So-net無料ブログ作成

2月27日の馬見丘陵公園の河津桜&梅林-2

3月3日        2月27日の馬見丘陵公園の河津桜&梅林-2
                早朝散歩に河津桜と梅林へ
河津桜は未だか河津桜は?今年は中々咲かないな、と思いながら行ってみた。
前回訪れた時は1本の木だけに花が開いていたが今回は多くの木に花が・・・
家内を職場におろしてその足で竹取公園の駐車場へ車を入れて馬見丘陵公
園の河津桜と梅林を巡って帰る?河津桜は1本ずつ花は開いていないかを・・・
此の日は、漸く花らしい花の付いた河津桜を見る事が出来て満足した。
何時もの竹取り公園の風景・・・
IMG_5709.JPGIMG_5711.JPG
馬見丘陵公園へ陸橋を渡ってダダオシ池
池の周りの河津桜は未だ未だつぼみ硬い・・・
IMG_5714.JPG
三吉2号墳
巣山古墳の西に築かれた北向きの帆立貝式古墳で、全長93メートルを測る。
IMG_5715.JPGIMG_5716.JPG

蝋梅は未だ未ださいている
IMG_5718.JPG
佐味田狐塚古墳
此の辺りの河津桜も何本かの木にチラホラ・・・
巣山古墳外提の北西に接して築かれた帆立貝式古墳である。墳丘全長78m、
後円部径54~56m、同高7m、前方部長20m、同幅31m、同高5mで周囲に浅
い空濠がめぐる。町道建設により後円部中央を分断されているが、発掘調査
で木棺を粘土で保護した粘土かくが確認され、鏡や鉄刀の破片等が出土して
いる。築造時期は古墳時代前期後葉と考えられる。
IMG_5720.JPGIMG_5721.JPG
巣山古墳の周濠は・・・
巣山古墳(すやまこふん)は、形状は前方後円墳。馬見古墳群を構成する古墳
の1つ。国の特別史跡に指定されている。
全長204m、後円部径110m、高さ25m、前方部幅94m、高さ21m。後円部の頂
上は径45mの平坦な地形になっている。
周濠は楯形で、幅は後円部側で33m、前方部側で37m、くびれ部造り出し周辺
で57mである。周濠の外堤は最大幅が27m、南の一部、東側、北側の一部に築
堤を行い、特に東面と北東周辺が高く、幅広い築堤となっている。
IMG_5723.JPGIMG_5728.JPG
巣山古墳前丘へ向かう
通路の左側は花がチラホラ、右側の木は蕾硬い
IMG_5729.JPGIMG_5732.JPGIMG_5735.JPGIMG_5736.JPG
巣山古墳前丘の周囲の
河津桜は21本中5本にチラホラ
IMG_5739.JPGIMG_5741.JPGIMG_5742.JPGIMG_5743.JPGIMG_5744.JPGIMG_5745.JPGIMG_5746.JPGIMG_5748.JPGIMG_5749.JPG
此処までは、
2月27日の馬見丘陵公園の河津桜&梅林-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-03-03-2
続きは、墳観橋を渡って倉塚古墳~
倉塚古墳
IMG_5750.JPG

梅林
IMG_5751.JPGIMG_5752.JPGIMG_5753.JPGIMG_5754.JPGIMG_5755.JPGIMG_5757.JPGIMG_5758.JPGIMG_5759.JPGIMG_5760.JPGIMG_5761.JPGIMG_5763.JPGIMG_5764.JPGIMG_5765.JPGIMG_5766.JPGIMG_5767.JPGIMG_5768.JPGIMG_5769.JPGIMG_5771.JPGIMG_5772.JPGIMG_5773.JPGIMG_5776.JPGIMG_5777.JPG

梅林側から見る佐味田狐塚古墳
IMG_5779.JPG

佐味田狐塚古墳の周濠、空堀り
IMG_5780.JPG

墳丘から見る梅林
IMG_5781.JPGIMG_5782.JPG

墳丘頂上へ登って道路を渡る
IMG_5784.JPG

巣山古墳側へ下って振り返ると
IMG_5785.JPG

巣山古墳側は蝋梅
IMG_5786.JPGIMG_5787.JPG

いにしえの丘を竹取公園側へ
IMG_5788.JPGIMG_5789.JPG

道路を渡ると竹取公園の駐車場
IMG_5790.JPG

2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-2

3月3日      2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-2
                近鉄駅フリーハイキング  歩程約12㎞
知人と2人で参加、風が少しで陽射しが結構あったので丁度良いハイキング日和。
コース 近鉄駅フリーハイキング 生駒線 王寺駅受付 9時半~11時
王寺駅(受付)~鹿塚~寺風集会場~健民グランド(トイレ休憩)~藤の木古墳~
法隆寺~中宮寺墓~法輪寺~山背大兄王墓跡(昼食)~法起寺~九頭上池~
郡山城跡・柳沢神社・天守跡・盆梅展~郡山市街~JR郡山駅
此の日の私の万歩計は31170歩で約20.9km歩いたことになっていました・・・
近鉄生駒線王寺駅を
スターとして大和川を渡る
P2248441.JPG

国道25号線の竜田川を渡る
P2248447.JPG
鹿塚
昔、聖徳太子が多くの家臣とこの辺りを通った時、家臣の飼い犬が鹿と喧嘩
をして、犬が鹿の足に噛み付き、それを見た太子が鹿の手当てをして逃がしまし
たが、数日後、また犬が鹿を噛み殺したので、太子がこの事を深くお考えになり、
これは前世の宿業によるもので、恨みの恐ろしさを悟り、それを忘れない様に鹿
塚を造りました。
P2248452.JPGP2248453.JPG

お寺風の集会所
P2248456.JPG

健民グランドへ向かう
P2248458.JPG
健民グランド(トイレ休憩)
グランド前の池
P2248465.JPG

藤ノ木古墳へ向かう
P2248470.JPG
藤ノ木古墳(国指定史跡)
藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は玄室内から大量に出土した土師器、須恵器の年代
から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に
畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。藤ノ木古墳は、法隆寺(斑鳩
宮)の創建よりも古く550年から600年の間に造営されたと云われている。(法隆寺の
創建:600年代初期)大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていた
が、墳丘裾には円筒埴輪が並べられていて、従来の見解を訂正することになった。
未盗掘の横穴式石室で、家形石棺に成人男性2人が合葬されていた。
副葬品が金銅製の馬具や装身具類、刀剣類などであるからこの当時の支配階級の
一人であったと考えられているが、円墳であることから大王クラスではなく、その一族
の人物であったと推測されている。
2人の被葬者が『日本書紀』が記す587年6月の暗殺時期と一致することなどから、聖
徳太子の叔父で蘇我馬子に暗殺された穴穂部皇子と、宣化天皇の皇子ともされる宅
部皇子の可能性が高いと論じている。
一方、副葬品や埋葬の様子から「元々穴穂部皇子の陵墓であった所に同母弟崇峻天
皇が合葬された」との説もあり、なお、南側被葬者については、女性説も存在する。
P2248475.JPG

法隆寺西門へ向かう
P2248484.JPG
法隆寺西門から入る
世界最古の木造建築。多くの建造物などが国宝・重文に指定され、1993年12月には
法起寺と共にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
P2248482.JPGP2248489.JPGP2248496.JPG

八角堂、夢殿とおなじ
P2248492.JPG
東門へ抜けて夢殿
夢殿
行信僧都という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を
上宮王院(東院伽藍)といいます。その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の
中央の厨子には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、そ
の周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代
に夢殿の修理をされた道詮律師の塑像(平安時代)なども安置しています。この夢
殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える
聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。
P2248504.JPG

中宮寺宮墓へ向かう
P2248512.JPG
中宮寺宮墓地
宮内庁が治める陵墓
被葬者は、高栄女王(後西天皇皇女)・栄恕女王(霊元天皇皇孫女)・栄暉女王
(霊元天皇皇曾孫女)。尊智女王(後伏見天皇八世皇孫女)・尊覚女王(後伏見
天皇十一世皇孫女)・成淳女王(後伏見天皇十八世皇孫女)それと後西天皇塔
の6基1塔からなる。
P2248516.JPGP2248521.JPG
中宮寺宮墓地前のなぎの木の実
なぎ
P2248534.JPG

法輪寺へ向かう
P2248535.JPG
法輪寺
聖徳太子の病気平癒を願って山背大兄王が建立したといわれる。(諸説あり)。
三重塔は1975年の再建である為、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には
含まれていない。
P2248538.JPGP2248548.JPG
此処までは、
2月24日の斑鳩のさと法隆寺から郡山城跡盆梅展へ-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-03-03
此処では、続きの山背大兄王墓跡~
山背大兄王墓跡(昼食)
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳 - 皇極天皇2年11月11日(643年
12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』よ
り厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこ の いらつめ)
で大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
P2248549.JPG

法起寺へ向かう
P2248551.JPG
法起寺
法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。
古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。山号は「岡本山」(ただし、奈
良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。本尊
は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完
成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部と
して世界遺産に登録されている。
P2248555.JPG
九頭上池(くずがみ池)
615年(推古23年)聖徳太子が46の巨刹を創建し、その内の西岳院と満念院が共
に最後に建立され、いずれも満願寺と名乗り、今は満願寺町に町名だけを残す廃寺
ですが、その南約150mの所に太子が造成された池で、池畔を春、夏、秋、冬の各
ゾーンに分けて、浮御堂もあり、九頭上とは九つの頭の上に太子が乗っている意味。
P2248563.JPGP2248566.JPG

郡山城跡へ向かう
P2248570.JPGP2248577.JPGP2248574.JPG

郡山城跡・柳沢神社
P2248581.JPGP2248582.JPGP2248587.JPGP2248590.JPG

天守閣跡が整備され4月オープン
P2248584.JPGP2248612.JPG
郡山城跡・盆梅展へ
会場へは入らず外の梅だけで満足
P2248596.JPGP2248598.JPGP2248601.JPGP2248602.JPGP2248605.JPGP2248607.JPGP2248608.JPGP2248610.JPGP2248615.JPGP2248616.JPGP2248619.JPGP2248621.JPGP2248624.JPGP2248625.JPGP2248628.JPGP2248632.JPGP2248634.JPGP2248636.JPG

郡山市市街・紺屋川
P2248642.JPGP2248644.JPG
薬園(やくおん)八幡神社の梅
鳥居の横に「国史現在社薬園八幡神社」の石碑が立っている。これは『続日本紀』
(巻十七)に、「天平勝宝元年(747)十一月、於南藥園新宮大甞。以因幡爲由機
國。美濃爲須岐國。」とあることによる。大仏造営の宇佐八幡大神が多いに力を発
揮し、宇佐から八幡大神を大和に勧請した。その際、平城京の南、当社の北約1k
mの梨原の薬園新宮内にお迎えした。それが当社の創建の由緒。後に東大寺へ
遷座の際御神霊の分霊は当社にとどまった。
聖武太上天皇の勅願で、朝廷より奉幣に預かったが、次第に衰え、足利時代末期
に当地に遷座した。
P2248652.JPGP2248646.JPGP2248648.JPGP2248650.JPGP2248654.JPG

王寺駅から信貴山を撮る
P2248658.JPG