神社。『延喜式神名帳』に掲載
されている大和国城上郡等彌神社に比定されている。明治時代までは能登宮と呼ば
れていた。本社にあたる上ッ尾社の祭神は大日霊貴命とされるが、饒速日命とする説
も存在する。創建年月は不詳であるが、社伝によると当社は古来より鳥見山に鎮座し
ていたとされる。
鳥見山中に創建された二千年の歴史を有する古社で、12世紀初めに現在地に移築し
たと伝えられています。境内には石燈籠・文学碑が並立し、「上津尾社」・「下津尾社」
を中心に摂末社七社と桜井市護國神社が鎮座され、一大霊場を形成しています。尚
鳥見山は、神武天皇が橿原宮に即位し、皇祖天津神を祀って大孝を祈ったとされる建
国の聖地。鳥見山の西麓を能登山ということから、当社はかつて能登宮とも称されて
いました。紅葉の名所としても有名。
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桜井市護国神社
等彌神社の境内に等彌神社の摂末社七社と共に鎮座している。
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天満神社へ向かう
天満神社・・日本最古天神の與喜天満(よきてんまん)神社
初瀬は萬葉集では枕詞の隠国(こもりくの)で知られる長谷寺の門前町として賑わっ
ています。この神社は近鉄長谷寺駅から長谷寺に向かう途中にあり、神社の背後に
見える山は「天然記念物与喜山暖帯林」といわれる原始林に覆われた與喜山(標高
455m)です。山麓には日本最古天神の與喜天満(よきてんまん)神社が鎮座してい
ます。祭神は学問の神様として知られる菅原道真公で、道真公の先祖・野見宿禰は、
ここ初瀬の出雲の出身で、初めは土師氏と称しており、道真公にとって初瀬は遠祖
からのふるさとだったのです。
この地に天神が鎮座したのは,『長谷寺験記』によれば平安時代の946年(天慶9年)
で、後に初瀬の地域の神としても信仰されるようになります。神社が所蔵する天神
(菅公)座像の体内には、正元元年(1259年)の墨書銘があり、現存最古のものとい
われており、平成23年に奈良国立博物館で「初瀬にいますは 与喜の神垣ー與喜天
満神社の秘宝と神像」と題し特別公開されています。なお、現在の社殿は、江戸時代
後期の1818年(文政元年)に長谷寺によって再建された建物です。
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安倍文殊院へ向かう
安倍文殊院・・・HPより引用
孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくら
はしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)で
ある。しかし一般的には古来より、日本三文殊の第一霊場(京都府・天橋立切戸の文
殊、山形県・奥州亀岡の文殊)「大和安倍の文殊さん」として名高い。
大化元年(西紀645)倉梯麻呂が創建した安倍寺(崇敬寺)は、現在の寺の南西300
メートルの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えていた。(東大寺要録末寺
章)(現在「安倍寺」跡は国指定の史跡公園として保存されている。)鎌倉時代現地に
移転後も、大和十五大寺の一つとして栄え嘉吉元年(1441)この興福寺官務牒疏には
当時なお二十八坊の存在が記されており、寺運はなかなか隆盛であったが、永禄六
年(1563)二月松永弾正の為に兵火に会い一山ほとんど鳥有に帰する災を受け、その
後寛文五年(1665)四月に到って本堂(文殊堂)と礼堂を再建されたのである。現在の
本堂は即ちこれで、人母屋造本瓦茸七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えて
いる。 本堂の右に釈迦堂、左に大師堂、本坊、庫裡が並ぴ庭園を隔てて方丈客殿に
つらなっている。創建以来すでに千三百余年の星霜を経ているが常に一般道俗の信
仰をあつめ、由緒も深く寺勢も盛んであった事ば寺伝の由来記に載せるところであり、
日本最大の文殊菩薩(国宝)を本尊とする安倍文殊こそ俚謡そのままのある五台山と
して、仏徒の巡拝すべき道場である。
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・ウォーナー塔
奈良や京都や鎌倉といった、日本の古都の文化財が守られたのはウォーナー博士の
お蔭である。そんな感謝の気持ちから、このウォーナー塔は建てられました。
しかしながら、当のご本人のウォーナー博士はそのことを否定しておられました。単に
謙虚な気持ちから否定なさっていたのでしょうか。あるいは本当に、博士が古都への
攻撃を回避するよう、米軍に働きかけたという伝説は偽りだったのでしょうか。後に作
られたストーリーだったのでしょうか。
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※ラングドン・ウォーナー博士は、アメリカの美術史家。ランドン・ウォーナーとも表記さ
れる。太平洋戦争中に日本の文化財を空襲の対象から外すよう進言した人物とされる
が異論も多い。1903年ハーバード大学卒業。卒業後ボストン美術館で岡倉天心の助
手を務め、1907年に同美術館の研修候補生として日本に派遣された。1910年にロン
ドンで開催される日本古代美術展の準備をしていた岡倉らを手伝い、3冊の詳細な出
品カタログ『日本の寺とその宝物』の英訳に協力し。帰国後東洋美術史を講義、ハー
バード大学付属フォッグ美術館東洋部長を務めるなど、東洋美術の研究をした。1946
年、米軍司令部の古美術管理の顧問として来日。太平洋戦争時、日本の多くの都市・
地域に空爆があったが、京都は爆撃されなかった。この事実の理由として、ウォーナー
が、空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリスト)を作成して米政府に進言したか
ら、という説がある。
米国の軍事資料をもとにした研究により、1945年7月のポツダム会談のさなかに至る
まで、米国陸軍の航空部隊は京都を原爆投下の最有力都市のひとつに温存しており、
原爆の物理的効果を測定するため、京都を通常爆撃の対象から外していたことが判
明しているが、其れにも関わらず「京都は日本文化の象徴であり、爆撃の目標から特
に除外された世界平和の生きた記念像である」という認識に基づく「京都国際文化観
光都市建設法」が公布され、ウォーナーが亡くなった1955年には勲二等瑞宝章が授
与され、高山義三京都市長もハーバード大学に感謝状を贈った。
1958年6月、法隆寺西円堂の近くに、供養塔、顕彰碑 ウォーナー塔が建立された。
鎌倉にも同趣旨に基づくプレートがある。
※ウォーナー伝説に対する反論
京都の原爆投下が避けられたのは陸軍長官ヘンリー・スティムソンによるものであると
した。1980年代には、立命館大学の鈴木良もスティムソン日記に「京都に原爆を落とす
のは対ソ戦略から政治的効果にマイナスになるから(投下しない)」とあることを指摘し、
ウォーナーと直接交流のあった五浦研究所初代所長の稲村退三もウォーナー自身が
「リストは作成したが、爆撃を中止させるほどの権限はなかった」と述べていたことを記
している。「ウォーナー伝説は日本では美談扱いだが、米国では日本人の感傷的な歪
(ゆが)んだ外国認識の実例として研究対象にされた。」
ウォーナーの文化財保護の話はGHQ民間情報教育局の情報工作による宣伝で、事実
と異なるとする。ウォーナーリストは、単なる文化財保護の目的ではなく、占領地域での
文化財を保護し、(ナチスなどが)略奪した文化財を返還させ、弁償させるために作成し
たリストの日本版であった。原爆の投下候補地にもなっていた京都が結果的に大規模
な空襲を免れたのは、原爆の投下目標として温存されたためである。

・晴明 天文観測の地
陰陽道の祖安倍晴明公が当時天文観測の地としてこの丘に登ったといわれている。
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桜井駅へ向かう
桜井駅(ゴール)
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知人とは大和八木駅で別れて
五位堂駅
五位堂駅で二上山を撮って
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巡礼衣(おいずる)
長谷寺&安倍文殊院の御朱印
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10月4日の奈良大和巡礼シリーズ(1)室生寺-2

10月10日        10月4日の奈良大和巡礼シリーズ(1)室生寺-2
                  近鉄万歩ハイキング平日ウオーク
知人と2人で参加、予報では気温は30度超えるが空気が乾燥して涼しい?何の何の
非常に暑くて暑くて大汗をかいた、まれに見るビショビショのハイキングになりました・・
コース  近鉄万歩ハイキング  三本松駅受付9時半~10時  歩程約13km
三本松駅(受付)~子安地蔵~海神社~滝谷花しょうぶ園~三輪神社~大師の道~
峠の茶屋跡~室生川沿い~仙人の岩屋・仙人橋~弘法の泉~室生寺・山門・本堂・
五重塔・奥ノ院~太鼓橋~民家の間を通り・東海自然歩道・門森峠越え~長谷川沿い
~一ノ渡橋~宇田川沿い~室生路橋~大野寺~室生口大野駅(ゴール)
此の日の私は、室生寺奥ノ院迄行った事も有り35241歩で約23.5km歩いた事に・・・

※奈良大和四寺巡礼・古都浪漫への誘い・・・四寺巡礼シリーズパンフより
奈良大和中央部は、神武天皇が大和朝廷を建国以来の我が国歴史発祥の地です。
初瀬朝倉(はせあさくら)・磐余(いわれ)・飛鳥(あすか)・藤原京へと移りゆく幾台もの
都が点在した土地で古来より国中(くになか)とも呼ばれてきました。此の由緒ある古
都の地に創建された四カ寺は、何れも1200年以上の歴史を誇る、明日香に位置する
岡寺、磐余に位置する安倍文殊院、初瀬朝倉に位置する長谷寺、室生寺です。悠久
の歴史が今に息づくこの四寺の御本尊及び中尊は、全て国宝・重要文化財です。
訪問された方々には、此の数多くの名宝をご参拝頂き、更には年中境内を埋め尽くす
花々によって皆様の心を十分に満たされる事を念願して奈良大和四寺巡礼を開創・・
志都美駅へ向かう
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  葛下川
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志都美駅
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JR五位堂を過ぎて、二上山を・・・
桜井駅で近鉄に乗り換えて
近鉄三本松駅ホーム、大勢のハイキング参加者・・・
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三本松駅(受付)
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知人を待って子安地蔵へ向かう
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安産寺
先ず子安地蔵を訪ねる、拝観できなかったがパンフレットの写真
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※安産寺の子安地蔵菩薩・・・安産寺のパンフより
この地蔵菩薩像は、先人古老の言伝えによれば「其の昔々、時ならぬ豪雨で宇田川
が増水した時、上流より流されて、安産寺の対岸にある海神社脇に流れ着いた。村人
達は驚き慌ててお救いした処余りにも優しくて美しいお姿に見とれつつ、安置する場
所を求めて集落へとお運びして来たが、俄かに足が進まなくなり「ああシンド(辛く苦し
いの意)」と輿を降ろした其の時、仏像も「此処からは何処へも行きたくない」とのご尊
顔を感じ取った村人達は、此の場所にお像を祀れと言う御託宣(おつげ)ではないか
と悟り早速そこに堂(新堂)を構えてお祀りしたのが子安地蔵菩薩本堂(後に安産寺
と改名)である」と言う挿話は今も地域の伝承として生き続けている。
此の地蔵菩薩像は室生寺金堂の本尊(釈迦如来)の様式と極めてよく似ている事や、
其の右側の地蔵菩薩像に不似合いな板光背が、此の安産寺の子安地蔵菩薩像に
ぴったり一致する事。又、この地蔵菩薩像の彩色葉かなり剥離しているものの、衣文
の峰におかれたキリガネ等がある。此の地蔵菩薩像は、竜穴神社の祭神「善女竜王」
の分霊を応永3年(1396年)に中村の地に迎えたと言う言伝え等、かなり深い関わり
でも有ったのか?近世に室生寺金堂から移安されたものと考えられる。
下記の様な異聞?も・・・
この地蔵は「流れてきた」(安産寺側)、「修理に出したが戻らなかった」(室生寺側)
と、主張はすこしだけ異なるが、室生寺の由来だとは、お互いにほぼ認めている。
どんな経過で流出したかという事を考えると、室生寺は興福寺の法相宗から真言宗
に移行している。1600年代に室生寺は興福寺と長老職をめぐって争い、一旦は興
福寺の勝訴(1658年)となるが、その後、室生寺は桂昌院の支持を受けて巻き返し
1698年に興福寺から離脱。地蔵菩薩の中村地区への流失は1688年(彩色修理
に出された時)との見方もあり、そうならば、この興福寺との争いの最中のことで・・・

山奥なのに?海神社へ向かう
ミョウガの花も咲き、日本の原風景?里山?癒されるー
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宇田川を渡り
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海神社へ到着
古老の伝えによると、応永三年(1396)に室生龍穴神社から善女竜王を勧請したと
いう。当社に祭る神像は、鎌倉期と考証されており、中世の初頭には概に祠を構え
ていたと思われる。竜穴神社は祈雨止雨の霊験あつく、国家を鎮護したので貞観
九年勅諚により善女竜王の神号が授けられた。それ故当社でも宝暦四年の郷鑑
には善女竜王とあり、棟札にも祭神は善女竜王と記されている。明治初年の神佛
分離により海神の姫、豊玉姫命を祭神とし社号も海神社と改称した。海神の化身
は竜神であるところから本地に帰ったともいえる。豊玉姫命は、万物の命の源であ
る水を統御し、五穀豊穣をもたらす霊能豊かな神であらせられ、安全の神鎮守の
神としてもご神徳が高く、古くから崇敬の至情をあつめている。
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花の郷滝谷花菖蒲園へ向かう
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モミジも色付きはじめて
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三輪神社・・・三輪若宮神社
砥取(ととり)の集落から滝谷へ抜ける茶屋峠の道中にあります。
創祀年代は不明ですが、三輪の大神神社から勧請されたと伝わります。明治45年
に西谷の十二神社(イザナギの命)と滝谷の三輪神社(大物主命)を合祀しました。
天和2年(1682)・延宝8年(1680)・慶安3年(1650)などの石灯籠が有ります。社頭
の石標及び拝殿の神額も「三輪神社」となっています。祭神は太田々根子命
社殿は無く、三つ鳥居が立てられ、背後にはひもろぎの巌石と杉の巨樹が有ります。
大神神社と同様、背後の山を神体山として祀っているようです。
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大師の道を歩く
伊賀や名張など三重県側から初瀬街道を通り、三本松の長瀬から山越えで室生寺
へお参りする古道が「大師の道」。です。歩きが中心だった時代には多くの方が・・・
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  息つぎの井戸
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此処までは、
10月4日の奈良大和巡礼シリーズ(1)室生寺-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済です。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-10-09
此の続きは、大師の道の続き~
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大師の道・尾根越え
峠の茶屋跡に到着、此処で一息・・・
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此処から下り
ウラジロが・・・
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室生川沿いの通りへ出る
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室生川沿いを仙人橋へ向かう
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仙人の岩屋・仙人橋を渡ると室生寺へ
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まだまだ遠い室生寺、川沿いを・・・
弘法の泉
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室生寺に到着、色付いたモミジ
今回の巡礼シリーズの特典・巡礼衣(おいずる)に御朱印
創建は明らかではないが、寺伝によれば奈良時代、天武天皇の発願により役小角
が創建、その後、空海が真言宗の道場の一つとして再興したと伝える。また、「続
日本紀」では、宝亀8(777)年、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒を願って、
興福寺の大僧都賢璟ら浄行5人が室生山中で「延寿法」を修したところ病気は回復
した。その後、賢璟は、天皇の命を受け、室生山寺を創建したとされる。当時、室生
山一帯は山林修行の霊地として独特の宗教圏を形成していた。賢璟は、法相宗の
唯識を学んだ碩学だったが、鑑真に深く帰依し、律宗の教学も学んだ。平城遷都に
際しては、地相を占ったことでも知られる。延暦12(793)年に入寂したと伝わる。
賢璟の跡を継いだのが、同じ興福寺出身の修円で、平安時代の初めに入山。現在
の寺観を整えた。修円は、比叡山延暦寺を開いた最澄とも親交が深く、最澄から密
教の伝法儀式を受けた。修円は、当時、空海や最澄と並ぶ気鋭の学僧であり、3人
は会して仏法を研究していた。その後、寺は天台・真言の密教の色彩を深めていく。
また、かつて高野山が女人禁制であったのに対し、室生寺は女人の参詣を許し「女
人高野」と呼ばれ女性の信仰を集めた。
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  本堂&五重搭
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  今回は奥の院へ向かう
知人が奥の院でも御朱印を・・・
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奥の院到着、素晴らしい景色のご褒美・・・
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此の続きは、
10月4日の奈良大和巡礼シリーズ(1)室生寺-3 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、
室生寺を出て大野寺へ向かう~
太鼓橋を渡り東海自然歩道・門森峠越えて長谷川沿いに一ノ渡橋へ
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民家の間を通り・東海自然歩道
弘法の井戸
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石畳の急な登り坂を
門森峠
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門森峠を越え石畳の長い下り坂~長谷川沿い
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一ノ渡橋へ到着
宇田川沿い~室生路橋
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大野寺へ向かう
川の対岸に大石仏が・・・
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大野寺
白鳳9(681)年、役小角が開き、天長元(824)年、弘法大師が室生山を創める
前に、ここに一堂を建て慈尊院弥勒寺と称したとあるが、これは真言宗になって
からの寺伝であろう。室生寺の北の大門といわれ、山号は楊柳山。宇陀川の対
岸の石英安山岩に刻まれた高さ13.8mの壮大な弥勒如来立像(磨崖仏)は、
他には類がなく、気高く壮麗である。
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室生口大野駅(ゴール)
今日は良く歩いた、足元はドロドロ、身体はビショビショ、ヘロヘロ・・・
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こんな場所・距離、上り坂、しんどかった
1人では、絶対にリタイア?よう歩かん?坂道・・・
知人とは大和八木駅で別れて
五位堂駅
五位堂駅で二上山を撮って
50分くらいバスが来ない、歩く気力も無くタクシーで帰った
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