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6月27日の歩こう会(街歩き)・日本橋駅-2

6月29日        6月27日の歩こう会(街歩き)・日本橋駅-2
                大阪 道頓堀から星空への散策
6月27日(火)の歩こう会は、大阪 道頓堀から星空への散策、雨天決行と言う事で
集合場所は、近鉄日本橋駅・地下鉄千日前線日本橋駅 地下⑦番出口から50m先
の国立文楽劇場前に10時、歩程距離約6㎞と言う設定・・・参加者は86人
日本橋駅~国立文楽劇場前~安井道頓道卜紀功碑~難波神社~坐摩神社(イカ
スリ)神社~靭公園(トイレ休憩)~科学館無料休憩所(昼食休憩)~大阪市立科学
館・プラネタリウム(解散)・他自由見学~地下鉄肥後橋駅 →難波 →JR難波
国立文楽劇場
四番目の国立劇場として1984年に開館、大小二つの劇場と展示室からなる。大
ホールではユネスコ無形文化遺産の「代表一覧」に記載されている人形浄瑠璃・文
楽の公演を中心に演劇や舞踊などが行われる。小ホールでは奇数月に落語・漫才
・浪曲等の興行「上方演芸特選会」が開かれ、東京の国立劇場における国立演芸
場的役割も担う。
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安井道頓道卜紀功碑
道頓堀
1612年(慶長17年)に南端が堀止になっていた東横堀川と西横堀川を結んで木津
川へ注ぐ堀川の開削が開始され、河内国渋川郡久宝寺(または、摂津国住吉郡平
野郷)の安井道頓(成安道頓)が新川奉行に任命された。しかし、大坂の陣で道頓
が戦死したため、従弟の安井九兵衛道卜(どうぼく)や安藤藤次(平野藤次)らが引
き継ぎ、1615年(元和元年)に完成した。当初は新堀・南堀川・新川などと呼ばれて
いたが、大坂城主の松平忠明が道頓の死を追悼し、また、相当な私財が投じられた
ことや功績を鑑み「道頓堀」と命名した。
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※「大坂濫觴書一件」では、道卜が合戦後の工事再開の認可を受けた際、徳川氏か
らの人夫提供の誘いを断り、久宝寺から百姓を呼び寄せ、自らの手で工事を完成さ
せたとあり、安井家の富豪のほど、また当時の町人の心意気を偲ばせる記述となっ
ている。この開堀では両岸の開発も行われ、道頓堀川八丁が誕生。「九郎右衛門町」、
「宗右衛門町」などの人名のついた各町は安井家出入りの百姓で、この時開発の衝
にあったものの名に因んだものである。

難波神社へ向かう
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長堀の地下道へ入る
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地上へ出て御堂筋
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難波神社
ご祭神 仁徳天皇にんとくてんのう)
配 祀 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮しばがきのみやを開かれたとき、父帝の仁徳天
皇をご祭神として創建されたと伝えられる。その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀
吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583年)現在地に遷座。昭和20年(1945年)
第二次世界大戦大阪空襲により全焼したため、仮宮によっていたものを昭和49年
7月(1974年)再建され現在に至る。
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難波神社を後に坐摩神社へ向かう
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坐摩神社(イカスリ)神社前半
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、式内社(大社)で、摂津国一宮を称する。旧社格は
官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「白鷺」。
正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが
多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれる。
祭神は以下の5柱で、「坐摩神」と総称している。
生井神 (いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清
                    らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
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大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在である。南御堂の西隣
に位置し、境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい
「三ツ鳥居」が迎える。当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川
河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には
「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成
郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、
難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋が白
鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷な
されたことに由来する。
境内の花も綺麗
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此処までは、
6月27日の歩こう会(街歩き)・日本橋駅-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-29-2 
此処では、
続きの坐摩神社(イカスリ)神社後半~の詳細を掲載します。
坐摩神社(イカスリ)神社後半
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靭公園へ向かう
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靭公園(トイレ休憩)
総面積約9.7ha、東西約800m、南北約150mの細長い形をしており、中央を南北に
通るなにわ筋によって東園と西園に分かれています。 平成16年にリニューアルされ
たバラ園や、4面のテニスコートを備えた靱庭球場、四季に彩られるケヤキ並木など
があり、西園には、16面のテニスコートを有し、国際大会にも利用できる靱テニスセ
ンターがあります。ビジネス街の憩いの場、スポーツの場として幅広く利用されている。
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市立科学技術館へ向かう
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科学館無料休憩所(昼食休憩)
大阪市立科学館(東洋初のプラネタリウム 日本初の科学館)
大阪の中心の中之島地区にある、日本を代表する化学のミュージアムです。
昭和12(1937)年3月に開館した日本初の科学館(大阪市立電気科学館)を
継承しています。天文の専門スタッフが、高性能の超大型プラネタリウムを
駆使して、日本初のプラネタリウム「大阪市立電気科学館」の伝統を引き継
ぐ生解説投影で、星空と宇宙をご案内します。子供から科学に詳しい方迄、
どの年齢層の方にも支持を頂いており、「宇宙とエネルギー」をテーマに科
学を楽しむ文化を発信しています。
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大阪市立科学館・プラネタリウム(解散)・自由見学
プラネタリウム初体験、星座が思ってた事と違う事等、とても良かった。
自由見学の4階、3階、2階の見学&体験も新鮮で良かった、来て良かった!
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肥後橋駅へ向かう
途中でコーヒータイム&4人で涼みに・・・
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難波へ出て
JR難波駅~帰宅
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道路脇のアザミ
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おまけ
我家の花、皇帝ダリアもこんなに大きくなって・・・
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6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-2

6月22日    6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-2
               JRふれあいハイキング 歩程約12㎞
今回は、1人で参加したJRふれあいハイキング、初めてのパーティ 会費500円
コース  JRふれあい  南大阪歩け歩け協会主催 岸辺駅(受付・集合)9:45 
岸辺駅(受付・集合)~旧中西家住宅~市場池公園~緑のネットワーク道~エキ
スポシティ~万博記念公園駅前広場~伊射奈岐神社~紫金山公園~吉志部神
社~吹田駅(ゴール・解散)   参加者132人?
若い頃、昭和40年~48年にかけて岸辺駅の次の千里丘駅で乗り降りして大阪へ
通勤してたので懐かしい思いも有り参加したのだが?思い出は万博公園のみ・・
JR志都美駅
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JR岸辺駅
駅前再開発の工事中・・・
昭和40年~48年にかけて岸辺駅と次の千里丘の粗中間?乗降は千里丘駅から
通勤してたので懐かしいハズが、あまりにも変わり過ぎて思い出の場所が無い・・・
数年前に、千里丘、茨木、高槻方面のハイキングに参加した時は思い出の場所が
なんぼか見受けられたのに、奄美から出て来て物珍しかったのは42年頃迄で・・・
勿論、万博記念公園は万博開催時に歩いて行ける場所に住んでた事も有り休日
前には1LDKの文化住宅が満員に?会社の同僚が寝泊まりに来て万博へ・・・
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旧中西家住宅の前を通り
旧中西家住宅は、文化財を吹田市のために役立てたいという中西家の御厚志に
より、平成19年(2007)年1月22日に家具や調度品とともに、吹田市に寄贈された
物です。
中西家は、江戸時代には大庄屋を勤めていました。
約1,000坪の屋敷地に、文政9(1826)年建築の主屋、長屋門、内蔵(米蔵)、キザ
ラ(木小屋)などの建物が建ち、江戸後期の大庄屋の屋敷構えを、ほぼ当時のまま
伝えています。
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市場池公園へ向かう
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市場池公園・・・小休止
市場池公園は、大阪府摂津市千里丘6丁目にある公園です。隣にスーパーイズ
ミヤがあり、こちらは吹田市です。摂津市と吹田市の境目に位置する公園です。
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ヤマモモの木の下で休憩
実が熟してて美味しい・・・
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市場池公園をスタート
万博公園へ2km
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万国博覧会記念公園
日本万国博覧会記念公園は、1970年開催の日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を
整備した公園である。万博記念公園や万博公園とも呼称される。
所在地は大阪府吹田市千里万博公園。公園を管理するのは、大阪府である。1972
年3月15日の日本万国博覧会一般公開2周年の日にエキスポランドと自然文化園の
第1期及び日本庭園・大阪日本民藝館などを公開して開園する。その後、自然文化
園が第3期に分けて整備・公開され、国立民族学博物館が開設される一方、開園後
に閉鎖された施設もある。
万博公園の入口にデイゴ、太陽の搭も見えて来た
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太陽の搭
太陽の塔は、芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧
会のシンボルゾーンにテーマ展示館として、母の塔・青春の塔・大屋根(長さ292m、
幅108m、高さ約40m)とともにつくられました。
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽
の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使
われています。また、内部は空洞になっており、博覧会当時は展示空間でしたが、現
在は公開していません。
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エキスポシティ
三井不動産商業マネジメント(株)が運営する、万博記念公園の日本最大級 大型複合
施設。
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高さ日本一の大観覧車
日本一高い観覧車. REDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホース オオサカ ホイール)
大阪:吹田市:エキスポシティ」. 高さ 117m. 現在日本一高い観覧車は、2016年7月の
オープン時点では世界でも5番目に高い観覧車。
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此処までは、
6月17日の岸辺からエキスポシティを経て吹田へ-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-21-2
続きは、大観覧車の真下をUターンして~
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万博公園の出口へ向かう
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エキスポシティを後に伊射奈岐神社へ向かう
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伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)・・・昼食休憩
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当社は、延喜式内社で、延喜式神明張に、摂津国島下郡、伊射奈岐神社二座
云々とあり一座がこの神社であって、千里丘陵の中間で万国博会場になった地
域に隣接する高庭山に鎮座している。爾来、皇大神御霊と共に内裏に奉斎され
ていた豊受大御神の御霊が崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、後に丹波
国与謝郡(現在福知山市)の比冶真名井に遷し奉られたが人皇第二十二代雄
略天皇即位二十二年、皇大神の御神誨により現在の伊勢市山田、高倉山麓の
山田ヶ原に遷座し奉られたとき、伊勢斎宮女倭姫の御示教により、大佐々之命
が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にもとめ、ついにこの山田の地に奉祀
せられたと云う。又、山田という地名がこの様な処から山田原と称し、伊勢山田
から名を移したのであると伝えられている。俗に姫神社とも称し、貞観元年正月
従五位上を授けられ(三代実録、貞観元年正月の条に「二十七日甲申京畿七
道諸神進階及新叙惣二六七社云々、奉授摂津国従五位、伊射奈岐神従五位
上」)同十五年社宮と改称されたと云う。
延喜の制に大社に列し、明治六年郷社、祈年月次新嘗の案上に預かった名祠
である。俗に五社宮、姫宮とも称し、山田五ヶ村、上村、中村、別所村、小川村、
下村、千里丘、千里ニュータウンを含む産土大神である。
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昼食を終えて鳥居の前に戻って撮り直して本殿へ
大鳥居
大鳥居(明神鳥居:高さ約5.7m) 慶安三年(1650年)建造、寛永七年(1854年)
再造立 左右の柱に銘。が刻まれている
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午後は、伊射奈岐神社境内をスタート
吉志部神社へ向かう
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紫金山公園
この公園には、国の史跡「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」ほか、歴史的な資
産が存在しています。また、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が
名前の由来とされる「紫金山」を後世に残そうと、市民による里山保全活動が行
われている場所でもあります。古くから岸部の田畑を潤していた釈迦が池も含め、
歴史、自然をテーマとした整備計画「吹風土記の丘・紫金山公園基本計画」が市
民参画により策定された総合公園です。
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吉志部神社の手前、平窯
「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」
ここでは延暦13年(794年)に新たに都が移された平安宮の瓦を生産していま
した。発掘調査の結果、平安宮造営当初の瓦生産の実態を示す重要な遺跡
として昭和46年(1971年)に国の史跡に指定されました。
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吉志部神社へ向かう
※吉志部の里と難波吉志一族
千里丘陵南西部に位置する紫金山。現在、吉志部神社を中心に風土記の丘、
総合公園として整備されているこの辺りは、その昔、吉志部の里と呼ばれ、大
和時代から平安時代にかけて難波吉志一族が活躍していました。
難波吉志一族は、朝鮮半島から渡ってきた進んだ技術を持った人々といわれ
ています。「吉志」というのは、朝鮮半島にあった新羅の国で使っていた役人の
位の称号で、日本に渡ってから吉志(貴志、岐志、吉師)と呼ばれた人はたくさ
んいましたが、中でも難波の津(現在の大阪城付近)に住みついた一族を難波
吉志と呼んでいたようです。 岸部にいた難波吉志の先祖は安部難波吉志とい
い、大阪市阿倍野の四天王寺と関係が深いといわれています。
吉志一族は、代々「吉志の大神宮」を守り神として崇敬し一族の繁栄と周辺の
民衆の幸福を祈願して暮らしていました。

吉志部神社
吉志部神社は、大阪府吹田市の紫金山に鎮座し、遥か古代より鎮守の社として
村の人々に崇敬されてまいりました。
吉志部神社の創建時期は明らかではありませんが、社伝によると崇神天皇の時
代に大和国の瑞籬から奉遷して祀られ「大神宮」と称したとありますが、淳和天皇
の時代である天長元(824)年に天照御神と改称したこともあるようです。
ちなみに正式に吉志部神社となったのは、明治3(1870)年、神仏分離の発令を
機に改められてからです。
古くから極めて壮麗な社殿であったと伝えられていますが、応仁の乱の兵火でこ
とごとく焼け落ちてしまいます。焼け跡には奇跡的に神鏡のみが残されていたこ
とから、それを村人たちの手によって再び奉祀して文明元(1469)年に再建、さら
に天文3年(1534年)に中興されました。 江戸時代、祭神は天照皇大神を主神と
した七柱で七社明神と呼ばれ、吉志部5か村の鎮守として祀られていました。後
に豊受大神を合祀し、正徳3(1713)年、正遷宮の棟札には「吉志部村鎮守八社 」
と記されています。
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吹田駅へ向かう
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吹田駅ホームから
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6月16日の舞洲ゆり園・南港コスモスクエア駅-2

6月21日       6月16日の舞洲ゆり園・南港コスモスクエア駅-2
                   舞洲ゆり園へ花見に・・・
此の日は、家内が行かないと言うので1人で電車で行く事にした、弁天町駅
で地下鉄中央線に乗り換えて、終点の南港コスモスクエア駅、此処からバス
(北港観光)のコスモドリームライン(ロッジ舞洲迄行き帰る循環バス)が運行
されている@210円。ゆり園は、ロッジ舞洲で降りて徒歩3分のところに?
花見が終わって帰りに新夕陽の丘の公園散策、木陰で昼食を済ませて
帰りは、コースを桜島駅行きの市バスに乗ってユニバーサルシティー駅へ、
コスモスクエア駅から舞洲を撮る
舞洲へ渡る橋&舞洲の大坂市ゴミ処理施設
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新夕陽ヶ丘
昼食は此の公園でと考えながら・・・
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ゆり園の入園券@1200円は、JAF割引で@800円
ずーっと雨が降らないせいなのか?ゆり達も生気が無い?お疲れの様子・・・
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この3枚は続きもの?
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元に戻って
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此処までは、
6月16日の舞洲ゆり園・コスモスクエア駅-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-21
此の
6月16日の舞洲ゆり園・コスモスクエア駅-2 では
    続きの未だ未だ続くゆり園~の詳細を掲載します。
未だ未だ続くゆり園
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ゆり園&目休めに海上の船を・・・
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ゆり園を出て
新夕陽ヶ丘の公園へ弁当を食べに・・・
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昨年、
大きな実を付けてたヤマモモの木には実が1つだけ
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此れは
実は小さいが熟してて甘い
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帰りは桜島駅行きのバスでユニバーサルシティ駅へ
バスの車窓から見えたのは大阪市のゴミ処理施設?
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人口島全体を緑で覆い、自然環境と共生することを目指した舞洲のシンボル
として、外装デザインを重視して建てられたゴミ処理施設
高層ビルや工業的な街並みを攻撃的であると考え、建築の合理主義を否定し
続けていたフンデルトヴァッサー氏が、自然環境との調和を重視し、エコロジー
技術と芸術の融和をテーマに建物をデザインした。

※フンデルトヴァッサー(1928年12月15日 - 2000年2月19日)
自由な発想を持つ画家、フンデルトヴァッサーは絵画のほかにも、建築
デザインや商業デザインでもユニークな作品を残し、今も高い評価を得、
そして活用されています。オーストリアの芸術家、画家、建築家。
日本の風呂敷を「美しくて、無駄がない」として賞賛し、1997年に12種類
の風呂敷絵を描き、商品化している。

ユニバーサルシティ駅前で降りて駅へ
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環状線西九条駅で大和路線に乗り換える
西九条駅ホームで見かけた、ど派手!な電車
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6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-2

6月18日        6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-2
                JRふれあいハイキング 歩程約10㎞
此の日は知人と4人で参加、M吉さんK場さんS藤さんと田原の4人で昼飲み会迄。
コース JRふれあいハイキング 大阪・関西歩け歩け協会主催  参加費300円  
大阪城公園・森ノ宮噴水前 10時集合  此の日の参加者は132人
森ノ宮駅~徒歩5分~森ノ宮噴水前~(受付・集合)~大阪ビジネスパーク~鯰江
公園~城北川~八劔神社~鴫野古戦場跡~鴫野公園~森ノ宮駅(解散) 

ハイキングの4人は、湯処 あべの橋温泉で汗を流して昼飲み会に参加
6月14日・・・昼飲み会15:00~17:00 会費3000円9品&飲み放題 甘太郎で
 ・M吉さん・N西さん・Y田さん・R得さん・K場さん・A座さん・S藤さんと田原の8人
JR森ノ宮駅から
大坂城公園・森ノ宮噴水前へ、此処で4人揃う
森ノ宮噴水で受付
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直ぐ近くの木陰で集合&スタート
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大坂城公園内を歩き大阪ビジネスパークへ向かう
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大阪ビジネスパーク
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鯰江公園へ向かう
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鯰江公園で小休止
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城北川へ向かう
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城北川沿いを歩いて
城北川
城北川は、昭和10年の城北運河の着工に始まります。当時、工業地域としては
舟運の便を著しく欠いているということで、区画整理とあわせて、この運河を開き
ました。城北運河の位置は、旭区(現都島区)友渕町淀川左岸より赤川町、中宮
町、野江町を経て森小路に至り南折し、今福町を経て放出町寝屋川右岸に至り
ます。寝屋川と旧淀川(大川)を結ぶ総延長5615m(城東区内2130m)、幅40m
という大規模なもので、昭和15年12月に完成しました。
昭和30年~40年代の高度成長期には、工場、家庭排水により、城北運河もドブ
川化しました。そこで、昭和41年度から城北運河の浄化作戦が始まります。第1
次改修として5ヶ年計画で鋼矢板護岸工事を行い、生活排水が流れ込まない様
沿岸の下水道敷設を併行しました。昭和42年度からは河岸公園と遊歩道整備工
事にも着手、昭和46年度からは満干潮時に大川口、寝屋川口の両水門操作も
開始され、きれいな淀川の水を導入し汚れた寝屋川の水が締め出されるように
なりました。 このような浄化作戦の成果として、昭和48年1月には城北運河の城
東地区で、フナやモロコ等の稚魚の生息が確認されています。
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此処までは、
6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-1 として
      下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-18-1
此処では、此の続きの八釼神社へ向か~を
6月14日の古戦場跡と公園散策・森ノ宮駅-2 として詳細を掲載します。
八釼神社へ向かう
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八劔神社
速素盞鳴命(はやすさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)・八頭大
神(やつがしらおおかみ)を祭神とした神社」とあります。宮座中で存在した伝説を
記録した社記によれば、応永の始、老人の夢に熱田神宮の神様が現れ、明日淀
川の辺りにいくから祀ってほしいというお告げがあった。翌朝里民十数人を招きこ
の事を語ると、同じ夢を見た人が多くいることを奇異に思い、衣服を改め川辺にい
くと、案の定、小さな蛇が川から上がってきた。一同は蛇についていくと川を越え
て当地に入った。依ってその留まった所に小祠を建ててこれを祀ったとあり、これ
を神社の起源とし、応永3(1356)年9月の事としています。
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境内に大楠公さんの石像
大相撲・朝日山部屋の14代朝日山四郎右衛門が中心になり建立?
14代朝日山四郎右衛門とは
大正7年1月春場所に、二瀬川を改めて朝日山四郎右衛門の名を襲名して活躍
したこの関取は、鴫野の米屋の息子でした。本名は井口惣三郎。明治21年2月
23日生まれ。入門時の四股名は鴫野森。大正8年春場所に大関に昇進しました。
大正9年にアメリカ巡業、大正10年に現役を引退後も、大正13年台湾巡業、大
正14年アメリカ巡業をしました。地元の人や郷土を愛し、地元の人からもとても
愛されていました。昭和18年、56歳で没。現在でも八劔(やつるぎ)神社に「奉納
十四代朝日山四郎右衛門、大正九年四月」と書かれた石柱と、朝日山の化粧ま
わしをつけた額が奉納されています。
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※今の城東区に昭和の初め頃あったという大阪国技館
1937年(昭和12年)に、旭区関目(現在の城東区古市)に竣工した大阪国技館(大
阪大国技館とも)については、同年に発刊された『大阪大場所大相撲写真帳-大
阪大国技館竣工記念-』という資料があります。表紙に描かれた絵からもわかる
様に、鉄筋コンクリート4階建ドーム式の相撲場で、収容人員は25,000人、と概
要に記されています。「当時、国技館を中心に商店街や住宅を整備し、新たなま
ちを作る計画がありましたが、昭和16年(1941)の太平洋戦争の勃発とともに、
立ち消えとなり、大阪国技館も、わずか4年間、7回の準本場所が開催されただ
けで役目を終え、昭和26年(1951)頃には解体されました」と紹介されています。
※「大楠公(だいなんこう)」
楠木 正成(くすのき まさしげ)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての
武将。父は楠木正遠とされる。息子に正行、正時、正儀がいる。 後醍醐天皇を
奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に
天皇を助けた。尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一
翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。 明治以降は「大楠
公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。

鴫野古戦場跡
大坂冬の陣の鴫野・今福の合戦は城東区を主戦場としたもので、その碑が1920
年に現在の大阪市立城東小学校(城東区鴫野東3丁目16-14)の校庭に建てられ、
今も残っています。
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鴫野公園で小休止の後
森ノ宮駅へ向かう
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森ノ宮駅~天王寺駅へでて
ハイキングの4人は、湯処 あべの橋温泉で汗を流して待ち合わせ場所で合流、
8人で昼飲み会15:00~17:00 会費3000円 9品&飲み放題 居酒屋甘太郎
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6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-2

6月17日        6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-2
                菖蒲祭りに菖蒲以外の紫陽花等々
6月10日~12日は、馬見丘陵公園の菖蒲祭りが開催されていました。
此の日11日は、開園時間前に家内と一緒に菖蒲祭り?の菖蒲を見に行った。
菖蒲に菖蒲園周辺と紫陽花等も見て廻ったので・・・
菖蒲園周辺の菖蒲以外について
クレマチス&シモツケ&キンシバイ
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古墳の丘
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下池
亀達も日向ぼっこ
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アメリカデイゴ
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ビヨウヤナギ
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タンポポ&コクチナシ
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紫陽花園&睡蓮池
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此の続きは、
6月11日の馬見丘陵公園・紫陽花等々-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-17
続きは、紫陽花~
紫陽花
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ナガレ山古墳
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ウッドデッキへ
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上池
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梅林には梅の実が
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倉塚古墳
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一本松古墳
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下池
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中央公園館へ
流れの有る坂道
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6月11日の馬見丘陵公園・菖蒲園 詳細編

6月16日        6月11日の馬見丘陵公園・菖蒲園 詳細編
                   菖蒲祭り・・・
6月10日~12日は、馬見丘陵公園の菖蒲祭りが開催されていました。
此の日11日は、開園時間前に家内と一緒に菖蒲祭り?の菖蒲を見に行った。
6月10日~12日の菖蒲祭りは、100品種3万本との歌い文句で開催されていた。
6月11日の菖蒲園
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6月10日の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-2

6月15日       6月10日の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-2  
                JRふれあいハイキング 歩程約13km
此の日は1人で参加、日陰に入ると涼しくて、日向を歩くのが気持ち良い日だった。 
コース 大阪府歩け歩け協会主催 弁天町駅北口 波除公園(集合) 参加費500円
弁天町駅~波除公園(集合・スタート)~八幡屋公園ジャカランダ~甚兵衛渡船場~
泉尾浜公園~千島公園~落合上渡船場~北津守公園~一心寺ジャカランダ~天王
寺駅(ゴール)   参加者320人と多く、渡船(定員48人)には待ち時間が長かった。
八幡屋公園のジャカランダは未だ咲き初め?数本にチラホラ、一心寺のジャカランダ
は外の道路から、此方も未だ花が少なかった、千島公園のデイゴは綺麗に咲いてた。
志都美駅
和歌山線の古い電車が入って来た
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波除公園
主催の大阪府歩け歩け協会の朝礼
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波除公園をスタート
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八幡屋公園へ向かう
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八幡屋公園
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八幡屋公園のジャカランダ
数本の木にチラホラ咲き
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八幡屋公園で小休止
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甚兵衛渡船場へ向かう
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甚兵衛渡船場
定員48人だから7往復?
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甚兵衛渡船場から千島公園へ向かう
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千島公園(昼食休憩)
デイゴ
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此処までは、
6月10の花めぐり大阪の”ジャカランダ”・弁天町駅-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-15-2
続きは、千島公園の後半から
デイゴ
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オリンピック体操金メダル
具志堅幸司選手顕彰碑
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千島公園をスタート、公園内を通る
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落合上渡船場へ向かう
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落合上渡船場
此処も定員48人だから7往復
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北津守公園で全員を待って
一心寺へ向かってスタート
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新世界?
一心寺へ向かう
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一心寺のジャカランダ
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茶臼山公園(ゴール)
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堀越神社
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あべのハルカス
天王寺駅へ向かう  
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王子駅へ戻り、バスに乗って
自宅の近く、高速道路の裏道
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自宅の鉢植えのアマリリスが咲いた
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6月4日~10日の諸々-詳細編

6月13日        6月4日~10日の諸々-詳細編
               6月4日は町内会の大掃除
6月4日・・・午後の馬見丘陵公園散歩
  大掃除を済ませて午後から馬見丘陵公園へ散歩に出かけた
北エリア駐車場へ車を入れて
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バラ園へ向かう
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アメリカデイゴ&栗、菖蒲園
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下池
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乙女山古墳
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ススキの丘
強者どもの夢のあと
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北エリアへ戻る
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6月7日・・・奈良医大付属病院の眼科へ検査を受けに
  病院の帰りに今井町の入口、蘇武橋のたもと迄行ってみた
志都美駅
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病院の帰りに八木西口駅へむかう
飛鳥川
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蘇武橋&今井町の案内
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八木西口駅
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6月9日・・・社友会事務所(PC教室)へ
  PC教室1/3回目受講、2回目6月23日、3回目7月7日
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帰り
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6月10日・・・我が家の2Fベランダのアマリリス開花
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6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-2

6月13日     6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-2
              JRふれあいハイキング 歩程約5km
知人と2人で参加、参加者20人で2班(10人づつ)に分かれてボランティアガイドの
説明付きハイキング、爽やかな風の中を気持ち良く歩く事が出来てとても良かった。
なら観光ボランティアガイドの会の皆さん、有難う御座いました、次回もお願いします。
コース JRふれあいハイキング JR奈良駅 奈良市総合観光案内所前集合
JR奈良駅~奈良市総合観光案内所前~平城京跡への碑~開化天皇陵~浄教寺
~奈良県里程元標~高札~采女神社~猿沢池~興福寺・南円堂・額塚・国宝館・
五重塔~春日神社一の鳥居~影向の松~国立博物館(旧館)~氷室神社~浮雲
園地~手向山八幡宮・校倉造~三月堂~四月堂~二月堂~若狭井大湯屋~講堂
跡~正倉院前~大仏池~大仏殿前(解散)~鏡池~片岡梅林(昼食)・円窓亭~浮
見堂~十三鐘~北円堂~三重搭~近鉄奈良駅~JR奈良駅
奈良市総合観光センター(旧奈良駅駅舎)
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平城京跡への碑・・・棚田嘉十郎が建立、建立した場所からは移転されてる。
奈良公園の植木職人「棚田嘉十郎」は1906年に自ら発起人となり「平城宮阯保存
会」を組織したほか、1912年3月には当時の国鉄奈良駅前に大極殿跡への道標を
建立した。
棚田 嘉十郎(たなだ かじゅうろう、1860年5月21日(万延元年4月5日) - 1921年
(大正10年)8月16日)は日本の奈良の植木職人。文化財保護運動家。明治時代
から大正時代にかけて奈良県・平城宮の保存活動を行った。平城京跡に銅像有り。
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開化天皇陵
開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日)は、日本の
第9代天皇(在位:孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日)。
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浄教寺
淨教寺(じょうきょうじ)は、奈良県奈良市上三條町にある浄土真宗本願寺派の
寺院である。山号は九条山。本尊は阿弥陀如来立像。
巨大ソテツが有る、根株の周囲6.5メートル。1本の株から25本もの幹が出ている
珍しいもの。樹齢約250年~300年。
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南都銀行本店ビル
本店の建物は、大正15年4月、奈良郵便電信局跡地に旧六十八銀行の奈良支店
として竣工されたものです。旧六十八銀行は国立銀行で南都銀行の前身である4つ
の銀行のうちの1行です。
設計監理は東京在住の工学博士で建築士の長野宇平治氏、施工は大林組でした。
外壁には岡山産の花崗岩と褐色の煉瓦を使用し、構造は鉄筋コンクリート造の3階
建(一部4階建)地下1階の建物で、奈良唯一の壮麗な外観のギリシア様式建築でし
た。奈良県内では貴重な洋風近代建築の事例であり、平成9年に国の登録有形文
化財となりました。当時の建物としては、アメリカ製金庫扉、窓口シャッター、消火栓、
温水暖房、天井扇など近代的設備が随所に施されており、総工事費は関係費用を
含めると当時の金額で52万3,000円という巨費を投じたようです。
このギリシア様式の古典的な建造物のなかで、とりわけ目を引くのが正面のイオニア
式円柱に施された「羊」の彫刻ですが、これは設計者の長野氏と懇意だった東京美術
学校教授の水谷鉄也氏の作品です。「羊」の由来には諸説あるようですが、古代ヨー
ロッパにおいて民に多くの富をもたらした家畜を金融機関のシンボルとして採用したの
ではないかという説が有力です。なお、この「羊」の彫刻は建物東側壁面の装飾にも用
いられています。
昭和3年8月、旧六十八銀行は奈良支店を新本店とし、その後同9年6月、他3行との合
併により「南都銀行」が誕生しましたが、以降「南都銀行 本店」として現在もその機能を
果たしています。
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奈良県里程元標・高札
道路元標は道路の起点や終点などを示すため1919年、市町村に1基ずつ設置。
里程元標は1873年、距離を測る起点として府県に各1基置かれ、奈良には京都、
大阪、伊勢への起点の橋本町に1888年、設置されたが、木製のため台石だけが
残ってた。里程元標は1辺30cm、高さ3mの吉野産のヒノキ製。元の場所から東
20mの三条通り沿いの、1984年に復元された「御高札場」に建てられた。
高札とは、禁制や法令などを民衆に伝えるために街頭高く掲示した板札で、古代
から明治の初め頃まであったようです。
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采女神社
猿沢池のほとりにある、春日大社の末社。昔、帝の寵愛が薄れたことを嘆き悲しん
だ采女が猿沢池に身を投げたため、その霊をなぐさめる為に建てられたという伝説
が残されています。又、釆女神社の鳥居が東にあるのに、社殿が西向きなのは、
釆女の霊が池を見るのが辛いからだという伝説も有ります。
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猿沢池
奈良八景の一つに数えられる猿沢池は、周囲360m、池畔の枝垂れ柳越しに望む
興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝である。池には、毎
年4月17日の興福寺の放生会に鯉が放たれる。最近はカメの名所としても知られ
るようになったが、岸に立てばカメと共に緋鯉、真鯉がエサを求めて寄ってきて観光
客を楽しませる。猿沢池の俗謡に、「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生え
ず、魚七分に水三分」の七不思議があるが、奈良公園の鹿と同じように池の生物は
興福寺のおかげで手厚く保護され、「魚七分に水三分」というのも大いに理由がある。
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興福寺・南円堂・額塚・国宝館・五重塔
南円堂
西国三十三所観音霊場の第九番札所です。
弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願ってお建てに
なった八角円堂です。基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎(わど
うかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)をまきながら築き上げたことが発掘調査
であきらかになりました。この儀式には弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が深く係
わったことが伝えられます。
興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖
である内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めます。そ
のうえ本尊不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像が身にまとう鹿皮は、氏神春
日社(かすがしゃ)との関係から、特に藤原氏の信仰を集めました。創建以来4度目の
建物で、寛政元年(1789)頃に再建されました。八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、
本瓦(ほんがわら)葺きの建物ですが、その手法はきわめて古様です。
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額塚
興福寺には山号がありません。
南都七大寺には不思議と山号がない為今まで気にも留めていなかったのですが、興福
寺にはそれなりの理由がある様です。比叡山延暦寺や高野山金剛峰寺などに見られる
山号はよく知られるところです。奈良の興福寺にも月輪山(がつりんざん)という山号が
付けられていたようです。そして、その山号額が埋められている場所が茶臼山と呼ばれ
る額塚です。額塚のある場所は興福寺不動堂の南側です。
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東金堂
中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂で、西向きの建物です。神亀3年(726)に聖武
(しょうむ)天皇が叔母元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を願ってお建てになりまし
た。創建当初は床に緑色のタイルが敷かれ、薬師如来(やくしにょらい)の浄瑠璃光(じ
ょうるりこう)世界がこの世にあらわされていました。以来6度の被災、再建を繰り返し、
今の建物は応永22年(1415)に再建されました。正面7間(25.6m)、側面4間(14.
1m)、寄棟(よせむね)造り、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、前面を吹放(ふきはな
し)とし、木割(きわり)が太く、奈良時代の雰囲気を伝えます。
堂内には本尊薬師如来(やくしにょらい)像、日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)
像(以上いずれも重要文化財)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像と維摩居士(ゆいまこじ)像、
四天王(してんのう)像、十二神将(じゅうにしんしょう)像(以上いずれも国宝)が安置され
ます。
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五重搭
古都奈良を象徴する塔です。塔は仏教の祖釈迦の舎利(しゃり)(遺骨)をおさめる墓標
です。天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等(ふひと)の娘光明(こうみょう)皇后
がお建てになりました。初層の東に薬師浄土変(やくしじょうどへん)、南に釈迦浄土変
(しゃかじょうどへん)、西に阿弥陀浄土変(あみだじょうどへん)、北に弥勒浄土変(みろく
じょうどへん)を安置し、また各層に水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経(くじょうこうだらにきょ
う)を安置していたと伝えられます。その後5回の被災・再建をへて、応永33年(1426)頃
に再建されました。高さ50.1m、初層は方三間で8.7m、本瓦(ほんがわら)葺きの塔で
す。軒の出が深く、奈良時代の特徴を随所に残していますが、中世的で豪快な手法も大
胆に取り入れた、大変に力強い塔です。初層の四方には、創建当初の伝統を受け継ぐ薬
師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置します。
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春日大社一の鳥居・影向の松
一の鳥居
平安後期に創建されたといわれ、現在のものは、寛永11年(1638年)に再建された
ものである。今では市街地のメインストリートの三条通との境界に当たるが、 古くは
春日大社と興福寺旧境内との境に立つ高さ6.75mの大鳥居です。
3月の春日祭や12月の春日若宮おん祭の際には大きな榊が立てられています。
今次、平成27・28年 春日大社第六十次式年造替. (20年に一度執り行われる社殿
の修築大事業). *平成27年 3月27日 仮殿遷座祭(下遷宮)執行 *平成28年11月
6日 本殿遷座祭(正遷宮)執行。
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※影向の松(ようごうのまつ)
春日大社一の鳥居をくぐってすぐの、参道右側に生育しているクロマツである。延慶2年
(1309年)の春日権現験記にも記された古い巨木であったが、1995年(平成7年)に枯れ
たため、現在は巨大な切り株の横に後継樹の若木が植えられている。
この地は昔、春日大明神が翁の姿で降臨され、万歳楽を舞われた地とされる。教訓抄に
よると、松は特に芸能の神の依代(よりしろ)であり、この影向の松は能舞台の鏡板に描
かれている老松の絵のルーツとされている。

国立博物館(本館)・・・小休止、鹿と・・・
展示施設は本館、本館付属棟、東新館、西新館、地下回廊がある。このうち本館は、赤坂
離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により1894年(明治27年)竣
工したもので、明治期の洋風建築の代表例として重要文化財に指定されている。
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氷室神社
奈良時代、春日奥山に造られた氷室(氷の貯蔵庫)に氷の神(闘鶏稲置大山主命・大鷦鷯
命・額田大仲彦命)を祀ったのが始まりとされ、のちに現在地に移築されました。大阪氷卸
協同組合など製氷業者の信仰が篤く、神前にタイやコイ(本物です!)を封じ込めた高さ
1mの氷柱が奉納される「献氷祭(5月1日)」は大変有名です。
氷室神社のしだれ桜は「奈良一番桜」と呼ばれ、奈良で最も早く開花する桜であると言われ
ています。氷室神社の桜の開花を追うように、あちこちで桜が開花していくそうで、いわば古
都の春の始まりを告げる大変縁起の良い桜なのです。
境内には何本かしだれ桜がありますが、最も迫力のあるものは、「四脚門」と呼ばれる門前
に建つ一本です。こちらは樹齢約100年。
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浮雲園地
奈良公園の中心部にあります。大仏殿交差点と奈良春日野国際フォーラム 甍の間
をゆったりと歩ける園路があります。
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手向山八幡宮・校倉造
手向山八幡宮
東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月
堂)がある。
天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大
寺の守護神として勧請された。八幡宮からの分社では第一号である。当初は平城宮
南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年
(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再
建した。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある
平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。
創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺
から独立した。
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校倉
手向山八幡宮南側に建つ手向山八幡神輿庫。
法華堂(三月堂)法華堂経庫(重文)です。2棟とも天平時代に建てられたものです。
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此処までは、
6月3日の古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-06-13
此処では、続きの三月堂(法華堂)~の詳細を掲載します。
三月堂(法華堂)
東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょ
うじ)の遺構とされる。752(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)に
は「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂である。
旧暦3月に法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれ
るようになった。
もとは寄棟(よせむね)造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して建つ配置
であったが、鎌倉時代、礼堂を入母屋(いりもや)造りに改築して2棟をつないだ。正堂
は天平初期の建築だが、礼堂は大仏様(だいぶつよう)の特色が見られる鎌倉時代の
建築。時代の異なる建築が高い技術によって結ばれ、調和の取れた美しい姿を見せる。
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四月堂
東大寺の三昧堂は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般に四月堂と
呼ばれている。創建は、1021年(治安3年)あるいは1067年(治暦3年)といわれ、
現在の建物は、1681年(延宝9年)の墨書銘がある。
本尊千手観音(重要文化財)や阿弥陀如来像(重要文化財)が安置されている。
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二月堂
旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡
の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛
文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の
建物である。本尊は大観音(おおかんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の
十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は200
5年12月、国宝に指定された。
魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに
清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」。
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若狭井
「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は誰も入ることも
うかがうことも出来ない。行列が閼伽井屋に到着すると咒師、堂童子等が中に入り水
を汲む。これが二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納め
られる。「お水取り」が終わると閼伽井屋に下っていた練行衆等は再び行列を組んで
二月堂へ戻り、中断していた後夜の「時」が再開される。
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大湯屋へ向かう
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大湯屋(おおゆや)
寺院の風呂場です。奈良時代から設けられていたのですが、文献での初見は平安時
代に降ります。その後数回の被災・再建を経て、室町時代に再建されたのが現在の建
物で、五重塔再建と同じ時期-すなわち応永33年(1426)頃と考えられます。
正面4間(11.7m)、側面4間(10.6m)、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、西面の
屋根は入母屋(いりもや)、東面の屋根は切妻(きりづま)ですので、東側になんらかの
建物があり、この大湯屋で湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたり、ある
いは入浴したりしたと思われます。
内部に床を敷かず、地面に直接鉄の湯釜を2個据えています。南の湯釜はほぼ完形で、
口径1.5m、胴径1.86m、高さ1.27mで鎌倉時代、北の湯釜は口縁の部分しか残ら
ないのですが、口径1.44mで平安時代のものです。
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講堂跡
東大寺講堂跡は、大仏殿の裏手にある芝生の広場。その昔、ここには大きな「講堂」が
建っていてた。今は講堂の礎石(そせき)だけが残っていて、絶好のお弁当スポットです。
東大寺といえば、奈良でも一番人気の観光スポット。でも、観光客でごったがえしている
のは大仏殿くらいまでで、広い境内には意外と静かなエリアもあります。講堂跡もそのひ
とつ。周辺を通る人もまばらで、講堂跡に寄る人はもっと少ないし、そのなかでも、ここが
「講堂跡」というところだと知っている人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
芝生が広がっているノビノビした広場には、柱が立っていた礎石が並んでいて、ベンチ代
わりにちょうどいい感じ。ちょっと休憩したり、お弁当を広げたり、観光をサボって昼寝した
りするのにおすすめのスポットです。たまにシカが通ったりしますが、講堂跡あたりにいる
シカは、お弁当を狙って取り囲んだりしないようです。夏のサルスベリや秋の紅葉なども
楽しめます。講堂は、昔のお寺の重要な建物のひとつで、お経の講義や説法が行われる
所。何千人ものお坊さんが勉強にはげんでいたところで、今でいえば大学でしょうか。東大
寺は日本のお寺の中心として建てられただけあって、東大寺の講堂は「日本の最高学府」。
そんな重要だった建物も、何度も火事にあって、戦国時代の火事で焼けたあとは建てなお
されませんでした。
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正倉院前
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、
校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品
をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、
1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化
財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
元は東大寺の正倉(倉庫)だったが、1875年(明治8年)3月10日、収蔵されていた
宝物の重要性に鑑み、東大寺から内務省の管理下に置かれた。1881年(明治14
年)4月7日、農商務省の設置に伴い、内務省博物局が農商務省へ移管され、18
84年(明治17年)5月に宮内省所管となった。1908年(明治41年)4月、正倉院は帝
室博物館の主管となり、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)5月3日に宮内
府図書寮の主管となった。現在は宮内庁の施設等機関である正倉院事務所が管
理している。
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大仏池・・・此の日は、改修工事中で水が抜き取られていた
東大寺大仏殿を借景に各種大木が茂り、背景には春日山、若草山、御蓋山が
稜線を並べ、前景となる池の水面に反転させている。
ライトアップされた偉大な大仏殿とそれを映し出す水鏡が美しい。
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大仏殿前(解散)
創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする
材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。そ
のため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。現在でも世界最
大級の木造建築であるが、往時の壮大さがうかがえる。毎年、大晦日から元旦に正
面唐破風(からはふ)下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新
年を迎えることができる。
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鏡池
東大寺大仏殿と南大門の間にあり、水面に映る中門と大仏殿の景色が美しい。
池の中に柄付きの鏡のような形をした島があることが名前の由来という。島に
は弁財天が祭られている。
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南大門
天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺
を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再
建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、
建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間
三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで
達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿
にふさわしいわが国最大の山門である。
仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創
建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程
で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたこと
も証明された。
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片岡梅林(昼食)・円窓亭
円窓亭は、もと春日大社経庫を改造したもの(鎌倉時代)。周りには梅が植え
られ片岡梅林という。阪を下ると浮見堂がある。奈良公園の早春の装いはま
ずこのあたりの清楚な梅の香りから始まる。
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鷺池(鷺池)&浮見堂
浮見堂(うきみどう)は、奈良公園の鷺池(さぎいけ)に浮かぶ六角形のお堂です。
浮見堂は、 奈良公園の浅茅ケ原園地(あさじがはらえんち)内にあります。
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十三鐘(菩提院大御堂)
奈良市民に、十三鐘(じゅうさんがね)、また稚児観音(ちごかんのん)や三作石子
詰(さんさくいしこづめ)の伝承で、よく知られています。奈良時代には、この付近一
帯は仏に供える四季の花が植えられていました。また興福寺の法相宗(ほっそう
しゅう)を中国から伝えた玄昉(げんぼう)僧正が住んでいたとも伝えます。
発掘調査の結果、このように大きな建物が建てられたのは鎌倉時代に入ってから
のことであることがあきらかになりました。現在の建物は天正8年(1580)の再建で、
正面5間(17m)側面5間(14.2m)、本瓦(ほんかわら)葺きで、正面に向拝(ご
はい)がつきます。庭にヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が有り綺麗な花をさかせる。
堂内には本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)像(重要文化財)、不空羂索観音菩薩
(ふくうけんさくかんのんぼさつ)像、稚児観音菩薩(ちごかんのんぼさつ)像を安置
しています。
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北円堂
日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと賞賛されるこの堂は、興福寺創建
者藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)8月に、元明(げんめい)太上天
皇と元正(げんしょう)天皇がお建てになりました。
伽藍(がらん)の中では西隅に位置しますが、ここは平城京を一望の下に見渡す
ことのできる一等地で、平城京造営の推進者であった不比等(ふひと)の霊をなぐ
さめる最良の場所です。治承4年(1180)の被災後、承元4年(1210)頃に再建さ
れました。八角の一面は4.9m、対面径は11.7m、本瓦(ほんがわら)葺きの
建物です。華麗で力強く、鎌倉時代の建物であるにもかかわらず、奈良時代創建
当初の姿をよく残しています。内陣(ないじん)は天蓋(てんがい)が輝き、組物間
の小壁には笈形(おいがた)が彩色されています。
堂内には本尊弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)、法苑林(ほうおんりん)・大妙
相菩薩(だいみょうそうぼさつ)像、無著(むじゃく)・世親菩薩(せしんぼさつ)像
(国宝)、四天王(してんのう)像(国宝)が安置されます。
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三重搭
康治2年(1143)に崇徳(すとく)天皇の中宮(ちゅうぐう)が創建されましたが、治承
4年(1180)に被災し、間もなく再建されました。
北円堂(ほくえんどう)とともに興福寺最古の建物で、高さ19.1m、初層は方三間
で4.8m、本瓦(ほんがわら)葺き。
鎌倉時代の建物ですが、木割が細く軽やかで優美な線をかもし出し、平安時代の
建築様式を伝えます。初層内部の四天柱(してんばしら)をⅩ状に結ぶ板の東に薬
師如来(やくしにょらい)像、南に釈迦如来(しゃかにょらい)像、西に阿弥陀如来
(あみだにょらい)像、北に弥勒如来(みろくにょらい)像を各千体描き、さらに四天
柱や長押(なげし)、外陣(げじん)の柱や扉、板壁には宝相華(ほうそうげ)文や
楼閣(ろうかく)、仏や菩薩(ぼさつ)など浄土の景色、あるいは人物などを描いて
います。東の須弥壇(しゅみだん)に弁才天(べんざいてん)像と十五童子像を安
置し、毎年7月7日に弁才天供が行われます。
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奈良の三条通沿いに祀られる手力雄社・・・高札の直ぐ横上
天岩戸(あまのいわと)神話で活躍した神様。
天照大神が天の岩屋戸に引き籠り、世界が真っ暗になってしまったというお話。
困った神々が相談して、アメノウズメが胸もお腹も露わに踊り出すことになります。
八百万の神々の笑いに誘われてそっと外の様子をうかがった天照大神を、その
怪力で引っ張り出したのが天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。
手力雄神社(たぢからおじんじゃ)は春日大社の境外末社の位置付けです。春日
大社には計61社の摂末社がありますが、その内の一つが橋本町に鎮座する手
力雄神社なのです。
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ひがし向き商店街
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近鉄奈良駅・行基菩薩像
昭和45年(1970年)に近鉄奈良駅再開発事業の完成を記念して、東大寺大仏殿に
向かって立つ行基菩薩をモチーフに奈良の伝統的な焼き物の赤膚焼きでつくられ
ました。途中、心ない者の手で破壊されましたが、平成7年(1995年)にブロンズ像
で復元されました。地元では、行基の立つ広場は「行基広場」と呼ばれ、待ち合わ
せの場所として親しまれています。
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知人と別れて
JR奈良駅へ

6月2日の馬見丘陵公園・詳細編

6月10日        6月2日の馬見丘陵公園・詳細編
                 菖蒲園の様子見に・・・
6月10日~12日が菖蒲祭り、100品種3万本との歌い文句で開催される。
6月2日の菖蒲園
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下池
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ムクロジ
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アメリカデイゴ
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バラ園
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北エリアへのトンネル、北エリア
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バラ園へ戻って
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ベニバナトチノキの実
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ビヨウヤナギ
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シモツケ
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