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8月25日の高松塚古墳~キトラ古墳周辺地区

8月29日        8月25日の高松塚古墳~キトラ古墳周辺地区
                 9月度歩こう会コース下見
歩こう会の世話役3人で9月度歩こう会のコース下見に行って来ました・・・
キトラ古墳周辺地区は、2016年9月、国営飛鳥歴史公園の中に新たに特別史跡キトラ
古墳を周辺の自然環境や田園環境と併せて一体的に守るとともに多くの人が飛鳥の歴
史や文化、風土を味わい過ごせる様、整備された国営飛鳥歴史公園の1地区です。
コース
飛鳥駅~高松塚古墳~文武天皇陵~キトラ古墳周辺地区・檜隈寺跡前休憩案内所~
檜隈寺跡・於美阿志神社~農体験小屋周辺(昼食)~四神の館~キトラ古墳(見学)~
展望台~キトラ古墳周辺地区・彼岸花鑑賞~飛鳥駅前で解散
此の日の私の万歩計は、15624歩で約10.4km歩いたことに・・・・
田原本駅で乗り換えて
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飛鳥駅~国営飛鳥歴史公園館
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高松塚古墳へ向かう
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彼岸花が一輪
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高松塚古墳
高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)
に存在する古墳。藤原京期(694年~710年)に築造された終末期古墳で、直径23m
(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が
発見されたことで一躍注目されるようになった。
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文武天皇陵
文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) - 慶雲4年6月15日(707年7月18日))
は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) - 慶雲4年6月15日
(707年7月18日))。天武天皇と持統天皇の孫。
当時としては異例の14歳の若さで即位。祖母・持統太上天皇(史上初の太上天皇)のもと
で政務を行っていた。後の院政形式の始まりである。
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キトラ古墳周辺地区
・檜隈寺跡前休憩案内所
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檜隈寺跡・於美阿志神社
檜隈寺
檜隈寺(ひのくまでら)は、奈良県高市郡明日香村にあった渡来系氏族、東漢氏の氏寺と
される古代寺院。7世紀後半の創建で、中世には道興寺(どうこうじ)とも称した。
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於美阿志神社
於美阿志神社は,東漢(やまとのあや)一族の祖・阿知使主(あちのおみ)を祭神として
祀っている。 社名の於美阿志は「使主阿知(おみあち)」が転化したものといわれている。
『日本書紀』は応神天皇20年に阿智使主がその子・都加使主(つかのおみ)、 および自
分の党類十七県を率いて渡来してきたと記す。渡来した阿智使主一族が高市郡一帯に
住んでいたが、その中から雄略天皇の時代に活躍する身狭村主青(むさのすぐり あお)
や檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)が出ている。二人は呉の国に派遣
され、織機技術を持った者たちを連れてきている。
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この場所は、第28代宣化天皇が即位した檜隈廬入野宮(ひのくまいおりののみや)が
あった場所でもある。宣化天皇は在位4年で、73歳のときこの廬入野宮で崩じた。現在
は神社の境内に宮跡を示す石碑が一本建っている。
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体験工房
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農体験小屋周辺
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四神の館
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キトラ古墳
キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。石室
の天井には本格的天文図が、壁には四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい
絵が描かれています。飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置しています。
キトラ古墳壁画は、石室内部に塗った漆喰の上に繊細な筆づかいで描かれたものです。
本格的な天文図や、四神像の全て、動物の頭と人間の体をもった十二支像などが確認され
ている、学術上、価値の高い文化財です。
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展望台
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キトラ古墳周辺地区
・農体験小屋~飛鳥駅へ向かう
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高取川沿いを飛鳥駅へ向かう
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大和八木駅で乗換
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8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-2

8月24日      8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-2
               歩こう会 門真南駅~歩程約5㎞
8月度の歩こう会は「鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ」と題して、27年前に
開催された花博記念公園へ行き、当時から其のまま残っている「咲くやこの花館」
で世界の珍しい花木を見て廻った。、此の日の参加者は79人だった。
館内はまあまあ涼しくて、此の暑い夏場に納涼を兼ねたハイキングになった・・・
地下鉄門真南駅1番出口10時集合、此の日は、オリジナル弁当(700円)予約済。
此の日の私の万歩計は、14673歩で約9.8km歩いた事に・・・
自宅~王寺駅へ奈良降雨ツウバスで
バス停前のレジャービル(ボーリング、ファミレス、カラオケ、ダーツ)
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門真南駅1番出口に集合
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門真南駅~鶴見緑地駅前公園入口へ約2km歩く
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花博名残りのマンホール
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花博記念公園へ
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花博記念公園入口へ到着
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1990年花博のマークのマンホール
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命の搭が見えて来た
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はなみずきホールのガラスに?
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「咲くやこの花館」が見えて来た
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「咲くやこの花館」前の大池
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咲くやこの花館へ入館
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館内案内のビデオ鑑賞&説明を聞いいて
亜熱帯植物ゾーンから、シダと芭蕉
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食虫植物
夏休みの特別展?
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此処までは、
8月22日の鶴見緑地をめぐり咲くやこの花館へ-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-24-2
続きは、亜熱帯植物途中~
オオシダの下から眺めるこの葉が良い
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オオオニハス、花芽も・・・
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サガリバナが懐かしい
我家でも鉢植えを育てている
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パパイヤ
此れを見ると青パパイヤの漬物を食べたい?
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リュウゼツラン
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サボテン
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高山植物も
コマクサ
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「咲くやこの花館」で頼んでたオリジナル弁当で昼食を済ませて
外へ出て、大池のすいれんや各種蓮
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命の搭をバックに
集合写真を撮影して一旦解散
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希望者だけ園内散策・鶴見新山や風車の丘へ
アメリカデイゴ
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今の時期一番元気な百日紅
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鶴見新山 標高45m
鶴見新山は1990年(平成2年)に開催された「国際花と緑の博覧会(大阪花博)」の
メイン会場である鶴見緑地の中あり、大阪市内の山の中では最高峰を誇る。
かってはこの場所がゴミの埋立地であったことが想像も出来ないが、この山の中味は
ゴミと土で出来ており、この緑地公園に隣接してあったゴミ焼却場から出る残灰を積
み上げて山は造られた。
鶴見新山という名は1983年(昭和58年)に命名されている。完成当時の山の高さは
45mだったが、現在は39mとなっている。山の成り立ちから見て、地盤沈下のため
低くなったと思われる。
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※2位は大正区千島公園の昭和山
昭和山(しょうわざん)は、大阪市大正区千島二丁目にある人工の山。標高33m。
山の周囲は千島公園(ちしまこうえん)として整備されている。
大阪万博を控えて大阪市営地下鉄の路線整備が急速に進んでいたという建設当時の
背景から、地下鉄建設工事で出た残土約170万立方メートルを使用して山が建設され
た。1970年11月30日に記念植樹式がおこなわれ、式典会場でこの山を「昭和山」と命
名することが発表された。昭和山の名称は、昭和年間に建設された山ということに由来
している。昭和山は建設当時、大阪市では最も標高が高い場所となっていた。その後
鶴見緑地内に鶴見新山が建設されたことで、大阪市内最高峰は鶴見新山に譲り、昭和
山は大阪市で2番目に標高が高い場所となっている。

50人以上登って来たので此処でも集合写真撮影
鶴見新山を下り、風車の丘へ向かう
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風車の丘
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鶴見緑地駅へ向かう
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鶴見緑地駅
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8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-2

8月24日     8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-2
               (ガイド付き JR三輪駅~歩程約3㎞)
JR7ふれあいハイキング誌に掲載されていた上記ハイキングに参加してみた。
コース  JRふれあいハイキング   桜井市観光協会主催(ガイド付き)
JR三輪駅(10時集合)~祓戸神社~大神神社(特別拝観)・巳の神杉~くすり
道~狭井神社・薬井戸~大美和の杜展望台~久延彦神社~若宮社~一の鳥
居~古い商家町並み~恵比寿神社~古い商家町並み~三輪駅(ゴール)
大神神社(特別拝観の三ツ鳥居は長蛇の列?長時間待ちの為にパスした)
ガイドさん1人に参加者6人でスタートしたが途中で1人減り、大美和の杜展望台
以降は5人で、桜井市観光協会のボランティアガイドさん有難う御座いました・・・
此の日の私の万歩計は、9603歩で約6km歩いた事に・・・
JR三輪駅スタート
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大神神社の参道へ
大神神社(おおみわじんじゃ)は、大和国一の宮。三輪山を御神体とする為に
本殿が無く、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
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※三ツ鳥居
神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ。本殿に変わるものとして神聖視され
て来た。拝観は参集殿で申し込み必要(祭典等の状況により拝観出来ない事も)。
二の鳥居
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祓戸神社
体と心を祓い清めてくださる祓戸の神さまをまつる。神社に参拝する時は先ず此処
におまいりをする。
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拝殿へ向かう
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振り返って
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大神神社拝殿
国の重要文化財、1664年徳川家綱公により再建。当神社は、三輪山を御神体と
する為に本殿が無く、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
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巳の神杉
三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇の
好物の卵が参拝者によってお供えされている。
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酒の句碑
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祈祷殿
日々の祈祷や結婚式を奉仕する。
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くすり道・両側に全国の製薬会社の名前が・・・
薬の神様・狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられている。
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狭井神社
三輪の神様の荒魂(あらみたま)を祀る神社。力強いご神威から病気平癒の神様
として信仰が篤い。
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薬井戸
万病に効くという薬水がこんこんとわき出る井戸。コップ1杯飲んで来ました・・・
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三輪山登拝口
狭井神社で特別登拝申込み出来る。
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大美和の杜展望台
三輪山の秀麗な姿、大和
三山や二上山を眺望する絶景の場所。
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久延彦神社(くえひこじんじゃ)
久延毘古命は「古事記」に世の中の事をことごとく知っている知恵の神様と機される。
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境内からの眺望
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久延彦神社を降りて
振り返ると・・・
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此処までは、
8月20日の万葉ゆかりの地 味酒三輪の里を歩く-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-24-1
続きは、若宮社へ向かう~
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大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)・若宮社
三輪の大神様のご子孫の大直禰子命(若宮様)を祀る。
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御饌(みけ)石(磐座)とおだまき杉の古株
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箸墓古墳(はしはかこふん)の見える場所へ
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箸墓古墳(はしはかこふん)
箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳)は、奈良県桜井市箸中にある古墳。
形状は前方後円墳。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大市墓
(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治
定されている。また周濠が国の史跡に指定されているほか、周濠の一部は
「箸中大池」としてため池百選の1つに選定されている。
纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の
中でも最古級と考えられている3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳。この古
墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王、「卑弥呼」の墓とする(一部の邪馬
台国畿内説)説もある。

一の鳥居へ向かう
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大神神社 一の鳥居
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古い町並み
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恵比寿神社
水害で流出した日本で最初の市場「海石榴市(つばいち)」の市神が此の
地に移された、との伝承がある。
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※最古の市神
海石榴市【つばいち】は現在の桜井市金屋付近にあった我が国最古といわれる
市場で、奈良の都へ続く山の辺の道、飛鳥へ通じる磐余の道、大和と伊勢を結ぶ
初瀬街道、二上山へと延び竹内街道につながる横大路といった幹線道路が交錯し、
大和盆地を横断して河内に注ぐ大和川水運の終着地点でもあり、「海柘榴市の八
十【やそ】の衢【ちまた】」と万葉歌に詠われた交通の要衝だった。
市の立つ日には多くの人びとで賑わい、また男女の出逢いの場である歌垣が開か
れ、さらには迎賓館などが設けられて外国との交流の拠点ともなった。磐余や飛鳥
に都が置かれた時代、遣隋使の一行は海柘榴市から初瀬川・大和川を下って難波
津に出たし、大陸からの使節は川を遡ってここで船を降り、陸路で入京した。

古い町並み
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三輪駅(ゴール) 
ホームから三輪山を・・・
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おまけ
此の日の我家の夕食
コーンとツナの混ぜご飯&鶏肉グリル&キャベツ炒め&胡瓜揉みにコーヒー
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8月19日の馬見丘陵公園-2

8月21日        8月19日の馬見丘陵公園-2
                家内の散歩に同伴?
歩きながら写真を撮るからって、嫌われるけれども今日は何故か同伴・・・
家内にあわせて朝飯を食べてから出かけた、帰りに買い物に行く予定が有る
様で公園の木陰を一回りする・・・
ひがし駐車場へ車を入れて
倉塚古墳前のカリヨンの丘からスタート
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一本末古墳の横を通り下池を廻る
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広陵町の浄水タンクが見える
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下池の土手
ネムノキは花が終わって?殆んど花がない
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ムクロジは青い実がたわわに・・・
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亀の甲羅干しも2匹だけ
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バラ園へ回る
芙蓉も赤と白が一輪づつ
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向日葵も終わり、バラも終わり
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此処までは、
8月19日の馬見丘陵公園-1 として
      下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
   http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-21-2
此の続きは、古墳の丘~菖蒲園
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バラ園の百日紅とルドベキア他
百日紅とルドベキアが咲いていた
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中央公園館
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睡蓮池&紫陽花
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結びの広場
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上池
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陽だまりの広場~ウッドデッキを通り未来広場へ
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梅林を通り駐車場へ、下池と上池を大回りして来ただけ・・・
墳観橋へ上がってみた
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8月18日の安倍晴明ゆかりの地を訪ねて-2

8月21日      8月18日の安倍晴明ゆかりの地を訪ねて-2
             昼飲み会ハイキング 今川駅~歩程約8㎞
此の日は知人?と4人でハイキング、ハイキングの後葉銭湯で汗を流して阿倍野
で昼飲み会へ参加、昼飲み会にのみ参加する4人と天王寺駅で待合せて一緒に
8人で居酒屋へ、9品コース料理と飲み放題で@3000円、楽しい一日となりました。
ハイキング コース
以前、近鉄駅フリーハイキングで歩いたコースを少し変えて
今川駅コンコースに9時半集合
今川駅~模擬原子爆弾投下地~法楽寺~山阪神社~シャープ元本社跡地を見て
~あべおうじ商店街~阿倍王子神社~安倍晴明神社~ちんちん電車道(熊野街道)
を歩いて~万代池公園~神須 牟地神社~長居公園(昼食)~鶴ヶ丘駅(ゴール)
鶴が丘駅 →天王寺駅 キューズモール裏手の湯処・あべの温泉へ
14:50分にJR天王寺駅で4人と合流、8人で居酒屋へGO、此の日はカラオケは無し。
此の日の私の万歩計は、22603歩で約114.9km歩いたことに・・・
夏場は暑いので王寺駅へバスで出る
バス停目にはボーリング、カラオケ、ファミレス等のレジャービル
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今川駅スタートして山阪神社へ向かう・・・
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パンプキン爆弾投下地
模擬原子爆弾投下跡地之碑
1945年7月26日9時26分広島・長崎への原爆投下を想定してこの田辺の地に模擬
原爆が投下され、村田繁太郎(当時55歳)他6名が死亡、多数の方が罹災しました。
ここに犠牲者の冥福をお祈りし、戦争のない世界の実現と全人類の共存と繁栄を願
い、碑を建立します。
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法楽寺
紫金山小松院法楽寺
法楽寺は山号を紫金山[しこんざん)、院号を小松院と号す、真言宗泉涌寺派の大
本山です。近世江戸期には、戒律復興運動の中で中興された、厳格な律院でした。
「日本の小釈迦」とまで賞された慈雲尊者が得度され、また初めて住職となられた、
尊者ゆかりの寺院でもあります。
法楽寺の開基
法楽寺の開基は、平家の頭領平清盛公の嫡子、小松内大臣、平重盛公で、治承二年
(1178)の創建と伝説されています。
法楽寺の院号の小松院は、小松の大臣[おとど]と呼ばれた重盛公にちなみ、紫金山
[しこんざん]との山号は、当山に奉安する「紫金二顆の仏舎利」に由来するとされて
います。紫金とは、「紫磨黄金」の略で、紫色を帯びた最高の純金を意味しています。
二顆の佛舎利とは、二粒の釈尊の遺骨を指す言葉です。 つまり、紫金二顆の仏舎利
とは、純金のような輝きをはなつ二粒の仏舎利、を意味します。
怨親平等
寺伝ではこの時、阿育王山伝来の二顆の仏舎利とともに、平治の乱に滅び去った源
義朝の念持仏、如意輪観世音菩薩を安置。怨親平等に、平家と源氏とで相争い、命
を落とした人々の菩提を、敵味方の別なく篤く弔ったと伝えられています。
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山阪神社
田辺宿禰がこの地に祖神の天穂日命を祀ったものと云われ、『摂津志』に田辺西
神祠は南田辺村の山阪明神とある。山阪明神または田辺神社とも、いわれていま
した。田辺氏は、元来、西国から移動した渡来系氏族で、現在の柏原市に拠点を
持ち大いに栄えた一族であり、その分家がこの地に移住して自らの祖先神を祀っ
たとされます。この地名・田辺も田辺氏に由来するとされています。
神社創建の時期は不明ですが、主祭神は天穂日命(アマノホヒノミコト)で、野見宿
禰命(ノミノスクネノミコト)も祀っています。田辺氏と同系の土師氏の祖先神が野見
宿禰命で、天穂日尊の子孫とされていることに因んでいるとも思われます。
土師氏が弓部の十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功があり、凱旋後に
摂津住吉神社創立と共に、この地に邸宅を賜り、梅園惟朝(ウメゾノコレトモ)と称
しました。住吉松葉大記によると、大海(オオワタズミ)、大依羅(オオヨサミ)、開口
(アグチ)、座摩(イカスリ)、生国魂(イククニタマ)の末社群の上位に位置されたの
で、当社が住吉大社により、大変重視されていたと考えられます。
住吉大社の神馬の飼育も田辺氏に任されていた理由もうなずけます。
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※野見宿禰命
日本書紀の垂仁天皇7年秋7月条に書かれている人で、当麻蹶速(タイマノケハヤ)
が相手の生死を問わず荒っぽい相撲振りを誇示したので、天皇が全国から対向者
を募り、出雲から野見宿弥が召喚されて対戦し、蹶速を蹴り殺してしまう。野見宿弥
は褒美として当麻蹶速の土地を戴き、当麻に留まる。御陵建設等の技術集団であ
る土師氏は、彼を始祖としている。 菅原道真も土師氏の末裔です。

安倍王子神社へ向かう
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田辺ビルは健在
シャープ元本社ビル解体の跡地・・・
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あべの王子商店街
卓球の福原あいちゃんが練習に通ってた王子卓球センターがある
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あいちゃんが練習に通ってた王子卓球センター
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公園に「北畠顕家公お墓」
「史跡 北畠公園」となっており、普段見かける街角にある公園とは異なり、
北畠顕家の墓地がメインの公園である
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※北畠顕家公
北畠顕家(きたばたけあきいえ)は「神皇正統記」を著した北畠親房の長男で、1330年
(元徳2年)13歳で左中弁となり、15歳未満で弁官に任ぜられるという先例を開き、
14歳で参議で左中将を兼ねるという空前の昇進を示した。
1333年(元弘3年)『建武の中興』が成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王を
奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。
1336年(延元元年)足利尊氏が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた。この功
績により、顕家は権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられ、再び奥州に下っている。
3ヵ月後、尊氏が勢いを盛り返したため、1337年(延元2年)奥州より再度上洛。各地で
転戦、翌年3月16日に当地、阿倍野での合戦後、「神皇正統記」などには顕家は133
8年(延元3年)5月22日朝、1万8千の高師直軍と戦い、摂津国石津(現在の堺市西区
浜寺石津町)で戦死したと伝えている。
此処までは、
8月18日の安倍晴明ゆかりの地を訪ねて-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-21
続きは、安倍王子神社~
安倍王子神社
「痾免寺説」及び「阿倍王子説」の地である、大阪市阿倍野区阿倍野本町にある
「阿倍王子神社」。この地で弘法大師が疫難退散の祈祷を修したと伝わる。
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安倍晴明神社
「安倍晴明説」の地、大阪市阿倍野区阿倍野元町にある「安倍晴明神社」。この地
は安倍晴明の生誕地と伝わり、晴明は奈良時代の豪族阿倍氏の一族につながっ
ていたとも言われている。
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※阿倍晴明
平安中期の陰陽(おんみょう)家。天文博士。天文を見てあらゆることを予知し、
識神(しきがみ)(陰陽師(おんみょうじ)が術を用いて駆使する神)を駆使したと
《今昔(こんじゃく)物語集》などで伝える。 

熊野街道跡を歩く、 阪堺電車・・・
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大阪女子大発祥の地 碑
「大阪女子大学」は,1924年に設立された「大阪府女子専門学校」を前身とする。
公立の旧制専門学校で,公立としては福岡県立に次ぐ 2番目に古い女子専門学
校であった。戦後学制改革によって 「大阪女子大学」となったが,2005(平成17)
年に府立大学の統合・再編計画によって,「大阪府立大学」に統合された。
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※碑文
発祥之地  大阪府女子専門学校  大阪女子大学
  「われら集ひし」学舎52年のあゆみ
「大阪府女子専門学校」は実業家山田市郎兵衛氏の篤志をうけ,1924(大正13)年
4月1日大阪府関係者の熱意により開校が実現した。全国第2番目の公立女子専
門学校である。1949(昭和24)年4月1日,教育改革により「大阪女子大学」となる。
1976(昭和51)年に大仙学舎へ移転するまでの52年間女子高等教育の拠点として
大きな役割を果たした。この学舎での卒業生は6641名。広く社会に貢献する多く
の人材を輩出している。  2007(平成19)年6月1日  大阪女子大学斐文会

万代池公園・・・聖徳太子伝説
池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせ
き止めて作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物
を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと
伝えられている。明治時代までは灌漑池として利用されていた。大正期、昭和初期
には東側に「共楽園」という遊園地があった。
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神須牟地神社(かみすむぢじんじゃ)
御祭神は神産霊大神(カミムスビノオオカミ)、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)、
少名彦命(スクナヒコノミコト)。
延喜式内の古社であって三の宮と称され遠く二千年昔の御創建とされる。
住吉大社が摂津国一の宮と呼ばれたのに対し、当社が三の宮とされた。江
戸時代、大名が参勤交代の途中で住吉大社に参拝する際、当社で旅装から
定められた装束に着替えてから参拝したと言われている。古来酒造将また
医薬の祖神として信仰厚く、文武両道の守護神として御神徳顕著であった。
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長居公園(昼食)
木陰は風邪が吹いていて涼しかった
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鶴ヶ丘駅へ向かう
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鶴が丘駅(ゴール) →電車で天王寺駅へ
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あべのハルカス&キューズモール 
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キューズモール裏手の
銭湯  湯処・あべの橋
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居酒屋
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おまけ
我家のデュランタ
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8月12日のご近所を朝散歩-2

8月13日       8月12日のご近所を朝散歩-2
                 久し振りの朝散歩
8月5日のブルーベリー収穫祭の後、ハイキング予定を2回パスしたので
外で身体を動かす事が無く、12日の朝は朝食後にご近所の散歩コースを
8時に家を出て、隣町の睡蓮の花の咲く池を目指して歩いてみました・・・
帰って来たのは9時半、即シャワーを浴びて着替えて、気持ち良い!!(^^)!
高速道路の裏道へ高速道のガード下を潜る
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高速道路の裏道
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郵便局の前で
滝川の遊歩道を越えて
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田圃のあぜ道を歩く・・・・
田圃のの真ん中に太陽光発電施設がいつの間に
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道路を渡って
ギンナンがたわわに実ってる
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資源ごみステーション
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通りへ出て
この道を真っ直ぐ行くと隣町へ
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此処を渡って
未だ真っ直ぐ・・・
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この道路を渡ると隣町・・・
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隣町の浄水タンク?
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隣町の睡蓮の咲く池に到着
今年も睡蓮が咲いている
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水辺にモミジアオイが
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南京ハゼの実が
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睡蓮
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此処までは、
8月12日のご近所を朝散歩-1 として
     下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
    http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-13-1
続きは、
隣町の睡蓮の咲く池の途中~
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有料老人ホームの周囲
道路脇の花壇に植えられた花を・・・
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神社(二都大神)
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老人ホーム(こころ上牧)前を通り
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大型商業施設(APTA)前を通り
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まほろばコーヒーの黄色いポストを・・・
幸せの黄色いポストは飾り物
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神の牧温泉
(虹の湯)の前を通り
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図書館前を通り・・・・
丁度9時、親子で勉強に北のか?
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滝川を渡り自宅へ戻る
マンホール蓋の図柄は町の花ササユリ
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8月5日の明日香ブルーベリー収穫祭・万葉文化館

8月10日      8月5日の明日香ブルーベリー収穫祭・万葉文化館
               シャープグリーンクラブお手伝い?
8月5日(土)に開催された、シャープ明日香の森でのブルベリー収穫祭に参加しました。
ふだんから里山保全活動をしている社友会グリーンサポータのメンバー以外に社友会
会員にも参加を呼びかけ、社友会会員16人(奥様方を含む)の参加を頂き総勢28人が
参加しました。近くの9時開門の県立万葉文化館の駐車場を利用して9時15分に集合、
9時30分にシャープグリーンクラブ明日香のでグリーンサポータメンバーと合流し、当日
の活動プログラムの説明、ラジオ体操、を済ませて、シャープ明日香の森のAゾーン(ブ
ルーベリー等の果樹)、Bゾーン(落葉樹林)、Cゾーン(竹林)を説明を受けながら巡回、
其の後でみんなでブルーベリー果樹の廻りの草刈りを行い、いよいよ1時間のブルーべ
りー収穫をしました。 ・・・11時30分には参加者全員、集合写真を撮って収穫祭を終了。
ブルーベリーの最盛期で実も大きく、甘く育った一粒一粒を大切に摘み取り、収穫した。
草刈りや摘み取り作業をしながらも、久し振りに会った仲間との昔話等を楽しみました・・
県立万葉文化館前の休憩所で集合
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明日香の森へ向かう,
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振り返ると二上山も・・・
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此処を渡って少し登る
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明日香の森の入口、グリーンクラブの看板
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Aゾーンの休憩場所で合流、
活動プログラム説明、ラジオ体操の後Bゾーンの落葉樹林
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Cゾーンの竹林
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Aゾーンへ戻る
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水分補給しながら草刈り
水分補給しながらブルーべりー収穫
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集合写真を撮って解散、万葉文化館前へ向かう
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1kg以上持ち帰り、家へ帰ってからも大変?
ブルーベリージャムや生食用、ブルーベリー酢やブルーベリー酒
生食も甘くて美味しい
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ブルーベリー酢
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ブルベリー酢やブルーベリー酒
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ブルーベリージャム
梅ジャムに変えて毎朝食べて今日で5日目半分くらいに・・・
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今日で5日目、ブルーベリー酢も良い色になり
ブルーベリー酒はブルベリーが沈みかけて・・・
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残りは、冷凍保存中・・・

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8月3日の「のせでん第一木曜ハイキング」・妙見口駅-2

8月7日      8月3日の「のせでん第一木曜ハイキング」・妙見口駅-2
               能勢電ハイキング 山歩き 歩程約12㎞

初挑戦!のせでん第一木曜ハイキング 山歩きに挑戦 雨天中止 歩程約12㎞
阪急&のせでんハイキング 能勢電鉄 妙見口駅前スタート 9時半~10時受付
コース  
能勢電鉄妙見口駅~黒川公民館~出野三角点~ありなしの道~野間の大けやき
~能勢けやきの里~天王山神社~大堂越~妙見口駅
何時もの街中のハイキングとは異な急な坂道の登り下りで大変だったが風があり、
結構涼しかった?? 此の日の参加者 430人 夏休みのせいかお子さん達も?
標高200mの妙見口駅から標高366mの出野(しゅつの)三角点越えだと思い参加
したがどうしてどうして更に標高450mの大堂越(おおどうこえ)もコースに有った・・
この日の私の万歩計は、25523歩で約17.1km、山歩きは私には向いていない。
もう二度とこの様な山歩きには参加しない、と思うのだが風景の魅力に負け失敗・・
妙見口駅前の広場に参加者が長蛇の列、スタート
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観光案内書所~役所前に花折街道の・・・
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※能勢妙見山は日蓮宗の霊場、北極星信仰の始まり
その昔、妙見山がまだ為楽山と呼ばれていた頃、星の王様がこの山に降りてきたと
いう言い伝えがあります。時は天平勝宝年中(750年頃)村人達は行基菩薩に請い、
その山頂に北辰星をお祀りしたのが当地の北極星信仰の始まりと伝えられます。
多田満仲公の妙見菩薩像が祀られる
時は下り平安時代。清和源氏の鼻祖 源(多田)満仲公は厚い妙見信仰を持ってお
り、寛和2年(986年)邸宅内にお祀りしていた鎮宅霊符神像(妙見大菩薩像の別称)
を当地へ遷座されたといわれております。
以後、その長子で大江山の鬼退治で有名な頼光はじめ代々に妙見信仰が受け継が
れていきました。頼光の子にあたる頼国の時、長元年中(AD1028〜1037)に能勢に
移住し、以来能勢を氏としたと伝えられ、当地の妙見信仰は能勢氏によって守られて
ゆきました。
本能寺の変 ー そして備前国岡山の城下へ
能勢頼次は名前を三宅助十郎と変えて逃げ、能勢氏の先祖の寄進によって建てられ
た妙勝寺という日蓮宗のお寺に落ち着きます。
関が原の戦いから能勢氏再興へ
ある時、家康が京都の実相寺(現在の南区上鳥羽)という日蓮宗寺院で休憩した時の
こと、実相寺の住職が能勢頼次の弟であったことで、頼次は家康に召し抱えられること
になり、やがて慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで能勢頼次は徳川軍として大きい戦功
を立てて、家康からかつての能勢氏の領地を与えられます。
能勢頼次の日乾上人への帰依 ー 眞如寺の始まり
能勢頼次が秀吉軍に攻められ落ち延びて19年、備前の妙勝寺で「南無妙法蓮華経」
のお題目を唱えて能勢氏再興を願い、それが実現したことで仏への感謝の念が大きく
ふくらみ、もっと法華経の信仰を深めたいという想いにかられ、日乾上人の説法を聞く
ことになります。
※日乾上人という人
日乾上人は、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の法主(ほっす=住職)になられた高
徳の僧で、その法話を聞き感動した頼次は、即座に日乾上人に帰依(自分の身も心も
すべてを捧げて信じること)します。そして広大な山屋敷を寄進し、ここに住んでさらに
教えを説いて欲しいと願い出たことが眞如寺の始まりです。
「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」として祀る
日乾上人は能勢氏の家鎮として古くから祀られてきた妙見大菩薩を法華勧請し法華経
のご守護神とし、さらに武運長久を願って武具甲冑を身につけ剣を手にした妙見大菩
薩のご尊像を日乾上人自ら彫刻して授与し、これを能勢の領地が一望できる為楽山の
山頂(大空寺趾)に祀りました。これ以後、為楽山は妙見山と称されるようになりました。
能勢地方の日蓮宗=能勢法華が成立 ー 東京別院の建立
以後、日乾上人は能勢頼次の外護のもとに次々と能勢一帯の神社・寺院を日蓮宗に改
宗していきます。こうして能勢地方の日蓮宗=能勢法華が成立していきました。
能勢頼直の代には、江戸の下町本所に下屋敷を賜り、ここに妙見大菩薩のご分体を祀
りましたところ多くの信仰を集め、親子鷹でおなじみの勝小吉と勝海舟親子の熱烈な信
仰を得ており、今も妙見山の東京別院として賑わっています。

花折街道
能勢妙見山山麓、池田、川西から妙見山へと続くこの道は明治中期に開通した。
「花折街道」の名前の由来は、街道の両側に花が溢れ咲いていたからとも、人々
が花を手折りながら歩いて行ったからとも云われていたからだそうです。
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吉川八幡神社
源頼仲(満仲の4代目の子孫)が冶歴年間(1065~1069)吉川在住のおりに創建
した神社。元は高代寺の統括下にあったが、明治の神仏分離で独立。「応神天皇」
を祀る宇佐八幡宮の末社、天照社、多賀社、弁財天、稲荷社の末社を祀っている。
シイの木の北限(天然記念物)となる木立は豊能町の保護樹林第1号に指定され
ている。
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黒川いこいのガーデン
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黒川公民館(トイレ休憩)へ
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黒川公民館~出野三角点へ向かう
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ありなしの道
出野三角点へ向かう
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ようやく到達
出野三角点、366m此処からはしばらく下り・・・
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此処までは、
8月3日の「のせでん第一木曜ハイキング」・妙見口駅-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        http://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2017-08-07
此処では、此の続きの、野間の大けやきへ向かう~
「のせでん第一木曜ハイキング」・妙見口駅-1 として詳細を掲載します。
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野間の大けやき
国指定天然記念物の「野間の大ケヤキ」です。説明板では、樹齢1000年、幹周14m、
樹高/30m、ケヤキとしては全国で4番目の巨樹とのこと。
環境省のデータでは「幹周11.95m/樹高25m」となっています。いずれにしてもケヤキ
としては全国でも屈指の巨樹です。大阪府の巨樹としては第2位の巨樹です。
説明板によれば、この大ケヤキのある地はかって「蟻無宮」とよばれた神社の境内で
あったそうです。そしてこの大ケヤキはその神社の御神木であったと考えられていま
す。神社は鎌倉時代中期の承久2年(1220年)の創始と伝えられており、明治に至り
野間神社に合祀されたそうです。伝承では、里人は大ケヤキの春先に出る新芽の出
具合でその年の豊凶を占ったそうです。
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能勢けやきの里
野間川沿いに天王山神社へ向かう
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円珠寺(えんじゅじ)
能勢町にある日蓮宗寺院。慶長6年(1601年)寂照院日乾が開山。山号は龍淵山。
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天王山神社
小休止、此れから林道をまた登る
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大堂越へ向かう
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大堂越 標高450m?
疲れた!此処からは急な下り・・・
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妙見ケーブル駅へ向かう
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妙見ケーブル駅
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妙見口駅迄1km
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妙見口駅
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おまけ
甘く美味しい、奄美のパッションフルーツ
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