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7月30日の藤原宮跡の蓮田&キバナコスモスー2

7月31日       7月30日の藤原宮跡の蓮田&キバナコスモスー2
                7時54分~8時24分迄の30分間    
家内を連れて車で藤原旧跡の蓮田を見に行って来た。前夜の話しでは、蓮は早朝が
良いから、7時前に6時50分頃出発して、との予定が7時25分にズレて出遅れて、藤原
宮跡の花見臨時駐車場に着いたのは7時50分過ぎ?駐車場にはかなりの車が有って
蓮田の周りにはカメラマンカメラウーマンが・・・
車を降りて、先ず大和三山、畝傍山~
大和三山
大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原
市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区
域に指定、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国
の名勝に指定された。
天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)
畝傍山(うねびやま、199m)
耳成山(みみなしやま、140m)
飛鳥時代の持統天皇の頃には三山周辺に大規模な条坊制を取り入れた藤原京が
整備され三山に囲まれた中心部に大極殿などの宮城が置かれてた(現藤原宮跡)。
畝傍山
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天香久山
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耳成山
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※万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 
神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬
(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。
大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌である。この歌の「畝火ををし」を「畝
火雄々し」と解釈し畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝
傍山は女神であるという説とがある。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額
田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。
※藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあった所で
す。藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政
治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、
霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16年間の都でしたが、
藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。
蓮田
バックに耳成山
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バックは耳成山
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畝傍山
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バックは天香久山
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バックは畝傍山
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此処までは、
7月30日の藤原宮跡の蓮田&キバナコスモスー1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-31-1
此処では、此の続きの蓮田の途中~の詳細を
7月30日の藤原宮跡の蓮田&キバナコスモスー2 として掲載します。
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バックは畝傍山
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バックは耳成山
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バックは天香久山
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キバナコスモス
バックは畝傍山、コスモスも混ざって
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畝傍山
蓮田に戻り、駐車場へ・・・
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バックは天香久山
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バックはキバナコスモス&畝傍山
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※藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかか
る地域にあった飛鳥時代の都城。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐
風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。
『日本書紀』には新益京と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で
藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語で
ある。694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年間、都城制を敷いた初め
ての都で、日本で初めて国家体制が確立された大化の改新(645年)以後、その新
しい国家の首都として造営された日本で最初の都市である。
持統天皇4年(690年)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷した(一説に12
月6日(694年12月30日)昼前に遷行したとされる)、とある。それまで、天皇ごと、
あるいは一代の天皇に数度の遷宮が行われていた慣例から3代の天皇に続けて
使用された宮となったことは大きな特徴としてあげられる。この時代は、刑罰規定
の律、行政規定の令という日本における古代国家の基本法を、飛鳥浄御原(あす
かきよみはら)令、さらに大宝律令で初めて敷いた重要な時期と重なっている。政
治機構の拡充とともに壮麗な都城の建設は、国の内外に律令国家の成立を宣す
るために必要だったと考えられ、この宮を中心に据え条坊を備えた最初の宮都建
設となった。

7月28日の728(浪速)の日 大阪の街を散策-2 

7月30日    7月28日の728(浪速)の日 大阪の街を散策-2 
            近鉄駅フリーハイキング・上本町駅~
近鉄駅フリーハイキング・上本町駅~阿部野橋駅 歩程約6㎞に知人と3人で参加、
コース 近鉄 大阪上本町駅(地上コンコース)受付9時半~11時
大阪上本町駅(受付)~生国魂神社~国立文楽劇場~今宮戎神社~通天閣~てん
しば(天王寺公園)~大阪阿倍野橋駅(ゴール)
 新世界 通天閣からコースを変えて、茶臼山(昼食休憩)~和気橋~堀越神社~
てんしば~1人お別れして、2人で → 湯処・あべの橋→JR天王寺駅で14:50に
待合せて、15:00~17:00 昼飲み会(会費3000円9品&飲み放題)甘太郎で開催
此の日の私の万歩計は、19128歩で約12.5km歩いた事に、暑かった・・・・
大阪上本町駅(受付・スタート)
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藤次寺
藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は
如意山(にょいさん)。摂津国八十八箇所 第19番札所。大阪の融通さんと称される。
本尊・如意宝珠融通尊(にょいほうじゅゆうずうそん)=(宝生如来・ほうしょうにょらい)
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上
人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえ
に、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、
藤次寺と改称し、現在に至っている。
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作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した
全28作の作品名が刻まれた石碑も存在する。
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生国魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、簡体字:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区
生玉町にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の
別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座
する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願
寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に
遷座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、
国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の即
位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた重
要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。
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織田 作之助(おだ さくのすけ)像
1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。終戦
後太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」
の愛称で親しまれる。
出世作となった「俗臭」「夫婦善哉」をはじめ、「競馬」「世相」など短編を得意とした。又
出身地である大阪に拘りを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが
描かれていることが特徴である。
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真言坂
真言坂(しんごんざか)は大阪府大阪市天王寺区にある坂。
天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、一番北に位置し、かつ唯一南北に通る。北側の上
り口は千日前通の南(阪神高速高津入口付近)に通じ、上り口に真言坂の顕彰碑があ
り、正式名称は真言坂。南向きに坂を上ると生國魂神社の北の鳥居・石段の前へ至る。
坂の名の由来は、このあたりに生國魂神社の神宮寺だった法案寺をはじめとした真言
宗の仏教寺院が十坊(「生玉十坊」と呼ばれた)あったことに由来する。
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国立文楽劇場
国立文楽劇場(こくりつぶんらくげきじょう)は、大阪府大阪市中央区にある劇場。4番目
の国立劇場として1984年に開館、大小2つの劇場と展示室などからなる。大ホールでは
ユネスコ無形文化遺産の「代表一覧表」に記載されている人形浄瑠璃・文楽の公演を中
心に演劇や舞踊などが行われる。小ホールでは奇数月に落語・漫才・浪曲などの興行
「上方演芸特選会」が開かれ、東京の国立劇場における国立演芸場的役割も担う。
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二つ井戸跡
夫婦善哉にもたびたび登場するなど多くの逸話がある旧跡です。
ルーツは江戸時代初期にまで遡り、二つ並んで掘られた井戸は珍しいということで江戸
時代後期には名所に指定されました。
かつてはこの井戸の水を使い多くの貨幣が鋳造されたとのこと。度重なる移築や戦火を
経て、今は国立文楽劇場前にさりげなく復元されています。
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黒門市場
大阪市の観光スポットで 967 件中 10 位。
大阪の日本橋にある黒門市場は鮮魚、青物、果実、肉など"ほんまもん"の食材を扱う
店舗がひしめき合う大阪の台所。来場者数は平日1日平均2万3千人、年末にはなんと平
均15万人!
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レトロビル 高島屋
高島屋東別館
ここは、1923年(大正12年)に、松坂屋が名古屋から大阪に初進出したときに建てられた
もので、松坂屋が天満橋に移転したあと、施工者の竹中工務店を通じて、高島屋が買い
取ったものです。
それ以降、高島屋はこの場所を店舗としては使用せず(店舗は1階だけ)、オフィスとして
使用してきたために、建物の傷みが少なく、また改装もしていないので、保存状態がいい
とのこと。設計者は、鈴木禎次。辰野金吾の弟子なので、日本における西洋建築第2世
代の建築家。
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今宮戎神社
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、大阪市浪速区にある神社。商売繁盛の神様
「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開
催される。旧社格は郷社、現在は別表神社である。
聖徳太子の四天王寺建立の際に西方の守護神として建てられたと伝えられている。
祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱。このうち事代主神
がえびすとして特に信仰を集めた。近世以降は商売繁盛の神として、現在でも篤く信仰
される。
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玉出スーパーの向うに
浪速シャープが在ったが高僧ビル建築中・・・
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新世界の方へ向くと通天閣が見える、道路渡ると浪速警察署
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此処までは、
7月28日の728(浪速)の日 大阪の街を散策-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。 
         http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-30
此の続きは、新世界界隈~を
7月28日の728(浪速)の日 大阪の街を散策-2 として詳細掲載します。
新世界 通天閣
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区の新世界中心部に建つ展望塔である。
2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった。公式キャラクターは「ビリケン」。
大阪の観光名所として知られる。現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成
した。通天閣観光株式会社(つうてんかくかんこう株)により運営されている。避雷針を含
めた高さは108m(塔自体の高さは100m。避雷針は2016年に3mのものから8mのものに
更新している)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手が
けた内藤多仲。建設を施工したのは奥村組である。「通天閣」とは、「天に通じる高い建
物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳である。
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動物園横の階段を上り
動物園の上を美術館の方へ渡る
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茶臼山古墳山頂(昼食休憩)良い風が通っていて涼しかった・・・
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。大阪
府指定史跡に指定されている。古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も
公園の一部として遊歩道が整備されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ、
通称ちゃぶいけとも言う)があるが、これは788年(延暦7年)に和気清麻呂が、大和川や
河内湖の排水と水運のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地とも言われ
る。古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級
の前方後円墳だが被葬者は不明である。1546年(天文15年)、細川晴元の家臣山中又三
郎が古墳の後円部に大塚城を築く。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が
徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣
となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
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和気橋 河底池
大坂冬の陣で家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し激戦地となった茶臼山古墳は、
奈良時代に和気清麻呂が河内川の流水を南に引こうとした河底池とともに、天王寺公園の
風景に取り入れられている。和気橋は、延暦7年(788 年)和気清麻呂が旧大和川の流れ
を変えるために上町台地を開削した際、茶臼山古墳の濠を利用した名残が河底池である
と伝えられていることから、「和気橋」と名付けられている。
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和気橋を戻って堀越神社へ向かう
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堀越神社
堀越神社(ほりこしじんじゃ)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。
聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿
を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。
かつて創建当初から明治中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したの
が社名の由来だといわれる。また、古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇
を集めている。
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てんしば(天王寺公園)コーヒータイム
日本一の高層ビル「あべのハルカス」
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キューズモールの中を通り
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湯処・あべの橋の天然温泉
大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号(大阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m)
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉  泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき
    ・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
    ・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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JR天王寺駅で待合せて
昼飲み会へ 甘太郎 
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7月25日の今井町&午後の馬見丘陵公園-2

7月27日      7月25日の今井町&午後の馬見丘陵公園-2
               通院の帰りに立ち寄った今井町
奈良医大付属病院に通いだして3回目、今月の診察で手術か?点眼薬継続か?判断
した結果、目は症状安定して眼圧も目標値以下に下がり手術は回避、当面は点眼薬だ
けで様子見、奈良医大病院へ通わずに以前の近所の病院で定期検診が出来る様に配
慮して貰えた、帰りに今井町に立ち寄り、先月お願いして有った胡瓜の奈良漬を買おうと
お店を訪ねたが留守、電話も誰も出ず、諦めて帰る事にし、午後は奈良医大病院の先生
が書いてくれた手紙を近所の前にかかってた病院の先生に届けて来月の診察日を予約、
その足で家内の買い物の運転手をすませて馬見丘陵公園へウオーキングに、百日紅や
向日葵が綺麗に咲いてて良かったが暑い!公園の片側だけを散策して引きあげた・・・
今井町~八木西口駅
飛鳥川
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畝傍山
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蘇武橋
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今井町の案内板
八木西口駅

午後の馬見丘陵公園
北駐車場に車を入れて
孫達が来たときに良く行く噴水へ、百日紅が綺麗
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馬見花苑へ戻って
白と赤の百日紅が綺麗
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他にルドベキア
黄色の綺麗な花が・・・
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向日葵も
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ルドベキア
黄色の花がよく目立つ・・・
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向日葵
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此処までは、
7月25日の今井町&馬見丘陵公園-1  として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-27-1  
此処では、続きの集いの丘後ろ側~を
7月25日の今井町&馬見丘陵公園-2  として詳細を掲載します。
集いの丘後ろ側~
向日葵
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ルドベキア、向日葵、ルドベキア・・・
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向日葵の後姿?
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百日紅や向日葵
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向日葵の後ろ姿
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百日紅と向日葵
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トンネルを潜って
花の道を中央エリア下池へ
此処にもルドベキアや芙蓉やシモツケ
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下池の亀
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下池、対岸は1本松古墳
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下池、ウッドデッキの向うは乙女山古墳
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写真の奥は下池
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百日紅やムクゲ
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7月23日の冷や冷や夏吞み竹之内街道とワイン館ー2

7月26日     7月23日の冷や冷や夏吞み竹之内街道とワイン館ー2
             近鉄フリーハイキング 古市駅~上ノ太子駅
知人と4人で参加、私にとってはワインの試飲巡りは初体験、河内ワイン館では、
白ワインと梅酒と赤ワインの試飲、白ワインが美味しかったので200円の白ワイン
のかき氷を食べた、2軒目の飛鳥ワインでは赤ワインの試飲、此れまでは毛嫌い
して全く飲まなかったワインが、今回で試飲程度なら飲んでも大丈夫だと解った。
コース 近鉄フリーハイキング 古市駅受付9時半~10時 歩程約6km
古市駅(受付)~白鳥神社~竹之内街道~西琳寺~であいの道~竹之内街道~
河内ワイン館~飛鳥川の歌碑~飛鳥川沿い~飛鳥戸神社~飛鳥ワイン~上ノ太
子駅(ゴール)。今回の私の万歩計は、15383歩で約10.3km歩いたことに・・・
古市駅(受付)~白鳥神社
古市
日本最古の官道「竹内街道」と京都から霊場高野山に詣でる「東高野街道」が
まじわる古市の地、ここに訪れる人が憩える語らいの場となっています。
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白鳥神社
日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、
その祭神である饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)を合せ祀る。
元は軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と
呼ばれていた。南北朝・戦国の兵火により衰微し、峯ケ塚古墳の頂の小祠として
祀られてきたが、慶長9年(1596年)の慶長の大地震で倒壊し、そのまま放置され
ていた。天明4年(1784年)、古市の氏神として現在地に移された。
明治41年(1908年)、式内・高屋神社を合祀した。高屋神社は昭和29年(1954年)
に独立・再興されたが、現在でも合祭神としてその祭神を祀っている。
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竹之内街道~西琳寺
竹内街道(たけのうちかいどう)
大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の
長尾神社付近に至る約26 kmの街道である。
羽曳野市の白鳥交差点から葛城市の竹内集落付近までの区間は、そのほとんど
の区域が国道166号に指定されている。

西琳寺
西琳寺(さいりんじ)は大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は
向原山。本尊は薬師如来立像。
西琳寺は、7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふ
み)氏により創建されたとみられる。創建時は現在よりも一回り大きい寺域(東西
109m、南北218m)を有し、難波宮と飛鳥を結ぶ日本最古の街道である竹内街道
に面していた。境内の庭に置かれた高さ2m近い塔礎石は重量は27tを超え、塔礎
としては飛鳥時代最大のものである。創建時の伽藍は、塔を東、金堂を西に配す
る法起寺式伽藍配置とみられる。境内からは創建時の建物の屋根を飾っていた
鴟尾(しび)が出土している。
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大粒の立派なギンナンが・・・
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搭礎石を横から見れて感動!
掘り起こされた搭礎石を見るのは初体験?
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であいの道へ向かう
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であいの道
飛鳥川の旧河川敷を利用して、古墳時代・飛鳥時代の時の流れや変化を表現
した遊歩道です。「人」・「時」との出会いの空間を創造しています。
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竹之内街道
飛鳥時代の大和と難波を結ぶ日本最古の官道として、外国使臣や宮人は
もちろん、一般大衆が往来してにぎわいました。
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此処までは、
7月23日の冷や冷や夏吞み竹之内街道とワイン館ー1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
          http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-24-2
此処では、此の続きの河内ワイン館へ~
7月23日の冷や冷や夏吞み竹之内街道とワイン館ー2 として詳細掲載します。
河内ワイン館へ~
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河内ワイン館・・・HPより
1階では、カウンターにて、約20種類の試飲を楽しめます。
店頭のワイン、梅酒はもちろん、ショップ内のワインセラーで眠る、こだわりの
上質なシリーズのワインを味わうこともできます。
明るい解放感あふれる空間で、季節の移り変わりを、肌と香りで感じることが
できます。・・・7月23日、此の日は、ワイン館2階の「展示ホール」で試飲。
ワイン館2階にある「展示ホール」。
河内ワイン初期の頃のワインラベルやビン・写真・資料など、これまで河内ワ
インが歩んできた歴史を心地よい空間でご覧になることができます。
もちろん無料で見学できますので、ワイン館に立ち寄った際には、是非一度
お立ち寄りください。 河内ワイン社員一同お待ちしております。
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1F 店内 冷房が効いててやっと一息・・・
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2F 店内
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飛鳥川の歌碑~飛鳥川沿い
柿本人麻呂の歌碑
飛鳥川と竹内街道が交差するところに「月読橋」という優雅な名を持つ橋がある。
橋のたもとには、古い石灯籠が2基あり、「太神宮」「金比羅大権現」と刻まれてい
る。これはお伊勢さんや金比羅さんへの献灯であり、この道を通る人への道案内
の街灯でもあった。また、この橋から飛鳥川の右岸50m上流に石碑があり、新古
今集の中の「あすか河もみじ葉ながる葛城の山の秋風吹きぞしぬらし」(人磨)と
いう歌が彫られている。
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川沿いを
飛鳥戸神社&飛鳥ワインへ向かう
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飛鳥戸神社
竹内街道に沿う飛鳥の丘陵上に鎮座する神社です。平安時代中期、延長5
(927)年に完成した『延喜式』には名神大社として記載されています。現在は
素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神としていますが、5世紀後半に来朝した百
済の王族、琨伎王[昆支王](こんきおう)を祭祀しているという説があります。
羽曳野市東部から柏原市南部にかけての地域は、古代の安宿郡にあたり、
琨伎王を祖とする飛鳥戸造の一族の本拠地とされています。飛鳥戸神社の
周辺には百済の横穴式石室の構造と関係があると考えられる観音塚古墳や、
渡来系氏族との関連が考えられる竈(かまど)や甑(こしき)などを表したミニ
チュアの炊飯具を副葬した横穴式石室をもつ、飛鳥千塚古墳群があり、飛鳥
戸造一族との関係を考える説があります。
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飛鳥ワイン
2Fで赤ワインの試飲ができました。
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上ノ太子駅(ゴール)

7月21日の明日香村キトラ古墳周辺地区-2

7月24日      7月21日の明日香村キトラ古墳周辺地区-2
               9月度予定、歩こう会コース下見
昨2016年9月24日にオープンした国営飛鳥歴史公園内の「キトラ古墳周辺地区」を
9月度の歩こう会ハイキングコースに計画して有るので9月1日の案内書発行までに
具体的に歩くコースと時間配分、雨天時の食事場所等を決めておく為に先ず歩いて
飛鳥駅から「キトラ古墳体験館 四神の館」往復最短距離を目指して探索して来た。
本番のコース取りとしては、飛鳥駅~高松塚古墳(トイレ休憩)~文武天皇陵~キトラ
古墳周辺地区~・檜隈寺跡前休憩案内所(トイレ休憩)~・檜隈寺跡~・農体験小屋
(昼食休憩・雨天時は体験工房で昼食)~キトラ古墳壁画体験館 四神の館(見学)~
・キトラ古墳~・展望台~・四神の広場~キトラ周辺地区の尾根伝いに檜隈寺跡前休
憩案内所(トイレ休憩・解散)~飛鳥駅  歩程約6km だが、此の日は夕方から別の
予定が有る為に省エネ下見と考えて、今回は未だ歩いた事の無い逆回りコースを歩
いてみて時間が足りない場合はもう一度別の日に全コースを歩く事も視野にいれて・・
飛鳥駅~飛鳥川沿いに遊歩道~檜隈寺跡(於美阿志神社)~檜隈寺跡前休憩案内
所(トイレ休憩)~体験工房~農体験小屋~キトラ古墳壁画体験館 四神の館~キト
ラ古墳~展望台~檜隈寺跡前休憩案内所(トイレ休憩)~文武天皇陵~高松塚古墳
~飛鳥駅へと歩いた  万歩計は、18124歩で約12.1km歩いたことに・・・
飛鳥駅
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飛鳥川沿いに遊歩道
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川沿いに国道を潜りぬける
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住宅地へ入る
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西方寺
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機雷の有る忠魂碑
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檜隈寺跡(於美阿志神社)
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檜隈寺跡前休憩案内所(トイレ休憩)
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体験工房
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農体験小屋
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此処までは、
7月21日の明日香村キトラ古墳周辺地区-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿水です。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-24-1
此処では、此の続きを
7月21日の明日香村キトラ古墳周辺地区-2 として詳細を掲載します。
四神の館へ向かう~
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キトラ古墳壁画体験館 四神の館
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キトラ古墳
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展望台へ向かう
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展望台
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農体験小屋へむかう
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農体験小屋
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体験工房
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檜隈寺跡前休憩案内所へ向かう
檜隈寺跡前休憩案内所(トイレ休憩)
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文武天皇陵へ向かう
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文武天皇陵
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高松塚古墳
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飛鳥駅へ向かう
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ヤマユリ開花中の看板が有ったので其の方向へ
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良い香りが・・・
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飛鳥駅
国道を渡れば飛鳥駅前広場
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7月19日の歴史探訪の会・阪急池田駅-2

7月24日       7月19日の歴史探訪の会・阪急池田駅-2
              大阪・池田で歴史散策 歩程約5km
7月度の歴史探訪の会、大阪・池田で歴史散策 歩程約約5Km 参加費300円
集合場所&時間 : 阪急宝塚線・池田駅 改札口 10時集合 
コース : 池田駅~呉服神社~歴史的建造物集積地区~伊居太神社~五月
山公園(昼食)~大広寺~池田城跡公園~小林一三記念館~池田駅(解散) 
池田駅前で(受付・スタート)
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呉服(くれは)神社
日本書紀にある「呉服・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社です。応神天皇の時代、
呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、機織・栽縫
の技術を伝えたとされています。絹布類を指す「呉服(ごふく)」はここから。現在
も服飾関係者の信仰を集めています。
此の神社の周辺の室町住宅は阪急電鉄の創始者、小林一三が開発した日本
最初の郊外分譲住宅です。
穴織(アヤハトリ)媛が祀られ、五月山山麓にある伊居太(いけだ)神社が「上の
宮さん」とされるのに対し、呉服(くれは)神社は「下の宮さん」と呼ばれています。
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歴史的建造物集積地区・室町・・・日本で最初の分譲住宅地
室町住宅は、阪急電鉄の創始者、小林一三が開発した日本最初の郊外分譲
住宅です。
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サカエマチ商店街
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旧加島銀行・池田支店(インテリアカワムラ)
NHKの連続テレビ小説「あさが来た」のヒロインのモデルである広岡浅子が設立
した旧加島銀行の池田支店の建物で、国登録有形文化財です。現在はインテリ
アカワムラのお店
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ビリケンさん
アメリカで「福の神」として人気を博した「ビリケン」さん。明治末期に田村駒治郎
氏が商標登録され、田村氏の会社や有名な通天閣に祭られていましたが、田村
駒治郎氏が池田の出身ということから設置されました。今では「福のまち池田」の
シンボルとなっています。
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落語みゅーじあむ
「落語のまち池田」に市立としては日本初となる、上方落語の資料を常設展示
する「落語みゅーじあむ」が平成19年(2007年)4月に開館しました。
館内は映像による落語の紹介や、お好みの落語家のDVDやCDを視聴できる
コーナーや、「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」展示コーナーがあります。毎月
第2土曜日の午後2時からは落語会(木戸銭必要)を開催しています。有料アマ
チュア落語入門講座も開催中です。
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呉服坐
池田呉服座(いけだごふくざ)は江戸時代に建てられた芝居小屋・呉服座の優
れた建築様式を一部再現してできた大衆演劇場です。地元に愛され続ける劇
場で、池田市の歴史・文化を感じることができます。
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吉田酒造
池田の酒「緑一」は元禄10年(1697年)創業、今日に至る迄300年以上営み
続けられています。
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伊居太(いけだ)神社
池田市に現在する最古の神社とされており、別名穴織(あやは)社で姫室塚が
あります。「織姫伝説」にまつわる神社でもあります。祭神は「応神天皇」「仁徳
天皇」「穴織大明神」です。本殿は信長によって焼かれ、秀頼によって1604年に
再建されました。格調高い、寄棟造りの本殿です。
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境内に有る松の切り株
源頼光が大江山の鬼退治祈願のために植えた「頼光松」の切株が残され、
近くには「徒然草」の吉田兼好松もあったという。
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※寛仁元年(1018年)3月、大江山夷賊追討の勅命を賜り頼光四天王らと
ともに6人で摂津国大江山へ向かい夷賊(酒呑童子他)討伐を行う。
源頼光四天王とは(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)
※酒呑童子の配下は副首領の茨木童子、そして四天王として熊童子、虎熊
童子、星熊童子、金熊童子の四人の鬼が在り、いくしま童子という名前も伝
承上には存在する。
※酒呑童子については、丹後に漂着したシュタイン・ドッチというドイツ人が由
来で、その飲んでいたという生き血も赤ぶどう酒だった、という説がある。
此処までは、
7月19日の歴史探訪の会・阪急池田駅-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-24
此処では、この続きを、
7月19日の歴史探訪の会・阪急池田駅-2 として詳細を掲載します。
五月山公園~
五月山公園(昼食)
五月山は、標高315.3メートルで、園内は桜とツツジ、紅葉の名所として、シーズン
には多くの人でにぎわっています。 また、ハイキングコース・動物園・都市緑化植
物園などの施設も利用者に親しまれています。 特に、五月山動物園では、無料で
オーストラリアの珍獣ウォンバットやワラビ-、アルパカなどを見ることができ、多く
の人が訪れます。
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細原はな ・・・・箕面版蝶々夫人の話は怪しい
滝道の瀧安寺の対岸、現在は時習館が建っている場所に、昔は「綿茂楼(めんも
ろう)」と云う料亭があった。池田市栄本町、能勢街道に面して建っていた料亭綿茂
楼の出店であった。明治の初頃、経営者の細原茂兵衛の娘「はな」は、箕面の店の
手伝いをしていた。そこへ、オーストリア・ハンガリー帝国の代理公使ハインリッヒ・
シーボルトが大阪府の招待でやって来て、「はな」と知り合い恋仲になる。このハイ
ンリッヒは、幕末に来日したドイツ人医師フランツ・シーボルトの息子であった。やが
て、明治18年「はな」とハインリッヒは、大阪府知事建野郷三の媒酌によって結婚し
一女を儲ける。しかし、生まれた子は早世し、夫も母国よりの訓令によって帰国し、
「はな」は日本に残る。ところが夫には母国にも妻がおり重婚であった。必ず帰って
来るとの約束は反故にされ、しかもその妻から仕送りが来ると云う屈辱に「はな」は
死をも覚悟するが、大広寺において仏門に入って尼僧となり、昭和12年、72才で
没した。・・・・供養塔が有る
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大広寺(たいこうじ)
大阪府池田市綾羽にある曹洞宗の仏教寺院。山号は塩増山。本尊は釈迦如来。
代々池田城主の地方豪族池田氏の墓があるなど、古より池田氏との関係は密接
である。牡丹の名所。
寺伝によれば、応永2年(1395年)に池田城主の池田充正が創建し、後に天巌禅
師が開基したと伝わる。文明年間(1469年 - 1487年)には池田允正が本堂を修
築した。摂津名所図会には山号に触れた記述があり、「山内に池があり満ち引き
の際埋めた」という伝説が書かれている。
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境内には3つの子院があったが今は子院の1つであった陽春寺のみ残っている。
また、池田氏の菩提寺となり、代々池田城主の墓や池田氏が寄進したと伝わる梵
鐘も現存している。玄関の天井は「血天井」と呼ばれ、永正4年(1507年)の(両細
川の乱)、澄元に味方した6代城主の池田貞正が細川高国に攻められ、池田城は
落城し、貞正が切腹したときの板が張られている。
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池田城跡公園
室町時代から戦国時代にかけて、池田市域一帯などを支配していた地方豪族池
田氏の居城跡地を公園として整備を進め、平成12年(2000年)4月にオープンしま
した。園内にある、やぐら風展望休憩舎からの眺めは、池田市街地はもちろんの
こと、阪神高速道路の新猪名川大橋(通称ビッグハープ)や園内が一望できます。
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小林一三記念館
阪急電鉄の創始者・小林一三氏は鉄道事業だけでなく、土地開発、宝塚歌劇・映
画・演劇・日本初のターミナルデパートユニークな事業を数々生み出しましたが、
商工大臣、復興院総裁など政界にも進出しました。多方面で活躍した起業家小林
氏の華麗なる軌跡を当時の資料・写真・映像等で紹介し、逸翁(雅号)が構想を練っ
た書斎等旧宅跡も公開しています。また、茶人としての逸翁が工夫を凝らした茶室
・庭園・邸宅レストラン「雅俗山荘」で食事を楽しむことのできる、今までに無い新概
念の記念館です。なお、「雅俗山荘」「即庵」「費隠」「長屋門」「塀」の5つが国の登
録文化財です。
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池田駅へ向かう
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池田駅(解散) 
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7月15日の冷や冷や夏呑み 白鶴酒造「白鶴」へ-2

7月16日      7月15日の冷や冷や夏呑み 白鶴酒造「白鶴」へ-2
               近鉄夏吞みハイキング 歩程約8㎞
近鉄の冷や冷や夏呑みハイキングに1人で参加、奈良や大阪に比べると神戸
少し涼しい?帰りの電車を大坂難波まで乗り越して地上へ出て道頓堀を撮って、
帰って来た、万歩計は22964歩で約15.4km歩いたことに・・・
コース 近鉄 冷や冷や夏吞みハイキング 芦屋川河川敷(受付)9:30~10:00
阪神芦屋駅東改札~徒歩3分~芦屋川河川敷(受付)~芦屋川河川敷を河口~
~潮風大橋~東灘芦屋大橋(橋上からの眺望良)~CAINZ神戸深江浜店~深江
大橋~サンシャインワーフ神戸~西国街道(兵庫県素麺発祥の地)~南天上橋~
浜福鶴酒造(試飲)~公園(昼食)~菊正宗酒造(試飲)~白鶴酒造(試飲)ゴール
~阪神住吉駅・・・・コースを変えて魚崎駅へ歩く・・・
魚崎駅→直通特急で尼崎→奈良行快速→西九条で乗換予定が大坂難波駅~
道頓堀橋~地下街をJR難波駅へ
阪神芦屋駅
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芦屋川河川敷(受付)スタート
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芦屋川河川敷を河口へ
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芦屋キャナルパーク・・・釣り場
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潮風大橋の真下
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潮風大橋
南芦屋浜に架かる3つの橋の一つ。西側に架けられた総合公園に一番近い橋。
国道2号線業平橋東詰及び国道43号線精道交差点から南に下って総合公園に
行くときにこの橋を渡ります。南詰めに総合公園の北駐車場が直結しています。
埋め込まれたガラス球がアクセント、羽のイメージしている。
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東灘芦屋大橋(橋上からの眺望よし)
災害時等の埋立地の孤立化を防止するため、芦屋浜埋立地と神戸市深江浜間
を連絡する道路として阪神大震災後、建設が始まり、最後まで未開通区間だった
「東灘芦屋大橋」が2004年(平成16年)12月18日に供用が開始された。
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此処までは、
7月15日の冷や冷や夏呑み 白鶴酒造「白鶴」へ-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-16-2
此処では、続きのCAINZ神戸深江浜店~の詳細を
7月15日の冷や冷や夏呑み 白鶴酒造「白鶴」へ-2 として掲載します。
CAINZ神戸深江浜店~
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深江大橋
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サンシャインワーフ神戸
サンシャインワーフ神戸は、生活雑貨・ファッション・スポーツ・車用品・家電
他に、ハンバーグなどの飲食店がある、神戸の海に面したショッピングセンター
です。各種大会やイベント・フリーマーケットの開催も開催しており、また広場で
は公園の代わりに様々な遊びが楽しめます。
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西国街道(兵庫県素麺発祥の地)
神戸 西国街道まわり道(浜街道)
魚屋道出発点説明板
「魚屋道の出発地とその由来」
魚屋道は江戸初期から利用された最古の六甲越え交通路の一つでした。
江戸時代は湯山間道とよばれ、海岸部から有馬への最短コースとして、大正
の初めまで利用されました。海産物を始め、牛馬による諸荷物、旅人、駕籠な
どが有馬の温泉をめざして、どんどん通行し、たいそう賑わったそうです。海
産物は朝4時に始まる有馬の朝市に間に合うよう、0時に出発し12キロの道
程を魚を担いで青木を出発していました。しかし、この道は幕府公認の道では
なかったため、公認道にあたる、宝塚、生瀬、船坂の沿道の宿商人、輸送業
者にとっては、大きな不利益を蒙ることから、繰り返し大坂奉行所に訴え出た
争論を今に伝える古文書が当時の様子を数多く伝えています。
明治7年に国鉄が開通し、20年に住吉駅が開かれるとこの道は旅人に利用さ
れなくなり、その頃から「魚屋道」の名称で呼ばれるようになり、大正の初めこ
ろまで利用されてきました。
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「灘目素麺発祥の地」
六甲の急流と山中で産出する良質な花崗岩(御影石)が石臼に好都合だった
ことも幸いし、発達した水車業が低コストで大量に小麦粉の生産ができました。
これを原料に素麺業は幕末期には六甲山の南麓一帯を一大生産地に発展さ
せ、酒造業と並んでこの地方の主要産業の一つになっていました。
青木では天保年間(1830~1843)木村重左衛門の手で三輪の手法を取り入
れた製造が始められました。
日本国産考(天保15年)によると、灘地方が三輪と並ぶ一大生産地として江戸
市場へ灘目麺、或いは上方素麺の商標で大量に回送されたと伝えています。
明治30年頃の生産量は380トンに達し、カリフォルニア、パリ、セントルイス万
博にも出展され、それぞれ優秀賞を受賞しています。
また明治41年の阪神沿線ガイドには木村梅太郎の素麺広告が見られる。しか
し、この地方の出稼ぎの職人が帰郷し、龍野地方に根づかせた素麺生産が拡
大してくると、昭和の始めこの地区の素麺業はすべて西播地域に引き継がれ
ました。
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「歴史を語る青木の石臼」
青木の酒造は、御影、魚崎に続いて享保期(1716年)山形屋忠左衛門が蔵を
開きました。135年後の安政期には6業者を数え、その頃までは村内の井戸水
を使っていました。それから10年後の万延、文久期になると事業者がさらに増
えました。天保11年(1840年)に西宮で宮水が発見されると、青木でもこの水を
使うようになりました。青木の全盛期は、明治の初め頃(1870年)16業者に達し
灘利、灘七などの銘柄が有名で生産量も40石にとどきました。しかし、近隣の
水車精米に対し青木は足踏み精米であったため、品質格差は避け切れず明
治35年頃には生産の火が絶えてしまった。 なお、この石臼と酒絞り重し石は、
当地から出土したものです。

南天上橋を渡り
浜福鶴酒造(試飲)
ようこそ 浜福鶴 吟醸工房へ
『吟醸工房』は、伝統の日本酒造りの文化を広く、多くの皆様に伝えていきたい
との思いから、全工程をガラス張りでご覧いただける設備をそなえて、平成8年
3月22日にオープンしました。四季を通じて、リアルタイムで酒造りを見られる
ところが特徴となっています。
大人からお子様まで楽しんでいただける「発酵文化の体感空間」です。
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住吉川公園(昼食)
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菊正宗酒造記念館(試飲)
館のテーマは、「酒造りの原点を知ること」。
酒造りの過程から用具類に至るまでの知識や現物とのふれあい、
灘の酒を醸す技・水・米・風土、酒造りの情熱や伝統にまつわるこだわり、
また日本酒をめぐる新しい楽しみ方や文化の姿・・・など
現在・過去・未来を自在に駆けめぐる日本酒の世界を展開し、
「知るは楽しみなり」をあますことなく感じ取れる空間です。
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白鶴酒造(試飲)ゴール
白鶴酒造は、大正初期に建造された酒蔵を利用した酒造資料館を開設して
います。昔ながらの酒造工程や作業内容を立体的に展示し、歴史的な建物
とともに現代に伝えています。
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阪神魚崎駅へ歩く
住吉川
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大阪へ戻って
道頓堀橋
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7月13日の冷や冷や夏呑みハイキング「長龍」-2

7月16日     7月13日の冷や冷や夏呑みハイキング「長龍」-2
               味い酒「長龍酒造」へ 歩程約7㎞
知人と2人で参加、近鉄 夏呑みハイキング 五位堂駅受付9時~10時
五位堂駅(受付)~三吉石塚古墳~新木山古墳~竹取公園~馬見丘陵公園
~長龍酒造(試飲有り)~馬見丘陵公園へ戻る~1300年の道を池部駅へ歩く
池部駅  →新王寺駅 JR王寺駅
此の日の私の万歩計は、20752歩で約13.8km歩いたことに・・・
バスで五位堂駅へでて知人と合流
五位堂駅(受付)~ずーっと木陰のかつらぎの道を歩く
三吉石塚古墳(みつよしいしづかこふん)
新木山古墳の西に築かれた東向きの帆立貝式古墳で、墳丘全長45m、直径
41.4m、高さ6.5mの後円部に幅22m、長さ7mの短い前方部が付いています。
周囲に馬蹄(ばてい)形の周濠が掘られ、更に外堤があり、堤を含めた全長は
62mとなります。墳丘は二段築成で、二段目には円筒埴輪の他に蓋(きぬが
さ)、短甲(たんこう)、家型埴輪が立てられていた。墳丘と周濠には葺石が施
され、葺石の作業単位がよく残る。前方部の南東隅には張出部が設けられ、
集合幅が狭くなっている。埋葬施設は未調査で、埴輪から古墳時代中期後葉
の築造と考えられている。
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新木山古墳
馬見古墳群で中核をなす墳丘200mの前方後円墳である。古墳の築造時期は
円筒埴輪から古墳時代中期後葉と考えられる。埋葬施設の副葬品と考えられ
る勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)などが宮内庁に保管されている。

竹取公園
「竹取公園」という名前から、昔話の竹取物語やかぐや姫を連想される方も多い
と思われますが、まさにこの竹取公園のある場所はかの竹取物語の舞台と言わ
れる場所です。入園無料の公園施設です。
公園内には散策路や木製の大型遊具、そり遊びのできる施設もあり、小さなお
子様連れの方からお年寄りまで楽しくすごせる公園です。
竹取公園内には竹取物語を読みながら散策できる竹林もあります。
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馬見丘陵公園
大和平野のほぼ中央に有る馬見丘陵は、我が国でも多数の古墳が集中して
いる地域です。そして、これらの古代の遺跡を包み込む様に、豊かな自然が
広がっています。馬見丘陵公園は、こうした歴史と文化の遺産や素晴らしい自
然環境を、憩の空間として広く活用して頂く事を目的に整備された都市公園で
す。また、馬見丘陵公園内には古墳も多く有ります。園内は、緑道エリア・北エ
リア・中央エリア・南エリアと大きく4つに分かれており、北エリアと中央エリアは
離れているが連絡道があるので行き来することが出来ます。馬見古墳群内に
位置する公園の為、園内に多数の古墳が存在します。
ナガレ山古墳
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紫陽花園
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中央公園館
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集いの丘・・・百日紅が綺麗
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馬見丘陵公園を出て
長龍酒造へ向かう
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此処までは、
7月13日の冷や冷や夏呑みハイキング「長龍」-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-16
此処では、続きの長龍酒造~を
7月13日の冷や冷や夏呑みハイキング「長龍」-2 として掲載します。
長龍酒造(試飲有り)
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試飲
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コースを変えて馬見丘陵公園へ戻る
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此れは、スイカズラかな?
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馬見丘陵公園の
集いの丘へ戻り、向日葵
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池部駅へ1300年の道を歩く・・・
川合町役場
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池部駅
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池部駅 → 新王寺駅 JR王寺駅
王寺駅からバスで帰る
自宅近くで
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おまけ
我家の鉢植えハイビスカス
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7月8日の冷や冷や夏呑みハイキング「豊祝」・他-2

7月11日     7月8日の冷や冷や夏呑みハイキング「豊祝」・他-2
               近鉄 駅フリーハイキング
知人と4人で近鉄冷や冷や夏吞み夏呑みハイキングに参加、登大路園地スタート
9時半~10時、歩程約6km  当日の参加者多かった 1005人
近鉄奈良駅~徒歩10分~奈良公園登大路園地(受付・スタート)~興福寺~猿沢
池~元興寺~ならまち格子の家~大安寺~奈良豊澤酒造(試飲有り・ゴール)~
知人1人は上三橋バス停へ、3人は~春日神社~帯解寺~帯解駅→JR奈良駅へ
此の日の私の万歩計は、20826歩で約13.9km歩いたことに・・・
興福寺
法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さら
にさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。
その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である
鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために
造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使
われています。その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も
移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年
(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたので
す。天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進
められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関
家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんに
なります。平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、
また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当た
りました。
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猿沢池
奈良八景の一つに数えられる猿沢池は、周囲360m、池畔の枝垂れ柳越しに望む
興福寺五重塔は昔も今も変わらぬ絵はがきの画題になる名勝である。池には、毎年
4月17日の興福寺の放生会に鯉が放たれる。最近はカメの名所としても知られるよ
うになったが、岸に立てばカメと共に緋鯉、真鯉がエサを求めて変わらず寄ってきて
観光客を楽しませる。猿沢池の俗謡に、「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が
生えず、魚七分に水三分」の七不思議があるが、奈良公園の鹿と同じように池の生
物は興福寺のおかげで手厚く保護され、「魚七分に水三分」というのも大いに理由が
ある。
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元興寺
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、 蘇我氏
寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺(佛法元興の場、聖教
最初の地)である。
元興寺の名称は
『佛法元興之場、聖教最初の地』の言葉より起こったとされます。南大門には、元興
寺の扁額があり、他には飛鳥寺、法興寺、建初寺、建通寺、法満寺とも標したと伝え
られています。飛鳥寺→法興寺→飛鳥大寺→元興寺と名称及び性格を変えてきまし
た。建初寺=桜井道場、建通寺=向原寺、法満寺=飛鳥寺の歴史を示しているの
でしょうか、朝廷および天皇家が仏教を容認し、唐式の仏教政策を取り入れてから、
遡って意味付けされたのだといえます。因みに、法興寺は『佛法興隆』の言葉からき
ており、法隆寺とは対の名称といえるでしょう。
元興寺の開基は
蘇我氏の氏寺としては蘇我稲目であり、蘇我馬子を本願とします。飛鳥大寺としては
推古天皇勅願、聖徳太子創建と称します。 平城移建に際しては元正天皇、聖武天
皇勅願と伝わります。極楽坊としては興福寺大乘院門跡孝覚大僧正を中興開基とし
ます。
元興寺の開祖は
佛法初伝の歴史から言えば、三論の初伝たる慧潅、法相の初伝といわれる道昭(照)
です。
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ならまち格子の家
御霊神社・・・奈良市ならまち
創祀は800年(延暦19年)、桓武天皇の勅願によると伝えられています。
本殿に祀られているのは、無実の罪で幽閉されたあげく亡くなった井上内親王とそ
の子、他戸親王の二座。さらに東側社殿・西側社殿にはそれぞれ三座を、また境内
末社には開運出世、衣食住、縁結びとご利益の広大な出世稲荷神社と学問の神様
・若宮社も祀られています。秋季例祭は10月13日。神輿とともに時代装束に身を包
んだ氏子、獅子舞がならまちを練り歩きます。
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御霊神社・・・奈良市大安寺
大安寺小学校の東約200m、芝池北に鎮座しています。入口には石の神橋が架かり、
社号標と鳥居が立つ入口から参道が真っ直ぐに東に延び、社殿まで続いています。
社殿の右奥には薄暗い森の中に神池やこの社を創建する元となった閼伽井がありま
す。御祭神:高オカミ命(水の神)、善女龍王命(雨乞、水乞、止雨乞の神)
本神社は元石清水八幡宮と称す。(八幡神社)大同2年8月17日、大安寺の僧、行教
和尚が、大安寺の鎮守社として築紫(大分)宇佐八幡宮より大菩薩を勧請せしとき、
お供えする御手水閼伽井の水(石清水と号す)を求めて此処に、行教和尚の託宣によ
り獨鈷を用いて掘らしめたところ、清湛な法水湧き出る。
而して遥に男山八幡石清水に通じて、この水の保護を受けんがため、御井戸の守神
として、高オカミ命、善女龍王命ニ柱の神を祀られた。現在農耕神、商い神、御霊神
社と崇め奉る宮なり。其井戸は往時の原形は留めないが今も存在せり。
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推古天皇社
大安寺小学校の東南東約200m、芝池西に鎮座しています。入口には社号標と木製
鳥居が建ち、神橋を渡って参道が奥へと続きます。突き当たり瑞垣内に社殿、左側に
境内社:金毘羅権現が祀られています。又、境内には「弘法大師腰掛石」もあります。
御祭神:豊御食炊屋姫尊(推古天皇)
御祭神は第29代欽明天皇の皇女であって、18歳にて第30代敏達天皇の皇后となら
れた。皇后は眉目秀麗な美人だったと伝えられている。第32代崇峻天皇崩御の後、
皇位を巡って、さまざまの動きがあって、日本における最初の女帝となられ、聡明な
聖徳太子に摂政を委ねられて、政治は国家意識を昂揚し理想社会を求める事であっ
た、「外交の刷新・仏教に依て日本民族の思想と生活を改める事等」、従って日本の
歴史の中でも輝かしい時代であった。
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大安寺
聖徳太子が平群に建てた熊凝精舎がその草創といわれています。飛鳥の藤原京で
百済大寺、大官大寺となり奈良時代に現在の地に移り大安寺となりました。南都七
大寺のひとつに数えられ、左京六条四坊から七条四坊にまたがる広大な寺域を占
め、南大寺とも呼ばれて大安寺式の大伽藍を誇っていました。西の薬師寺に対峙す
る国家鎮護の寺でもありました。現境内の南に残る塔跡に昔日の威容を偲ぶことが
できます。旧境内の一部に杉山古墳があります。寺には大安寺様式といわれる奈良
時代の木造十一面観音立像、木造四天王立像、木造不空羂索観音立像、木造楊柳
観音立像〔いずれも重文〕など九体の天平仏が安置されています。
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八幡神社(元石清水八幡宮)
大安寺の鎮守としてその寺域にあり、石清水八幡宮とか郷社石清水八幡宮とも称し
た。社伝として、応和二年(962)五月十一日の『大安寺八幡宮御鎮坐記』に、大同二
年(807)大安寺の僧行教和尚が入唐して帰朝の途次、神影に供奉して大安寺東室
第七院石清水房に鎮座し奉り後神殿へ奉遷、石清水八幡宮と称して大安寺の鎮守
とした。禎観元年(859)行教和尚は神宣によって山城国男山へ遷座、その跡地に奉
祀したのが当社だという。中世には辰市四郷の鎮守として、辰市神社とともに崇敬さ
れた。慶長元年(1598)閏七月十二日大地震のため被害大きく、大安寺は一時廃寺
となったが、その後神社はこの地方の人々によって復興されて今日に及んだ。
拝殿には、石清水八幡宮の神使である、「鳩」の置物がいっぱい。
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大安寺・七重搭跡
大安寺の主要伽藍は南大門・中門・金堂・講堂が南から北へ一直線に配され、小山
の大官大寺と配置が同じになりますが、塔は六条大路を挟んで南大門の南にあり、
しかも東西に二基並んでいました。東塔跡には土壇と基壇延石、西塔跡には心礎が
残っており、早くから国の史跡に指定されています。
これらの塔は天平十九年(747年)の段階では完成していませんが、天平神護二年
(766年)には東塔に震災があったという記述が続日本紀にあるため、このころには
竣工していたとみられます。 さらに塔は寛治八年(1094年)の『官宣旨案』『七大寺
巡礼私記』ともに七重塔であったとしています。
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奈良豊澤酒造(試飲)・ゴール
昭和40年代、日本全国で普通酒が全盛の頃、 当蔵の4代目・豊澤安男は「これか
ら世の中が豊かになるにつれ、 消費者は本当に良い酒を望むはずだ」と考えまし
た。そして、力を入れたのが純米酒造りです。 「高品質のお酒をたくさんの方に飲
んでいただきたい」という思いから、価格を抑えた純米酒「黒松貴仙寿」を 世に送り
出したところ、大変多くの方に支持されました。 それは、消費者の視点から「本当に
喜ばれる良質の酒」にこだわった結果なのです。
奈良豊澤酒造の酒造りへの思いは、今も変わっていません。 そのため、創業以来、
ほとんど機械化せずに手造りに徹した酒造りを行ってまいりました。 今日、奈良豊
澤酒造で生産する酒の8割が、純米酒以上の「特定名称酒」で占められているのも、
その証といえます。
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春日神社・隆興寺
この神社はJR桜井線・帯解駅の北北西約200m、今市町二丁目集会所や東光山
「隆興寺」に隣接して鎮座しています。入口には灯籠と鳥居が建立され、綺麗に敷
き詰められた高砂利を踏みながら境内に入ると、正面に割拝殿、その奥に石段が
造られ板塀内に本殿が建立されています。残念ながら割拝殿の扉が閉められ、そ
れ以上は進むことが出来ません、本殿前には狛犬がおり、脇には境内社が二社祀
られています。御祭神:天児屋根命、境内社:若宮神社(天押雲命)、大国神社(大
國主命・蛭子命)、厳島神社(市杵島姫命)
由緒:元別当寺・東光山「隆興寺」縁起によると、正徳年間(1711~15)に同寺の
鎮護社として勧請されたと記されているようです
隆興寺の蓮
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帯解寺
当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。
そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い
間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使
をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて
惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改
められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。
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自宅の近くへ戻って
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おまけ
7月3日(月)社友会事務所へ、歩こう会HP更新
志都美駅~久宝寺駅~社友会事務所
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7月7日(金)
奄美の従弟からパッションフルーツが届いた
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鉢植えの向日葵
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6月28日の大阪生野区の歴史ある寺社巡り・今里駅-2

7月2日      6月28日の大阪生野区の歴史ある寺社巡り・今里駅-2
                 近鉄 駅フリーハイキング
朝迄本降り、ハイキング受付の今里駅へ行くと小降りになっててハイキングに
出る事が苦にならない程度、予報でも昼前には雨もあがり天気回復すると言う
ので傘を開いて知人と2人でスタートした。私の貰った地図では184人目、この
20分間でスタートした人数だ、其の後も数人並んでいたので10時時点迄の
参加者190人くらい?11時迄の受付なのでもっと増えるかも知れない・・・
終盤のコリアタウンでコースを変えて桃谷駅へ帰る事にした。
家へ戻って実際の歩いた歩数と距離をみると 19697歩で約13.2kmに・・・
コース 近鉄駅フリーハイキング 今里駅受付9:30~11:00  歩程約8㎞
今里駅(受付)~清見原神社~難波寺~田島神社~どりー夢商店街~生野八
坂神社~生野神社~御勝山公園・御勝山古墳~舎利尊勝寺~つるの橋跡~
御幸森天満宮~コリアタウン~彌栄神社~桃谷商店街~JR桃谷駅
今里駅(受付)~清見原神社へ向かう
新地橋の手前で右折、川沿いに歩き新今里橋を渡る
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清見原神社
清見原神社(きよみはらじんじゃ)は、大阪府大阪市生野区にある神社である。
天武天皇を主祭神とし、明治の神社合祀により素盞嗚尊・大山咋命・天水分神
・國水分神を合わせ祀る。
水害により社記等が流失したため創建の詳細は不詳である。口伝によれば、
天武天皇が大和の飛鳥浄御原宮から難波に行幸した際に現在の当社鎮座地
で休憩したという。現在の社名はこの伝承によるものであり、このとき天武天皇
吉野の方をかえり見たとのことから、附近の地名「吉野見」が生まれた。天武
天皇の歿後、一帯を本拠としていた大伴氏が天武天皇を祀る神社を創建し、天
武天皇宮と称したと伝えられる。以降、旧大友村の氏神として崇敬された。
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神社横のお地蔵さん
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中ノ川迄戻って
川沿いに歩く
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難波寺
難波寺(なにわじ)は、大阪府大阪市生野区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山
号は月江山。本尊は十一面観音。
この寺は、736年(天平8年)聖武天皇の勅命により行基によって、奈良東大寺
の大仏開眼法要のため、遣唐使の船にて来日したベトナムの僧侶を宿泊させ
る為、現在の天王寺区東高津町に創建されたと伝えられ、当初、三井寺の直末
として天台宗に属していた。室町時代に入ると荒廃し、江戸時代に入って妙心寺
塔頭後花園院の卓同和尚により中興され臨済宗に改められた。1925年(大正
14年)現在地に移された。
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境内には、浄瑠璃・歌舞伎の演目に「茜染野中隠井」(あかねそめのなかのかく
れい)縁の、井戸と弘法大師作の墨掛け地蔵がある。 また、難波寺形と呼ばれ
る手水鉢が現存する。
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田島神社&眼鏡レンズ発祥之地碑
田島神社
古い記録は洪水などで紛失していますが、残った石灯籠などに刻まれた文言に
よれば、少なくとも貞享元(1684)年にはすでに神社があったことがわかります。
その頃、菅原大神(すがはらのおおかみ)を主神とし、事代主命(ことしろぬしの
みこと)・八幡大神を相殿として天満宮といわれていました。
寛政4(1792)年には、少彦名命(すくなひこなのみこと)を主神として天神社とい
われ、明治42(1909)年に現社号の田島神社と改称しました。その後、平成2(19
89)年に御大典記念として本殿を改築し、石鳥居や『天神さまの牛』が新設され
ました。
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眼鏡レンズ発祥之地碑
「田島神社」の参道の真ん中に 大きな「石田太次郎顕徳碑」と「眼鏡レンズ発祥之
地」碑が並んで建っている。
田島地区は 明治から昭和にかけて, 国内有数の「眼鏡レンズ」生産拠点だった。
後に「レンズの始祖」と呼ばれた石田太次郎は ここ田島村で生れ, 丹波の国でレン
ズ研磨の技術を習得。 1857(安政4)年に 田島村にその技術を紹介し, 田島の家内
産業に発達した。1913(大正2)年に 農村だった田島村に電力が引かれると, 眼鏡レ
ンズ専門工場が生まれ, 最盛期には 200軒を超える業者が集まり, 日本一の眼鏡
生産地となった。しかし 1960年代以降, プラスチックレンズの技術が開発され, 軽く
て割れにくい優れた特性から ガラスレンズに取ってかわり, また 工場で大規模に量
産されるようになったため, 田島のレンズ製造は急激に減少していった。
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どりー夢商店街
生野銀座商店街は、生野本通り商店街(国道25号線側から)を通り抜け、横断歩道
をわたった先の商店街です。なので、駅からも遠く、本当に地元の商店街という感じ
です。しまっているお店も多いですが、日中は地域のおばさまたちで活気があります。
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生野八坂神社
東成郡誌第三編、生野村第四神社の項に『素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社、
大字林寺字林に鎮座せり…』とあり、その創祀は諸書に『元禄二巳(1689)年勧
請』とありますが、他にも説があって定かではありません。
東成郡林寺村(旧地名)の氏神様として崇敬されていましたが、明治41(1908)
年に天王寺区の河堀稲生神社に合祀され、境内地も『河堀稲生神社御旅所(お
たびしょ)』となりました。その後、氏子有志の熱誠なる努力によって復興造営が
完成し、昭和30(1955)年御神霊の還御を仰ぎ『生野八坂神社』の認証を受け、
『生野の祇園様』として今日に至っています。
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生野神社
木瓜(もっこう)を神紋とする生野神社の古名は、牛頭(ごず)天王宮という神号を
用い、明治5(1872)年村社、明治42(1909)年素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社
を経て、戦後の昭和22(1947)年に生野神社と改称。 神社の鳥居は小振りなが
ら宝永7(1710)年の刻銘があり、区内では最も古い貴重なもので、鳥居より背の
高い大きな歌碑と榎・いちょうの古木が景観を添えています。
また、拝殿前の一対の狛犬は天保4(1833)年のもので、お伊勢参りが大流行した
江戸期の貴重な記念物です。これは村の氏神さんへの崇敬を疎かにしなかった
証拠品となっています。
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此処までは、
6月28日の大阪生野区の歴史ある寺社巡り・今里駅-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-07-02
此処では、続きの舎利尊勝寺~の詳細を
28日の大阪生野区の歴史ある寺社巡り・今里駅-2 として掲載します。
舎利尊勝寺
南岳山舎利尊勝寺と呼ばれ禅宗の一派に属し、本尊は釈迦如来です。約1400
年前、用明天皇のころ、生野長者と呼ばれる長者に言葉の不自由な子が生まれ
ました。長者が、四天王寺伽藍を設立するために来ていた聖徳太子にすがると、
太子はその子に向かい「わたしが前世に預けた3つの仏舎利を返しなさい」とい
いました。すると3つの仏舎利を吐き出し、それからは普通に話せるようになりま
した。太子はそのうち、ひとつを法隆寺に、ひとつを四天王寺に、残った一つを
長者に渡しました。長者が、お堂を建てて、この仏舎利を奉ったのが、舎利寺の
起源と言われています。
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御勝山古墳へ向かう
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御勝山公園・御勝山古墳
御勝山(おかちやま)古墳
もとは岡山と呼ばれ、元和元(1615)年夏の陣の大坂落城のとき、徳川秀忠が此
処で戦勝の宴を催したことから御勝山の名で知られるようになりました。
南北112m、東西55m、高さ約8mの前方後円墳で現在は前方部が道路(勝山通)
と勝山南公園になっており、後円部を残すのみです。
市内では、茶臼山古墳(天王寺区)と帝塚山古墳(住吉区)と並んで重要な史跡の
一つです。中臣氏の祖『大小橋命(おおおはせのみこと)』の墓であるといわれて
いますが明らかではありません。
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つるの橋跡
猪甘津橋(いかいつのはし)は、日本書紀に記述されている橋。後継の橋は存在
していないが、文献で登場する木造橋としては日本最古。
日本書紀の仁徳天皇十四年(326年?)の条に「猪甘津に橋わたす」との記述があ
り、少し北に「小橋の江」と呼ばれた入江があり、入江に半島のように突き出ていた
上町台地の東側に沿って百済川(旧・平野川)が注ぎ込み、河口付近に「猪甘津」
と呼ばれた港が栄えていた。 橋のあった場所については諸説あるが、猪飼野(現
・大阪市生野区桃谷付近)の百済川に架けられていたものと推定されている。
この場所には江戸時代以降、旧平野川のこの橋に鶴が良く飛んできていたので鶴
橋(つるのはし)と命名されてきた橋が架けられていた。だが、昭和15年(1940年)
に河川改修工事のため川は埋め立てられ、つるの橋はなくなったが、1952年(昭
和27年)に橋が存在した場所(桃谷三丁目)に記念碑が建てられた。
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御幸森天満宮(みゆきもり天満宮)
仁徳天皇・少彦名命(すくなひこなのみこと)・押坂彦命(おさかひこのみこと)を主
祭神としています。江戸時代には『御幸宮』または『天皇天神社』と称していました。
社頭に立てられた由来碑によると、仁徳天皇のとき百済野の北端にあった小丘に
鷹を放って天皇がそれをご覧になったところから御幸森の名が起こったと刻まれて
います。また、境内にある5本のムクノキ(椋)の老樹は『まちの貴重な緑をみんな
の力で守っていこう』との願いから、市の保存樹林に指定されています。
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コリアタウン・・・HPより
御 幸通の3商店街(通称:生野コリアタウン)は1600年の歴史ある御幸森神社
のお膝元、東西500m程に約120店舗が軒を連ねる商店街です。大正時代にか
つて猪飼野と呼ばれたこの近隣が人口の増加に伴い市街化していく中、大阪市
立鶴橋公設市場が開設され、旧市電「猪飼野駅」に続く一条通商店街と交差す
る位置であったことから国内にある他と同様な商店街として発展していきました。
生活の苦しかった朝鮮半島の人々は既に韓国併合が行われていたことにより、
日本に職を求めて移住するようになります。
特に大正時代末期に就役した「君が代丸」により、済州島からの移住者が増大し
ます。その人々こそ経済成長著しい大阪の中小零細企業にあって特に避けられ
がちな労働や雇用需要を担ったのです。出稼ぎ労働者が増えてくると、今度は
同胞を相手に商売(といってもゴザに物品・食品を並べる程度)を行う人々が現
れ始め、その界隈が朝鮮市場と呼ばれるようになります(現在の御幸通の裏手)
戦 争が激化し大阪にも空襲が行われると、それまで御幸通で商売をしていた
旧日本人店主たちが疎開を始めるようになります。
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疎開の際、「店舗は空襲の被害にあうかもしれない」「ほうっておいては店舗・家
屋が痛む」と考えた旧店主達は、それらを安く貸したり売ったりするようになりま
した。この時、御幸通の裏手で商売をしていた人たちを始めとして在日韓国・朝
鮮人達が御幸通で店舗を構えるようになります。この頃を境に御幸通商店街が
特異な商店街としての発展を見せ始めます。
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昭 和30年代から50年代前半にかけては日本の高度経済成長もあり、韓国・朝
鮮の食品や物品がひとところに集まる商店街としてその隆盛期を迎えます。
ところが昭和50年代後半頃から陰りを見せ始めます。最初期の渡航者から数え
ると50年程経つ中で、在日韓国・朝鮮人の生活様式の変化、日本経済の成熟、
後継者の不在等いくつかの要因が重なり、来街者が目に見えて減少していきま
した。そんな時危機感を覚えた当時の商店主たちが、"コリアタウン構想"を掲げ
ます。しかし当初コリアタウン構想を立ち上げたとはいえ、新しい来訪者の方へ
の対応に商店主達が戸惑いを見せるような状態が続きましたが、特徴的な門や
舗装道路が完成し、その後日韓共催ワールドカップ、冬のソナタに始まる韓国文
化への関心が高まり、コリアタウンとして注目が集まるようになり現在に至ります。
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彌栄神社
神祖素盞嗚命(すさのおのみこと)を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)
より分霊奉還したのがはじまりと旧記にあります。
その当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守とし
て崇敬厚く宮座(みやざ)を設けて奉仕し、明治5(1872)年村社に列せられ、社
号もこの時に彌栄神社と改められました。
明治43(1910)年、氏子協議のうえ大字岡村(現勝山北4丁目)の御館(みたて)
神社を合祀しました。その御館神社は、旧岡村の生土神(うぶすながみ)でいば
らの神と呼ばれ、仁徳天皇の的殿(まとどの)の旧跡で、現在は彌栄神社の御
旅所(おたびしょ)となっています。
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桃谷商店街
桃谷駅前商店街は庶民の味方。懐かしいもん、珍しいもん、安いもんやら、
楽しいもん。 何でも揃うから、ほんま便利やで~。 散歩がてらに、いっぺん
遊びにおいでや!
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JR桃谷駅
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おまけ
自宅の近くへ戻って、アザミ、自宅のアガパンサス
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