So-net無料ブログ作成
検索選択
2017年03月| 2017年04月 |- ブログトップ
前の10件 | -

4月25日の歩こう会・浅香山緑道他・浅香駅-2

4月26日      4月25日の歩こう会・浅香山緑道他・浅香駅-2
             浅香山緑道つつじ&関西大学堺キャンパス
コース:浅香駅(10時半 集合・スタート) 歩程約6km  参加者は94人とまあまあ
浅香駅(スタート)~浅香山稲荷神社~浅香山公園~浄水場つつじ鑑賞~大和川水
辺体感~関西大学堺キャンパス前~鉄砲鍛冶射的場跡~南海本線七道駅(ゴール)
駅前の放鳥銃定限記(ほうちょうじゅうていげんき)碑と河口慧海の銅像
天気良く最高のハイキング日和、私の万歩計は16295歩で約10.9km歩いた事に・・・
志都美駅へ向かう
志都美駅から葛城山~二上山
IMG_7332.JPG
浅香駅(スタート)爽やかで心地良い天気・・・
ツツジがお出迎え?
IMG_7333.JPGIMG_7334.JPG
浅香山城跡
奈良時代の左大臣藤原魚名の子孫、浅香氏の居城だった。浅香将監宗勝は南朝
に属した。室町後期の文亀元年(1501)に落城、一族は閑居していたが、天正の
豊臣秀吉の四国攻めの際に功があり、浅香善右衛門宗胤が旧城地一帯を与えら
れた。城跡は現、浅香山稲荷と伝えられる。
IMG_7338.JPG
浅香山稲荷神社・・・「浅香山稲荷神社案内板」
昔、この辺り住之江の浦と連なる小さな湾で、そこに小島が出来、遠く推古天皇の御
代(590年代)聖徳太子御巡遊の折、白髪の老翁が太子に、昔より比処に埋る香木
有り、と伝えて去る。太子が不思議に思い、掘らせたところ、果せるかな地中より幾
千年も経たと思われる朽木が出で、これを焼かせたところ馥郁優なる香りたなびき、
その時太子が「浅からぬ香り」と仰せられて、以後この地を”浅香の浦”と呼び、その
香木で老翁の像を刻みここに祀られたのがこの神社の創始と言われています。
後、ここに城を築いて、この神像を稲荷大神と仰ぎ祭られてきた。この稲荷大神とは
宇迦之御魂大神と言い。生活の大本を司り福徳盛運の守護神として伊勢外宮にます
豊受大神と異名同神と言われます。
時移り世が代わって宝永年間(1704)、旧大和川の水害から流域を守るために大久
保大隈守宰領として流れを変える工事の折、この地の狐塚の所に至り、どうしても工事
が進まず、前日掘った所が翌日は又元に復し、人夫達は恐怖におののき手だしも出来
ず、宰領奉行も神威を畏み、計画を変えこの狐塚を避けることによって大工事を完成さ
せるに至りました。
後、宰領大隈守は神威を怖れこの狐塚の所に神殿を建立し、現在に至っております。
尚、現神殿は、昭和五十一年七月に改築完成されたものです。
神前の一対の石灯籠は大久保大隈守の寄進にかかり、又自然石の大手洗鉢は当時
川口奉行等の寄進によるものです。   以上「浅香山稲荷神社案内板」より
IMG_7343.JPGIMG_7342.JPGIMG_7340.JPG
浅香山公園へ向かう
ライラック(リラの花)
IMG_7345.JPG

浅香山公園の藤
IMG_7348.JPGIMG_7350.JPG
浅香山公園~浄水場つつじ(浅香山緑道)
※浅香山浄水場
1910年(明治43年)4月通水。近代水道としては全国18番目である。当初は大和
川から原水を取水していたが、大和川の水質の悪化に伴って1978年(昭和53年)
11月に取水は中止されている。また、かつての浄水施設も撤去が進み、事実上
「浄水場」ではなく「配水場」である。
現在は、淀川から取水した大阪広域水道企業団村野浄水場から送水された浄水や
堺市内の他の配水場からの送水をいったん浅香山浄水場で受水したのち、堺区内
に配水している。配水池容量は高架配水池2池と地下1池で24,000m3。
厚生労働省の「近代水道百選」に選ばれている。

ツツジの通り抜け
浅香山浄水場では毎年4月下旬~5月上旬にかけて、「ツツジの通り抜け」をおこ
なっている。浄水場内の沈殿池の堤防強化や緑化を目的に植えられたヒラドツツジ
約2300本が、期間中に無料公開される。ツツジの通り抜けは1956年(昭和31年)
に開始された。ちなみに2011年(平成23年)は東日本大震災の影響で中止。
2012年(平成24年)からは、浄水場敷地内の一部に常時散策可能な「浅香山緑道」
が整備されたことにより、これまでの開花時期だけの期間限定開放から、常時つつ
じを楽しめる環境へと変わった(緑道部分)。
また、この緑道の完成により、「緑道のつつじ」とこの時期に開放される「浄水場のつ
つじ」を合わせて、「浅香山つつじまつり」へと名前が改められた(旧「浅香山浄水場
つつじの通り抜け」)。浄水場の樹齢70年を越えるつつじ約500本と、新しく植えられ
たつつじ約2000本が約600メートルにわたって楽しめる。
浅香山浄水場のツツジは、「大阪みどりの百選」にも選定されてい。

浅香山緑道のツツジ
IMG_7352.JPGIMG_7353.JPGIMG_7354.JPGIMG_7355.JPG
此処までは、
4月25日の歩こう会・浅香山緑道他・浅香駅-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-26
此処では、この続きの浅香山緑道のツツジの途中~について
4月25日の歩こう会・浅香山緑道他・浅香駅-2 として詳細を掲載します。
IMG_7356.JPGIMG_7357.JPGIMG_7358.JPGIMG_7359.JPG

此の時期、浄水場へは入れない
IMG_7360.JPGIMG_7361.JPGIMG_7364.JPG
大和川水辺体感
昼食には、このメタセコイヤの林へ戻って来る・・・
IMG_7365.JPGIMG_7366.JPGIMG_7367.JPGIMG_7369.JPG
関西大学堺キャンパス
(堺市立堺商業学校~堺市立商業高等学校跡)
IMG_7370.JPGIMG_7371.JPGIMG_7372.JPGIMG_7373.JPGIMG_7374.JPG
メタセコイヤの林へ戻って(昼食)
集合写真撮影の後、大和川河川敷ウオークへ・・・
IMG_7369.JPGIMG_7365.JPGIMG_7378.JPGIMG_7379.JPGIMG_7382.JPG
鉄砲鍛冶射的場跡・・・大阪府堺市堺区鉄砲町
南海本線七道駅(ゴール)駅前に放鳥銃定限記碑と河口慧海の銅像
放鳥銃定限記 (ほうちょうじゅうていげんき)碑
わが国に初めて鉄砲が伝来したのは,天文十二年(1543年)のことです。
堺の貿易商人橘屋又三郎は,いちはやく種子島より鉄砲の製造技術と射撃場を持
ち帰ったと言われています。また,紀州根来の津田監物算長も伝来の銃を持ち帰り
堺出身の刀工芝辻清右衛門に鉄砲を作らせました。清右衛門は,豊臣秀吉の「根
来攻め」のあと堺に戻って製造を続け,鉄砲鍛冶芝辻一門の祖となりました。
堺鉄砲の製造は,芝辻一門,榎屋一門など多くの鉄砲鍛冶によって国内最大の生
産量を誇りました。それとともに試射場も次々と作られ,このあたりにも江戸時代初
期につくられた試射場が,昭和の初めまでその面影を残していました。
大正三年にこの付近で,運河の開削工事中に「放鳥銃定限記」と題した碑が、発見
されました。この碑には,寛文四年(1664年)砲術家川名金右衛門忠重によって、
「鉄砲 は優れた兵器で,正しく扱えば命中確実である。しかし,そのためには不断の
習練が必要である。小濱民部丞嘉隆は文武両道を兼ね備えた人であり,堺の浜に
射撃場を設け砲術家の養成や銃の試射を行うなど,大きな功績を残した。」と,恩師
小濱丞嘉隆への讃辞と鉄砲試射場の由来が記されています。
この碑もまた,堺鉄砲の歴史を物語る貴重な資料です。
     運河掘削工事の発起人であった柳原吉兵衛氏は,この碑を後世に伝え
     顕彰するために,自然石をくりぬいた中にはめこみました。その後、昭和
     一九年に堺市に寄贈され,長らくザビエル公園に保存されてきましたが、
     駅前広場の整備にともない,発見場所に近いこの場所に移設しました。
 平成二年三月  堺市  堺市教育委員会
IMG_7385.JPGIMG_7386.JPG
河口慧海
河口慧海[慶応2年(1866年)~昭和20年(1945年)]
河口慧海は現在の堺区北旅籠町西に生まれました。幼名は定治郎(さだじろう)。
錦西小学校、土屋弘(鳳州)の晩晴塾、東京の哲学館(現、東洋大学)に学ぶ。
黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。
中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来
の教えの意味が分る物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。
慧海は、チベット語訳の仏教原典を求めて明治30年および37年の二回にわたり
チベットへ入国しました。その旅行記(『西蔵旅行記』)は、仏教学者だけではなく
民族学者、探検家にも高く評価され英訳出版されました。晩年は僧籍を返上し
て在家仏教を提唱しました。
IMG_7387.JPG
5人で七道駅近くの喫茶店でだべった後、1人は七道駅へ、2人は浅香駅へ、
私達は、2人で高須神社~阪堺線(ちんちん電車)で阿倍野橋へ出て帰った。
私はあべのハルカス&JR天王寺駅へ、連れは近鉄阿部野橋駅へ別れた・・・
IMG_7389.JPG
IMG_7390.JPG

4月23日の新家長福寺の桜・ボタン・藤

4月26日        4月23日の新家長福寺の桜・ボタン・藤
                     (花のお寺)
23日、寝屋川市へ伯母さんの見舞いに行った帰りに少し時間が有ったので
22日の近鉄ハイキングで訪れた広陵町の新家長福寺へ立ち寄ってみた、駐
車場が満車なら帰ろう、と思いながら行ってみるとうまい具合に広陵町図書
館の駐車場に入る事が出来、新家長福寺の八重桜や藤棚、ボタンや石楠花、
ハナズオウなどを家内にも見せる事が出来た・・・・
    
新家長福寺(花の寺 ボタン・石楠花・桜・藤・はなずおう)
浄土真宗大谷派の寺院で本尊は天正2年(1547年)造立の阿弥陀如来立像です。
徳川家康より、僧慶秀が新家の地を賜り草庵を設け「長福寺」と称したのが始めで
あり、承応元年(1652年)には新家御坊と称した様で、新家長福寺と称されたのは
寛文3年(1663年)からです。境内には八重桜が多く、「桜御坊」とも呼ばれます。
ガラケーでポイントブログへ投稿した3枚
170423_1610~01.jpg

170423_1608~01.jpg

170423_1606~01.jpg

この7枚は23日にカメラで撮った八重桜、ボタン、藤、たんぽぽ・・・
IMG_7324.JPGIMG_7324.JPG
IMG_7325.JPGIMG_7325.JPG
IMG_7326.JPGIMG_7327.JPGIMG_7328.JPGIMG_7328.JPG
IMG_7329.JPGIMG_7329.JPG

 帰りに道路脇のタンポポ
IMG_7330.JPG
下記の 近鉄ハイキング
☆4月22日「生産量日本一」靴下のお祭り・五位堂駅-1&2 
 には、大量の花の写真を投稿済みです。
http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-24

http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-04-24

4月22日「生産量日本一」靴下のお祭り・五位堂駅-2

4月24日     4月22日「生産量日本一」靴下のお祭り・五位堂駅-2
              近鉄駅フリーハイキング 歩程約8㎞
知人と3人で参加、まさしく素晴らしい天気のハイキング日和に花の寺も映えて。
コース 近鉄駅フリーハイキング  五位堂駅受付10時~11時半
五位堂駅(受付)~牧野古墳~馬見丘陵公園~竹取公園(靴下祭り会場)~新家
長福寺(花の寺 ボタン・石楠花・藤・桜)~三吉石塚古墳~五位堂駅(ゴール)
此の日の私の万歩計は、19899歩で約13.3km歩いたことに・・・
香芝駅~下田駅へ乗り換え
鹿島神社
創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、源義朝の家臣であった
鎌田政清の子・鎌田小次(二)郎政光が常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分
霊を勧請したのが始まりとされます。
当社に伝わる古文書(鹿嶋文書※)によると、平治元(1159)年、平治の乱に
あって源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった
鎌田兵衛藤原政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に
匿われました。 しかし、忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致
の子景致に殺害され、随行家来の大半は討死致しました。鎌田政清の子・政
光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神宮に辿り着いたとされています。
そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼夜一心に法華経を誦唱
しました。 満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄え、汝の福 西に
あり」との御神託があり、御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。大和の下
田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で
野宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに
小祠を建て鹿嶋大明神を祀ったといわれます。
御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)(武甕雷神・建御雷之男神
とも表記される)神様の中でも一、二を争うほど武勇に優れ、武神・軍神とし
て知られています。延喜式内社。
IMG_7211.JPG
下田駅~五位堂駅
五位堂駅(受付)
IMG_7212.JPG

かつらぎの道を牧野古墳へ向かう
IMG_7214.JPG
牧野古墳
古墳時代後期末葉の直径50mの大型円墳で、舒明(じょめい)天皇の父にあたる
押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえみこ)の成相墓(ならいのはか)の
可能性があります。墳丘は三段築成で造られ、二段目に全長17.1mの横穴式石
室が開口しており、玄室内からは、服装品として、金環やガラス小玉の装身具類、
壷鐙(つぼあぶみ)や縁金具の有る障泥などの馬具が多数出土しています。
IMG_7215.JPGIMG_7216.JPG

馬見丘陵公園へ向かう
IMG_7220.JPG
馬見丘陵公園(昼食)
大和平野のほぼ中央に有る馬見丘陵は、我が国でも有数の古墳が集中している
地域です。これらの古代の遺跡を包み込む様に、豊かな自然が広がっています。
馬見丘陵公園は、こうした歴史と文化の遺産や素晴らしい自然環境を、憩の空間
として広く活用して頂く事を目的に整備された都市公園です。又、馬見丘陵公園内
には多数の古墳が有ります。
IMG_7222.JPG

   ナガレ山古墳
IMG_7224.JPG
   はんかちの木
  今年は沢山のハンカチ?がぶら下がりそう・・・
IMG_7227.JPGIMG_7228.JPG

   カエルが出迎え、ウッドデッキへ
IMG_7229.JPG
    リキュウ梅、マンサク、ライラック(リラの花)、
    ツツジ、16日迄のチュウリップ祭りの名残り等・・・
IMG_7231.JPGIMG_7232.JPGIMG_7235.JPGIMG_7239.JPGIMG_7240.JPG
    陸橋を渡って巣山古墳前へ
    四葉のクローバを探してる??・・
IMG_7243.JPG
竹取公園へ向かう
竹取公園・公園グランド(靴下祭り会場)
竹取公園
「竹取公園」と言う名前から、昔話の竹取物語やかぐや姫を連想すると思いますが、
まさにこの竹取公園の此処がその舞台とされている場所です。かぐやひめの描かれ
ている竹筒形のトイレもユーモアが有ります。園内には花とせせらぎ広場や古代住
居広場、学びの森、ちびっこゲレンデ、皆の広場など、様々な遊戯施設や学習施設
が有ります。
IMG_7248.JPG
公園グランド(靴下祭り会場)
広陵町商工会主催の靴下祭り会場です。例年春と秋に2回開催されています。会場
内は出店や、国産の靴下の即売会が実施されています。
IMG_7255.JPGIMG_7258.JPG
新家長福寺(花の寺 ボタン・石楠花・桜・藤・はなずおう)
浄土真宗大谷派の寺院で本尊は天正2年(1547年)造立の阿弥陀如来立像です。
徳川家康より、僧慶秀が新家の地を賜り草庵を設け「長福寺」としょうしたのが始め
であり、承応元年(1652年)には新家御坊と称した様で、新家長福寺と称されたの
は寛文3年(1663年)からです。境内には八重桜が多く、「桜御坊」とも呼ばれまう。
IMG_7263.JPGIMG_7264.JPGIMG_7268.JPG
此処までは、
4月22日「生産量日本一」靴下のお祭り・五位堂駅-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-24
此処では、此の続きの新家長福寺の花々の途中~の詳細を
4月22日「生産量日本一」靴下のお祭り・五位堂駅-2 として掲載します。
新家長福寺の花々
IMG_7269.JPGIMG_7271.JPGIMG_7272.JPG

  ボタンは此れから・・・
IMG_7273.JPGIMG_7289.JPGIMG_7274.JPGIMG_7278.JPGIMG_7281.JPGIMG_7283.JPGIMG_7285.JPGIMG_7286.JPGIMG_7287.JPGIMG_7288.JPGIMG_7290.JPG

   ハナズオウ
IMG_7292.JPGIMG_7293.JPGIMG_7295.JPGIMG_7296.JPGIMG_7297.JPGIMG_7298.JPG

   藤棚
IMG_7275.JPGIMG_7276.JPGIMG_7277.JPGIMG_7279.JPGIMG_7280.JPGIMG_7282.JPG

    鉢植えの石楠花
IMG_7299.JPGIMG_7300.JPGIMG_7301.JPG

三吉石塚古墳へ向かう
IMG_7302.JPGIMG_7303.JPGIMG_7304.JPG
三吉石塚古墳
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径41.4m、
高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部がついています。周囲に馬蹄形
(ばていがた)の周濠が掘られ、更に外堤が有り、堤を含めた全長は62mとなります。
墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬがさ)、短甲(たんこう)、家
形埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が施され、葺石の作業単位が良く残
る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、周濠幅が世万区なっている。埋葬施設
は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉の築造と考えられています。
IMG_7306.JPGIMG_7308.JPGIMG_7309.JPGIMG_7310.JPGIMG_7311.JPGIMG_7312.JPG

五位堂駅へ向かう
IMG_7314.JPGIMG_7317.JPGIMG_7318.JPG
五位堂駅(ゴール)
知人2人と五位堂駅で別れて・・・銀杏と二上山
IMG_7321.JPGIMG_7323.JPGIMG_7320.JPG

4月20日の春爛漫!~飛鳥の古墳巡り-2

4月23日        4月20日の春爛漫!~飛鳥の古墳巡り-2
          近鉄万歩ハイキング カルチャーウオーク 歩程約11㎞
今回は、カルチャーウオーク(ボランティアガイドと巡る~春爛漫!飛鳥の古墳巡り)
コース 近鉄万歩ハイキング 飛鳥駅受付9時半~10時 10時15分スタートの5班。
飛鳥駅(受付)~檜隈寺跡~キトラ古墳~文武天皇陵~橘寺裏~石舞台古墳(昼食)
~川原寺跡~菖蒲池古墳~孝元天皇陵・剣池~橿原神宮前駅(ゴール)
此の日は電車1本乗り遅れて飛鳥駅へ10時過ぎに到着、最後の5班に間に合って・・・
5班のボランティアガイドは井上さん、思い出せないが前にも1度お世話になった様な?
参加者は352人だった様で(私は320番)、私の参加した最後の5班は30人くらいの・・・
此の日の私の万歩計は28152歩で約19.1km、天気も良く素晴らしいハイキングでした。
飛鳥駅(受付・スタート)
IMG_7070.JPG

檜隈寺跡へ向かう
IMG_7072.JPGIMG_7081.JPGIMG_7083.JPGIMG_7087.JPGIMG_7089.JPG
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)
『檜隈寺跡』(ひのくまでらあと)は、7世紀ごろ、古代の渡来系豪族「東漢」(やまと
のあや)一族の中心氏族であった檜隈氏が、その祖と伝わる「阿智使主」(あちの
おみ)を祀った寺院があった場所です。1907年、この地に『於美阿志神社』(おみ
あしじんじゃ)が移転し、現在の形となりました。
IMG_7094.JPGIMG_7096.JPG
IMG_7091.JPG
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)境内の石碑
この一帯は、第28代・宣化天皇が即位した「檜隈廬入野宮」(ひのくまのい おりの
のみや)があった場所とされています。先の安閑天皇の死去にともない、536年、
この地で69歳という高齢で即位し、わずか4年で崩御なさいました。短い間でした
が、当時の日本の中心だったとされる場所に当たり、境内に石碑が建っています。
IMG_7093.JPG

キトラ古墳へ向かう
IMG_7098.JPGIMG_7101.JPGIMG_7102.JPGIMG_7103.JPGIMG_7105.JPG
キトラ古墳
キトラ古墳は、明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳。亀虎古墳とも書く。
墳丘にある石室内に壁画が発見され高松塚古墳と共に保存事業が進められて
いる。二段築成作りの円墳である。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置してい
る。名称の「キトラ」は、「北浦」の転訛といわれる。
1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、高松塚古墳に次いで
2例目となる大陸風壁画古墳として注目を集める。
1998年の探査で青龍、白虎、天文図が確認され、2001年には朱雀と十二支像が
確認された。カビなどの被害が発生していたため壁画ははぎとられて保存されて
いる。壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには色濃くないこと
から、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作ら
れた古墳であると見られている。
IMG_7106.JPGIMG_7107.JPGIMG_7112.JPGIMG_7118.JPGIMG_7124.JPG

文武天皇陵へ向かう
IMG_7127.JPGIMG_7131.JPGIMG_7132.JPGIMG_7135.JPG

レンゲ畑の向こうに文武天皇陵が・・・
IMG_7138.JPGIMG_7139.JPG
文武天皇陵
天武天皇と持統天皇の孫にあたり、藤原京で即位し、大宝律令を制定した文武天皇
がまつられています。 高松塚古墳の南東方向に位置します。
文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月)は、
日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日
(707年7月18日))。
草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長男。母は阿陪皇女(天智天皇皇女、
持統天皇の異母妹、のちの元明天皇)。父草壁は皇太子のまま亡くなり即位していない
ため、本来であれば「皇子」ではなく「王」の呼称が用いられるはずだが、祖母である持
統天皇の後見もあってか、立太子以前から皇子の扱いを受けていたと考えられる。
父・草壁が持統天皇3年4月13日(689年)に亡くなり、同10年7月10日(696年)には伯
父にあたる高市皇子も薨じたため、同11年2月16日(697年)立太子。文武天皇元年8
月1日(697年)、祖母・持統から譲位されて天皇の位に即き、同月17日(9月7日)即位
の詔を宣した。当時15歳という先例のない若さだったため、持統が初めて太上天皇を
称し後見役についた。
IMG_7141.JPG
此処までは、
4月20日の春爛漫!~飛鳥の古墳巡り-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-23
此処では、続きの橘寺へ向かう~の詳細を
4月20日の春爛漫!~飛鳥の古墳巡り-2 として掲載致します。
IMG_7144.JPGIMG_7146.JPGIMG_7147.JPGIMG_7148.JPGIMG_7149.JPG

定林寺跡
IMG_7150.JPGIMG_7151.JPG

太子の湯
IMG_7153.JPGIMG_7152.JPG

橘寺へ向かう
IMG_7154.JPGIMG_7155.JPG
橘寺裏を通り
橘寺(たちばなでら)は、明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇
院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命
により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたこと
に由来する。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七
大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わ
る。史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀』天武天皇9年(680年)4
月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)と
あるのが文献上の初見である。
IMG_7155.JPGIMG_7156.JPGIMG_7157.JPG
IMG_7158.JPG

石舞台古墳へ向かう
IMG_7159.JPGIMG_7160.JPGIMG_7161.JPGIMG_7165.JPGIMG_7166.JPG
石舞台古墳公園(昼食)
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、明日香村にある古墳時代後期の古墳。国の特
別史跡に指定されている。
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用
いた横穴式石室が露出している。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。
IMG_7167.JPGIMG_7168.JPG
IMG_7169.JPGIMG_7170.JPGIMG_7171.JPG
IMG_7172.JPGIMG_7173.JPG

岡寺の山門へ続く鳥居
IMG_7174.JPG

橘寺を見ながら川原寺跡へ向かう
IMG_7175.JPGIMG_7176.JPGIMG_7177.JPG
IMG_7178.JPG
川原寺跡
飛鳥寺、薬師寺、大官大寺とともに飛鳥四大寺に数えられ、斉明天皇の冥福を祈り
息子の天智天皇が建立したとも言われていますが、未だ創建については謎が多く
残されているお寺です。創建時の姿は飛鳥資料館の模型で見ることができます。
IMG_7180.JPG
IMG_7181.JPG
菖蒲池古墳
菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、橿原市菖蒲町にある古墳。形状は方墳。国
の史跡に指定されている。類例のない精巧な造りの家形石棺2基で知られる。
奈良盆地南縁、丸山古墳と明日香村大字岡を結ぶ道路北側の、低丘陵南面に築
造された古墳である。
主体部の埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方に開口するが、玄室の下半分
や羨道部が埋もれているため全容は明らかでない。玄室内部には家形石棺2基を
据えるが、これら2基は非常に精巧な造りで、全国的にも特異な石棺になる。
この菖蒲池古墳は、出土土器等から古墳時代終末期・飛鳥時代の7世紀中頃の
築造と推定される。被葬者は明らかでなく、皇族の墓とする説のほか、蘇我氏の
墓とする説がある。
IMG_7182.JPGIMG_7183.JPGIMG_7184.JPGIMG_7185.JPG

孝元天皇陵へ向かう
IMG_7186.JPG
孝元天皇陵(こうげんてんのうりょう)・剣池
橿原市の南部、石川池(剣池(つるぎいけ))のほとりにあるのが、第8代孝元(こう
げん)天皇の御陵、剣池島上陵(つるぎのいけしまのえのみささぎ)です。
日本書紀によると孝元天皇の名は、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこく
にくるのすめらみこと)といいます。父は第7代孝霊(こうれい)天皇です。都を大和
の軽の境原宮に置いたとされ、その場所は現在の橿原市大軽町付近にあたると
考えられています。
石川池はかって剣池(つるぎのいけ)と呼ばれていた潅漑用のため池である。 堤防
の上に登ると、広々とした水面が広がり、樹木で覆われた第8代孝元天皇陵が水面
に黒い影を落としている。一見すると、周濠を巡らした御陵のように見えるが、そうで
はない。陵墓が作られてから随分たってからこの溜池が作られている。 『日本書紀』
には、第15代応神天皇の11年冬10月、軽池、鹿垣(かのかき)池、厩坂(うまやさ
か)池と共に剣池を造った、とある。
『日本書紀』にはもう一度剣池に関する説話が登場する。 皇極天皇3年(644)の6月、
すなわち大化改新のちょうど一年前に、剣池で一本の茎から二つの花を咲かせた珍
しい蓮が見つかった。 当時繁栄の絶頂期にあった蘇我本宗家の蝦夷(えみし)は、
「これは、蘇我臣が栄えるという目出度い前兆だ」と勝手に考えて、金泥で蓮の花を
描かせ、大法興寺(飛鳥寺)の丈六の仏に献上した。皮肉なものである。 それから一
年後、蘇我蝦夷・入鹿親子は中大兄皇子や中臣鎌足らが起こしたクーデターによって
滅ぼされる運命にあった。
IMG_7188.JPGIMG_7190.JPGIMG_7189.JPGIMG_7191.JPGIMG_7192.JPGIMG_7193.JPG
※孝元天皇は、穂積臣らの祖先である内色許男命(うつしこをのみこと)の妹・内色許
売(うつしこめ)命を皇后に立てた。皇后は、二男一女を生んだ。第一の子が大彦(お
おびこ)命、第二が後の開化天皇、第三が倭迹迹姫(やまとととひめ)命という。第一子
の 大彦命は後の崇神天皇の時代に将軍として北陸道に派遣された人物である。皇后
の他に、二人の妃を娶った。伊香色謎(いかがしこめ)命は彦太忍信命(ひこふつおし
のみこと) を生み、別の妃の埴安媛(はにやすひめ)は武埴安彦命を生んだ。 彦太忍
信命は、景行から仁徳までの六代の天皇に仕え300歳まで生きたという伝説を持つ
武内宿禰(たけちのすくね)の祖父である。武埴安彦命後に崇神天皇のとき反乱をおこ
した ことで知られている。
さらに、『古事記』では武内宿禰の9人の子供(男7人、女2人)の名をあげ、武内宿禰
の後裔とされる氏族を 列挙している。その中には、波多臣、巨勢臣、蘇我臣、平群臣、
木臣など臣(おみ)姓の地方豪族の名がある。これらの地方豪族は後世に共同の祖と
して武内宿禰を構想し、 その系譜の上流を皇族に結びつけて箔をつけている。

橿原神宮前駅へ向かう
IMG_7194.JPG
IMG_7196.JPG

橿原神宮前駅(ゴール)
IMG_7197.JPG
五位堂駅で降りて、バスは1時間に2本
バスが出たところなのでバス通りを暫く歩く・・・
IMG_7198.JPG
IMG_7199.JPGIMG_7200.JPG
IMG_7201.JPGIMG_7202.JPG
IMG_7203.JPGIMG_7206.JPG

4月17日の水の都 歩こう!春を感じて・布施駅-2

4月22日      4月17日の水の都 歩こう!春を感じて・布施駅-2 
             近鉄駅フリーハイキング 歩程約7km
M吉さんK場さんと3人で参加、新世界ラジウム温泉で汗を流して天王寺駅で待合せ
Y川さんR得さんの2人と合流して5人で昼飲み会、その後は4人でカラオケ迄行き・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 布施駅受付 9時30分~11時 10時集合で
布施駅(受付)~鴨高田神社~長栄寺~工場地帯~川俣スカイランド~第二寝屋川
沿い(途中の公園で昼食)~三井会所跡~第二寝屋川遊歩道~八戸ノ里駅(ゴール)
八重の里駅~新今宮駅へ出て、通天閣裏の新世界ラジウム温泉~居酒屋へ
此の日の私の万歩計は25974歩で約17.6km歩いた事に
志都美駅
IMG_7022.JPGIMG_7023.JPG
香芝駅~下田駅へ乗り換え
鹿島神社
創建は第80代高倉天皇の承安2年(1172年)3月に、源義朝の家臣であった
鎌田政清の子・鎌田小次(二)郎政光が常陸国(現、茨城県)鹿島神宮の御分
霊を勧請したのが始まりとされます。
当社に伝わる古文書(鹿嶋文書※)によると、平治元(1159)年、平治の乱に
あって源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝の第一の家臣であった
鎌田兵衛藤原政清の舅 尾張国(現、愛知県)半田郡野間の長田庄司忠致に
匿われました。 しかし、忠致は恩賞目当てに義朝を浴場で暗殺、政清も忠致
の子景致に殺害され、随行家来の大半は討死致しました。鎌田政清の子・政
光はかろうじて難を逃れ、常陸国 鹿嶋神宮に辿り着いたとされています。
そこで、源氏の再興を祈願し、百日の参籠を行い、昼夜一心に法華経を誦唱
しました。 満願の夜、夢に一老翁が現れ「庚子(の年)源氏栄え、汝の福 西に
あり」との御神託があり、御分霊の御幣を奉じ西方へと向いました。大和の下
田の里で夕暮れとなり、土手(田のほとりとするものもある)の松の木の下で
野宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに
小祠を建て鹿嶋大明神を祀ったといわれます。
御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)(武甕雷神・建御雷之男神
とも表記される)神様の中でも一、二を争うほど武勇に優れ、武神・軍神とし
て知られています。延喜式内社。
IMG_7025.JPG
布施駅(受付・スタート)
鴨高田神社
「延喜式」に乗せられる古社のひとつで、「大阪府誌」には速須佐之男(はやす
さのおのみこと)、社の由緒書きには大鴨積命(おおかもつみのみこと)・神功
皇后(じんぐうこうごう)・応仁天皇(おうじんてんのう)を加えた四神が祭神。
社は元和(げんな)元年(1615年)の大坂夏の陣の兵火によって社殿がことご
とく焼失し、数年をかけて再建されました。
IMG_7026.JPG
IMG_7029.JPG
長栄寺
本尊は、像高106㎝の一木造りの木造十一面観音立像で、藤原時代の優れた
社殿として、昭和16年に大阪府の文化財に指定されています。寺伝によると、
推古天皇の時代に聖徳太子が創建され、太子自らが本尊を刻み、百済からの
渡来僧入法師に供養させたことから、山号を百済山としたと云われています。
寺は長らく荒廃し、江戸時代の安永(あんえい)年間(1772年~81年)に慈雲尊
者(じうんそんじゃ)が再興しました。本堂の北側には慈雲尊者が長尾の滝で修
業していた禅那台が後に移築され、昭和45年に大阪府の文化財指定を受けて
います。
IMG_7031.JPGIMG_7034.JPGIMG_7035.JPGIMG_7036.JPGIMG_7039.JPG
工場地帯~川俣スカイランド
工場地帯
東大阪市は、我が国でも有数の工業都市「モノづくりの町東大阪」として知られ
工場密度で全国一位ですが、従業員規模20人未満の事業所が全体の90%で
占め、町工場が大半です。

川俣スカイランド
川俣スカイランドは、川俣水未来センター(旧川俣下水処理場)の屋上に設けら
れた緑ある広場などとして整備された施設です。府民のふれあいの場として誰
でも無料で利用出来、広大な芝生や水辺の広場、子供が遊べる遊具なども有り
ます。
IMG_7040.JPGIMG_7042.JPGIMG_7043.JPGIMG_7044.JPG
此処までは、
4月17日の水の都 歩こう!春を感じて・布施駅-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-22 
此処では、続きの第二寝屋川沿い~の詳細を掲載します。
第二寝屋川沿い(途中の公園で昼食)
IMG_7046.JPGIMG_7047.JPGIMG_7048.JPGIMG_7049.JPGIMG_7050.JPG
三井会所跡~第二寝屋川遊歩道
三井会所跡
第二寝屋川遊歩道
IMG_7051.JPGIMG_7052.JPG
IMG_7053.JPG

八重の里駅(ゴール)
IMG_7054.JPG
八重の里駅~鶴橋駅~新今宮駅
新世界へ向かう
IMG_7056.JPGIMG_7057.JPG

新世界
IMG_7058.JPG
IMG_7059.JPGIMG_7060.JPGIMG_7061.JPG
IMG_7062.JPG

新世界ラジウム温泉(銭湯)
IMG_7063.JPG

ジャンジャン町~天王寺駅
IMG_7064.JPG

居酒屋で昼飲み会
IMG_5611.JPG

カラオケ(ジャンカラ)
IMG_5612.JPG

4月14日&15日の社友会本部総会関連(抜粋)

4月21日   4月14日&15日の社友会本部総会関連(抜粋)
               14日準備、15日の本部総会
4月14日・社友会本部総会の準備に八尾の社友会事務所~堺の本社へ
志都美駅へ向かう
IMG_6985.JPG

志都美駅
IMG_6986.JPG

志都美駅ホームから
IMG_6989.JPG

久宝寺駅でおりて
IMG_6990.JPG

桜が満開
IMG_6992.JPGIMG_6995.JPG

社友会事務所へ向かう
IMG_6996.JPGIMG_6997.JPG
荷物を載せた車で堺の本社へ向かう
途中で旧本社ビルの解体現場を横を通り・・・
堺本社へ到着、多目的ホールロビーに懐かしい銅像
IMG_6998.JPGIMG_6999 (1).JPG
15日の総会の準備を済ませて車で堺駅送って貰い、帰った
自宅近くのバス停で降りて高速道路の裏道を花桃、桜、夕焼け
IMG_7000.JPGIMG_7003.JPG

我家の・・・
IMG_7004.JPG

4月15日・堺の本社多目的ホールで経営状況報告会&社友会本部総会へ
志都美駅から
葛城山~二上山&二上山
IMG_7008.JPGIMG_7009.JPG
南海堺駅東口で貸切バスへ案内係り
運河に鯉のぼり
IMG_7010.JPGIMG_7014.JPGIMG_7012.JPG

バスは述べ6台、参加者240人の予定
IMG_7015.JPG
総会終わって会場を片付けて
バスへ乗る前にお別れの1枚・・・
IMG_7017.JPG

南海堺駅東口に貸切バスで到着
IMG_7019.JPG

我家のモミジ、新芽が出揃って・・・
IMG_7020.JPG

4月10日の八尾(久宝寺駅)社友会事務所(抜粋編)

4月16日       4月10日の八尾(久宝寺駅)社友会事務所
                 社友会の役員会に出席
4月15日の社友会総会に向けて、今月は一足早い役員会で総会事前準備の
14日の段取り、当日15日の対応について最終確認の為の臨時の役員会だ。
久宝寺駅の桜の花が綺麗に咲いてるだろう?とカメラ持参で出かけた・・・
志都美駅&二上山
IMG_6964.JPG
久宝寺駅前公園の桜が2種類・・・
此れは何と言う桜なのか?知らないが葉桜に・・・
IMG_6965.JPGIMG_6967.JPGIMG_6968.JPG

此れはソメイヨシノ
IMG_6969.JPGIMG_6971.JPGIMG_6972.JPGIMG_6973.JPG

此処から会社が見える
だんだん近づいて行く・・・事務所はこのビルでは無い
IMG_6974.JPGIMG_6976.JPG
会議が終わって久宝寺駅へ向かう
八尾市のマンホール
IMG_6978.JPG
久宝寺駅前ロータリーのシンボル?機関車の動輪
偶に乗り降りする王寺駅前ロータリーにも同じ様な?動輪が置いてある。
IMG_6979.JPG
IMG_6981.JPG
志都美駅でおりて自宅へ帰る途中
西名阪高速道ぼ高架下に雪柳とレンギョが綺麗・・・
IMG_6982.JPGIMG_6983.JPGIMG_6984.JPG

我家の鉢植えの花
IMG_6703.JPG

4月8日の馬見丘陵公園のチュウリップ祭り-2

4月11日      4月8日の馬見丘陵公園のチュウリップ祭り-2
                午後の馬見丘陵公園散策
8日は知人と3人で近鉄ハイキングに参加する予定だったが、当日の朝に
私事でハイキング不参加にする事となり知人2人に迷惑をかけてしまった。
楽しみにしてた、橿原神宮前駅スタートの神武祭!春うらら、建国の神話・
伝承地巡りのハイキングを不参加にしたが、午後から近場の馬見丘陵へ
8日から開催のチュウリップ祭りを覗きに行って来た・・・
一番近い中央公園館の駐車場は満車で入れて貰えず、何時もは開いてい
ない南エリアの臨時駐車場?へ入れて貰い散策スタート・・・
古墳の丘
IMG_6910.JPG

古墳の丘の桜が満開
IMG_6908.JPGIMG_6912.JPGIMG_6917.JPG

下池
IMG_6915.JPGIMG_6918.JPG

バラ園のチュウリップ畑
IMG_6919.JPGIMG_6922.JPGIMG_6924.JPGIMG_6926.JPG

花の道を通り
IMG_6928.JPGIMG_6929.JPGIMG_6932.JPG
此処までは、
4月8日の馬見丘陵公園のチュウリップ祭り-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-11
此処でrは、続きの地下道を潜って北エリアへ~の詳細を掲載します。
IMG_6934.JPGIMG_6935.JPG

ダリア園もチュウリップ畑
IMG_6936.JPGIMG_6941.JPGIMG_6944.JPGIMG_6945.JPGIMG_6947.JPGIMG_6948.JPG

集いの丘をぐるっと回って
IMG_6946.JPGIMG_6949.JPGIMG_6950.JPGIMG_6951.JPGIMG_6952.JPGIMG_6953.JPGIMG_6955.JPGIMG_6956.JPGIMG_6957.JPGIMG_6958.JPGIMG_6959.JPG

南エリアへの地下道前・・・
IMG_6961.JPG

雨の中を駐車場へ帰った.

4月6日の天理教教会本部(神殿)~稲田酒造

4月10日    4月6日の天理教教会本部(神殿)~稲田酒造
             歩こう会特別企画  歩程約5㎞
歩こう会の特別企画、オープン参加で天理教教会本部(神殿)~稲田酒造へ。
コースは   天理駅前受付・スタート 10時   参加者は43人だった
天理駅~三島神社~天理教教会本部(神殿)~天理参考館~お茶所(昼食)
~稲田酒造(甘酒&試飲・買い物)~天理駅
河津桜は満開、ソメイヨシノは五分咲き?満開!最高のハイキングでした・・・
稲田酒造様、美味しい甘酒&美味しい各種お酒の試飲、有難う御座いました。
此の日の私の万歩計は、18912歩で約12.7km歩いた事に・・・
天理駅
IMG_6859.JPG
三島神社・・・天理市で 21 か所中 16 位の観光スポット
天理教の教祖、中山みきが天啓を受けた神社として知られています
天理駅から徒歩10分、天理よろず病院の北側三島地区にある神社。天理教
教祖の中山みきが天啓を受けた神社で天理教の神殿にはお詣りに行っても
此処に行く人は少ないようです。天理教の敷地内にありながら静かな佇まい
で良い雰囲気です。古くは旧三島村・庄屋敷村の鎮守社で櫟森神社と呼ばれ
ていました。社伝では伊豆三島神社からの分社とされています。享保4年(17
19)銘の石灯籠に櫟森神社と刻まれています。宝暦11年(1761)の遷宮記録
に「石上大明神・ 布留御魂神南御殿、櫟森大明神・ 大山祇神中ノ殿、春日大
明神・天児屋根命北御殿」とあります。明治4年ごろに春日神社と改め、大正
8年に三島神社に改称しています。天理教の本部神殿建設に伴い1988年に
現在の地に移転しました。祭神;布留御魂神、大山祇神、天児屋根命
境内社;琴平神社、五十鈴姫神社
IMG_6860.JPGIMG_6862.JPG
IMG_6866.JPG

天理教教会本部へ向かう
IMG_6868.JPG
天理よろず病院
IMG_6870.JPG
天理教教会本部・・・天理市で 21 か所中 4 位の観光スポット
(神殿)を見学、830mの回廊、見応えのある総檜造り木造建築
人間創造の地とされる「ぢば」を中心に総桧造りの神殿と四方に礼拝場が建つ。
神殿北側には教祖殿が建つ。・・・此処を見学させて貰います(約50分間、830
mあまりの回廊を歩く)「宗教法人天理教」及びその被包括法人である「宗教法
人天理教教会本部(略して教会本部)」は奈良県天理市にあり、またその傘下
にある一般教会は各地に点在する。神名(かみな)は天理王命(てんりおうのみ
こと)で「親神」、「親神様」とも呼称される。教会本部、各地の一般教会では、天
理王命とともに教祖と御霊の社を置き礼拝しているが、一神教(一つの神のみ
を信仰する宗教)である。「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。教祖
は中山みき。天理教では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。明治20年
(1887年)に、教祖・みきは90歳で死去したが、天理教では目に見える存在の
「現身(うつしみ)を隠した」のであり、その魂は今でも「元の屋敷(現在の教会本
部)」に留まっており、人々の暮らしを見守り守護しているとしている「教祖存命の
理」が、天理教信仰の根本的な精神的支柱となっている。
IMG_6871.JPGIMG_6872.JPG
IMG_6873.JPGIMG_6874.JPG

神殿見学を終えて
IMG_6875.JPGIMG_6876.JPG
大鳥居
大鳥居前で集合写真撮影
IMG_6877.JPG

天理参考館へ向かう
IMG_6881.JPG
IMG_6882.JPG
天理参考館・・・天理市で 21 か所中 6 位の観光スポット
当館は世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示する博物館
です。各地の資料を通して、それぞれの地域に住む人々の生活や歴史を知り、お
互いの心を理解することを目的としています。当館は、1930年(昭和5年)、天理外
国語学校(天理大学の前身)の中に設けられた海外事情参考品室を活動のはじめ
とします。創設者の中山正善・天理教二代真柱は、天理教を海外に広める人材
育てるためには言葉の習得だけではなく、現地の風俗・習慣もあわせて学ぶことが
必要だと考えられたのです。そして現在では、約30万点にも及ぶ資料を収蔵する
博物館となり、一般に広く公開しています。2001年(平成13年)11月、当館は新築
の建物が完成し、装い新たに再オープンしました。収蔵資料の中から約3000点を
「世界の生活文化」・「世界の考古美術」の2部門にわけて展示しています。
IMG_6883.JPG

お茶所へ向かう
IMG_6884.JPG
IMG_6885.JPGIMG_6886.JPG
IMG_6887.JPG

天理三島本通商店街
IMG_6888.JPG
IMG_6889.JPGIMG_6890.JPG
稲田酒造・・・稲田酒造合名会社「稲天」
稲田酒造は、明治10年から奈良県天理市で天理協会の御神酒として日本酒
造りを始めました。黒松稲天や奈良漬け等、味にこだわって作っております。
稲田酒造のこだわり・人・米・水
人・・・酒造りは人づくりの観点のもと、人間形成にも力を入れています。
米・・・奈良県産酒造好適米、露葉風、奈良県産ひのひかり等、地元産の
    米にこだわっています。
水・・・近くまで迫る天理の山々、そこから流れる布留川、澄んだ仕込み水
    が自慢です。
美味しい甘酒と美味しい各種お酒の試飲を堪能しました、有難う御座いました。
IMG_6892.JPGIMG_6895.JPG
IMG_6896.JPGIMG_6897.JPGIMG_6899.JPGIMG_6902.JPG
IMG_6903.JPG

天理三島本通商店街
IMG_6904.JPG
志都美駅~自宅へ
西名阪高速道路高架下も花盛り
IMG_6905.JPGIMG_6906.JPG
IMG_6907.JPG

4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-4

4月9日      4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-4
             近鉄駅フリーハイキング 歩程約10㎞
近鉄ハイキング・ええやん八尾!寺内町と史跡巡りに1人で参加することになった。
コース 近鉄駅フリーハイキング  近鉄八尾駅受付 9時半∻11時 10時集合OK
八尾駅中央出口~常光寺~久宝寺寺内町まちなみC~顕証寺~大聖勝軍寺~
安中新田会所跡~長瀬川~玉串川の桜・満開か?~河内山本駅(ゴール)番外も
玉串川沿いコースは五分咲き?満開!天気も良く最高の花見ハイキングでした・・・
此の日の私の万歩計は、24142歩で約16.2km歩いた事に・・・
近鉄八尾駅(受付・スタート)
ガード下商店街を歩く
IMG_6708.JPG

ファミリーロード
IMG_6710.JPG
常光寺
行基が創建した臨済宗南禅寺派のお寺で「八尾の地蔵さん」で名高く、聖武天皇の
勅願所でした。南北朝の混乱で焼失しましたが、藤原盛継が再興し、足利義満が
「常光寺」・「初日山」の扁額を奉納された事で、初日山常光寺となりました。大阪
の陣には金地院崇伝の抱え寺として保護され、藤堂高虎は寺の縁側で長曽我部
家臣の首実検をし、今でも血天井として残されています。寺宝も多く徳川家光以降
の歴代将軍の朱印状が有ります。8月23日24日の地蔵盆は名高く、河内音頭発祥
の地としての盆踊りは名物です。
IMG_6714.JPGIMG_6716.JPGIMG_6715.JPG
ファミリーロード商店街を八尾八幡宮へ
八尾八幡宮
IMG_6721.JPGIMG_6724.JPGIMG_6723.JPG
大信寺
真宗大谷派大信寺
IMG_6727.JPGIMG_6729.JPG
ファミリーロード商店街を抜けて
顕証寺へ向かう
IMG_6730.JPGIMG_6731.JPG
長瀬川・八尾浜と久宝寺船着き場
長瀬川では、八尾と久宝寺の人達が共同出資で剣先船(けんさきぶね)を運行し、
年貢米の輸送や、人や米、材木などを京橋迄運び、茶などを大坂から運んでいま
した。八尾側の岸を八尾浜、久宝寺側の岸を船着場と呼び、共に祭礼の時のお旅
所でした。
IMG_6733.JPGIMG_6735.JPGIMG_6736.JPG

寺内町
IMG_6740.JPG
顕証寺(けんしょうじ)
顕証寺と寺内町
顕証寺は、真宗西本願寺別院で連枝の格式を持ち、河内十二坊の総支配をつとめ、
古くは此の地を橘島久宝寺と言い、早くから親鸞聖人の高弟信願坊法心の建てた
慈願寺があった、文明2年(1470年)蓮如上人が此処に布教し顕証寺(久宝寺御坊)
を建て、この御坊を中心に周囲に二重の堀と土塀をめぐらし、街路は碁盤の目の様
になっていました。寺内町は、本願寺門徒衆が戦乱を防ぎ門徒の団結を図るために
浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に作られた集落です。この町では御坊が一切
の支配権を持ち、久宝寺城主安井氏がこの権を委ねられていました。
道頓堀を掘削した安井道頓は久宝寺城出身と伝えられる。(寺内町に石碑あり?)
IMG_6741.JPGIMG_6742.JPGIMG_6745.JPG
此処までは、
4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-09
此の続きは、大聖勝軍寺へ向かう~
4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-2 として
          下記のメインブログへ詳細を投稿済みです。
       http://taharas-amami-nara.blog.so-net.ne.jp/2017-04-09
ツツジだ?
IMG_6748.JPGIMG_6749.JPGIMG_6756.JPG

JR線路下を潜って大聖勝軍寺へ向かう
IMG_6751.JPGIMG_6755.JPG
大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)
椋樹山(りょうじゅさん)大聖勝軍寺と称し、高野山真言宗に属します。河南町の叡福
寺の「上の太子」、羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)の「中の太子」に対して「下の太子」
と呼ばれています。聖徳太子が物部守屋(もののべのもりや)との戦いにあたって、信
貴山の毘沙門天に祈願し四天王寺を祀り、その加護により戦いに勝ったので、この寺
を建てたと伝えられます。門前に「守屋池」、付近に「鏑矢塚」、「弓代(ゆみしろ)塚」、
「物部守屋の墓」があり、聖徳太子に関連する史跡があります。
IMG_6757.JPGIMG_6760.JPGIMG_6766.JPG

JR八尾駅
IMG_6767.JPGIMG_6768.JPG
渋川神社
天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。
創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河
の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川向にあったが、天文3年
(1533年)の大洪水で境内全域を流失。 この時、浮島神社は数kmほど北の茨田郡
新田村に漂着した。その後元亀2年(1572年)、お旅所のあった現在地に再建された。
境内には、大阪府天然記念物のクスノキを含め数本の大きな樹木がそびえている。
IMG_6769.JPGIMG_6771.JPG

安中新田会所跡
IMG_6774.JPG
此処では、此の続きを
4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-3 として詳細を掲載します。
長瀬川と玉串川の桜を満喫!
長瀬川
長瀬川はもと大和川の本流で古くは約200mの川幅があり、人と物資の運搬で
川舟が往復しました。宝永元年(1704年)大和川の付け替え後は水利や運搬の
ための井路川(いじかわ)「水路」となりました。
IMG_6779.JPGIMG_6781.JPGIMG_6784.JPGIMG_6790.JPGIMG_6801.JPG

玉串川へ向かう
IMG_6792.JPGIMG_6793.JPG
玉串川の桜・曙橋~河内山本駅(ゴール)
玉串川
八尾市東部の住宅地を南北に貫いて流れている玉串川、昭和40年頃から周辺住民が
協力して植えた桜の苗木が成長し、春には約1000本のソメイヨシノが近鉄河内山本駅
を中心に北側2kmと南側3kmの玉串川沿いに桜のトンネルを演出します。「大阪緑の
百選」にも選ばれ、夜にはライトアップも楽しめる玉串川沿いをのんびりと散策出来ます。
曙橋~
IMG_6794.JPGIMG_6801.JPGIMG_6803.JPGIMG_6810.JPG

高安駅前
IMG_6807.JPGIMG_6812.JPGIMG_6814.JPG
此処までは、
4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-3 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-04-09-1
此処では、此の続きの玉串川沿いの途中~
4月5日のええやん八尾!寺内町と史跡巡り-4 として詳細を掲載します。
IMG_6817.JPGIMG_6818.JPGIMG_6819.JPGIMG_6820.JPGIMG_6821.JPGIMG_6822.JPGIMG_6823.JPGIMG_6824.JPGIMG_6825.JPGIMG_6826.JPGIMG_6827.JPGIMG_6828.JPGIMG_6829.JPGIMG_6830.JPGIMG_6831.JPGIMG_6832.JPGIMG_6833.JPGIMG_6834.JPGIMG_6835.JPGIMG_6836.JPGIMG_6837.JPGIMG_6838.JPGIMG_6839.JPGIMG_6840.JPGIMG_6842.JPG
おまけ
河内山本駅~山本八幡宮~玉串川
山本八幡宮
山本八幡宮(やまもとはちまんぐう)は、大阪府八尾市山本町にある神社。 近鉄河内山
本駅のすぐ北側、玉串川の西岸、立石街道の南沿いに所在する、小ぢんまりとした神社。
誉田別尊(応神天皇)を祀る。
享保元年(1716年)、石清水八幡宮より神霊を勧請し、山本新田の鎮守として分祀された。
IMG_6843.JPGIMG_6844.JPGIMG_6845.JPGIMG_6846.JPGIMG_6847.JPGIMG_6848.JPGIMG_6849.JPGIMG_6851.JPGIMG_6852.JPGIMG_6853.JPGIMG_6854.JPG

河内山本駅(ゴール)へ戻る
堅下駅で降りてJR柏原駅へ乗り換え
IMG_6855.JPG

前の10件 | -
2017年03月|2017年04月 |- ブログトップ