So-net無料ブログ作成
検索選択

11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-2

11月28日     11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-1
                歴史探訪の会 会員例会 歩程約6㎞
コース:橿原神宮前~バス~高取城八幡口~天守跡~砂防公園(昼食・トイレ
児童公園・祭り~土佐街道・歴史行列~壺阪山駅(ゴール)
此の日の参加者は19人だった・・・
土佐街道で歴史行列を見た後、知人と2人でキトラ古墳周辺地区迄歩いて~
展望台やら四神館無いを見学して公園内を散策~飛鳥駅へ歩いてゴール。
此の日の私の万歩計は、24259歩で約16.2km歩いたことに・・・
志都美駅へ向かう
PB236153.JPG
志都美駅
葛城山~二上山、二上山のアップ?
PB236155.JPG

   志都美駅のホーム
PB236162.JPG
畝傍駅で降りて八木西口駅へ乗り換え
八木西口駅ホーム
PB236163.JPGPB236166.JPG

橿原神宮駅で受付・貸切バスで高取城址八幡神社口へ?
PB236167.JPG
幸せの黄色いポスト
平成28年10月7日 『黄色いポスト』を設置した。橿原市は、宮崎市との
姉妹都市盟約50周年を記念し 、橿原郵便局のご協力も得 、近鉄橿原神
宮前駅中央出口の広場に「黄色いポスト」が 設置された。このポストは、
縁結びで有名な青島神社がある宮崎市の『海岸』や、天孫降臨の地である
『高千穂』など、神武天皇にゆかりの観光スポット設置されている 「幸せの
黄色いポスト」と同様、橿原市の 新たな観光資源と して活用するもの。
PB236169.JPG

バスを降りて少し歩くと”七つ井戸”の辺りから高取城跡へ・・・
PB236173.JPGPB236174.JPGPB236183.JPG
高取城
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。
別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートル
の高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て
並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」
と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約
3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに
及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)と
ともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際
も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
歴史
南北朝時代、南朝方であった越智邦澄が元弘2年(正慶元年、1332年)に築城した
のが始まりと伝えられている。当初は越智氏の本城である貝吹山城の支城として
機能していた。越智氏の支配が長く続き、戦国時代には高取城が越智氏の本城と
なっていたようである。貴重な城郭資料として昭和28年(1953年)3月31日に国の
史跡に指定された。平成18年(2006年)に、日本100名城に選定された。
PB236190.JPG

二の丸跡
PB236192.JPGPB236194.JPGPB236196.JPG

十五間多門跡
PB236202.JPGPB236209.JPG

本丸跡へ
PB236212.JPGPB236219.JPG

本丸からの眺望
PB236223.JPGPB236227.JPGPB236229.JPGPB236233.JPGPB236235.JPG
此処までは、
11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
          http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-28
此処では、此の続きを
11月23日の高取城と土佐街道お城祭りを訪ねる-2 として詳細掲載します。
続きは、本丸跡を出て~
PB236239.JPGPB236241.JPGPB236245.JPGPB236247.JPG

大手道へ
PB236252.JPGPB236258.JPGPB236259.JPGPB236270.JPG
猿石
高取城二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にあり。制作は、飛鳥
時代の斉明朝あたりと推定される。高取城築城の際、石垣に転用するために明
日香村から運ばれたと言われている。 明日香村檜隈(ひのくま)の吉備姫王
(きびのひめみこ)の墓の域内にある石仏像と同類のものである。 郭内と城内
の境目を示す「結界石」とした説もある。
PB236276.JPGPB236278.JPGPB236281.JPGPB236282.JPGPB236285.JPG
史跡高取城址石碑&宗泉寺石碑&聖天さん
宗泉寺
高取藩主植村氏の菩提寺である。もともとは植村家政の下屋敷であった。
元禄11年(1698年)に寺として創設。植村氏累代の墓碑がある。
PB236289.JPGPB236287.JPGPB236291.JPGPB236293.JPG
砂防ダム公園で昼食休憩
上子島における2つの渓流が合流するところで壺坂山駅と高取城跡の中間に
位置する。ハイカーが利用しやすいよう休憩できる広場等を設け、砂防、防災
的な機能を果たすとともに水と緑豊かな公園として整備された。
阿波野青畝の句碑
PB236297.JPGPB236295.JPGPB236301.JPG

水車小屋
PB236302.JPGPB236304.JPGPB236305.JPGPB236307.JPGPB236309.JPGPB236311.JPG
植村家
なまこ壁&長屋門
PB236313.JPGPB236317.JPG
児童公園前に復元された松ノ門
此処で解散、土佐街道の歴史行列を各自鑑賞??
PB236325.JPGPB236319.JPGPB236321.JPGPB236330.JPGPB236333.JPGPB236339.JPG

知人と2人でキトラ古墳周辺地区へあるいて
PB236353.JPG
キトラ古墳
国営飛鳥歴史公園HPより引用
キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳
です。石室の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四
神や十二支の美しい絵が描かれています。飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区
の南に位置しています。
キトラ古墳は、檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。
二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上
段・下段あわせて4mを少し超えると推測される。1983(昭和58)年11月7日に石
室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集め
ました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定さ
れました。 名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼
ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったとい
う説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち
北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎)から「亀虎」と呼ばれていた
という説など、いろいろな説があります。
PB236351.JPG
キトラ古墳
キトラ古墳は7世紀末〜8世紀初め頃に造られたと推測されています。古墳時代と
呼ばれる時代の終わり頃です。この頃の古墳は終末期古墳と呼ばれ、古墳時代
前期の巨大な前方後円墳から円墳や方墳へと形が変わり、古墳そのものも小さ
くなりました。
誰の古墳か?
天武天皇の皇子である高市皇子、高官であった百済王昌成、古墳周辺一帯が
「阿部山」という地名であることから右大臣の阿部御主人など、いろいろな人物が
想像されています。また、金や銀を使った副葬品や豪華な装飾をほどこしたと推
測できる木棺などから、かなり身分の高い人のお墓であったことがわかります。

キトラ古墳周辺地区の展望台から全貌?を
PB236355.JPG

知人と2人で飛鳥駅へ歩いて

11月22日の平群の里と歴史探訪・竜田川駅-2

11月28日       11月22日の平群の里と歴史探訪・竜田川駅-2
                   歩こう会 会員例会 歩程約8㎞
此の日の参加者は93人、3班に分かれてボランティアガイドの案内で歩いた。
コース  今回の案内は平群観光ボランティアガイドの会にお願いしました。
竜田川駅(受付)~烏土塚古墳~石床神社(旧社)~石床神社・消渇神社~西
宮古墳・中央公園(昼食&トイレ休憩)~平群神社(集合写真)~道の駅・平群
(トイレ休憩)~椿井井戸~椿井春日神社~宮山塚古墳~平等寺春日神社~
長屋王墓~吉備内親王墓~平群駅(解散)
平群観光ボランティアガイドの会の皆さん、お世話になり、有難う御座いました。
此の日の私の万歩計は21290歩で約14km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
IMG_4370.JPG

   西名阪自動車道の高架
IMG_4371.JPG

志都美駅
IMG_4372.JPG
近鉄生駒線
王寺駅で乗り換え
IMG_4373.JPG
近鉄生駒線竜田川駅(受付・スタート)
烏土塚古墳
平群町HPより引用
竜田川の西岸、南北方向の独立丘陵に古墳時代後期に築造された北面する
前方後円墳。墳丘は全長60.5m、後円部径35m、高さ約9m、前方部幅31m
あり、平群谷最大規模の古墳。墳丘は一段築成で葺石はなく、墳頂寄りに1.5
~2m間隔で円筒埴輪を並べていたらしい。墳丘西裾では幅約2mの小規模
な周溝が確認されている。 主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室。西北
西800mの石床神社付近(越木塚)から運ばれた巨石を用い、奥壁と前壁は垂
直に、両側壁はやや持ち送られて積まれいる。石室は、玄室長6m、幅2.8m、
高さ4.3m。羨道長8.2m、幅1.6~1.9m、高さ2mあり、玄室幅に比して高さの
ある石室構造である。玄室奥側の天井石は特に大きく、玄室長の75%を一石
で縦方向に架構している。 被葬者は不明。
IMG_4381.JPGIMG_4377.JPGIMG_4380.JPG

烏土塚古墳前の釣り堀
IMG_4384.JPG
釣り堀の横を通り
石床神社旧社地へ向かう
IMG_4390.JPGIMG_4391.JPG
石床神社(いわとこ神社)旧社地・・・石垣の上へ登る
石床神社旧社地
越木塚集落の南側、竜田川の支流、伊文字川の川沿い近くに鎮座。
平安時代の「延喜式」に大社として記載され、古社の多い平群谷の中でも異彩
を放つ。大正13年に北200mの集落内に移され、現在は消渇神社と祀られてい
るが、旧社地はそのまま在る。その最大の特徴は、巨大な岩が御身体となって
いることで、崖に高さ8m、幅役30mの巨岩が露出し、中央に亀裂が入っている。
古来、この岩が御身体の磐座で、その形態から「陰石」(女性のシンボル)信仰
として祀り伝えられてきたものと考えられる。祭神は剣刃石床別命。なお、還座
された新しい神社には本殿、拝殿が立てられ御身体は陽石(男性のシンボル)
様の自然石である。
IMG_4399.JPGIMG_4402.JPG

石床神社&消渇神社(しょうかち神社)へ向かう
IMG_4403.JPG
石床神社&消渇神社(しょうかち神社)
石床神社
石床神社由緒記 平群村越木塚青年団建設
平群石床神社は醍醐天皇の御代紀元千五百八十七年延喜式神名帳に記され
式内大社にして諸祭には畏くも朝廷より奉幣の御事あり御創立舒明天皇の三
年即ち紀元千二百九十一の歳肇国創業の御功神饒速日尊を祀らせ給いしに
創る。高さ九米巾十八米余餘の巨石を御神体とする古代の神社形式を保ちこ
の巌下より湧出する清水は萬病の薬になると「和名抄」に載せられたり境内の
消渇神社は分霊の祀る社なるべし。
IMG_4404.JPGIMG_4407.JPG
消渇神社(しょうかち神社)
室町時代に旅の僧、信海が病に倒れて動けなくなり、土の団子を供えお祈り
すると、神の加護により病が治ったとされる。その後、「下の病気」に効くとの
うわさが広がり、江戸時代には大阪、奈良京都方面から、芸妓をはじめ多く
の人が参拝したといわれている。現在も、『土の団子12個を供えてお祈りし、
病気が治るとお礼に米の団子12個を供える』という風習が受け継がれている。
IMG_4410.JPGIMG_4411.JPGIMG_4412.JPGIMG_4413.JPGIMG_4414.JPGIMG_4416.JPG
此処までは、
11月22日の平群の郷と歴史探訪・竜田川駅-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-27
続きは、西宮古墳へ向かう~
11月22日の平群の郷と歴史探訪・竜田川駅-2 として此処へ詳細を掲載します。
IMG_4415.JPGIMG_4422.JPGIMG_4423.JPGIMG_4425.JPGIMG_4426.JPGIMG_4428.JPG
西宮古墳
7世紀中葉に作られたとされる一辺約36m、高さ約7.5mの方墳。三段に築成さ
れ、墳丘の全面に貼石が施されている。石室は切石を用いた優美なもので、天
井、奥壁、側壁のすべてが一枚石で構築されている。石室内に兵庫県竜山石
製の刳抜式家形石棺の身部が残っており、外面の上下に帯状の突帯(とった
い)が掘りだされている。石室への入室も可能である。県史跡指定。
IMG_4429.JPGIMG_4431.JPG
平群中央公園で昼食&トイレ休憩
紅葉が綺麗
IMG_4434.JPGIMG_4435.JPGIMG_4436.JPGIMG_4437.JPGIMG_4439.JPGIMG_4441.JPGIMG_4442.JPG
平群神社お詣り&集合写真を撮る
平群神社
大山祇神(おおやまつみのかみ)を祭神とする。延喜式では「祭神は平群神社
五座」とあり、式内大社である。古代豪族、平群氏の祖神を祀った可能性も考え
られる。割拝殿の前には江戸時代の石灯籠が数基並んでいる。この地は弥生
時代の集落遺跡があった丘陵部分であり、立地的には平群の中心にあたる。
IMG_4444.JPG

平群道の駅へ向かう
IMG_4445.JPGIMG_4447.JPG

   竜田川を渡る
IMG_4448.JPGIMG_4449.JPG
平群道の駅でトイレ休憩
ソフトクリームが美味しかった
IMG_4450.JPG
笠地蔵・・・椿井線刻石仏
椿井村の西入口に祀られた線刻の笠石仏。角柱状の石材を壷形に彫り込み、
如来立像を線刻し、上部に扁平な自然石を乗せる。高さ94.5cm、幅44cm、彫
り込み71×29cm、仏身58.5cm。顔から胸の部分が信者が撫でた手ズレによっ
て摩滅しているが、精緻な線刻で表現され、仏身の周囲、彫り込み内に一五の
種子が配されている。本来の像容ははっきりしないが地元ではミロク(弥勒)と呼
んで信仰している。胸の付近で折れているが、昔、牛馬をつないでいて引き倒さ
れて折損したという。三郷町総持寺の一針薬師笠石仏や勢野西墓地の線刻阿
弥陀石仏等との類似性が指摘されており、鎌倉中期を下らない作と考えられて
いる。
IMG_4452.JPG
椿井井戸
椿井春日神社の参道、常念寺 の前に地名の興りとなった古い井戸がある。
これが「椿井井戸」で、今も清水が湧いている。井戸の横には、文政 4 年(1821)
の立派な石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平
群神手将軍の逸話が伝えられている。廃仏派の中心人物・物部守屋 の 征伐
(587年)の時、崇仏派として聖徳太子と共にに参加した神手は苦戦を続け、兵
の士気が衰えてしまう。神手は、挽回と戦勝を祈願に訪れた時、椿の杖を突き
立てると、不思議なことに杖は一夜にして芽を吹き、きれいな冷泉が湧きだした
という。これを飲んだ聖徳太子や兵たちは、士気が大いに盛り上がり、守屋との
戦いに大勝することができたといわれている。
IMG_4454.JPG
宮山塚古墳
5世紀後半に作られたとされる直径約26m、高さ約7mの円墳で、主体部は南に
開口する古式の横穴式石室である。玄室(げんしつ)の四壁は、下半部分は垂直
に積まれるが、上半部分は内側に持ち送られたドーム状になっており、明確な天
井石はない。近畿地方でいち早く横穴式石室を取り入れた古墳として知られてい
る。天井付近の一部に崩落があるため、石室への入室はできない。県史跡指定。
IMG_4457.JPG
椿井春日神社
祭神は天児屋根命。椿井の集落のすぐ上の丘陵に鎮座する。正面の本殿は、桁
行2.9m梁間2m向背の出が97㎝と1.9mの春日造朱塗りで屋根は板葺。棟には千
木堅魚木がおかれている。創祀・由緒はわかっていない。本殿内左右に木造狛犬
が奉献されている。椿井井戸の伝承では、平群氏の祖神を祀ったとされる。また、
社地の西側に隣接して県史跡の円墳、宮山塚古墳がある。ここから出土した兜を
祀ったことから兜大明神とも呼ばれている。

平等寺春日神社
平等寺集落。矢田丘陵の裾野の小高い場所にあります。由緒ある神社と堂の池。
集落とこの地でくらす人々を、昔も今もそっと包み込み見守っているかのようです。
そんな感情豊かな思いを抱かせる、夕時の一瞬。平等寺集落。矢田丘陵の裾野
の小高い場所にあります。由緒ある神社と堂の池。集落とこの地でくらす人々を、
昔も今もそっと包み込み見守っているかのようです。そんな感情豊かな思いを抱か
せる、夕時の一瞬。茜色に染まった空と龍にも似た一本松を堂の池が静かに映し
出す。心に残る夏の夕暮れです。茜色に染まった空と龍にも似た一本松を堂の池
が静かに映し出す。心に残る夏の夕暮れです。
IMG_4459.JPG

平等寺春日神社前の溜池(堂池)
IMG_4462.JPG

長屋王墓へ向かう
IMG_4463.JPGIMG_4464.JPG
長屋王墓
長屋王は奈良時代初期に活躍した皇親政治家。天武天皇の孫。高市皇子の第一
皇子で、藤原不比等の死後左大臣に昇進するが、藤原氏の巻き返しで謀反の罪を
きせられ、夫人の吉備内親王と四人の息子とともに自殺に追い込まれ生駒に葬ら
れたとされる。平群梨本に夫人とともに墓があるという江戸時代の伝承にもとづい
て、宮内庁が明治34年(1901年)に現在地を墓所に治定した。吉備内親王の墓と
ともに古墳を再利用した可能性がある。

長屋王墓公園で解散
次回12月度例会は灘5郷の酒蔵訪問・・・

おまけ・・・プラタナスの葉?
平群中央公園で拾った大きな紅葉、A4サイズよりデカイ・・・
IMG_4467.JPG

11月20日(日)の百舌鳥古墳群巡り・百舌鳥駅-2

11月25日         11月20日(日)の百舌鳥古墳群巡り・百舌鳥駅-2
                     (JRハイキング誌) 歩程約4.5㎞
JRハイキング誌に掲載されていた、堺市観光コンベンション協会主催のウオークに
参加、ガイド1名に参加者4人で”百舌鳥古墳巡り”を堪能、古墳巡りを終えた後は、
大仙公園の紅葉の下で昼食休憩をして堺市博物館に立ち寄って見学して来ました。
コース:阪和線百舌鳥駅(集合10時30分)~御廟山古墳~いたすけ古墳~履中
天皇陵古墳~仁徳天皇陵古墳~百舌鳥駅 堺市観光コンベンション協会主催
此の日の私は、大仙公園の紅葉散策も有り19983歩で約13.5km歩いたことに・・・
堺市観光コンベンション協会のガイドの林さん、お世話になり有難う御座いました。
JR阪和線
百舌鳥駅(もずえき)
PB205904.JPG
少し早めに到着したので駅前の古墳を
収塚古墳
収塚(おさめづか)古墳は円墳のように見えますが、もとは前方部を西に向けた
帆立貝形古墳でした。現在、前方部は削られてその形をとどめておらず、周囲を
囲んでいた濠も埋没しています。埋葬部の構造や副葬品は不明ですが、以前に
古墳の頂上部から鉄製のよろいの破片が採集されたと伝えられています。近
年、古墳の東側で調査が実施され、濠の位置が判明し埴輪が出土しました。埴
輪の形から5世紀中頃に造られたものと推定されています。収塚古墳の西側に
は、孫太夫山(まごだゆうやま)古墳・竜佐山(たつさやま)古墳など前方部を西
へ向ける帆立貝形古墳が並んでいます。これらの古墳は、仁徳天皇陵古墳(大
山古墳)の陪塚(ばいちょう)と考えられています。
PB205912.JPGPB205908.JPG
ガイドと一緒に御廟山古墳へ
御廟山古墳
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)は、大阪府堺市北区百舌鳥本町にある古墳。
形状は前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明
らかでないが、宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第15代応神天
皇)として陵墓参考地に治定されている。百舌鳥古墳群のほぼ中央、大仙陵古
墳の南東に位置する。墳丘長約203メートルで、百舌鳥古墳群では4番目の大
きさである。墳丘は3段に築かれ、南側に造り出しがある。発掘調査により、か
つては二重濠があったことが確認されている。陪塚は数基あったとされるが万
代山古墳(もずやまこふん)のみが現存している。
PB205921.JPGPB205923.JPGPB205933.JPG
善右ヱ門山古墳(ぜんえもんやまこふん・いたすけ古墳の陪塚)
堺市HPより引用
善右ヱ門山(ぜんえもんやま)古墳は、百舌鳥川北岸に位置する方墳で、いたす
け古墳の外堤と接するように築造されていることから、同古墳に付随する古墳と
考えられます。平成12・15年度の調査では、墳丘は2段築成であることを確認しま
したが、墳丘の周囲には明確な周濠を設けていません。また、テラス上に埴輪列
を検出しましたが、その埴輪から5世紀前半の築造であると考えられます。
PB205937.JPGPB205935.JPG
いたすけ古墳
いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置し、前方部を西に向ける3段築
成の前方後円墳です。周囲には一重の濠が巡り、墳丘には埴輪と葺石(ふきいし)
のあることが確認されています。埋葬部分の構造や副葬品は不明ですが、墳丘の
形や埴輪の状況から5世紀中頃に築造されたと考えられます。周囲には陪塚(ばい
ちょう)とよばれる小形の古墳があり、善右ヱ門山(ぜんえもんやま)古墳が後円部
の東側に現存しています。消滅した陪塚には吾呂茂塚(ごろもづか)古墳、播磨塚
(はりまづか)古墳がありました。いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破
壊の危機にひんしましたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年に国指定
史跡になりました。現在も濠の中に残されている橋げたは、土取り工事が行われよ
うとしたときの名残です。保存運動の際に後円部から採集された冑形(かぶとがた)
埴輪は実物の鉄製冑を忠実に模したもので、堺市の文化財保護のシンボルマーク
になりました。いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群を構成する重要な前方後円墳という
だけでなく、我が国における文化財保護の歴史を語るうえでも重要な古墳なのです。
狸が繁殖していて橋の上に10匹ぐらいの狸が出て来てエサをねだる事も有る。
PB205943.JPGPB205949.JPGPB205955.JPG
履中天皇陵古墳
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、形状は前方後円墳。百舌
鳥古墳群を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百
舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)」として第17代履中天皇の陵に
治定されている。名称は「石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)」や「百舌鳥陵山古墳
(もずみささぎやまこふん)」とも。全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)、誉田御廟山古
墳(大阪府羽曳野市)に次ぐ第3位の規模の巨大古墳である。
PB205959.JPGPB205963.JPGPB205964.JPGPB205970.JPG

   一回りして
PB205976.JPGPB205977.JPGPB205986.JPGPB205989.JPG
※履中天皇(りちゅうてんのう)は、第17代天皇(在位:履中天皇元年2月1日 - 同
6年3月15日)。名は大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)、大江之伊
邪本和気命。中国の『宋書』に見える「倭の五王」中の倭王讃に比定する説があ
る(応神天皇もしくは仁徳天皇とする説もあり)。また古事記には「壬申年正月三
日」に64歳で崩ずとの記事が見え、これが正しければ、在位期間が427年から
432年となり、生年が逆算して369年という事になるが、定かではない。
都は磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや、奈良県桜井市の稚桜神社)。

大仙公園へ向かう
PB205995.JPG
此処までは、
11月20日(日)の百舌鳥古墳群巡り・百舌鳥駅-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-25-1
続きは、大仙公園~の詳細を
11月20日(日)の百舌鳥古墳群巡り・百舌鳥駅-2 として此処へ掲載します。
大仙公園
日本最大の仁徳陵古墳や履中陵古墳を擁する百舌鳥古墳群内に位置する
「大仙公園」が「日本の歴史公園100選」に入選しました。
「日本の歴史公園100選」は都市公園法施行50周年を記念して行われた事業
で、地域に個性や魅力をもたらす優れた歴史的・文化的資源を保存・承継・活
用する公園の整備を推進することにより、観光振興や活力に満ちた地域社会
の実現をめざすことを目的として、優れた事例を対象に選定されたものです。

模造円墳(ミニ展望台)・・・大仙公園が見渡せる?ミニ展望台へ登って
PB205997.JPGPB205999.JPGPB206002.JPGPB206004.JPG
七観音古墳
七観音古墳は、履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)の外周部分に該当する大仙
公園の南入口にあり、同古墳に付随する古墳と考えられます。墳丘裾に鉢巻状
の土留めがめぐっていますが、本来の古墳の形状とは異なります。
公園整備に伴う発掘調査では、墳丘盛土と墳丘裾の可能性のある地山の立ち
上がりを確認しました。主体部については未調査のため不明ですが、碧玉(へ
きぎょく)製の琴柱(ことじ)形石製品が出土したといわれています。また、濠の明
瞭な肩や堆積層は検出されていないことから、古墳築造当初から周濠は設けら
れなかったと推定できます。
PB206006.JPGPB206008.JPGPB206010.JPGPB206012.JPGPB206014.JPGPB206016.JPG
旗塚古墳
百舌鳥夕雲町の大仙公園内にあります。
墳丘は全長約57.9メートル、後円部径約41.5メートル、高さ約3.8メートル、前方
部幅約24.7メートル、前方部高1.3メートルの、帆立貝形古墳と呼ばれる前方部
が短い前方後円墳です。後円部の南側くびれ部近くに張り出しがありました。
2段築成で、前方部を西に向け、馬蹄形の濠がめぐっています。
本格的な調査は行われていないので、主体部の構造や副葬品の内容や性格な
どはわかっていませんが、葺石と埴輪があり、円筒埴輪・朝顔形埴輪のほかに
盾・蓋(きぬがさ)などの形象埴輪も出土しています。
国指定史跡百舌鳥古墳群のひとつです。
PB206020.JPGPB206024.JPG
ぐわしょう坊古墳
旗塚古墳のすぐ西側にある直径約61メートルの大形の円墳です。
墳丘は2段築成と考えられています。周囲には濠がめぐり、葺石と埴輪があります。
主体部の構造や副葬品はわかっていませんが、円墳で径約61メートルという大き
さは、仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の陪塚とされている径62メートルの大安寺山古
墳に次ぐ大きさで、全国でも有数です。仁徳天皇陵古墳(大山古墳)や履中天皇陵
古墳(石津ヶ丘古墳)の陪塚ではないようです。
PB206026.JPGPB206030.JPGPB206028.JPGPB206032.JPGPB206034.JPGPB206036.JPG

堺市博物館
PB206038.JPGPB206040.JPG
孫太夫山古墳
仁徳天皇陵古墳(大山古墳)の南に接してある西向きの前方後円墳で、同古墳の
陪塚と考えられます。古墳の全長は約56メートル、後円部径48メートル、後円部高
約7.6メートル、前方部幅約30メートルで、前方部の短い帆立貝形をしています。
一部の調査では、葺石と円筒埴輪があり、幅10メートル程の周濠がめぐっていたよ
うですが、埋葬施設などについては不明です。現在は濠を復元して整備されていま
す。後円部は宮内庁が管理し、前方部と周濠は堺市が管理しています。
なお、前方部は、公園造成の時に復元しています。
PB206042.JPGPB206044.JPGPB206049.JPG
仁徳天皇陵古墳
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)は、形状は
前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「百舌鳥耳原中陵(もずのみみは
らのなかのみささぎ)」として第16代仁徳天皇の陵に治定されている。名称は「仁
徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)」や「仁徳陵古墳」とも。
全国で第1位の規模の巨大古墳である。クフ王ピラミッドや秦の始皇帝墓陵になら
ぶ「世界三大墳墓」ともいわれ、墳丘の平面規模は秦の始皇帝陵を凌いで世界最
大値に達している。
PB206052.JPGPB206055.JPGPB206056.JPGPB206058.JPGPB206059.JPGPB206061.JPG
※仁徳天皇
仁徳天皇(にんとくてんのう)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日
- 同87年1月16日)。名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(お
ほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・
難波天皇(『万葉集』)。応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていた皇位継承
者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子と互いに皇位を譲り合ったが、皇子の
薨去(『日本書紀』は仁徳天皇に皇位を譲るために自殺したと伝える)により即位
したという。この間の3年は空位である。
人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除
し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった、と言う記紀の
逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁
徳」の漢風諡号もこれに由来する。
ただ一方で、記紀には好色な天皇として皇后の嫉妬に苛まれる人間臭い一面も描
かれている。また、事績の一部が父の応神天皇と重複・類似することから、元来は
1人の天皇の事績を2人に分けたという説がある。また逆に、『播磨国風土記』にお
いては、大雀天皇と難波高津宮天皇として書き分けられており、二人の天皇の事
跡を一人に合成したとする見方もある。
都は難波高津宮(なにわのたかつのみや、現在の大阪府大阪市中央区)。

堺市博物館へ向かう
PB206065.JPGPB206069.JPG

平和塔
PB206072.JPG

図書館駐車場横の桜
PB206074.JPG
此の続きは、
11月20日(日)の百舌鳥古墳群巡り・百舌鳥駅-3 として
              下記のセカンドブログへ詳細を掲載します。
             http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、図書館駐車場横の桜~
PB206075.JPGPB206077.JPGPB206079.JPG
又、堺市博物館へ
博物館横のどら池の見える丘の上で弁当を・・・
PB206081.JPGPB206083.JPG
博物館横の
どら池廻りを・・・
PB206085.JPGPB206090.JPGPB206089.JPGPB206102.JPGPB206091.JPG
堺市博物館
金魚鉢アート&皇帝ダリア
PB206095.JPGPB206097.JPGPB206098.JPG
仁徳天皇陵へ戻り
仁徳天皇陵古墳の周囲を百舌鳥駅へ・・・
PB206110.JPGPB206106.JPGPB206114.JPGPB206122.JPGPB206124.JPGPB206128.JPGPB206136.JPGPB206138.JPGPB206134.JPG
百舌鳥駅~天王寺駅へ戻り
奈良行16番ホーム2両目辺りから、あべのハルカスを・・・
PB206140.JPG

11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-2

11月22日    11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-2
               近鉄 駅フリーハイキング 歩程約6km
あみま倶楽部の近鉄 駅フリーハイキングに知人と2人で参加、今日は秋の
ハイキング日和、暑くも無く寒くも無く、秋の陽射しの中を気持ち良く歩けた。
コース 近鉄駅フリーハイキング 石切り駅北口受付9時半~11時
石切駅北口(受付)~孔舎衛坂駅跡(くさえさかえきあと)~大龍禅寺~旧川
澄家~日下公園~日下リージョンセンター~石切つるぎや神社~楠木正行
(くすのきまさつら=小楠公)の首塚~重願寺~額田駅(ゴール)
額田駅から1駅の枚岡駅迄行き、枚岡神社へお詣りして知人と解散にした。
此の日の私の万歩計は、20200歩で約13.6km歩いた事に・・・
志都美駅
ホーム横のセイタカアワダチソウ
PB185680.JPG

王寺駅で近鉄生駒線に乗り換え
PB185682.JPG

生駒で尼崎行に乗り換えあ石切駅へ
PB185686.JPG
石切駅北口出受付・ハイキングスタート
孔舎衛坂駅跡(くさえさかえきあと)
孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は新生駒トンネル開通時まで大阪府東大阪市(営業
当時は枚岡市)にあった近鉄奈良線の駅。石切-近畿日本生駒(現・生駒)間の生駒
トンネル大阪方坑口に位置していた。
PB185690.JPGPB185694.JPG
※駅名の由来
『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠
「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる。駅名改称のあった1940年は
皇紀2600年にあたり、各地で「紀元二千六百年記念事業」が行われるとともに、神
武東征の跡地が文部省によって調査・比定された。それを記念しての改名である。

大龍善寺へ向かう
PB185697.JPGPB185701.JPGPB185709.JPGPB185712.JPG
大龍禅寺
当山の縁起は598年(推古6年)聖徳太子が自作の観音像を安置、創建したと伝わ
る。古くは厳松寺 (げんしょうじ)と称していた。南北朝の時代には後醍醐天皇より、
若干の寺田が寄進され、足利尊氏や足利義満よりも寄進を受けるなどした。応仁の
乱の戦火で堂宇が焼失しその後再興されたが、大坂の陣で再び烏有に帰した。江
戸時代に入り、1626年(寛永5年)観音堂が建立されたが、住持はなく村中支配で
あった。1681年(元和元年)に京都・南禅寺派光雲寺の末寺となり、その後1685
年(貞享2年)黄檗の僧別伝が住持となり万福寺末寺となった。1686年(貞享3年)
夏、旱魃が続いたため、黄檗の高僧、奉宗元雄禅師が雨乞いをしたところ、たちまち
雨が降り大龍が宮中に現れたというところから寺号を大龍寺と改めたと伝わる。俗に
『日下のくわんのん』と称し、十一面観音を本尊として村人の尊崇をあつめていたが、
泰宗禅師が大阪の豪商天王寺屋吉兵衛を大檀那としてその浄財寄捨によって堂宇
を再建、泰宗はその師法雲寺(堺市美原町)開山の慧極道明(えごくどうめい)禅師を
請じて開堂し、自ら第二世となった。棟札により現伽藍は1695~1700年(元禄8~
13年)にかけての建立と判明している。
PB185716.JPGPB185723.JPGPB185728.JPGPB185732.JPGPB185736.JPG

旧川澄家へ向かう
PB185742.JPG
旧川澄家
南北朝時代の応安二年(1369年)に入滅した日下連(くさかむらじ)河澄与市大戸清正
に遡り、江戸時代には代々作兵衛を名乗り、日下村の庄屋を務めた旧家です。長きに
わたるその歴史の中で、文学に親しみ、地域の発展に貢献し、河澄家からも秀でた人
物を輩出しました。第15代当主・常之は国文学者 上田秋成 と親交があり、秋成の随
筆『山霧記』にも河澄家を訪れたことが記されています。 第19代当主・雄次郎は教育に
熱心で、小学校設立に私財を投じて尽力しました。その雄次郎の孫に当たる、タカは明
星派の歌人「石上露子」として活躍したとの記録があります。3棟の建物と主庭、裏庭、
「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定されたカヤの木を敷地内に有しま
す。主庭の東隅にある常緑針葉樹の大木であるかやの木は雄雌異株であり、本樹は
雌株です。4~5月に花が咲き、秋には2~4cmの紫褐色の実がなります。 実は食用や
油として利用されます。 旧河澄家の「かやの木」は幹周り約5mあり、樹齢は約500年
と推定されており、昭和51年に「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定され
ています。
PB185746.JPGPB185748.JPGPB185752.JPG

日下公園へ向かう
PB185765.JPG

日下公園
PB185772.JPGPB185774.JPG
此処までは、
11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-22
此処では、此の続きを
11月18日の石切り・日下の晩秋満喫文学散歩-2 として
日下リージョンセンター(トイレ休憩)~以降の詳細を掲載します。
石切つるぎや神社へ向かう
石切つるぎや神社
祭神
饒速日尊(にぎはやひのみこと)、可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の御子。
「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度
石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。創建年代は、火災により社殿及び宝
庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒
山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の
御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。現在確認できる文献では、日本三
代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」
との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。宮山の地に
あった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の
本社本殿に合祀された。その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、
いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に
移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。「石切大明神」と総称される。
PB185785.JPGPB185787.JPGPB185791.JPGPB185792.JPGPB185794.JPGPB185800.JPGPB185806.JPG

石切参道商店街
PB185808.JPGPB185814.JPGPB185816.JPGPB185818.JPGPB185820.JPGPB185822.JPGPB185824.JPGPB185828.JPG

石切大仏
PB185829.JPGPB185831.JPGPB185833.JPG

直ぐ上に生駒山山頂が・・・
PB185836.JPG

石切東公園(昼食休憩)
PB185837.JPGPB185839.JPG
重願寺へむかう
大石大明神(大石神社・おおいしじんじゃ)
近鉄奈良線の額田駅から「七尾の滝」を経て生駒山頂に向かう谷川沿いの道にあります。
鳥居には「大石大明神」と彫られており、御神体と思われる大きな石の前には「大石明神」
という額がかけられています。更に奥へ行くと「天命地蔵尊」があり、その横の建物には「神
道大石教会本部」と彫られた石柱が立てかけられています。谷川沿いにあるこの境内は広
くありませんが、石造物は数多くあります。
PB185841.JPGPB185845.JPG
重願寺へ向かう
重願寺(旧不動寺)
不動寺は長尾寺とも言われ、平安時代の初め額田の豪族高内皆人(たかうちみなんど)
が創建したと伝えられる。 慈雲尊者はその子孫の高内秀有よりこの寺を譲り受け、175
8年(宝暦8年)41歳のとき、高野山の真源の依頼を受け、『南海寄帰伝』の訳注にあた
った。この寺は現在は重願寺というお寺になっており、その境内に慈雲尊者が双龍庵で
揮毫し、不動寺の境内に建てられた歌碑が残されている。
重願寺(じゅうがんじ)は文禄年間(1592~1595年)の創建
ひっそりとして、小さくまとまった美しい寺だ。寺内には五世桂文枝が建てた桂塚がある。
PB185847.JPGPB185849.JPGPB185857.JPG
    山門から大阪市内を、
    かすかにあべのハルカスも見える
PB185853.JPGPB185855.JPG
PB185859.JPGPB185861.JPG
額田駅(ゴール)
楠木正行(まさつら)の首塚を見逃してしまった・・・
PB185862.JPG
電車で枚岡駅へ向かう
枚岡駅
PB185866.JPGPB185868.JPG
枚岡神社
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市出雲井町にある神社。式内社(名神
大社)、河内国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下
がり藤」。春日大社への勧請元のため、「元春日」の別称がある。
枚岡梅林はかおり風景100選の一つとされる。鳥居から坂を上り、46段ほどの階段を登
ると拝殿に着く。嘉永6年(1853年)に駅前に建てられた社名標には「元春日平岡大社」
とあり「平岡」の表記や大社号が使われていたとわかる。
一の鳥居は神社からは線路の向こう側となる枚岡駅の西側にある。駅から少し登ったと
ころに二の鳥居がある。二の鳥居脇の社名標は明治40年(1907年)に日露戦争戦勝を
記念したもので、三条実美の書物から字を拾った。
祭神
天児屋根大神・比売大神が本来の祭神で、当社から春日大社に勧請されたので「元春日
社」とされる。後に春日大社から武甕槌大神・斎主大神を勧請し、同社と同じ神(春日神)
を祀った。
社伝によれば、初代神武天皇即位前3年、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あ
めのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建
とされる。「平岡(枚岡)」の社名は神津岳の頂が平らだったのによる。中臣氏の支流の平
岡連(ひらおかのむらじ)の氏神とされた。白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中
腹の現在地に移された。山頂には現在も奥宮がある。
神護景雲2年(768年)には奈良の春日大社に祭神二柱を分祀し、宝亀9年(778年)には
春日大社から武甕槌命と斎主命の二神の分霊を奉斎したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では河内国河内郡に「枚岡神社四座 並名神大
月次相嘗新嘗」と記載され、4座が名神大社に列するとともに、朝廷の月次祭・相嘗祭・新
嘗祭では幣帛に預かる旨が記されている。
明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において官幣大社に列した。
PB185870.JPGPB185873.JPGPB185875.JPGPB185877.JPG

    狛犬の変わりは女鹿と牡鹿
PB185879.JPGPB185883.JPG
PB185886.JPG
おまけ
自宅の近くまで戻って
マキの実&皇帝ダリア
PB185895.JPGPB185896.JPGPB185899.JPG

11月14日の人・自然・科学を結ぶ学研都市そぞろ歩き-2

11月20日     11月14日の人・自然・科学を結ぶ学研都市そぞろ歩き-2
     近鉄駅フリーハイキング  歩程約10㎞
あみま倶楽部スタンプ5印目、知人と2人で参加、スタートは雨も無く少し青空も見
えていたが途中から雨が降り出した、雨が無ければ最高の紅葉そぞろ歩きが・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 新祝園駅受付9時半~11時
新祝園駅(受付)~専台寺~けいはんな学研都市~けいはんな記念公園~JAやま
しろ愛采館~山田川駅(ゴール)予定だったが、けいはんな記念公園の水景園を満
喫して、JAやましろ愛菜館へは行かずそのまま木津川台駅へゴールして帰った・・・
この日の私の万歩計は、24777歩で約16.1km歩いた事に・・・
志都美駅
葛城山~二上山の山並みは曇り空
PB145551.JPGPB145553.JPG
  
    ホーム脇のセイタカアワダチソウ
PB145559.JPG
王寺駅で快速加茂行きに乗り換えて木津へ
新祝園駅(しんほおそのえき)受付・スタート
PB145562.JPG
蓮台寺
精華町大字南稲八妻小字政ヶ谷132番地
文禄2年(1593)、寺号を青蓮奄から蓮台寺に変えたといわれています。
その後、寛文10年(1670)、本空弓覚が復興しました。近くにあった願成寺
の仏像などが移されました。
PB145565.JPGPB145567.JPG

けいはんな学研都市を公園へ向かう途中で雨が降り出した・・・
PB145574.JPG
けいはんな学研都市
精華大通り
精華大通りは、関西文化学術研究都市・けいはんなの中心地である精華町を
通り抜けるメインストリートです。通り沿いには日本を代表する企業の研究施設
や国家レベルの研究施設、国立国会図書館、国際交流の拠点として注目され
る「けいはんなプラザ」などが立ち並びます。けいはんなプラザには世界一の
日時計が有ります。(文字盤面積3977.86平方メートル ギネス掲載)
又、精華・西木津地区は都市景観100選にも選定されている。
PB145575.JPGPB145577.JPGPB145579.JPG
けいはんな記念公園・水景園
けいはんな記念公園
けいはんな記念公園は、京都府立公園として”けいはんな学研都市”(関西文化
学術研究都市)の建設を記念して整備され、平成7年(1995年)4月に開園。面積
は24.1ヘクタールあり、「自然保全区域」と「交流施設区域」に大きく分かれていま
す。「自然保全区域」は、南山城の代表的な自然林や池(永谷池)の保全を目的
にしています。また、「交流施設区域」は、多くの人々が語らい、憩い、ふれあう場
としての芝生広場、里山の風情を残す谷あい、伝統的な造園技法による新しい
日本庭園(水景園)からなっています。日本古来の野草はもとより、春は桜、夏の
木漏れ日、秋の紅葉、冬の雪景色と年間を通じて四季折々の日本の元風景を楽
しめる公園です。
水景園
池線回遊式の水景園は、けいはんな学研都市の文化の拠点として造られた日本
庭園です。回遊しながら、自然と人間が織りなす空間を様々な距離・角度で楽しめ
るのが特徴です。高さ6~7m、重さ20~40(最大70)トンの巨石、約500個のダ
イナミックな石組や各所に流れる滝、季節を彩る風景の他鯉のエサやりも出来、
大人から子供迄楽しめる、市民の為の庭園となっています。(60才以上は年齢証
明書の提示で入園料無料)
PB145581.JPGPB145583.JPG

水景園観月橋から下を
PB145586.JPGPB145588.JPG

観月橋をおりて
PB145591.JPGPB145595.JPGPB145602.JPGPB145601.JPGPB145606.JPG
此処までは、
11月14日の人・自然・科学を結ぶ学研都市そぞろ歩き-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-20
此処では、此の続きを、
11月14日の人・自然・科学を結ぶ学研都市そぞろ歩き-2 として掲載します。
又、観月橋を歩き下を撮る~
PB145609.JPGPB145611.JPGPB145613.JPG

観月橋から下りて水辺を
PB145615.JPGPB145617.JPGPB145619.JPG
永谷池の周囲を歩く
バリアフリーを歩ける
PB145621.JPGPB145623.JPGPB145625.JPGPB145628.JPGPB145630.JPGPB145632.JPGPB145634.JPG

観月楼~紅葉谷へ
PB145636.JPGPB145637.JPGPB145639.JPGPB145640.JPGPB145643.JPGPB145645.JPGPB145646.JPGPB145647.JPG
昼食を済ませて水景園を後に
けいはんな学研都市を歩く・・・
PB145649.JPGPB145651.JPGPB145654.JPGPB145656.JPGPB145658.JPG

木津川台駅へ向かう
PB145659.JPGPB145661.JPG

木津川台駅
PB145663.JPGPB145664.JPG
おまけ
自宅近くに帰り、マキの実&自宅のヒメツルソバ
PB145665.JPGPB145667.JPGPB145669.JPGPB145670.JPGPB145671.JPG

11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-4

11月17日        11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-4
                     皇帝ダリアの様子を見に行く??
13日早朝、竹取公園駐車場へ車を入れて、竹取公園駐車場前のシルバー朝市
で糠漬け用に一束100円のかぶらを購入してから朝の公園散歩スタート、今朝は
昨日の橿原神宮前駅スタートのハイキングに参加した際、処所で皇帝ダリアの花
を見かけ、馬見丘陵公園の皇帝ダリアはどうなってるのか?早速様子を見に・・・
公園へ来る途中の道路でも銀杏やハナミズキ、桜や百日紅の紅葉がとても綺麗に
見えたので、皇帝ダリアだけじゃなく紅葉も見て撮って回る事にした・・・
竹取公園駐車場からスタート
紅葉が綺麗
PB135218.JPGPB135215.JPG PB135220.JPG

陸橋を渡り、馬見丘陵公園へ
PB135224.JPGPB135226.JPGPB135232.JPG
整備中の巣山古墳周濠脇を通り
巣山古墳周濠を
PB135238.JPG

山茶花も咲きだした
PB135248.JPG

巣山古墳前丘の埴輪&遠く桜井方面の山を・・・
PB135256.JPG

陸橋「墳観橋」を渡り、倉塚古墳&一本松古墳を・・・
PB135263.JPGPB135271.JPGPB135275.JPGPB135279.JPG

下池周辺
PB135283.JPGPB135289.JPG

上池の紅葉
PB135285.JPG

下池周辺の百日紅
PB135295.JPG
此処までは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-17
続きは、古墳の丘~
PB135299.JPG

下池周辺ウッドブリッジ
PB135305.JPGPB135303.JPG

ムクロジの大木に実が・・・
PB135313.JPGPB135311.JPG
バラ園へ向かう
紅葉が綺麗・・・
PB135325.JPGPB135326.JPG

季節外れのディゴの蕾
PB135328.JPG
バラ園&花の道
コスモスと秋バラとススキが混在
PB135336.JPGPB135337.JPGPB135357.JPG

たんぽぽ
PB135342.JPG

ハナミズキ
PB135362.JPG

北エリアへの地下道
PB135364.JPG
此の続きは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-3 として下記のセカンド
ブログへも詳細を投稿済みだが、此処でも皇帝ダリアをの詳細を掲載します。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-17-1
此の続きは、北エリア~
ハギ&ハギの黄葉
PB135367.JPGPB135366.JPG

皇帝ダリア
PB135371.JPGPB135376.JPGPB135377.JPGPB135392.JPGPB135374.JPGPB135381.JPGPB135385.JPGPB135389.JPGPB135390.JPG

ダリア園
PB135396.JPGPB135404.JPGPB135407.JPG

集いの丘
PB135411.JPGPB135415.JPG

大型テント
PB135419.JPG
緑道への陸橋の両脇の皇帝ダリア
陸橋から皇帝ダリアの花がまじかに見える・・・
PB135430.JPGPB135438.JPGPB135441.JPGPB135428.JPGPB135432.JPG
此の続きは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-4 として詳細を掲載します。
            http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、馬見花苑の紅葉を見ながら帰る
PB135447.JPGPB135449.JPG

集いの丘
PB135451.JPG

ダリア園
PB135453.JPGPB135454.JPG

中央エリアへ地下道を
PB135460.JPG

バラ園のバラ&紅葉他
PB135464.JPGPB135466.JPGPB135468.JPGPB135470.JPGPB135472.JPGPB135478.JPGPB135479.JPGPB135481.JPG

ベニバナトチノ木の実がはじけて
PB135483.JPG

紅葉が綺麗
PB135486.JPGPB135488.JPGPB135490.JPGPB135492.JPG

サンシュの実
PB135494.JPGPB135495.JPG

結びの広場
PB135499.JPG

ナガレヤマ古墳
PB135503.JPGPB135512.JPG

なんじゃもんじゃの黄葉
PB135505.JPG

もみじの紅葉
PB135508.JPGPB135510.JPG

ユリノキ他
PB135516.JPGPB135518.JPGPB135525.JPGPB135522.JPGPB135527.JPGPB135529.JPG

百日紅
PB135531.JPGPB135533.JPG

竹取公園へ戻って来た
PB135538.JPGPB135534.JPGPB135542.JPGPB135540.JPG

おまけ
ヒメツルソバの花が可愛い・・・
PB135547.JPG

11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-2

11月17日        11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-2
                     皇帝ダリアの様子を見に行く??
13日早朝、竹取公園駐車場へ車を入れて、竹取公園駐車場前のシルバー朝市
で糠漬け用に一束100円のかぶらを購入してから朝の公園散歩スタート、今朝は
昨日の橿原神宮前駅スタートのハイキングに参加した際、処所で皇帝ダリアの花
を見かけ、馬見丘陵公園の皇帝ダリアはどうなってるのか?早速様子を見に・・・
公園へ来る途中の道路でも銀杏やハナミズキ、桜や百日紅の紅葉がとても綺麗に
見えたので、皇帝ダリアだけじゃなく紅葉も見て撮って回る事にした・・・
竹取公園駐車場からスタート
紅葉が綺麗
PB135215.JPGPB135218.JPGPB135220.JPG

陸橋を渡り、馬見丘陵公園へ
PB135224.JPGPB135226.JPGPB135232.JPG
整備中の巣山古墳周濠脇を通り
巣山古墳周濠を
PB135238.JPG

山茶花も咲きだした
PB135248.JPG

巣山古墳前丘の埴輪&遠く桜井方面の山を・・・
PB135256.JPG

陸橋「墳観橋」を渡り、倉塚古墳&一本松古墳を・・・
PB135263.JPGPB135271.JPGPB135275.JPGPB135279.JPG

下池周辺
PB135283.JPGPB135289.JPG

上池の紅葉
PB135285.JPG

下池周辺の百日紅
PB135295.JPG
此処までは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-17
続きは、古墳の丘~
PB135297.JPGPB135299.JPGPB135301.JPGPB135319.JPG

下池周辺ウッドブリッジ
PB135305.JPGPB135303.JPGPB135307.JPGPB135309.JPG

ムクロジの大木に実が・・・
PB135313.JPGPB135311.JPGPB135315.JPGPB135317.JPG
バラ園へ向かう
紅葉が綺麗・・・
PB135321.JPGPB135323.JPGPB135325.JPGPB135326.JPG

季節外れのディゴの蕾
PB135328.JPG
バラ園&花の道
コスモスと秋バラとススキが混在
PB135331.JPGPB135334.JPGPB135336.JPGPB135337.JPGPB135340.JPGPB135344.JPGPB135346.JPGPB135351.JPGPB135353.JPG

たんぽぽ
PB135342.JPG

ススキも・・・
PB135355.JPGPB135357.JPG

ハナミズキ
PB135359.JPGPB135362.JPG

北エリアへの地下道
PB135364.JPG
此の続きは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-3 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
            http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
此の続きは、北エリア~
ハギ&ハギの黄葉
PB135367.JPGPB135366.JPG

皇帝ダリア
PB135371.JPGPB135376.JPGPB135377.JPGPB135392.JPG

ダリア園
PB135396.JPGPB135404.JPGPB135407.JPG

集いの丘
PB135411.JPGPB135415.JPG

大型テント
PB135419.JPG
緑道への陸橋の両脇の皇帝ダリア
陸橋から皇帝ダリアの花がまじかに見える・・・
PB135430.JPGPB135438.JPGPB135441.JPG
此の続きは、
11月13日・竹取公園&馬見丘陵公園の秋の装い-4 として
             下記のメインブログへ詳細を投稿します。
            http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
続きは、馬見花苑の紅葉を見ながら帰る
PB135447.JPG

集いの丘
PB135451.JPG

ダリア園
PB135453.JPGPB135454.JPG

中央エリアへ地下道を
PB135460.JPG

バラ園
PB135472.JPGPB135481.JPG

トチノ木の実がはじけて
PB135483.JPG

紅葉が綺麗
PB135488.JPGPB135490.JPG

サンシュの実
PB135494.JPG

結びの広場
PB135499.JPG

ナガレヤマ古墳
PB135512.JPG

なんじゃもんじゃの黄葉
PB135505.JPG

もみじの紅葉
PB135508.JPG

ユリノキ
PB135518.JPGPB135522.JPG

百日紅
PB135531.JPG

竹取公園へ戻って来た
PB135538.JPGPB135542.JPG
おまけ
ヒメツルソバの花が可愛い・・・
PB135547.JPG

11月12日の飛鳥を翔けた女性たちを巡るウオークー2

11月15日      11月12日の飛鳥を翔けた女性たちを巡るウオークー2
                 橿原市観光協会主催  歩程約11㎞
近鉄あみま倶楽部ハイキング誌に掲載されていた、橿原市観光協会主催のハイ
キングに1人で参加、秋晴れの好天にも恵まれ楽しい良い1日となりました・・・
コース(近鉄ハイキング誌掲載) 橿原市観光協会主催 ボランティアガイドと歩く
橿原神宮前駅中央出口(受付9:00~9:20)
橿原神宮前駅(受付・スタート)~橿原神宮~本薬師寺跡~紀寺跡~香久山~
藤原宮跡(昼食)~藤原京資料室~耳成山~横大路~大和八木駅(ゴール)
大和八木駅ゴール後、ハイキングで知り合った方と歩いて今井町へ行き、江戸
時代の風情ただよう町並み散策し、お茶して八木西口駅から帰途につきました・・
此の日の私の万歩計は、28970歩で約19.5km歩いたことに・・・
橿原観光協会さん、同行のちえちゃん&ガッテンおじさん有難う御座いました。
志都美駅へ向かう
IMG_4141.JPG

志都美駅
IMG_4144.JPG
高田駅~高田市駅へ歩いて乗り換え
石園坐多久虫玉神社(いわそのにいますたくずたまじんじゃ)
式内社で、旧社格は県社。通称 竜王宮として地元住民からは篤い信仰を集め
ている。尚、横大路に沿うように、大神神社を龍の頭、当、石園坐多久虫玉神社
を龍の胴、葛城市の長尾神社を龍の尾とする伝承がある。
創建年代は不明であるが、第三代安寧天皇の時代の都である片塩浮穴宮跡の
伝承地に鎮座している。崇神天皇の時代に勅祭が行われたと伝えられる。延喜
式神名帳では「大和国葛下郡 石園坐多久虫玉神社 二座」と記載され、大社に
列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
古くは「射園神:いそのかみ」と呼ばれたという。石上神宮がある石上(いそのか
み)と何らかの関係があるのか興味深い。また、宮中に祀られていた園神神社と
関係があるとの説もある。
建玉依比古命・建玉依比賣命を主祭神とし、豊玉比古命・豊玉比賣命を配祀す
る。建玉依比古命とは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)摂社・土師尾社や日吉大
社摂社・樹下若宮に祀られる鴨玉依比古命のこととされる。ただし、社名からは、
本来の祭神は「多久虫玉神」ということになる。「虫」は「豆(づ)」の誤記という説
もあり、『大和の神祭祀』(田中昭三 編著)では、当社の本来の祭神は多久都玉
命と下照姫命であろうと唱えられている。
IMG_4147.JPGIMG_4148.JPG
日本国創世のとき~飛鳥を翔けた女性たち~を巡るウオーク
左から 善信尼、持統天皇、推古天皇、斉明天皇(皇極天皇)、額田王達です。
橿原神宮前駅(受付・スタート)
平成28年10月7日 『黄色いポスト』を設置しまた。・・・観光協会からお知らせ
このたび、宮崎市との姉妹都市盟約50周年を記念し 、橿原郵便局のご協力も得 、
近鉄橿原神宮前駅中央出口の広場に「黄色いポスト」を 設置 しましたのでお知ら
せします。
このポストは、 縁結びで有名な青島神社がある宮崎市の『海岸』や、天孫降臨の地
である 『高千穂』など、神武天皇にゆかりの観光スポット設置されている 「幸せの黄
色いポスト」と同様、 新たな観光資源と して内外に発信していきたいと考えています。
IMG_4149.JPGIMG_4154.JPG

橿原神宮へ向かう、我々は3班・・・
IMG_4156.JPG
文華殿
柳本藩・・・織田有楽斎(おだうらくさい)1万石
「橿原神宮文華殿」は、織田信長の弟で茶人として有名な織田有楽斎の意が汲まれ
て建造された建物であり、江戸時代の武家屋敷として現存している貴重な遺構であ
ることから、昭和42年に重要文化財に指定されています。
東京の有楽町は織田信長の実弟・織田有楽斎こと長益の屋敷があった場所とされ、
有楽町の名前も有楽斎から来ているという説があります。・・・ガイドの説明
しかし、この織田有楽斎。信長が本能寺で斃れた後は、豊臣家に所属したり、その
後関ヶ原では東軍に所属し徳川家に所属したりなど75年の天寿を全うした戦国時
代の武将ですが、最期を迎えたのは京都の東山と伝わり、この江戸には暮らしたと
いう記録は残されていないそう。また江戸時代の初期は銀座界隈はまだ海だったと
のことで、本当に織田有楽斎の江戸屋敷がここにあったのかは不明です。
IMG_4163.JPGIMG_4162.JPG
深田池
橿原神宮の南側にあり、奈良時代に造られたとされる溜め池。
IMG_4167.JPGIMG_4170.JPGIMG_4173.JPGIMG_4175.JPG
橿原神宮
初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があった
とされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇によ
り、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。
IMG_4177.JPG

    推古天皇の棺の上蓋石?
IMG_4179.JPGIMG_4182.JPGIMG_4186.JPGIMG_4193.JPGIMG_4196.JPG
此処までは、
11月12日の飛鳥を翔けた女性たちを巡るウオーク-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-15-1
続きは、本薬師寺へ向かう~
IMG_4198.JPGIMG_4200.JPG
  
    畝傍御陵前駅を潜り、本薬師寺跡へ
IMG_4201.JPG
本薬師寺跡
現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。天武(てん
む)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9
年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天
皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍とも
ども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力
です。それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
IMG_4204.JPGIMG_4205.JPGIMG_4206.JPGIMG_4207.JPG

   ムクロジの大木も黄葉&畝傍山
IMG_4208.JPGIMG_4209.JPGIMG_4211.JPGIMG_4212.JPGIMG_4213.JPG

ガイドのちえちゃんを先頭に紀寺跡へむかう
IMG_4215.JPG
  飛鳥川う渡り
  サンシュや柿をめでながら、セイタカアワダチソウも・・・
IMG_4219.JPGIMG_4220.JPGIMG_4225.JPG
紀寺跡、此処からは香久山も単独峰に見える
飛鳥川の右岸、天香久山の西で北西方向にのびる微高地上に立地し、都が平城
京へ遷都するとともに平城京外京に移転した寺の前身と考えられています。伽藍
配置は南北中軸線上に南から南門・中門・金堂・講堂が一直線に並び、塔を金堂
全面東側に配すると推定され、形態的に大官大寺と共通していることから、大官
大寺の前身ではないかとも考えられています。この寺は藤原京条坊では左京八
条二坊全域(4町)を占めています。創建年代については不明な点が多く、出土し
た軒丸瓦では天智朝(7世紀第3四半期)と考えられます。しかし、寺域や伽藍配
置の計画線が、藤原京の土地区画に合致していることから、天智朝に中心伽藍
の造営を開始し、藤原京条坊施行のころ寺域を整備したものと考えられます。
※出土した軒丸瓦にはラーメンどんぶりの馴染みのマークが?ラーメンマーク・・
IMG_4224.JPGIMG_4223.JPGIMG_4222.JPGIMG_4221.JPGIMG_4226.JPG

法然寺
IMG_4227.JPG

天岩戸神社前を素通りして香久山へ
IMG_4228.JPGIMG_4232.JPGIMG_4234.JPGIMG_4235.JPG
香久山
平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐ
やま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。
標高152.4m。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよ
りは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。
山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため浸食の度合
いが低かったようです。
大和三山の中で、最も神聖視されています。「天の」を冠するのは、天から降り
来た山と言われていますが、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆ
えに、あがめられたものだとも思われています。
山中には南に天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、北に天香山神社(あまのか
ぐやまじんじゃ)、さらに国常立神社(くにのとこたちじんじゃ)があり、それらが一
種の霊気のようなものを発散させています。
香久山中腹から振り向けば、畝傍山や遠くに二上山も・・・
IMG_4233.JPGIMG_4236.JPG

天香山神社へ向かう
IMG_4238.JPG
天香山神社
天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみこと
のかみ)です。境内にある「朱桜」(にわざくら)という古名で知られる「波波架の木」
(ははかのき)は、その昔、占いに用いられたと言われています。「古事記」の天岩
戸神話(あまのいわとしんわ)には、天香具山(あまのかぐやま)の雄鹿の骨を抜き
とって「朱桜」の木の皮で焼き、吉凶を占ったとあります。
※現在でも大嘗祭(天皇即位)の時には此処での占いで奉納米の田が決められる
IMG_4239.JPGIMG_4240.JPGIMG_4242.JPGIMG_4243.JPGIMG_4245.JPGIMG_4247.JPG
此処までは、
11月12日の飛鳥を翔けた女性たちを巡るウオーク-2 として
            下記のメインブログへ詳細を投稿します。
           http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/
此の続きは、
11月12日の飛鳥を翔けた女性たちを巡るウオーク-3 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
            http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/
続きは、藤原京跡へ向かう~
IMG_4248.JPGIMG_4250.JPGIMG_4251.JPGIMG_4252.JPG
運河跡・・・藤原京跡横~八釣山地区に残る
斉明天皇は、石上神宮付近から飛鳥迄、幅6mの運河を堀り石材を運ばせた
飛鳥時代に、奈良盆地を南北に縦断する3本の道路が築かれ、西より下ツ道、中ツ
道、上ツ道と呼ばれていた。しかも3本の道路は当時の高麗尺でちょうど4里、現代
のメートル法で言えば、約2.1kmの幅を保ちながら北へ延びていた。
史書に記録はないが、当時の区割り制を無視してこれだけの幹線道路を築くには、
大勢の人民を徴発した国家プロジェクトだったはずだ。斉明天皇は656年、石上山
(いそのかみやま:天理市石上神宮付近)の石を宮の東の山に運んで石垣を造るた
め運河を築かせた。だが、人々はその運河を狂心の渠(たぶれごごこのみぞ)と呼
んで非難したという。三道の工事の規模はその比ではなかったはずだ。それほどの
大工事だったにもかかわらず、史書に記されていないのも怪だが、なぜ3本も、しか
も直線道路として建築する必要があったのか、その背景がなにも解明されていない。
※此の時の運河の後が幅を狭められて今も残されているのが此の”溝の様だ”・・・・
IMG_4253.JPGIMG_4254.JPGIMG_4255.JPG
藤原京跡へ入る?
ガイドのちえちゃん&ガッテンおじさん・・・
IMG_4257.JPG
藤原宮跡(昼食休憩)
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったとこ
ろです。藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀
式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会
議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16年間の
都でしたが、藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。
藤原京の人口は3万人~4万人、当時の日本の人口は500万人と云われてる。
IMG_4258.JPGIMG_4259.JPGIMG_4260.JPGIMG_4266.JPGIMG_4267.JPGIMG_4265.JPG

昼食タイムを終えて藤原京資料室&耳成山へ向かう
IMG_4270.JPG
藤原京資料室
展示物は、藤原京の1,000分の1模型(約6m×7m)や、出土品(柱や瓦)、解説パ
ネル、当時の柱を再現したもの、記念撮影用看板、古代衣装をまとった人形など
です。大型モニターでは、当時の藤原京の様子を詳しく再現したコンピュータグラ
フィックスや人々の暮らしについて解説したアニメを上映しております。写真展示
コーナーでは、藤原宮跡で咲く花々の写真や「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産
群」の構成資産の写真を展示しています。
※地表から1.2mくらいに遺跡が出てくるわけは?1年に1㎜づつチリが積り続け
1300年、チリの暑さが1.3mに、だから1.2~1.3mの場所に藤原宮遺跡が・・
耳成山へ向かう
伝藤原宮海犬飼門跡
藤原宮の内部は大きく中央・東・西区の3つの区画に分かれています。中央区には、
大極殿(だいごくでん)や朝堂院(ちょうどういん)、朝集殿院(ちょうしゅうでんいん)
といった、政治の中枢となる施設のほか、天皇や皇后の住まいである内裏(だい
り)がおかれています。また、東・西区には行政の実務をおこなう、官衙(かんが。
今の役所)がおかれています。つまり藤原宮は、今の皇居と国会議事堂、霞ヶ関
(かすみがせき)の官庁街を1つにしたような場所で、まさに政治の中心地といえま
す。宮の周囲は、瓦葺(かわらぶき)の塀(へい)と外濠で囲まれ、塀と外濠の間
には外周帯(がいしゅうたい)と呼ばれる空閑地(くうかんち)が広がっています。
また、宮には出入り口としてそれぞれの辺に3つずつ、合計12の宮城門(きゅうじょ
うもん)があり、海犬飼門(あめのいぬかいもん)も其の一つで溝の中に礎石が・・・
IMG_4271.JPGIMG_4273.JPG
耳成山の前にある池・・・耳成池
池の端にあった掲示
耳無の池し恨めし吾妹子【わぎもこ】が来つつ潜【かづ】かば水は涸れなむ
  作者不詳
耳梨の池は恨めしい、あの子がさまよって来て水にはいったら、水がかれて死ね
ないようにしてくれればよかったのに、という意味です。  橿原市教育委員会
IMG_4275.JPG
耳成山
平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐ
やま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。
標高139.6m。火山の噴火で生まれた独立峰で、瀬戸内火山帯に属しています。
万葉集では、「耳梨山」と書かれていました。風変わりな名前ですが、山の形から
すると「耳無し」で、山裾のない、真ん丸い山ということになります。実際は、どの
方向から見てもきれいな円錐形で耳成(余分なところがまったくない)というネーミ
ングがぴったりのような感じがします。中腹に耳成山口神社があり、南麓に桜の
美しい耳成山公園があります。
クチナシの木が多い事からクチナシ山共呼ばれる。目無し川のほとりにある事か
ら目無し山と呼ばれる事も・・・
IMG_4277.JPG
おかげ参り、八木接待所跡
八木の札の辻
下つ道と横大路が交差した場所で札の辻といわれる。
この一帯の水は、 金気のある水であったが、この辻に良質の水が出る井戸が・・・
IMG_4281.JPGIMG_4282.JPG
横大路
今から約1400年前。「日本書紀」の推古天皇21年(613年)の11月の条に「難波
(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されていることから日本最
古の官道(国道)と呼ばれています。当時、大陸との外交の玄関であった難波津
から飛鳥の都を結ぶこの道を通じて大陸文化がもたらされました。
別名として、伊勢街道(伊勢本街道)とも呼ばれる。現在の国道166号線の一部区
間そのもの、および国道に平行している。東側では伊勢国への伊勢街道および初
瀬街道に、西側では和泉国に至る竹内街道および長尾街道に接続する。
大和八木駅(ゴール)
ゴール後、ハイキングで知り合った方と2人で、歩いて今井町へ行き、江戸時代の
風情ただよう町並みを散策し、お茶して八木西口駅から帰途につきました・・
八木西口駅、彼女は京都行へ
IMG_4284.JPG
私は大和八木駅出乗り換えて
五位堂駅。
IMG_4285.JPGIMG_4286.JPG
今回のハイキングであちこちで皇帝ダリアの花を見る機会が有ったので
早々13日にでも、馬見丘陵公園の皇帝ダリアの様子を見に行こうーっと・・・

11月8日の磯城の里、歴史ロマンを訪ねて-2

11月12日        11月8日の磯城の里、歴史ロマンを訪ねて-2
                近鉄 駅フリーハイキング 歩程約10㎞
知人と2人で参加、黒田大塚古墳に着く頃から雨が降り出し、八幡神社迄で、知人と
2人でリタイア?近くの田原本駅へ戻り、雨に勝てずに今回のハイキングは終了・・・
コース  近鉄駅フリーハイキング石見駅受付9時半~11時 歩程約10km
石見駅(受付)~黒田大塚古墳~法楽寺~孝霊神社~八幡神社~多神社~秦楽
寺~笠縫駅
途中の八幡神社以降は無し、15348歩で約10.2km歩き足首から下がビショビショ。
志都美駅へ向かう
IMG_4092.JPG
志都美駅
葛城山~二上山の山並み&ホーム横のセイタカアワダチソウ
IMG_4094.JPGIMG_4095.JPGIMG_4096.JPG

王寺駅で近鉄新王寺駅へ乗り換え
IMG_4097.JPG

西田原本駅で田原本駅に乗り換え
IMG_4099.JPG
石見駅で受付を済ませてスタート
京奈和道横の伴堂池を巡る
IMG_4100.JPG
黒田大塚古墳
黒田大塚古墳は、6世紀初頭、古墳時代後期の前方後円墳である。周濠を含
めた全長は86mであるが、後世に周濠は埋め立てられ、墳丘の周囲は削り取
られている。周濠の発掘調査で埴輪、蓋形や鳥形の木製品が出土しており、
墳丘上に立て並べられ、あるいは柱に付けて突き立てられていたものと考え
られてる。奈良盆地底部では、数少ない墳丘の残る古墳である。
IMG_4105.JPGIMG_4104.JPGIMG_4107.JPGIMG_4111.JPG
法楽寺
孝霊天皇黒田廬戸宮跡に建立され、聖徳太子開基にかかるものとされる。承元
元年(1207年)、伽藍坊舎は残らず焼失したが、貞応元年(1222年)に再建がな
された。長禄三年(1459年)八月の墨書銘をもつ板絵には、盛時の法楽寺の伽
藍坊院が描かれている。室町時代の盛期には堂宇25を数えたが、兵火で焼け
て現在残るのは1坊のみである。
本尊は子安地蔵菩薩立像。僧形地蔵菩薩坐像(室町時代後期)などの古い仏像
も所蔵する。
建立当時は7堂伽藍と伝えられるこの寺は、法楽寺と名付けられ、法隆寺、法輪
寺等とともに、大和の5法寺の一つに数えられ、33代推古天皇より「黒田山磯掛
本寺」の勅号を賜り、さらには、707年に、43代元明天皇より「法性護国王院」と
二人の天皇(共に女帝)から勅号を賜る程の名寺だったようです。
IMG_4112.JPGIMG_4114.JPG
桃太郎生誕の地・・・桃太郎伝説発祥の地 碑
「日本書紀」の崇神紀によると,四道将軍の一人彦五十挟芹彦命(吉備津彦)は,
朝廷から遣わされ西海を平らげ,その後,出雲振根を誅したと言う。『古事記』の
孝霊記では,弟の若日子建と共に吉備を平定した事が伝えられている。
後世の桃太郎の話は,その吉備津彦をモデルにして成立したと考えられる。
『記紀』は共に,吉備津彦の父にあたる第七代の孝霊天皇の都を黒田盧戸宮と記
しているが,それはこの黒田・宮古の地に比定しうる。
また,田原本町は,川上から男子が流れてきて神様になったという伝説を残し,万
葉集に詠まれたように桃の名所でもあった。
現在,岡山高松鳥取県日野地方などの各地に吉備津彦兄弟や孝霊天皇の鬼退
治伝説がある。そういう意味で,田原本町が桃太郎伝説発祥の地と言えるであろう。
    二〇〇四年五月  新年年紀にむけ,平和への祈りをこめて
                          田原本町  田原本町商工会
IMG_4113.JPGIMG_4117.JPGIMG_4118.JPG
此処までは、
11月8日の磯城の里、歴史ロマンを訪ねて-1
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-11-1  
此の続きは、孝霊神社~
孝霊神社「蘆戸神社」
黒田村(7代孝霊天皇の黒田蘆戸いおと宮があった土地)の氏神です。
元は法楽寺の鎮守社でしたが明治初期に現社地へ遷座。
祭神;孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊おおやまとねこひこふとにのみこと)
    倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめのみこと、彦五十狭彦命
    ひこいさせりひこのみこと(吉備津彦命きびつひこのみこと)、稚武彦
    命わかたけひこのみこと
境内隅に「明和七年(1170)」の銘をもつ石灯籠があります。
神社前の通りは≪太子道≫と呼ばれます。
IMG_4121.JPGIMG_4120.JPGIMG_4122.JPG

黒田池
IMG_4123.JPGIMG_4124.JPGIMG_4125.JPGIMG_4126.JPGIMG_4127.JPGIMG_4128.JPGIMG_4129.JPG
八幡神社へ行くつもりだったが、道に迷い、辿り着いたのが鏡作伊多神社
鏡作伊多神社
延喜式神名帳に、『大和国城下郡 鏡作伊多神社』とある式内社。
田原本町保津と同宮古に、南北約200mの距離をおいて同名の神社2社があり、
論社となっている。社名は“カガミツクリ イタ”と訓む。以下、南の保津にある神社
を“保津社”、北・宮古のそれを“宮古社”と記す。
[保津社]
近鉄橿原線・田原本駅の北西約900mにある保津環濠集落の南寄りに鎮座する。
環濠集落とは、周囲に堀(濠)をめぐらせた集落(村落)のことで、集落を外敵から
守るために縄文・弥生時代からあった村落形態をいう。
保津社は、環濠集落内の南寄りに鎮座するが、南側に出入り口はない。東側くび
れ部(屋舗ノ門)に開く道を入ると、道の左(南側)に北面して鳥居が立つ。社殿は
西面する。近世以前の保津社は、現在地の東約300mほどの小字・伊多敷(イタ
シキ)の地にあり、保津集落の移転に従って現在地に遷座したらしい。
IMG_4130.JPGIMG_4131.JPGIMG_4132.JPGIMG_4133.JPGIMG_4135.JPGIMG_4134.JPGIMG_4136.JPG
保津の環濠集落
保津環濠集落の始まりは不明だが、当社の案内によれば、「保津集落は近世以
前には、現在の集落の東側、中垣内・奥垣内にあり、云々」とあることをみると、
近世(安土桃山か)以降当地に移動したらしい。環濠脇に立つ案内板に描かれて
いる元禄17年(1703)の古絵図(復元図)によれば、東西約100m南北約150mの
方形で東南部にくびれ部がある。今、西面・南面・東面の南半分弱は環濠(W=3
~4m)が残っているが、東面の北半分・北面は部分的に暗渠化されている。
IMG_4137.JPGIMG_4138.JPG
雨の降る中でこれ以上の探訪は無理、近くの田原本駅へ戻り、解散する事にした。
從い八幡神社(はちまん神社)(薬王子の楠の巨樹)~多神社(おう神社)~秦楽
寺(じんらくじ)~笠縫駅(ゴール)はパスして早々に終了する事にした。

西田原本駅~新王寺駅へ戻り、王寺駅前~バスで帰った
バスを降りて高速道路の裏道へ
マキの木に実が熟していた
IMG_4139.JPGIMG_4140.JPG

11月7日の上ノ太子でのミカン狩り-2

11月11日       11月7日の上ノ太子でのミカン狩り-2
                 私にとって、初のミカン狩り
珍しく?家内と2人でミカン狩りに行く事になった、私にとっては初のミカン狩り、
此れまでは、ミカン狩りは家内が近所の知り合いの奥さん同士で行くのが常?
貴重な奈良のミカンとして数年前迄続いていたが、此処数年はミカン狩り無し、
愛媛のミカンや三ヶ日のミカン等、美味しいと思ったミカンを正月用に取り寄せ
ての対応と近くの道の駅で購入していた、どちらかと言うと甘いだけのミカンが
好きじゃなく、甘酸っぱいみずみずしいミカンが好き、今回はたまたま見つけた
大阪と奈良の県境、大坂側の上の太子観光みかん園へミカン狩りに行って・・・
食べ放題 大人1人 900円×2  駐車料金 500円 1000円で籠に詰め放題
美味しいみかんで満足しました・・・
帰りに道、どんずる峯に寄ってみた、こんな所じゃなかったと一声・・・
家内にとって、昔子供達が小さかった頃に一緒に来た面影は無かった様です。
上の太子観光みかん園
上の太子観光みかん園HPより引用
おひさまいっぱい、美味しいみかん。上の太子観光みかん園は大阪府南部の
太子町にあります。 南向きの斜面にみかんの木が植えられ、周辺の山々を一
望でき、頂上には10,000㎡の広場やアスレチック、迷路などの施設があります。
園児や小学生はもちろんのこと、中学・高校生でも充分お楽しみいただけます。
当みかん園は、みかん狩り・いもほり・バーベキューなどを体験されたすべての
お客さまが笑顔でお過ごしいただけるよう努めております。
詳細は 
    http://taishi-mikan.com/

みかん園の駐車場に車を入れて、一段上ると入口が有ります。
IMG_4041.JPGIMG_4042.JPG

入園料金を支払って山道を上ります
IMG_4044.JPG
みかんの木が見えて来ました、山から見る奈良県側の景色も最高!
遠くに二上山も見えます。
IMG_4046.JPG
みかん園のレストハウスが見えます。
みかん園の入口が・・・
IMG_4048.JPG
みかん園に入りました、が此処のミカンは狩らないで味見だけ
幼い幼稚園児達の為にのこしておく様にと・・・

二上山もまじかに見えて、コスモスも綺麗に咲いて
上方にはレストハウスが
IMG_4051.JPGIMG_4052.JPG
二上山
二上山(にじょうざん)は、奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。
かつては大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれた。
金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂が
ある双耳峰である。 また、石器に使われた讃岐岩(サヌカイト)の産地である。二上山
の北側の春日山付近の地域で遺跡が多く発見されていることから二上山北麓遺跡群
とも呼称されている。後期旧石器時代から弥生時代にかけての多量の剥片・砕片・石
核・くさび形石器・敲石類が採集されており、遺構としての採掘坑も確認されている。
二上山周辺は、火成岩や火砕流堆積物が分布していることから、火山であったと考え
られている。約2000万年前の大噴火により形作られたと言われている。活動時期は、
新第三紀と推定され、最終活動時期は、約1400万年前と推定されている。二上山は
死火山で、今後、噴火の可能性はなく、地図で火山として分類される事は無い。
古来より、雄岳・雌岳の間に日が沈む様子から、神聖な山岳として、人々からあがめ
られてきた。古墳時代から飛鳥時代にかけて、二上山周辺は、海上の交通の要所、
大阪湾・住吉津・難波津から、政治の中心の舞台である飛鳥地方への重要ルートと
なり、二上山の南に、日本で最初の官道として知られる竹内街道が作られた。二上山
の石切場から切り出された石材が高松塚古墳に使われた。謀反の疑惑をかけられて
自害した、大津皇子の墓が雄岳山頂付近にある(ただし、大津皇子の墓ではないとす
る説もある)。雄岳山頂には葛木二上神社(祭神は豊布都霊神・大国(御)魂神)もある。
万葉集には二上山を詠んだ歌がいくつか収録されている。
IMG_4050.JPG
大阪側の景色も最高、遠くにPLの塔も見えます。
IMG_4055.JPG
PLの塔
=大平和祈念塔(だいへいわきねんとう) 大阪府富田林市にあるタワー
正式名称は「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」で、高さ180mの粘土
細工のような造形の白い塔である。歴史上のあらゆる戦没者の霊を人種、民族、
国家、国境、地域、また宗教、宗派、信条などを問わず慰霊と鎮魂するためパー
フェクト リバティー教団が建立し管理運営する慰霊塔と平和への祈念塔を兼ねる
もの。塔の低層階は戦没者でない一般にも開放されている。塔の設計は日建設
計、施工は東急建設である。塔の下部には神殿もあり、毎年8月1日に年祭と呼
ぶ祭事を行う[1]。 1970年(昭和45年)8月1日 に落成。
遊園地PLランドの開園当時には展望塔まで一般公開されていたが、現在は教団
信者による塔の下部の神殿への参拝しかできない。

最後の水洗トイレも見えて来ました、此処から上には水仙トイレは無い・・・
山なみの景色も最高・・・
IMG_4056.JPG

トイレを一曲りするとみかん園の看板&注意事項が・・・
IMG_4059.JPGIMG_4060.JPGIMG_4075.JPG
レストハウスの上手が我々のミカン狩り場!
下方のミカンは幼い幼稚園児達の為に残して、大人は狩らない!
IMG_4061.JPG

レストハウスと頂上のアスレチック広場の間のミカンの木が狩り場・・・
IMG_4063.JPGIMG_4065.JPG
此処までは、
11月7日の上ノ太子でのミカン狩り-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2016-11-11
続きは、まだまだ続くミカン狩り~
IMG_4067.JPGIMG_4069.JPGIMG_4072.JPG

1000円のカゴに詰め放題にして持って帰る
IMG_4090.JPG
レストハウス迄戻って
IMG_4073.JPGIMG_4074.JPGIMG_4076.JPGIMG_4077.JPG
みかん狩りに満足、とても美味しいみかんだった・・・
トイレで小休止して下る
IMG_4078.JPGIMG_4080.JPG
みかん園の方に”みかん美味しかった”旨、お礼を言って帰途に・・・
車で帰る途中に屯鶴峯(どんづるぼう)が有り、駐車場所も有るので
家内に見て貰う事にした、子供達が小さい頃良く来て弁当食べた場所・・・
IMG_4081.JPGIMG_4082.JPGIMG_4083.JPG
屯鶴峯(どんづるぼう)
奈良県香芝市にある奇岩群・奇勝。
二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が
露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山。
サヌカイトやザクロ石閃緑岩などの岩石が産出する。県天然記念物であり、金
剛生駒紀泉国定公園の見所の一つである。
IMG_4084.JPGIMG_4086.JPGIMG_4085.JPGIMG_4087.JPGIMG_4088.JPG
おまけ
持ち帰ったみかん、美味しく食べています。
IMG_4090.JPGIMG_4091.JPG