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3月8日の阿倍野・上町台地のロマンを求めて-2

3月16日    3月8日の阿倍野・上町台地のロマンを求めて-2
             JRふれあいハイキング 歩程約10㎞
此の日は、知人と4人で久し振りにJRふれあいハイキングに参加、
コース JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会 参加費300円
天王寺公園東側観光バス停10時 受付   此の日の参加者は172人だった。
天王寺公園(集合)~和気橋・茶臼山~堀越神社~歴史の散歩道~聖天山公園
~聖天山正圓寺~松虫塚~安倍晴明神社~安倍王子神社~北畠公園~ゆずり
葉の道~桃ヶ池公園(昼食休憩)~安倍寺跡~天王寺駅
此の日の私の万歩計は、23590歩で約15.8km歩いたことに・・・
志都美駅へ向かう
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志都美駅
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天王寺公園(集合・スタート)
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和気橋~茶臼山
和気橋
大阪市立美術館の北奥に大きな池が広がります。この池は「河底池(愛称ちゃぶ
いけ)」といいます。そして茶臼山へと架かる橋は、「和気橋(わけばし)」。
788年(延暦7年)和気清麻呂が旧大和川の流れを変えるために上町台地を開削
した際、古墳の濠を利用した名残が河底池だと伝わります。
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茶臼山
天王寺公園内にある茶臼山は、ほんの標高26mの山ですが、そこに伝わる歴史は
とても大きいのです。これまで5世紀ごろの全長200m近い前方後円形古墳とされる
説と、自然陵とする説ともに、今だ謎の残る山です。
茶臼山は、江戸幕府が豊臣方を滅ぼした大坂の役(大坂の陣)の重要な舞台です。
1614年(慶長19年)11月 ・大坂冬の陣では、徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶
長20年)5月には、真田幸村(本名は信繁)勢の本陣として、茶臼山の戦い(天王寺
口の戦い)が繰り広げられました。
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堀越神社
古くから大阪では、「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い
伝えがあります。第33代推古天皇の御代、時の摂政聖徳太子が、太子の叔父君に
当たらせられる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、風光明媚にして長松直々たる茶臼
山の地をえらばれ、四天王寺建立と同時に当社を創建されたものであります。
古くより明治の中期まで、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣した
ので、堀越という名が付けられたといわれています。この地は、有名な慶長・元和の
大阪冬の陣、夏の陣の古戦場としてかずかずのエピソードと共に知られています。
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※崇峻天皇と皇后・皇子の物語
崇峻天皇は名を泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)と申され、欽明天皇の第12
皇子であり、御母は蘇我稲目の女小姉君。587年、その英明さを以って、皇族はじめ
朝廷の群臣に推されて即位。当時懸案累積の国内、国外諸問題に力をつくされ、特
に戦乱で荒廃した朝鮮半島、任那の復興に心をくばられた。折しも蘇我氏の全盛時
代であり、特に大臣の蘇我馬子の専横はなはだしく、帝は深く憂慮されて馬子を除こ
うとされたが、却って馬子の奸智にたけた反逆にあい倒れられた。
天皇のご長男、蜂子皇子は父君の事を深く悲しまれたが、権謀うずまく大和朝廷より
も、当時としては遥かな地の果て、東北地方に安住の地を求めて、父君の霊を弔わん
とされ、ひそかに大和を脱出して、北陸より海路出羽へ向われた。すなわち今日、日本
三大山嶽宗教の一つたる出羽三山の開祖はこの蜂子皇子である。皇子は文字通り出
羽の文化、産業の始祖として、また能除聖者、修験道の祖として出羽地方の人々の崇
敬の中心となられた。蜂子皇子の墓は東北地方における唯一の皇族の墓といわれて
いる。小手姫皇后もまた、夫君崇峻天皇の服喪の後、皇子の後を追って東北を目指さ
れ、そして福島県小手郷堂平に安住の地を見出され、皇后時代より天才的といわれた
養蚕の技術をその地の民人達に教え伝えられた。福島県が養蚕産業の発祥地とされ
るのは、実にこの小手姫皇后のお陰とされるのもそのためである。

阿倍野霊園(五代友厚の墓)歴史の散歩道~聖天山公園(トイレ休憩)
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聖天山正圓寺
聖天山は阿倍野区の西端、上町台地の南端に位置する小高い丘で、山の北側は
公園になっており、古墳が残っている。山頂は「天下茶屋の聖天さん」と呼ばれる聖
天山 正圓寺の境内である。正圓寺は元禄年中(1690年頃)にこの地に移築再興
された寺院であるが、それよりも遡る南北朝の頃、この付近には吉田兼好の庵が
あったと伝わっている。
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※吉田兼好
1284年?~1350年?(弘安6年~正平5年:その生年と没年は諸説ある)鎌倉
時代末期・南北朝時代の歌人・随筆家。 卜部兼好(うらべのかねよし)が正しいら
しく、吉田兼好は後世の俗称。武士 として朝廷に仕え、のち出家。山城国山科小野
荘に住み、随筆文学の傑作『徒然草』を書いた。

松虫通り・松虫塚
伝承はあまたあるため確定しない。しかし、後鳥羽天皇寵愛の白拍子
松虫鈴虫姉妹が当地に隠れ住んだとして知られる。
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此処までは、
3月8日の阿倍野・上町台地のロマンを求めて-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-03-16
此処では、続きの安倍晴明神社へ向かう~の詳細を掲載します。
安倍晴明神社へ向かう
安倍晴明神社
「安倍晴明説」の地、大阪市阿倍野区阿倍野元町にある「安倍晴明神社」。
この地は安倍晴明の生誕地と伝わり、晴明は奈良時代の豪族阿倍氏の一
族につながっていたとも言われている。
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阿倍王子神社
「痾免寺説」及び「阿倍王子説」の地である、大阪市阿倍野区阿倍野本町にある
「阿倍王子神社」。この地で弘法大師が疫難退散の祈祷を修したと伝わる。
今日一緒に歩いているM吉さんの結婚式場が此の神社だったそうで感慨も・・・
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北畠公園
北畠顕家(きたばたけあきいえ)の墓
北畠顕家(きたばたけあきいえ)は「神皇正統記」を著した北畠親房の長男で、
1330年(元徳2年)13歳で左中弁となり、15歳未満で弁官に任ぜられるとい
う先例を開き、14歳で参議で左中将を兼ねるという空前の昇進を示した。
1333年(元弘3年)『建武の中興』が成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、
義良親王を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。1336年(延元
元年)足利尊氏が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた。この功績に
より、顕家は権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられ、再び奥州に下っている。
3ヵ月後、尊氏が勢いを盛り返したため、1337年(延元2年)奥州より再度上
洛。各地で転戦、翌年3月16日に当地、阿倍野での合戦後、「神皇正統記」な
どには顕家は1338年(延元3年)5月22日朝、1万8千の高師直軍と戦い、摂
津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝えている。
顕家の墓は、現在の王子町北畠公園に所在する「大名塚」と呼ばれていた塚を、
江戸時代の国学者並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、当地周辺
を顕家戦没ゆかりの地として顕彰したもので、現在の歴史観から見れば事実誤
認があるようだが、園内の碑文などによると、大正・昭和と篤志家などの寄付に
より、墓地の整備などが図られ、現在に至っている。
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ゆずり葉の道へむかう
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シャープ創業者早川徳次翁ゆかりの地、桃ヶ池公園市民活動センター

ゆずり葉の道・・・全国初、昭和55年に阿倍野区長池町に誕生(歩行者系道路)。
※ゆずり葉の道
大阪市では、安全で快適なみちづくりの一環として歩行者系道路の整備を行って
います。全国でも初めての試みとして、昭和55年に阿倍野区長池町で整備して以
来、市民の方々のご意見を取り入れながら全市的に整備を進めています。
これらの道路は、「ゆずり葉の道」の愛称で多くの方に親しまれています。
ゆずり葉の道は、人と車の共存を目的とした道路で、不要な車を排除し、入ってき
た車もあまりスピードが出せないようにするために、車道の幅を狭くし、しかもジグ
ザク状に変化させています。その代わりに、歩道はゆったりと広くとり、舗装もカラ
ーブロックなどで仕上げて、歩行者が安心して快適に歩けるようにしています。

桃ヶ池公園(昼食休憩)
池は古くから「ももがいけ」と呼ばれていたが、かつては「百ヶ池」「脛ヶ池」「股ヶ池」
とも表記された。名称については、池がいくつもあるため百ヶ池という説や、池の形
が股引のような形になっていることに由来するという説や、聖徳太子の使いが大蛇
退治をした際水深が腿程度だったためなどの説がある。
江戸時代には「百ヶ池」の表記が見え、明治大正頃には「股ヶ池」が定着していたが、
昭和8年に市が整備し、都市計画公園として開園するにあたり、字が分かりにくいな
どの理由でに同じ発音の「桃」の字をあてた「桃ヶ池」の表記とし、以後それが定着し
た。 なおその後も大正時代より近くを走っていた南海平野線の駅名は股ヶ池停留場
であり、公園内にある神社は「股ヶ池明神」の表記のままとなっている。大阪市はその
後桃ヶ池を整備し1933年10月25日に桃ヶ池公園として開園した。この桃ヶ池公園は、
都市計画に基づく区画整理で完成した公園としては、日本初のものである。
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安倍寺跡へ向かう
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童謡「サッちゃん」の歌碑・・・幼稚園の前に2006年建立
子どもの歌「サッちゃん」は、芥川賞作家の故阪田寛夫氏の詩と従兄の作曲家
大中恩氏の作曲によって生まれたものです。幼年時代の阪田寛夫氏が南大阪
幼稚園の第二期生であったとき、その一年上のクラスにいた「サッちゃん」と呼ば
れていた女の子への親しい思いを、後に詩のかたちにしました。この歌は、幼い
頃、誰もが歌ったり口ずさんだりしながら馴れ親しんできたのですが、その詩は
大人になった今でも、読めば、思わず素直な気持ちになるのではないでしょうか。
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阿倍寺跡推定地
大阪市阿倍野区松崎町にある「松長大明神」の境内に「阿倍寺推定地」の石碑
が建っている。現地の解説版によると、当寺の塔心礎から、相当規模の堂塔伽
藍が存在していた推測され、この付近からは白鳳、奈良時代の重弧文軒瓦や
鬼瓦が出土したとのことである。
庚申街道を入った住宅地の一角にあった「松長大明神」。
阿倍寺の礎石
大阪市西成区岸里東「天下茶屋公園」内にある「阿倍寺」の礎石。礎石は花崗岩
で出来ており、白鳳時代の五重ノ塔のものと思われ、中央に柱穴を彫り、その穴
の中央に舎利穴がある。
なぜ、松崎町からこの地に礎石が運ばれてきたのかは説明されていない。
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此処から銭湯へ向かう
湯処 あべの橋
大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 大阪市港区2丁目3番33号  深さ 1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身
    ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進
    ・切り傷・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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14時50分にJR天王寺駅出待ち合わせ場所へ向かう
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昼飲み会参加メンバーと合流して今日は6人で昼飲み会&カラオケへ