So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

2月11日の水神に五穀豊穣を願う砂かけ祭り

2月15日         2月11日の水神に五穀豊穣を願う砂かけ祭り
                 近鉄駅フリーハイキング 砂合戦 7㎞ 
此の日はとても寒い一日、時雨や雪にも降られつつ知人のO村さん・K場さん・M吉さ
ん・I 田さんと5名で参加、砂かけ祭りを待つ間にK地さんが写真撮影に来られてて・・
隣の町の祭りなのに、大和の奇祭の一つとして有名な「砂かけ祭り」に初めて参加出
来た事に意義有り、此の日の私の万歩計は、18345歩で約13.5km歩いたことに・・・
コース  近鉄生駒線・王寺駅(受付・スタート)
王寺駅(受付・スタート)~大和川・竜田川合流地点~沈下橋~高山二号墳~中良塚
古墳~※大塚山古墳~公園(昼食)~廣瀬大社~定林寺~水分神社~廣瀬大社・砂
合戦~春日神社~黒土沿いの果物屋~天神社~穴地蔵~近鉄田原本線・池部駅へ
志都美駅
IMG_5622.JPG
IMG_5623.JPG
王寺駅(10:53)~沈下橋へ向かう
竜田川がそそぐ大和川
IMG_5624.JPG
IMG_5625.JPG
沈下橋
奈良県内を東西に横切る「大和川」。河合町1丁目の辺りで「佐味田川」(さみだがわ)
が合流したすぐ西側に、奈良県で唯一の「沈下橋(ちんかばし)」があります。
奈良県で唯一の沈下橋『大城橋』(沈み橋・潜水橋)は、大和川に架かっています。
橋の長さは約50m。幅は約2m。もちろん車ですれ違ったりできませんので、対向車
が見えたら、かなり遠くで待つことになります
橋げたのところに出っ張りがあり、車が来たら歩行者はそこへ避けることができま
すが此れも怖い。橋げたの写真が残っていないのが残念、車がきて逃げて来た。
沈下橋とは、橋の欄干や手すりがなく、川が増水すると水面下に沈んでしまう橋のこ
とで地域によって、潜水橋、沈み橋、潜り橋など、さまざまな呼び方があるのだとか。
高知県・四万十川のものが有名ですが、数は少ないながらも、まだ全国各地に残っ
ているそうです。
IMG_5626.JPG

沈下橋~大和川上流を撮る
IMG_5630.JPG

高山二号墳
IMG_5631.JPG
IMG_5632.JPG

中良塚古墳へ向かう
IMG_5633.JPG
中良塚古墳
大塚山古墳郡に属する小規模な前方後円墳です。全長約88m、後円部径約45m、
同高6.5m、前方部幅約50m、同高6.5m、葺石・埴輪列はあったようですが墳丘は
畑に開墾されていたそうで、後円部の一部が破壊されています。埋葬施設は未調
査で不明
IMG_5634.JPG
IMG_5635.JPG
IMG_5636.JPG
IMG_5637.JPG
※大塚山古墳
墳丘:前方後円墳(全長215m、後円部径108m、高さ15.8m、前方部幅123m高さ
16.9m)3段築成で前方部を南に向ける。周囲には盾形周濠の痕跡が明確に残っ
ている。葺石及び埴輪あり。
古墳は県内の河川が集中し大和川となる平坦地の周辺に位置し河川交通の管理
権を掌握していた集団の長の墳墓とする考えが多い。墳形は後円部径が108mに
対し前方部幅が123mとかなり拡がる。標高42mの平坦地に作られた大型古墳でこ
の時期としては最大級の大きさを誇ります。見所は後円部側で32m、前方部側で4
0mある盾形の周濠跡で今も大変良好な状態で遺存しており県下の空濠のある古
墳の中では御所市の掖上鑵子塚古墳と並び屈指の美しさを誇っています。墳丘部
には東側クビレ部付近から比較的簡単に登れますが眺望はききません。しかしなが
ら200m級古墳で登れるものは意外と少ないので是非登ってその大きさを実感され
るといいでしょう。
(大塚山古墳群として大塚山古墳、中良塚古墳(高山塚1号墳)、城山古墳の3基の
前方後円墳と丸山古墳という帆立貝式古墳、高山塚2~4号墳、九僧塚古墳の円墳
や方墳で構成される。)
DSC_0310.JPG

公園で昼食・梅が咲いて
IMG_5641.JPG
廣瀬大社(ひろせたいしゃ、広瀬大社)
廣瀬大社は、奈良県北葛城郡河合町川合にある神社。式内社(名神大社)、二十二
社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
旧称は「廣瀬神社(ひろせじんじゃ、広瀬神社)」。
主祭神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと) 「廣瀬大忌神(ひろせおおいみのか
み)」とも。社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神
と同神とする。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。鎮座地は、高田川と一
緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流す
る地点であり、このことから水神を祭る。社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長
の廣瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナ
が数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに
始まるとしている。龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。『日本書紀』天武天皇
4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述
があり、これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国広瀬郡に「広瀬坐和加宇加乃売
命神社(廣瀬坐和加宇加乃売命神社) 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列すると
ともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。永保元年(1081
年)に最高位の正一位の神階を受けている。後の二十二社の一つともなった。
明治4年、官幣大社に列格した。第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。
2月11日 例祭(御田植祭)
大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事である。拝殿
前の広場を田に見立てて田植えの所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮した
ひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれる。
IMG_5642.JPG
IMG_5643.JPG
IMG_5644.JPG
IMG_5645.JPG

まだまだ長い参道
IMG_5646.JPG

テレビ局が宮司さんにインタビュー中?
IMG_5647.JPG

日露戦争の戦利品
IMG_5649.JPG

境内への大鳥居
IMG_5650.JPG

午前の砂合戦が終わって抽選会が
IMG_5651.JPG
IMG_5652.JPG
IMG_5653.JPG
IMG_5654.JPG
午後の砂合戦までは未だ時間が有るので近隣のお寺へ向かう
定林寺・涅槃図公開
「定林寺」では、涅槃図の特別公開をしていました。
こちらには市場総代の保有となっている4体の仏像(3体は平安時代、不動明王像のみ室
町時代)が安置されています。、内部には多くの仏像が安置されています。そのうちの4体
が平成9年3月26日に町指定文化財に指定されました。
廣瀬神社の3つの神宮寺のうちの一つで、現在の定林寺は廣瀬神社の西側、城山古墳の
北側にあります。廣瀬神社に伝わる古絵図には宮堂遺跡の位置に、聖徳太子が建立した
大伽藍の寺として描かれています。現在の定林寺は江戸時代の建物ですが、河合町に残
る最古級の仏像が、安置されています。
IMG_5656.JPG
IMG_5657.JPG
廣瀬大社
摂社・水分神社(水分神)
IMG_5655.JPG
IMG_5658.JPG
IMG_5659.JPG

戻って来て砂かけ祭り待ち
IMG_5662.JPG
IMG_5663.JPG
IMG_5660.JPG
IMG_5661.JPG
廣瀬大社・砂かけ祭りに突入・・・
2月11日 例祭(御田植祭)
大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事である。拝殿
前の広場を田に見立てて田植えの所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮した
ひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれる。
IMG_5665.JPG
IMG_5666.JPG

砂かけられるのが嫌で逃げる
IMG_5667.JPG

春日神社へ向かう
IMG_5668.JPG
IMG_5669.JPG

春日神社
IMG_5670.JPG
IMG_5671.JPG
IMG_5672.JPG
国道沿いの果物やで買い物して天神社、穴地蔵、池部駅へ向う
天神社(池部)
木立の中の参道を50mほど進むと、瓦葺の拝殿があり、本殿は中庭の奥に土塀で囲ま
れ、春日造り桧皮葺です。江戸時代には天満宮と呼ばれていたようです。祭神は国常立
命(クニトコタチノミコト)。
IMG_5675.JPG
穴地蔵
天神社の隣の穴地蔵は、以前は100mほど北にありました。石屋形の中には、江戸時
代の作と思われる地蔵など小石仏6体が安置されています。
IMG_5676.JPG

田原本線・池部駅
IMG_5677.JPG

nice!(24)  コメント(1) 

2月9日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-2

2月14日          2月9日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-2
                  近鉄駅フリーハイキング 6㎞
此の日は知人のY田さん・M吉さん・O村さん・I 田さんと5名でコースを大半飛ばして酒
蔵へ何とか時間内に辿り着きました。此の日の私の万歩計は22775歩で約16.8kmに・・
コース   昼飯を食べる時間も取れず駆け足で酒蔵へ向かうという強硬軍となった
五位堂駅(北口ロータリー11時迄)~牧野古墳~三吉石塚古墳~新木山古墳~竹取公
園~馬見丘陵公園・ナガレ山古墳・北エリア~長龍酒造・長龍・試飲・甘酒・抽選会・解散
~箸尾駅への予定が酒蔵が10時半~12時半と指定されておりコースを辿れなかった・・・
五位堂駅(北口ロータリー11時迄)~牧野古墳~直接竹取り公園へ入り三吉石塚古墳~
新木山古墳をパスして~馬見丘陵公園・梅林を通り、北エリアをパスして直接長龍酒造へ
向かいなんとか12時20分に到着、試飲・甘酒振舞い・抽選会・解散の後で馬見丘陵公園
北エリアへ行き昼食、北エリア~平城宮遷都1300年ロードを通り池部駅へ、池部駅で皆
さんと別れて1人で昔よく歩いた散歩コースの川合町を歩いて40分かけて帰りました。
志都美駅
IMG_5568.JPG
香芝駅~近鉄下田駅へ乗り換え
鹿島神社・・・平安末期の勧請伝承を持つ由緒ある鹿島神社。
河内源氏当主源義朝の腹心に、鎌田左兵衛尉政清という者がいた。相模の出身で、母
が義朝の乳母であり、乳兄弟として義朝が最も信頼を置く男だった。平治の乱で平清盛
に敗れ京都を逐われた義朝は、勢力を立て直すべく東国へ向かった。道中落武者狩り
に遭い、多くの一族郎等を失いながら、尾張国野間の長田忠致の許に身を寄せた。忠致
は政清の舅にあたる。この時義朝は馬を失い、しかも裸足だったという。
忠致は義朝一行を快く迎え入れ歓待したが、その夜異変は起こる。忠致が恩賞目当てに
裏切り、入浴中の義朝を暗殺。政清も酒を呑まされて忠致の子景致に殺害される。平治
二年(1160)が明けて間もなくのことだった。
父政清とともに義朝に従っていた鎌田小次郎政光は難を逃れ、常陸国鹿島神宮に辿り着
いた。鹿島はかつて少しの期間ながら居住したことのある地だった。政光は鹿島大明神に
源氏再興と鎌田家繁栄を祈願し、百日の参籠を行った。満願を迎えた夜、夢に老翁が現
れてこう告げた。 「庚子の年に源氏栄えん。汝の福は西にあらん」
政光は鹿島の神の分霊を奉じて西方を目指し旅立った。長い年月が過ぎた。時に承安二
年(1172)三月、大和国下田に到った頃、日が沈んだため松の木の下で野宿をした。翌朝
目を覚ました政光は、この地の風景が鹿島に似ているように思い懐かしむ。そこでこの地
こそが我が安住の地と思い定め、小祠を建てて鹿島大明神を祀ったという。
政光とその子孫は下田の南の鎌田に代代住して鹿島神社に奉仕し、また鎌田村の名主と
して長く栄えた。そして庚子にあたる治承四年(1180)、源義朝の遺児頼朝が平氏を打倒し、
源氏の世が到来する。又、香芝市の市名由来は間接的に鹿島神社とされている。
IMG_5570.JPG
IMG_5571.JPG

近鉄下田駅
IMG_5572.JPG
五位堂駅(北口ロータリー11時迄)
かつらぎの道を牧野古墳へ向かう

かつらぎの道
五位堂駅北側から住宅地の中央に約2kmにわたって続く歩行者・自転車専用道。
途中大型ショッピングセンターのエコール・マミや畿央大学横などを通り、利便性抜
群。北詰めから東へ向かうと馬見丘陵公園も近く、ハイキングコースとしても手頃。
IMG_5573.JPG
牧野古墳
牧野古墳(ばくやこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町に所在する古墳時代後期の
円墳である。1957年に国の史跡に指定されている。
本古墳は、奈良盆地の西側に拡がる馬見丘陵の尾根先端部に位置し、馬見古墳群の
中央群に属する。築造は石室や石棺、出土遺物から6世紀末と見られている。この頃か
ら7世紀初頭にかけて、列島各地で大王墓や首長墓として造り続けられてきた前方後円
墳が築造されなくなる。代わって採用されたのは方墳や円墳でる。このことは前方後円
墳祭祀が終焉を迎えたことを示しており、古墳の形態で力を誇示する時代[ではなくなっ
た。埋葬施設は墳丘の中ほどに造られており、南面に開口した両袖式の全長17.1mの
横穴式石室である。この石室は巨石を積んでおり、明日香村の石舞台古墳に次ぐ規模
である。本古墳は、この時期では墳丘規模が最大級であることから、被葬者は大王に
近い支配者層の墓と考えられ、敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子であると推定されて
いる。
IMG_5575.JPG
IMG_5574.JPG

※三吉石塚古墳~新木山古墳をパス
新木山古墳(全長200m、陵墓参考地)の外提西側付近に作られた帆立貝式古墳。
周囲に馬蹄型の周濠が巡っている。後円部は2段に作られ、1段目には円筒埴輪列
に朝顔形埴輪を置いた列が巡り、墳頂には蓋(きぬがさ)、短甲、家などの形象埴輪
が置かれていた。 (復元されているのは円筒、朝顔形のみ)
墳丘と周濠内側に10~30cmの葺石が施されており、後円部では葺石が一列に並
べられている箇所があり、作業単位を示す基準であったと考えられる。後円部の葺
石は二上山麓の輝石安山岩が、前方部の葺石は当麻町西に分布する黒雲母花崗
岩が使われている。 前方部南東隅には他に例を見ない張り出し部が設けられ、外
提部に埴輪列が巡り、周濠部の幅も極端に狭いことから、墓道として作られたと考え
られる。埋葬施設は未調査であるが、5世紀後半の築造と考えられる。

直接竹取り公園へ入り
竹取公園
奈良県北葛城郡広陵町にある入園無料の公園施設です。 公園内には散策 路や木
製の大型遊具、そり遊びのできる施設もあり、小さなお子様連れの方からお 年寄り
まで楽しくすごせる公園です。
IMG_5577.JPG
IMG_5578.JPG
馬見丘陵公園・梅林を通り公園外へ
北エリアをパスして直接長龍酒造へ向かう
馬見丘陵公園
県営馬見丘陵公園は、広陵町と河合町の両町にまたがる、わが国でも有数の古墳群
と 、良好な自然環境が残された地域にあります。 この歴史と文化の遺産やすばらしい
自然 環境を、県民の憩いの空間として、奈良公園に次いで県下2番目 の広域公園と
して広く活用してもらうことを目的に整備されました。
梅林
梅林の梅もそこそこに
IMG_5579.JPG
IMG_5580.JPG

公道へ出て直接酒蔵へ向かう
IMG_5581.JPG
IMG_5582.JPG
IMG_5584.JPG
なんとか12時20分に到着
長龍酒造到着大勢の人が列を作って
長龍酒造
昇道無窮極(しょうどうむきゅうきょく)この言葉を胸に日々精進しています。
社名 長龍酒造株式会社  創業 1923年(大正12年)
1923年 飯田弟一、生家の飯田酒造場(1868年創業 現在の奈良県天理市㈱飯田
本店)より独立し、八尾に酒の小売店開業。間口二間の店に店員一人、生家の清酒
「長龍」120本を元手とする。
1941年 戦時体制により酒類販売を中断。飯田木工株式会社設立。 樽・木製ドラム・
バケツ等の製造販売を行う。
1963年 長龍酒造株式会社設立。八尾工場を竣工して共同びん詰場の免許を取得、
原酒の貯蔵と「長龍」のびん詰作業を始める。
1964年 画期的新商品、樽酒のびん詰「吉野杉の樽酒」の開発に成功。 「吉野杉の
樽酒」の販路を全国に拡げる。1968年 「慶雲長龍」発売
1971年 長龍酒造株式会社第二貯蔵庫竣工。炎暑の夏も高品質を保つ完璧な温度
管理を実現。 1979年 広陵酒造株式会社 設立 広陵蔵で醸造開始
試飲・甘酒振舞い・抽選会
IMG_5588.JPG
IMG_5591.JPG
IMG_5592.JPG
IMG_5593.JPG
IMG_5594.JPG
此処までは、
2月9日の酒蔵みてある記 長龍酒造「長龍」-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-14
此処では、続きの試飲・甘酒振舞い・抽選会・解散の後で
馬見丘陵公園北エリアへ向かう~ についての詳細を掲載します。
IMG_5598.JPG
IMG_5599.JPG
馬見丘陵公園北エリアへ行き昼食
北エリア~平城遷都1300年の道を通り池部駅へ
(710年~2009年の歴史的な出来事を年表にして道路上にマッピングされている)
IMG_5600.JPG
IMG_5601.JPG
IMG_5602.JPG
IMG_5603.JPG
IMG_5604.JPG
IMG_5605.JPG
IMG_5606.JPG
河合町役場庭園(旧豆山荘)
河合町役場の庭園は、大正末年、大和鉄道建設の森本千吉氏が、馬見丘陵の大
自然を取り入れ、広大な邸宅と庭園を構築されました。そして「豆山荘」と名づけら
れたことに始まります。
森本氏が逝去された後は、財界の第一人者、新庄町(現 葛城市)出身の吉川京松
氏が譲り受け、豆山荘の維持保存に努められました。
吉川氏は河合村役場を豆山荘に移転したいという当時村長の木下氏からの要望に
応え、昭和23年、豆山荘を河合村に譲られました。
その後、河合町発足とともにここに庁舎を新築し、現在に至ります。馬見丘陵の自然
を生かして造られているため、ここに繁茂する樹木のほとんどは馬見丘陵に自生す
る自然木です。
由緒あるこの庭園を憩いの空間として、ぜひ足を運んでください。庭園は近鉄池部駅
すぐの役場入口左にあり、役場休業日も自由に散策することができます。
IMG_5607.JPG
IMG_5608.JPG
IMG_5609.JPG

池部駅
IMG_5610.JPG
池部駅で皆さんと別れて1人で
昔よく歩いた散歩コースの川合町を歩いて40分かけて帰りました。
IMG_5611.JPG
IMG_5612.JPG
IMG_5613.JPG
IMG_5614.JPG
IMG_5615.JPG
IMG_5616.JPG
IMG_5617.JPG
IMG_5618.JPG
IMG_5619.JPG

河合町とお別れして
IMG_5621.JPG

nice!(16)  コメント(2) 

2月7日の馬見丘陵公園の梅林

2月14日         2月7日の馬見丘陵公園の梅林
                   家内と梅林散策
2月9日に予定されている五位堂駅~の酒蔵みてある記で馬見丘陵公園を通る事に
なっているのでナガレ山古墳側を通るか?梅林側を通るのが良いのか?梅林の咲き
具合を確認に行ってみた、1月19日に一度行ってみてもう満開かと思いきや未だ未だ
梅林全体には咲き広がってはいなかったが、ナガレ山古墳側を通るより此方が良い・・
梅林
IMG_5544.JPG
IMG_5545.JPG
IMG_5547.JPG
IMG_5548.JPG
IMG_5549.JPG
IMG_5550.JPG
IMG_5551.JPG
IMG_5552.JPG
IMG_5553.JPG
IMG_5554.JPG
IMG_5555.JPG
IMG_5556.JPG
IMG_5557.JPG
IMG_5558.JPG
IMG_5559.JPG
IMG_5560.JPG
IMG_5561.JPG
IMG_5562.JPG
墳観橋に上って
梅林を撮る、天気が良けりゃもっと綺麗な梅が散れただろうに・・・
IMG_5565.JPG
墳観橋から
巣山古墳と前丘を撮る
IMG_5563.JPG
IMG_5564.JPG
墳観橋から
倉塚古墳&倉塚古墳と一本松古墳を撮る
IMG_5566.JPG
IMG_5567.JPG
nice!(9)  コメント(2) 

2月5日の唐古・鍵遺跡史跡公園&桃太郎伝説発祥地-2

2月13日       2月5日の唐古・鍵遺跡史跡公園&桃太郎伝説発祥地-2
                  歩こう会特別企画 歩程約9㎞
今年2回目の歩こう会は、歩こう会特別企画で田原本町の史跡巡り、2018年4月リニューアル
オープンした弥生時代の遺跡として有名な、唐古・鍵遺跡史跡公園と道の駅「レスティ唐古・鍵」
や1月の孝霊天皇陵繋がりで桃太郎伝説発祥地の孝霊神社(廬戸神社)や法楽寺(孝霊天皇黒
田廬戸宮跡に建立)を巡る。此の日の私の万歩計は、25635歩で約飽く18.9km歩いたことに
コースは  孝霊神社境内に10時集合     参加者50名(新入会員1名含む)でスタート
黒田駅~徒歩3分~孝霊神社(集合・スタート)~法楽寺~黒田大塚古墳(トイレ休憩)~鍵の蛇
巻~唐古・鍵遺跡史跡公園(トイレ休憩&集合写真撮影)~池坐神社・千万院~ながめの丘・展
望台(昼食休憩)~唐古・鍵遺跡史跡公園・遺構展示館(解散)~道の駅「レスティ唐古・鍵」~石
見駅へ案内して無事終了した、天気にも恵まれて楽しいハイキングだった。
志都美駅
IMG_5473.JPG
王寺駅~新王寺駅
雪丸像
IMG_5474.JPG
IMG_5475.JPG

近鉄田原本線・黒田駅
IMG_5476.JPG
IMG_5477.JPG
孝霊神社(集合・スタート)
孝霊神社(廬戸神社)
IMG_5478.JPG
IMG_5479.JPG
IMG_5481.JPG

法楽寺へ向かう
IMG_5483.JPG

法楽寺、境内の梅がチラホラ・・・
IMG_5485.JPG
IMG_5486.JPG

黒田大塚古墳(トイレ休憩)
IMG_5487.JPG
IMG_5490.JPG
鍵の蛇巻~
唐古・鍵遺跡史跡公園(トイレ休憩&集合写真撮影)
IMG_5491.JPG

池坐神社・千万院へ向かう
IMG_5495.JPG
IMG_5496.JPG

池坐神社、此処も梅が・・・
延喜式神名帳に、『大和国城下郡 池坐朝霧黄幡比売神社 大 月次相嘗新嘗』とある
式内社。社名は“イケニマス アサキリ キハタヒメ”と読むが、神名帳古写本の一部(九条
家本・金剛寺本)には“横幡比売”とあり、“ヨコハタヒメ”と読ませている。社頭の鳥居神額
には「池坐神社」とある。近鉄橿原線・田原本駅の北東約2km、駅東の国道24号線・鍵
交差点から東へ約1km行った北側、初瀬川(大和川)左岸に鎮座する。
延喜式神明帳に『池坐朝霧黄幡比売神社 大月次相嘗新嘗』と見える。社名祭神名の
示す如く機織(幡)の神であって、推古帝24年(615)聖徳太子草創の法喜寺伽藍を賜っ
た秦氏が、その祖神守り神として崇敬した古社である。また法貴寺記録によれば、天慶
9年(946)9月19日に北野天満宮より菅原道真公を勧請した由がみえる。
古来、法貴寺天神又は天満宮として遍く知られており、法喜寺(長谷川氏の氏寺)の鎮
守神として信仰をあつめていた」とある。
これによれば、当社は古代の豪族・秦氏が7世記初頭の頃、氏寺・法貴寺(法起寺とも
いう)とともに創建したともとれるが、それを証する史料はない。
IMG_5499.JPG
IMG_5500.JPG
IMG_5501.JPG
千万院
明治初年廃寺となった法貴寺の塔頭である。法貴寺はもと法起寺とも表記し、聖徳太子
の開いた寺院と伝える。法貴寺本坊実相院の縁起に依れば第33代崇神天皇の御代 新
羅王から贈られた薬師三尊像を法起寺に安置したという。この薬師如来像は特に霊験あ
らたかであるとし、容易に拝むことができぬよう秦河勝に命じたという。
法起寺の名は仏法を起こすの意である。古くは実相院、角之院、池之坊、弥陀院、公文坊、
千万院、長栄坊、宝蔵坊など13の支院を持つ大寺であった。山門と鐘楼。平安時代の不
動明王立像、室町時代の薬師如来坐像、鎌倉時代の薬師如来坐像、南北朝時代の聖徳
太子、室町時代の観音菩薩立像などを有する。法貴寺不動明王立像は高さ約79cm、
時期は平安期のもので国指定重要文化財。
IMG_5503.JPG
IMG_5504.JPG
此処までは、
2月5日の唐古・鍵遺跡史跡公園&桃太郎伝説発祥地-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-12
此処では、続きのながめの丘へ向かう~ の詳細を掲載致します。
ながめの丘へ向う
IMG_5507.JPG
IMG_5508.JPG
IMG_5509.JPG
ながめの丘・展望台(昼食休憩)
展望台があり、唐古・鍵遺跡の楼閣や、大和川及び大和平野を取り巻く山並みが
一望できる初瀬川(大和川)沿いにある公園。
IMG_5519.JPG
IMG_5521.JPG

展望台から
IMG_5522.JPG
IMG_5523.JPG
IMG_5524.JPG
IMG_5525.JPG
展望台を後に
唐古池へ向かう
IMG_5526.JPG
IMG_5527.JPG
唐古池と楼閣
遺跡で発見された土器に描かれていた建物「楼閣」を、江戸時代に築造された農業用
溜池の南西隅に復元。遺跡の、また町のシンボルタワーとなっています。
IMG_5528.JPG
唐古・鍵遺跡史跡公園・遺構展示館(解散)
国史跡の指定を受けた唐古・鍵遺跡では、地下の遺構を恒久的に保存するとともに、史
跡公園として活用を図るため、平成21年度からは本格的な工事に着手し、平成30年4月
17日にオープンしました。
この公園は、弥生時代の遺跡という特色を生かし、周囲の田園風景を含めた弥生時代
の「風景」の再現と、かつてこの場で行われていたであろう「生活」を追体験できる場とな
ることを目指しています。
IMG_5529.JPG
IMG_5530.JPG
IMG_5531.JPG
IMG_5532.JPG
道の駅「レスティ唐古・鍵」・・・奈良交通HPより
平成30年4月20日(金)にオープンした田原本町道の駅「レスティ唐古・鍵」は、さまざま
なイベントの開催とともに、田原本町内の新鮮な野菜、果物、花をはじめ地元や県下の
特産品を多数販売します。また、1階のベーカリーでは「黄金の生食パン極」を製造直売
するとともに、各種ジェラートを販売し、2階のカフェではバラエティー豊かな12種類の
「オリジナルドッグサンド」をメインに、ドリンクメニューや軽食メニューをご用意いたします。
IMG_5533.JPG
石見駅へ
石見駅~田原本駅・西田原本駅~新王寺駅・王寺駅~信貴山下駅
信貴山下駅前
IMG_5534.JPG

大和川を王寺へ渡る
IMG_5535.JPG

信貴山
IMG_5536.JPG
久度神社・・・王寺町HPより
久度の氏神で、誉田別命・天児屋根命・底筒男命・久度神を祀っています。『続日本紀』
の延暦2年(783)12月の記事に「大和国平群郡久度神」と見えることから、すでにこのこ
ろからあった神社であることがわかります。久度神は、「久度」という言葉が竈を意味する
クドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさいに現京都市北区の平野神社に
遷されたと考えられています。境内には南北朝時代の暦応元年(1338)12月に奉納され
た石灯籠があり、文明8年(1476)8月の箱書をもつ春日曼荼羅が奈良国立博物館に寄託
されています。
IMG_5537.JPG
IMG_5538.JPG
IMG_5541.JPG
IMG_5539.JPG
IMG_5540.JPG

王寺の銭湯・さくら湯
IMG_5542.JPG
王寺駅へ向かう
王寺町マンホール蓋
IMG_5543.JPG

nice!(11)  コメント(2) 

2月3日の酒蔵みてある記、久保本家酒造「初霞」-2

2月8日      2月3日の酒蔵みてある記、久保本家酒造「初霞」-2
               近鉄ハイキング 歩程約8km 
此の日は知人のK場さん・M吉さんと3名で近鉄酒蔵みてある記ハイキング久保本家酒造
に参加、久保本家酒造へは中々タイミングが合わず今回が初めての参加となった・・・
道の駅からの帰りはバス、此の日の私の万歩計は、19995歩で約14.7kmあるいたことに。
コースは
榛原駅(南出口階段下)~宇田川沿い篠楽河川公園~平尾水分神社鳥居~うだアニマル
パーク~宇陀松山地区~慶恩寺~松山西口関門(黒門)~恵比寿神社~春日神社~久
保本家酒造・試飲・甘酒ふるまい~道の駅宇陀路大宇陀~榛原駅迄奈良交通バス利用
志都美駅
IMG_5407.JPG

近鉄桜井駅ホーム
IMG_5408.JPG

榛原駅(南出口階段下)~宇田川沿いを歩く
IMG_5410.JPG
IMG_5412.JPG
IMG_5413.JPG
篠楽河川公園
猟路の桜(かりじのさくら)
飛鳥藤原京の古、宮廷遊猟の地であった宇陀の山野。古典的に由緒あるこの地を後世
に伝えんと記念の桜を植樹し、「猟路の桜」と名づけられたいうのが所以の桜並木。
IMG_5416.JPG
IMG_5417.JPG

宇田川沿いを歩く
IMG_5418.JPG
IMG_5419.JPG
IMG_5420.JPG
IMG_5422.JPG
IMG_5424.JPG
IMG_5425.JPG
平尾水分神社の朱い鳥居
宇陀には、このほか宇太水分神社(下社) 宇太水分神社(中社) 惣社宇太水分神社(上社)
とあります。
平尾水分神社は江戸期に宇陀水分神社より水分神を勧請して祀られた末社。毎年1月1
8日、本殿石段前に設けた板張り舞台で、五穀豊穣を祈る予祝の神事としてオンダが行
われます。
午後7時ころ、神職(墨坂神社宮司)と氏子代表らにより本殿前で厳かに神事が行われま
す。次いで社務所で関係者のお祝いの宴(直会)が開かれたあと、「ショトメ(早乙女/初
乙女)」と呼ばれる子供5人が1人ずつおんぶ、あるいは抱っこされて舞台に上がります。
早乙女役を子供が演じるのは珍しく、最近は男児不足から女の子も加わるようになったそ
うです。
IMG_5428.JPG
※宇太水分神社
宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある神社。大和の
東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分
神社、葛木水分神社、吉野水分神社)。宇陀地域には他に2つの水分神社があり、宇陀市
榛原下井足(はいばらしもいだに)の宇太水分神社を「下社」、同市菟田野上芳野(うたの
かみほうの)の惣社水分神社を「上社」、本項で解説する同市菟田野古市場の神社を「中
社」とも称する。古市場の由緒によると、創立は崇神天皇の時代で、2003年の社殿の塗り
替えの時にわずかに残された色彩が発見されそれを元に復元された。

宇田川沿いを歩く
IMG_5429.JPG
IMG_5430.JPG
IMG_5431.JPG
カザグルマ自生地「宇陀市大宇陀小附」
カザグルマ草
キンポウゲ科の蔓性植物で、自生地の北限として昭和23年に天然記念物指定。 薄紫
色で八弁の大型で優美な花を咲かせ、甘い香りを漂わせる。
現在、国が保護増殖事業に着手し、保存地域内には入ることができない。 外柵からの見
学となり、なかなか確認し難い。
IMG_5432.JPG
宇陀アニマルパーク
宇陀市大宇陀の県畜産技術センターでは60年以上にわたり、牛・豚・鶏などの試験研究
を行い、様々な成果を上げてきておりますが、平成13年4月に大家畜(牛)部門が宇陀郡
御杖村の「みつえ高原牧場」に移転したことによる敷地の有効活用として、動物とのふれ
あいを通して次代を担う子どもたちの健全な育成を目指すとともに、県内外のみなさんに
レクリェーションの場を提供し、社会全体の発展に寄与することを目指し、うだ・アニマル
パークを設置することにしました。
うだ・アニマルパークは、人と動物とのふれあいを通して、動物を学び、動物から学び、そ
して動物のために学ぶ「いのちの教育」を行い、広く県民に動物全般に対する理解を促
進するとともに動物に対する愛護の思想について、普及啓発を図り豊かな社会づくりに
寄与することを目的とした施設です。
IMG_5433.JPG
IMG_5435.JPG
IMG_5437.JPG
IMG_5438.JPG
此処までは、
2月3日の酒蔵みてある記、久保本家酒造「初霞」-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-08
此処では、続きの宇陀松山地区~ についての詳細を掲載します。
宇陀松山地区
松山(まつやま)は奈良県宇陀市大宇陀地域にある広域地名である。旧宇陀郡松山町。
宇陀松山とも呼ばれる。江戸時代、宇陀松山藩の陣屋町として栄え、現在もその風情を
残しており、一部が国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
宇陀松山城の西側の地区は古代は阿騎野と呼ばれた宮廷の狩猟場であった。現在の
街区は戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その
後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、地名が阿貴町から松
山町に改められたとされる。関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年
からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や
裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史
をもつ。当時、近世初頭の敷地割と江戸時代から明治時代の商家が数多く残る中心街
は、宇陀市の都市計画によって定められた伝統的建造物群保存地区であり、宇陀松山
伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定され
ている。

慶恩寺
松谷山菩提院慶恩寺。開山は持統天皇九年に吾城行宮を賜って堂宇としたことに
始まる。その後文治2年に奈良の大仏殿再興にあたり、伽藍指図5分の1の試みと
して建立された。鐘楼には無銘であるが古い梵鐘が懸かる。
IMG_5439.JPG
IMG_5440.JPG
IMG_5441.JPG
IMG_5442.JPG
松山西口関門(黒門)
福島掃部孝治が城下町への出入口として今から400年前に建築したもので、昭和
6年に国の史跡に指定された。宇陀川から春日社にぬける道に位置し、付近には
枡形がある。町の人には「黒門」と呼ばれ親しまれている。
IMG_5444.JPG
IMG_5445.JPG
恵比寿神社
愛宕神社、恵毘須神社、愛宕寺の神仏混合社。愛宕神社は、城下町の火災防止の
ため、松山城主織田長頼が勧請奉祀させたといわれる。恵毘寿神社は町内の茶町
から移され、江戸以来毎年2月8日には初えびすが行われる。
IMG_5446.JPG

秋山城跡・春日神社へ向う
IMG_5447.JPG
秋山城跡・春日神社
秋山城跡のみで城址へは登らなかったが・・・
宇陀松山城は、南北朝時代から宇陀に勢力をもつ秋山氏の本城であったが、天正
13年に豊臣家大名の居城となり、城下町が整備された。最後の城主福島氏が元
和元年に改易され、平成7年からは発掘調査が行われている。平成18年、国史跡
に指定された。
春日神社
祭神、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比び大神。本殿、拝殿、神饌所、門、社務
所の施設が整い、石造灯籠新古を交え35基を奉建している。当社の旧祠宮と伝え
る佐々岡家には祭礼記など数通の古文書を蔵している。
IMG_5448.JPG
IMG_5449.JPG

近世初頭の敷地割と江戸時代から明治時代の商家が数多く残ってる。
IMG_5450.JPG
IMG_5451.JPG
IMG_5452.JPG
和菓子屋「松月堂」のきみごろも
きみごろもは奈良県宇陀市の銘菓である。
卵白を泡立てたメレンゲに砂糖・蜂蜜・寒天を加えて型に入れて固め、サイコロ状
に切ったのち、卵黄で衣をまぶして焼き色をつけたもの。奈良県宇陀市の和菓子
屋「松月堂」の初代が考案し、現在では宇陀市内の複数の和菓子屋で製造・販売
されている。宇陀市以外では、奈良市の「近鉄百貨店奈良店」(毎週水曜日、松月
堂のきみごろもを販売)や東京都中央区の「奈良まほろば館」(週に1度、松月堂の
きみごろもを入荷)にて購入することが可能。柔らかく、ふんわりとした食感が特徴
で、和菓子とも洋菓子ともつかない不思議な味わいを持つ銘菓である。
IMG_5453.JPG

久保本家酒造へ向かう
IMG_5454.JPG
IMG_5455.JPG

陶灯?
IMG_5456.JPG
IMG_5457.JPG
IMG_5458.JPG
IMG_5459.JPG
久保本家酒造
久保本家酒造のある大宇陀は『万葉集』の歌人にも愛された風光明媚なところとして
も知られております。ここは飛鳥の都からも近く、『古事記』や『日本書紀』の神話にも
登場する日本発祥の地であります。また中世には織田信長の子孫が所領する城下町
でもありました。その後近世の頃にも熊野古道や伊勢街道につながる宿場町として人
や物が行き交いとても賑わっておりました。
このころ初代久保勘兵衛が吉野の奥山より出でて、江戸元禄時代に現在の場所で酒
造りを始めました。大宇陀という当時の先進の地で一旗揚げてやろうという志があった
のだと思います。それ以来久保家は300年余り酒造を続けてまいりました。
IMG_5460.JPG
IMG_5461.JPG
IMG_5462.JPG
IMG_5463.JPG
IMG_5464.JPG
IMG_5469.JPG
IMG_5465.JPG
IMG_5466.JPG

販売所へ
IMG_5467.JPG
IMG_5468.JPG
IMG_5470.JPG
道の駅「宇陀路大宇陀」→榛原駅→五位堂駅
五位堂駅
IMG_5472.JPG
IMG_5471.JPG

nice!(13)  コメント(2) 

2月2日の酒蔵みてある記、奈良豊澤酒造「豊祝」

2月5日        2月2日の酒蔵みてある記、奈良豊澤酒造「豊祝」
               近鉄ハイキング 歩程約10㎞
此の日は、知人のY田さん・K場さん・I 田さん・M吉さん・O村さんと6名で酒蔵みてある記
に参加、南都参加者が2144名と大変多くの人で賑わってて酒蔵で試飲も大変な混み合い、
受付での人の多さ、此の日の私の万歩計は、21915歩で約16.2km歩いたことに・・・
コースは 平城宮跡資料館前受付 10時半
大和西大寺駅(北改札)~徒歩15分~平城宮跡資料館前(受付・スタート)~平城宮跡・大
極殿・朱雀門~左京三条二坊宮跡庭園~大安寺~八幡神社~大安寺搭跡広場(昼食)~
奈良豊澤酒造・豊祝試飲・甘酒ふるまい・ワンカップ豊祝お土産(解散)~帯解駅Or上三橋
バス停
Y田さん・I 田さん・O村さんの3名は上三橋のバス停へ、K場さん・M吉さんと私は帯解駅
へ別れて帰りました。私は1452番、6名共くじ運は無く抽選には外れて・・・
志都美駅
IMG_5369.JPG
大和西大寺駅(北改札)~徒歩15分
平城宮跡資料館前(受付・スタート)
一度は見て見たいものです。入館無料。奈良文化財研究所によるこれまでの発掘調査・
研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡をはじめ、建物模型や航空写真、発掘のジオラマ
模型などで平城宮を分かりやすく展示しています。
又、奈良文化財研究所 平城宮跡資料館の展示をインターネット上のGoogleストリート
ビューで見ることができるようになっています。
IMG_5370.JPG
平城宮跡・大極殿
今回は遠目に見るだけのコースでした。
IMG_5371.JPG

朱雀門へ向かう
IMG_5372.JPG
IMG_5373.JPG
IMG_5374.JPG
IMG_5375.JPG
平城宮跡・朱雀門
朱雀門を通り抜けて、平城京左京三条二坊宮跡庭園へ
IMG_5376.JPG
IMG_5377.JPG
左京三条二坊宮跡庭園
平城京左京三条二坊宮跡庭園
(へいじょうきょうさきょうさんじょうにぼうみやあとていえん)
昭和50年の発掘調査により発見された、園池を中心とする奈良時代の庭園遺跡です。
日本古代の庭園の姿を伝える数少ない庭園であることから、国の特別史跡・特別名勝
に指定されています。
IMG_5379.JPG
IMG_5380.JPG
IMG_5381.JPG
IMG_5382.JPG
IMG_5383.JPG

警察署の跡地?
IMG_5384.JPG

佐保川堤防を歩く
IMG_5385.JPG
IMG_5386.JPG
IMG_5387.JPG
IMG_5388.JPG

大安寺へ向かう
IMG_5389.JPG
大安寺(だいあんじ)
大安寺は、奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基
(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代
前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。
縁起によれば、聖徳太子の建てた「熊凝精舎」(くまごりしょうじゃ、「熊凝道場」とも)が
官寺となり、その後に移転や改称を繰り返したとされる。平城京に移って大安寺を称し
た時の伽藍は東大寺、興福寺と並んで壮大であり、東西に2基の七重塔が立ち(七重
塔を持つ南都七大寺は他には東大寺のみ)、「南大寺」の別名があった。この時代、東
大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那をはじめとする歴史上著名な僧が在
籍し、日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。
平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後
は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世
末〜近代の再建であり、規模も著しく縮小している。奈良時代にさかのぼる遺品として
は、8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9体が残るのみである。
現代は癌封じなどに利益(りやく)がある寺と自らを位置付けている。参拝者が、竹筒に
入れて温めた日本酒を飲んで健康を祈る「笹酒祭り」は、奈良時代末期の光仁天皇の
故事にちなむと伝承されている。    
IMG_5390.JPG
IMG_5391.JPG
IMG_5392.JPG
IMG_5393.JPG
IMG_5394.JPG

八幡神社
元石清水八幡宮は、807年(大同2年)8月17日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の
鎮守として建立されました。
最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県
宇佐神宮の第一祭神 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本
房第七院石清水房に勧請いたしました。
ほんの一時期を経て、八幡大神は平城天皇の勅命により 現在の位置に祀られたと言われ
ておりますが、その際、手を洗うための水がなかったため、行教和尚が松林の中の磐座を
法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し 池を作ったと伝えられております。現在の御
霊神社の龍池です。
その後のある日、行教和尚は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れという
ご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建
立されます。
この件については、行教和尚が 改めて宇佐神宮へ出向き 男山に八幡大神をお招きした
という説と、大安寺より分神したという二説が語り継がれております。
1113年(天永4年)4月、奈良 興福寺大衆が 当時の習慣に則り、神輿を出して天皇に直
訴するが、男山八幡宮は奈良の大安寺から遷座したものだから 共に参加するようにと呼
びかけたところ、男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、大
安寺とは関係ない と「本社」を名乗って譲らなかったそうです。
石清水の名前は以前から男山にあったというのが 男山衆の主張なので、その主張と分け
るために 元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。石清水の湧き出したと
される井戸は、現在も大安寺の北方御霊神社境内に保存されております。
IMG_5395.JPG
大安寺搭跡広場(昼食)
大安寺塔跡は、癌封じ「笹酒まつり」などで有名な「大安寺」がかつて巨大寺院であった
時代に存在したとされる東西2つの巨大な七重塔の遺跡です。
大正時代から史跡として指定されてきた塔跡は、現在は遺跡らしさを体感できる広場と
して整備されており、礎石は全て失われていたものの、残された土檀の形をもとに塔の
基壇(塔の基礎となっている四角い石造りの部分)も復元されています。なお、西塔跡
には心礎と呼ばれる最も重要な礎石が残されていますが、西塔跡は東塔跡のように広
場として整備されているわけではありませんので、立ち入ることが出来ません。
天平神護2年(766年)には東塔に雷が落ち初の焼失を経験します。また平安時代の天
暦3年(949年)になると今度は西塔が落雷を受け焼失してしまいます。その後東塔は平
安時代後期の寛治4年(1090年)に金堂などの復興と合わせ、七重塔として再建される
ことになりますが、江戸時代に入る直前の慶長元年(1596年)に起きた大地震で東塔は
倒壊し、そこからは再建されることはありませんでした。
IMG_5396.JPG
IMG_5397.JPG
奈良豊澤酒造
豊祝試飲・甘酒ふるまい・ワンカップ豊祝お土産(解散)
IMG_5398.JPG
IMG_5399.JPG
IMG_5400.JPG
IMG_5402.JPG
IMG_5403.JPG
IMG_5404.JPG
IMG_5405.JPG
IMG_5406.JPG
上三橋バス停と帯解駅へ別れて・・・
Y田さん・I 田さん・O村さんの3名は上三橋バス停へ、K場さん・M吉さんと私は帯解駅
へ別れて帰りました。

nice!(16)  コメント(2) 

1月30日の唐古・鍵考古学ミュージアム~遺跡史跡公園-2

2月4日        1月30日の唐古・鍵考古学ミュージアム~遺跡史跡公園-2
                    歴史探訪の会の3月コース下見
此の日は、素晴らしいハイキング日和で知人のM吉さん・K場さんと3名で田原本町のボラン
ティアガイドさんと事前に申し込んんで有ったコースを巡った・・・
コースは
田原本駅(観光ステーション)~浄照寺~本誓寺~田原本聖救主教会~平野氏陣屋跡(稲荷
大神)~唐古・鍵考古学ミュージアム~池神社・千万院~眺めの丘・展望台~唐子・鍵遺跡史
跡公園・情報展示館~道の駅(レスティー唐古・鍵)~今里の蛇巻(杵築神社・正福寺)~安養
寺~首切地蔵尊~八尾鏡作神社(鏡作坐天照御魂神社)~豊雛稲荷~田原本駅  
此の日の私の万歩計は、20441歩で約15.1km歩いたことに・・・

本番のコースは、雨天中止 田原本駅東口広場(集合・10時スタート)
田原本駅東口広場~浄照寺~本誓寺~田原本聖救主教会~平野氏陣屋跡(稲荷大神)~
唐古・鍵考古学ミュージアムへ1.4km~唐子・鍵考古学ミュージアム~池神社・千万院~眺め
の丘へ1.4km~眺めの丘(昼食)~唐古・鍵遺跡史跡公園・情報展示館~道の駅へ1.2km
~道の駅(レスティー唐古・鍵)~石見駅へ1.5km・・・・・合計 5.5km →6kmコース
志都美駅9:14  王寺9:21  新王寺駅9:35 西田原本駅9:54  田原本駅東口広場9:56
      8:14     8:21        8:35        8:54              8:56 
志都美駅
IMG_5288.JPG

西田原本駅
IMG_5289.JPG

田原本駅、東改札前広場
IMG_5291.JPG
IMG_5292.JPG
浄照寺(じょうしょうじ)
浄照寺は、奈良県磯城郡田原本町にある浄土真宗本願寺派の寺院。
山号は松慶山。本尊は阿弥陀如来。田原本御坊とも称される。
天正11年4月(1583年)、織田信長の後継者の地位を争って、羽柴秀吉と柴田勝家が
賤ヶ岳の戦いを起こした。この戦いで秀吉子飼いの7人の武将が活躍し、「賤ヶ岳の七
本槍」と呼ばれる勇名を馳せたが。その一人平野長泰は軍功により、田原本他6か村
を与えられ5千石の領主となる。しかし、長泰は生涯、田原本の地に居住することはな
かった。
正保4年(1647年)、長泰より田原本地領(寺内町)の経営を任されていた真宗寺院の
真宗大谷派教行寺は、2代目領主長勝との間に支配権のことで対立し、広陵町箸尾へ
立ち退かせられる。慶安元年(1648年)、領主長勝は田原本に陣屋を築造する。
慶安4年(1651年)、長勝は教行寺の跡地を二分し、北側に平野家の菩提寺である浄
土宗本誓寺を招請建立し、南側に浄土真宗の寺院「円城寺」(淨照寺の前身)を建立
した。領主は円城寺と地域末寺8か寺を加えて浄土真宗本願寺第13世門主良如上人
に寄進した。住職は本願寺門主が務め、御門跡兼帯所(御坊・別院)として、筋壁(表
塀の五本の筋)が使用される。
その後、本願寺御坊として、72か寺の末寺や配下を有した。大和には5か所の御坊が
存在しており、今井・称念寺、御所・円照寺、高田・専立寺、畝傍・信光寺と併せて大
和五ヶ所御坊と称せられた。御坊は、本願寺と地方寺院及び地域を取り次ぐ役割を担
うための格式と権威を有し、中本山としての機能を果たしていた。
寛延2年(1749年)、円城寺は寺号を浄照寺に改める。
明治10年 (1877年)、明治天皇行幸の行在所となる。
明治23年 (1890年)、昭憲皇太后行啓、宿泊所となる。
IMG_5293.JPG
IMG_5294.JPG
本誓寺(ほんせいじ)・・・田原本町HPより
本誓寺は、浄土宗の寺。開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。江戸時代の田原本
領主であった平野氏の菩提寺。田原本二代領主平野長勝は、正保四年(1647)に浄
土真宗教行寺を著尾に転座させ、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺を建立
した。 本堂は度々の火災を受け、現在は昭和58年に再建された鉄筋コンクリート建物
である。
本尊は、阿弥陀如来立像で鎌倉時代後期の作。他に、元は楽田寺にあったとされる
平安時代中期の十一面観音立像が安置されている。
IMG_5299.JPG
IMG_5300.JPG

平野氏陣屋跡へ向かう
IMG_5301.JPG
田原本聖救主教会・・・田原本町HPより
日本聖公会の田原本布教の歴史は、明治16年(1883)の説教会に始まり、明治28年
(1895)には最初の会堂を建築し、伝道を本格化した。現会堂は、昭和8年(1933)に建
てられ、木造平屋、切妻造り。屋根は桟瓦葺(さんかわらぶき)、鬼瓦の紋には十字架が
ついている。玄関妻側の窓も色ガラスがはめ込まれ、桟は十字架をかたどっており、昭
和初期当時の面影を留めている。 NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」、「マッサン」
のロケ地としても使用された。
IMG_5302.JPG
平野氏陣屋跡
田原本は、賤ヶ岳七本槍の一人に数えられる平野長泰が、文禄4年に豊臣秀吉から
5,000石を与えられたところ。
寛永12年に2代長勝がこの地に陣屋を構え、以後旗本交代寄合として8代続いた。
明治元年に9代長裕は、5,000石を加増され大名に列した。

平野氏陣屋跡・稲荷大神
通称「屋敷のお稲荷さん」と呼ばれ、境内社に大神神社も祀り、社前に田原本藩最後
の藩主平野長裕が明治元年(1868)寄進の石燈篭が建つ。
IMG_5303.JPG
IMG_5304.JPG
唐古・鍵考古学ミュージアム
唐古・鍵遺跡(国史跡)は、日本を代表する弥生時代の遺跡として知られ、発見から100
年以上にわたって調査が続けられてきました。
唐古・鍵考古学ミュージアムは、これまでに出土した膨大な資料の一部を展示しており、
2018年6月にリニューアルオープンしました。
何?
ただのといの水受けらしい・・・
IMG_5305.JPG

学芸員さんの説明を聞いた・・・
IMG_5307.JPG
IMG_5308.JPG
IMG_5309.JPG
池神社・千万院
池神社
池神社は、初瀬川沿いに鎮座する。祭神は天万栲幡千千比売命・菅原道真で、明治初年
ごろまでは天満宮と称されていた。現在は延喜式内大社「池坐朝霧黄幡比売神社」に比定
されている。中世の天満宮は、在地豪族長谷川党の鎮守であった。近世以降も 法貴寺の
実相院が社僧として社務全般を支配した。この関係は神仏分離により法貴寺から池神社
が切り離されるまで続いた。
IMG_5312.JPG
IMG_5313.JPG
千万院
法貴寺は、「法起寺」ともいい、聖徳太子が創建し秦河勝に賜ったという。千万院はこの
法貴寺の塔頭の子院だった。法貴寺の本坊を実相院といい、中世には法貴寺天満宮
(池坐朝霧黄幡比売神社)の別当職を担うなど、在地豪族長谷川党とのつよい結びつ
きで大きな勢力を誇った。しかし、江戸時代半ばには実相院と千万院の2坊のみとなり、
神仏分離で実相院にかわって法貴寺薬師堂を受け継いだのは千万院だけとなった。
現在、千万院の僧坊はすでになく、薬師堂を千万院と呼ぶ習わしとなっている。
IMG_5314.JPG
IMG_5315.JPG
IMG_5316.JPG

眺めの丘・展望台
IMG_5318.JPG

展望台から・・・
IMG_5319.JPG
IMG_5322.JPG

昼食
IMG_5324.JPG
IMG_5325.JPG
此処までは、
1月30日の唐古・鍵考古学ミュージアム~遺跡史跡公園-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-04
此処では、続きの唐古池~ の詳細を掲載します。
唐古池
IMG_5329.JPG
IMG_5330.JPG
IMG_5331.JPG
IMG_5332.JPG
IMG_5334.JPG
IMG_5335.JPG
IMG_5336.JPG
唐古・鍵遺跡史跡公園・遺構展示館
およそ2,000年前に栄えた、弥生時代の代表的な集落です。奈良盆地のほぼ中央、奈
良県磯城郡田原本町大字唐古および大字鍵に位置します。遺跡面積の約42ヘクター
ルは近畿地方最大です。直径約400mの範囲が居住区で、その周りには幾重にも「環
濠」が巡っていました。遺跡は弥生時代前期(約2,300年前)に成立し、古墳時代前期
(1,700年前)までの約600年間続きました。昭和11年の第1次調査では多量の土器・
石器・木器が出土し、その成果は弥生時代研究の基礎となりました。昭和52年の第3
次調査以来継続的な調査が行われ、多数の絵画土器や青銅器鋳造施設の発見など
重要な成果が相次ぎました。その重要性から、1999年1月27日、国の史跡に指定さ
れました。
唐古・鍵遺跡(国史跡)は、日本を代表する弥生時代の遺跡として知られ、発見から
100年以上にわたって調査が続けられてきました。特に末永雅雄氏らによる、唐古池
の発掘調査(第1次調査)は、弥生集落の様相が初めて明らかとなり、その後の弥生
時代研究の確固たる基礎を築きました。その後も、奈良県立橿原考古学研究所・田
原本町教育委員会によって調査が続けられ、日本最大級の環濠集落であることが明
らかとなりました。また楼閣を描いた絵画土器や、勾玉を入れた褐鉄鉱容器、大型建
物跡など重要な発見も多く、今なお唐古・鍵遺跡は、弥生文化を考える上で重要な位
置を占めています。
IMG_5333.JPG
IMG_5338.JPG
IMG_5339.JPG
IMG_5340.JPG
IMG_5341.JPG
IMG_5342.JPG

遺構展示館
IMG_5343.JPG
IMG_5344.JPG
IMG_5345.JPG
道の駅(レスティー唐古・鍵)・・・田原本町HPより
唐古・鍵遺跡史跡公園と隣接し、さまざまな観光サービスを提供する交流施設「道の
駅」が、平成30年4月20日に誕生しました。駐車場から史跡公園へと向かう主要動線
には、唐古・鍵遺跡や町及び県中南和地域の観光案内と地場産品の買い物・食事を
提供する「此処でこそのもてなしの場」があり、史跡公園への期待感を高める施設と
なります。
1階のベーカリーでは「黄金の生食パン極」を製造直売するとともに、各種ジェラートを
販売し、2階のカフェではバラエティー豊かな12種類の「オリジナルドッグサンド」をメイ
ンに、ドリンクメニューや軽食メニューをご用意いたします。
「黄金の生食パン 極」
高級カナダ産小麦粉を100%使用し、バター、生クリーム、はちみつを加えて施設内
で焼き上げた高級食パンです。しっとりとした食感と優しい甘さが特徴、そのまま生で
お召し上がりいただくのがおすすめ。もちろん焼いても美味しいです。
IMG_5346.JPG
IMG_5347.JPG
今里の蛇巻(杵築神社・正福寺)
今里の杵築神社と鍵の八坂神社で、蛇巻きの行事がおこなわれます。
今里の杵築神社で、午後1時過ぎに中学生以上の男子が麦藁を束ねて蛇を作り、撚り
をかけた長い綱に、麦藁を束ね「せーの」の掛け声とともに蛇体を編み上げていく。全
長18mの蛇が出来上がると、ここで一旦休息となり、行事参加者が拝殿でお神酒を飲
む間、藁の先にくくられた「わかめの味噌煮」が村の参拝者に配られる。あまれば、観
光客にもおすそ分けがある。甘く美味。
その後、中学生(本来は数えで15から17歳)の男子が蛇頭を抱え、今里の各戸を「おめ
でとう」といいながら練り歩く。広い道に至れば、「それ」との掛け声とともに、蛇体に人
を巻き込む。子供達の笑い声が上がり、実に楽しい。蛇は再び杵築神社に戻り、神社
南側にある大樹に頭を上に巻き付けられる。今里では、蛇の巻き付けられた大樹の根
元の祠に、絵馬や農具のミニチュアが祭られることから、田植え時の降雨を祈願したも
のと考えられる。蛇巻きは、その構成員が男子であり、旧暦の5月5日に行われる端午
の節句にちなんだ行事である。
IMG_5348.JPG
IMG_5349.JPG
IMG_5350.JPG
IMG_5352.JPG
IMG_5351.JPG
※鍵の蛇は、北中学校の前の「はったはん」という場所の大樹の根元に頭がおかれ、
胴体が樹に吊るされる。

寺川
IMG_5353.JPG
IMG_5354.JPG
IMG_5355.JPG
IMG_5356.JPG
安養寺
安養寺は、寛永10年(1633)、源蓮社宝誉上人の開山と伝えられる。
木造阿弥陀如来立像は、大字八尾の安養寺に安置されている。像は、玉眼・粉溜塗
の特徴をもつ。粉溜とは、白土を下地にその上に金泥を塗ったものである。快慶が好
んで用いた手法。X線写真によると、眼の奥に蛇腹状の文様が映っている。これは玉
眼を入れるための工法によるもので、快慶仏には時々この手法が認められるという。
足ほぞには快慶作を示す「巧匠安阿弥陀佛」の墨書が認められるが、これは後世に
書き改められたものと考えられている。
IMG_5358.JPG
IMG_5357.JPG
首切地蔵尊
八尾の薬師堂の入り口、中(なか)街道に面した所に「首切地蔵尊」がまつられてい
ます。むかしむかし、この地は罪人の首切り場であったことから、村人はここに地蔵
をまつり、以降「首切り地蔵」と呼ぶようになったということです。
IMG_5359.JPG
八尾鏡作神社(鏡作坐天照御魂神社)
鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)は、奈良県磯城郡
田原本町八尾にある神社である。式内大社で、旧社格は県社。
4~5世紀にかけて、鏡類を製作鋳造していた鏡作部がこの地一体に居住し、御鏡(天
照国照彦火明命)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として開いた神社であるとされる。
記紀によると、崇神天皇6年、皇居内の天照大御神を畏れ多いとして笠縫の地に遷座
せしめたとある。社伝によると、「崇神天皇6年9月3日、この地において日御像の鏡を
鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。」とあり、この際に作られ
た神鏡を御神体として祭祀したのが当社の起源とされる。『和名抄』には大和国城下郡
の条に「鏡作郷」と記載があり、この地には仿製鏡の製作に従事した鏡作部(かがみつ
くりべ)が居住していたとされることから、当社の創建には鏡作部との関係が強いもの
と考えられる。更に近辺には鏡作伊多神社、鏡作麻気神社といった神社があり、当社
との関連が指摘されている。
IMG_5361.JPG
IMG_5360.JPG
IMG_5362.JPG
IMG_5363.JPG
IMG_5364.JPG
豊雛大明神
鏡作神社の鳥居の南側に西を向いて豊雛大明神 豊受大神を祭る神社。
IMG_5365.JPG
長顕寺
寺伝によると当時創建以前は既に妙見信仰が盛んでしたが、領主平野家の武運長久
の祈願寺として、京都から招かれたと伝えられています。
寺地は平野家のもと蔵屋敷跡を寄進され建立したと云われています。平野家は日蓮宗
でしたが、田原本に陣屋を置くようになって浄土宗に改宗した為、日蓮宗信者の家臣の
ために長顕寺を建立したとも伝えられています。
IMG_5366.JPG
IMG_5367.JPG

西田原本駅、シャリョウが100年前のカラーに・・・
IMG_5368.JPG

nice!(8)  コメント(2) 

1月24日の河内長野市楠木正成縁りの観心寺-2

2月1日      1月24日の河内長野市楠木正成縁りの観心寺-2
                  歩こう会3月のコース下見
此の日は、3月度歩こう会のコース下見、下見で歩いてみて良かった、とても歩けるコースでは
無かった、上り坂がしんどくてしんどくてギブアップ、M越さん・Y本さん・M吉さん・K場さんと5名
で、此の日の私の万歩計は、27416歩で約20.2kmあるいた事に・・・
此の日のコースは、南海電車の推奨ハイキングコースのパンフレットを貰ってコース通りに・・・
河内長野駅(集合・スタート)~長野公園~河合寺~丸山展望台~観心寺~延命寺~千早口
駅(ゴール) 
5名で歩いてみて、3月の本番のコースとしては、河内長野駅~観心寺へバスを使用、観心寺
境内散策(霊宝館見学・星塚巡り・大楠公首塚・昼食・後村上天皇陵)(解散)~※河内長野駅。
※観心寺~河内長野駅へは、歩くコースとバス使用コースに分かれて・・・
志都美駅
IMG_5185.JPG

柏原駅で近鉄線へ乗り換え
IMG_5187.JPG

河内長野駅
IMG_5188.JPG

落合橋を渡る
IMG_5189.JPG

長野公園
IMG_5191.JPG

河合寺へ向かう
IMG_5192.JPG
河合寺(かわいでら)
河合寺は、大阪府河内長野市にある真言宗御室派の寺院。山号は宝珠峰山。本尊は千手
観音菩薩。河合寺縁起によれば、当時、この地の山々に五色の雲が何日にも渡り棚引いて
いた。天皇の命により蘇我入鹿が調査すると、光が差している松の大木から千手観音菩薩
の像があらわれたという。驚いた天皇の命により皇極天皇2年(643年)、蘇我入鹿が当寺を
創建したといわれる。 承平(西暦931~937年)の頃、河南の三大名刹の一つとして知られ
ていたが、その後、足利氏に攻め入られ大伽藍を焼失したり、織田信長による寺領の没収
などにより衰退した。河合寺の裏山一帯は、大阪府立の府営長野公園の一部となっており、
山一面に広がる約500本の桜と山腹に約5000株のアジサイが咲く自然公園となっており、
特に桜は大阪みどりの百選に選定されている。 奥の院の横にあるあじさい園にも展望台が
あるが、さらに450m登った所にも展望台がある。
IMG_5195.JPG

笠松大明神
IMG_5196.JPG

丸山展望台へ向かう
IMG_5197.JPG
IMG_5198.JPG

丸山展望台
IMG_5201.JPG
IMG_5202.JPG
IMG_5203.JPG

観心寺へ向かう
IMG_5205.JPG
IMG_5207.JPG
IMG_5211.JPG

もうすぐ観心寺、気温5度・・・
IMG_5213.JPG
IMG_5214.JPG
観心寺(かんしんじ)
観心寺は、大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院。山号を檜尾山と称し、遺跡本山
である。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は実恵である。 仏塔古寺十八尊第十三番。奥河
内の観光地の一つ。大阪みどりの百選に選定されている。
伝承では、大宝元年(701年)、役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされる。そ
の後、大同3年(808年)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。これにちなむ7つ
の「星塚」が現在も境内に残る(なお、北斗七星を祭る寺は日本では観心寺が唯一である)。
弘仁6年(815年)、空海は再度この地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」
の寺号を与えたという。「空海が自ら刻んで」云々の話は伝承の域を出ないが、現在金堂本尊
として安置される如意輪観音像は、様式的に9世紀の作品とされている。また、観心寺には奈
良時代にさかのぼる金銅仏4体が伝来することから奈良時代草創説もあながち否定できない。
観心寺の実質的な開基とみられるのは、空海の一番弟子にあたる実恵である。『観心寺縁起
資財帳』(国宝)などによると天長4年(827年)、実恵の意を受け、弟子の真紹が造営を始めて
いる(なお、年次に関しては天長2年(825年)とする異説もある)。承和3年(836年)には石川郡
東坂荘が勅によって施入されたと伝えられている。鎌倉時代の末期には塔頭50か寺以上を誇
る大寺院となっていた。
観心寺は楠木氏の菩提寺であり、楠木正成および南朝ゆかりの寺としても知られている。正平
14年(1359年)12月から翌正平15年(1360年)9月まで後村上天皇の行宮となった。また、境内
には後村上天皇桧尾陵がある。
境内にある建掛塔(たてかけとう)は、一見、普通の仏堂のように見えるが、三重塔の一重目だ
けが建てられた、未完成の建築である。伝承によれば、楠木正成は、建武の新政の成功を祈願
して三重塔の建立を発願したが、造営なかばで湊川の戦いで討ち死にしたため、建築が中断さ
れ、そのままになっているという。討ち死にした正成の首は当寺に届けられ首塚に祀られている。
IMG_5215.JPG

楠木正成ゆかりの寺として知られる『観心寺』の山門前
IMG_5216.JPG
山門をくぐってすぐに「後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡)」があります。
後村上天皇は、南北朝時代の南朝第2代天皇で、約10ヶ月の間、日本の政治をここで
執行されました。
IMG_5218.JPG

中院は楠木家の菩提寺で、楠木正成の学問所で8歳~15歳までここで勉学に励みました。

金堂は国宝です。
IMG_5219.JPG
建掛搭は重要文化財です。
楠木正成は建武新政の成功を祈願して三重搭を計画しましたが、神戸湊川で討死した為
初層のまま未完成で現在に至っています。
IMG_5221.JPG

弁天堂
IMG_5222.JPG

修行大師
IMG_5224.JPG
天皇陵
金堂の右奥、長い石段(256段)を上がると、第九十七代後村上天皇の御陵があります。
住吉大社で没後、当山に御陵が作られました。
IMG_5225.JPG
IMG_5227.JPG
IMG_5229.JPG

素晴らしい青空、天皇陵を下る
IMG_5231.JPG
「楠木正成首塚」
討死後、足利尊氏の命令によりその首が当寺に送り届けられ、ここに祀られました。
IMG_5233.JPG
此処までは、
1月24日の河内長野市楠木正成縁りの観心寺-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-01
此処では、続きの霊宝館~ の詳細についてを掲載致します。
霊宝館
10体の重要文化財の仏様が展示保管されています。他にも楠木正成ゆかりの重文が
保管されています。見応え有りました。
IMG_5235.JPG
星塚巡り
北斗七星が祀られています。日本ではここ『観心寺』だけだそうです。
弘法大師が厄除けの為に祀られたもので、一巡する事でその年の厄が払われると
云われています。(一巡は約10分です)
IMG_5237.JPG
IMG_5238.JPG
IMG_5236.JPG
IMG_5239.JPG
IMG_5240.JPG
IMG_5241.JPG
IMG_5242.JPG
IMG_5243.JPG

観心寺を後に延命寺へ向かう
IMG_5245.JPG
IMG_5246.JPG

延命寺へ向かう、まだまだ坂道を上る
IMG_5247.JPG
IMG_5249.JPG
IMG_5251.JPG
IMG_5252.JPG
IMG_5256.JPG
IMG_5259.JPG
IMG_5260.JPG
延命寺(えんめいじ)
延命寺とは大阪府河内長野市の真言宗御室派の寺院。山号は薬樹山。
弘仁年間(810年 – 824年)、空海が地蔵の石仏を刻んで本尊としたのが当寺の始まりとされ
る。寛永16年(1639年)に、この地に生まれた浄厳が伽羅山延命寺に寺号を改め中興する。
延宝5年(1677年)、薬樹山延命寺に寺号を改め、本尊も如意輪観音に改められた。山号の
由来はこの地に薬草が多く生えていたことからとされる。紅葉の名刹として有名で大阪みど
りの百選に選ばれている。樹齢1000年とも言われている巨大なカエデ(もみじ)の老木は
「夕照もみじ」といい大阪府天然記念物に指定されている。また、すぐ近くには長野公園・延
命寺地区がある。
延命寺の石碑。
江戸時代の高僧、浄厳(じょうごん)が延宝5年(1677)に創建したといわれています。
IMG_5261.JPG
IMG_5262.JPG
IMG_5263.JPG
延命寺の夕照もみじ
昭和45年2月20日に大阪府指定天然記念物に指定されています。
IMG_5264.JPG
IMG_5265.JPG
IMG_5266.JPG
IMG_5267.JPG
IMG_5268.JPG
IMG_5269.JPG
IMG_5270.JPG
IMG_5271.JPG
IMG_5272.JPG
IMG_5273.JPG

延命寺を後に千早口駅へ向かう
IMG_5275.JPG

千早口駅へ向かう
IMG_5277.JPG
IMG_5276.JPG
IMG_5278.JPG
IMG_5279.JPG
IMG_5280.JPG
IMG_5281.JPG
IMG_5282.JPG
IMG_5283.JPG

美加の台
IMG_5284.JPG

千早口駅 六文銭を描いた電車が来た・・・
IMG_5286.JPG
IMG_5285.JPG
IMG_5287.JPG

nice!(19)  コメント(2) 

1月22の達磨寺初詣と座禅体験&王寺町史跡巡り

1月29日       1月22の達磨寺初詣と座禅体験&王寺町史跡巡り
                  歩こう会初詣ウオーク 歩程約6km
此の日は、歩こう会の初詣ウオーク、私が歩こう会に入会して昨年迄ずーっと神社への
初詣ウオークだったが、今年は会員の皆さんに座禅体験をして貰いたくて私の住む隣り
町の王寺町にある達磨寺発祥の達磨寺へ初詣ウオーク、年始法要と座禅体験をする事
にして、王寺町観光ボランティアガイドの会にお世話になり、有難う御座いました。
コースは、JR王寺駅1F雪丸像の前に9:55迄に集合・10時スタートで80名が参加した・・
JR王寺駅1F雪丸像前~達磨寺・祈祷・座禅体験~門前中町公民館・昼食~片岡神社・
片岡王寺・放光寺~芦田池~親殿神社~孝霊天皇陵~JR王寺駅(ゴール・解散)
此の日の私の万歩計は、14681歩で約10.9kmあるいた事に・・・
志都美駅 
IMG_5086.JPG
IMG_5087.JPG

和歌山線の古い車両
IMG_5088.JPG
王寺駅1Fの雪丸像
此処で集合して達磨寺へスタート
IMG_5089.JPG
達磨寺へ到着
全員出年始法要祈祷、祈祷後は2班に分かれて座禅体験
IMG_5096.JPG
達磨寺・・・達磨信仰発祥の地
『日本書紀』によると、推古天皇21年(613年)12月、聖徳太子が道のほとりに伏せって
いた飢人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、飢人は亡くな
りました。そのことを大いに悲しんだ聖徳太子は、飢人の墓をつくり、厚く葬りましたが、
数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの飢人の遺体が消えてなくなっていました。
この飢人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。
このように、聖徳太子と達磨大師の出会いからはじまった達磨寺には、今も本堂の下
に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。
これが、聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時
代にその上にお堂が建てられて、本尊として道内に聖徳太子像と達磨大師像が安置さ
れました。

祈祷、座禅体験を終わって
達磨寺境内案内、一夜竹、雪丸のお墓、松永弾正のお墓、問答石、古墳等
IMG_5099.JPG
IMG_5098.JPG
IMG_5101.JPG
IMG_5102.JPG
IMG_5104.JPG
IMG_5105.JPG

問答石
IMG_5108.JPG
IMG_5106.JPG
IMG_5107.JPG

古墳
IMG_5111.JPG
IMG_5110.JPG
IMG_5112.JPG
門前中町の公民館で昼食
次回2月5日野案内&2018年皆勤賞者表彰・賞品手渡し

昼食後の午後のスタート前に
達磨寺の境内へ戻って集合写真撮影
IMG_5113.JPG
IMG_5114.JPG
片岡神社
片岡神社は八幡大神、住吉大神、豊受大神、清滝大神、天照大神が祀られ、放光寺の
鎮守社であるとされている。延喜式の神名帳には片岡坐神社(かたおかにいますじん
じゃ)とあり、古人は雨の神として尊信していたと言われている。なお、旧社地は現在地
よりも北西であったとされる。記録によると正暦5年(994年)疫病や天変地異が続いた
ため、中臣氏が救済を祈願して奉納したと言われている。
IMG_5128.JPG
IMG_5129.JPG
IMG_5116.JPG
片岡王寺・放光寺
この片岡王寺が、現王寺町の町名の起源と考えられている。その遺跡は現在の王寺小
学校を中心とする位置に存在し、明治時代までは基壇跡が残っていた。それは南向きの
四天王寺式伽藍配置で、7世紀前半に敏達天皇の系統の王族が創建したと言われてい
る。片岡王寺の伽藍は永承元年(1046年)の雷火による焼失を契機に衰退し、現在では
放光寺として存続している。放光寺は第30代敏達天皇の皇女片岡姫による創建といわ
れ、聖徳太子が建立した四十六院の一つにも数えられている。しかし、永承年間の雷火
と元亀年間の兵火でほとんどが焼失。その後、延宝・元禄の頃に再建された。2004年
には、国道168号線改良事業に伴って、王寺小学校グランド部分で発掘調査を行なっ
たところ、片岡王寺に関わる奈良時代の掘っ立て柱塀と石積み溝が検出され、平城宮の
ものと同じ文様をもつ鬼瓦が出土した。
IMG_5121.JPG
IMG_5122.JPG
IMG_5125.JPG
IMG_5126.JPG
芦田池
片岡山の南側のすそ野、芦田池周辺の一帯は、昔から葦田といわれており、かつては
一帯に葦が繁茂していたため葦田原とも呼ばれていました。それが葦田の原と歌に詠
まれる歌名所となったのです。
歌聖・柿本人麿も、
「明日からは若菜つまむと片岡のあしたの原はけふぞやくめる」と歌っています。
IMG_5137.JPG
IMG_5136.JPG
IMG_5138.JPG

親殿神社へ向う
IMG_5147.JPG
IMG_5148.JPG
親殿神社
中世、片岡武士集団の守り神として信仰を集めていたそうです。
室町時代の文明2年(1470)、片岡弥五郎道春が春日若宮社の神を勧請して祀ったのが
始まりと伝わります。中世、武士達は神殿で戦勝祈願や社を中心に団結をはかり、共同
防衛軍議をするのが常であったそうです。それゆえ拝殿には、天保10年(1829)8月25日
の武者絵、嘉永2年(1849)の平敦盛と熊谷直実の図、安政2年(1855)8月25日の武者
絵、慶応元年(1865)の敦盛、直実の図など戦勝にかかる絵馬が多く奉納されています。
祭神;春日明神(経津主神・武雷神・天児屋根命・比売神) 摂社;高倉大明神
IMG_5152.JPG
IMG_5153.JPG
IMG_5155.JPG
IMG_5156.JPG

親殿神社に奉納された絵馬を見る
IMG_5160.JPG

孝霊天皇陵へ向う
IMG_5163.JPG
IMG_5164.JPG
IMG_5165.JPG
IMG_5166.JPG
IMG_5167.JPG
IMG_5168.JPG
孝霊天皇陵
孝霊天皇は日本の第7代天皇(在位:孝霊天皇元年1月12日-孝霊天皇76年2月8日)。孝安
天皇の皇子。母は皇后で天足彦国押人命の娘の押媛(忍鹿比売)。兄弟として『古事記』で
は同母兄に大吉備諸進命の名が見える。26才で皇太子となる。父帝が崩御した年の12月、
黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)に都を移す。其れまでの山裾にあった宮と異なり大和
盆地の中央に位置する。翌年の1月に即位。即位2年、磯城県主(または十市県主)大目の
娘の細媛命を皇后とし、彦国牽尊(後の孝元天皇)を得た。また春日千乳早山香媛、倭国香
媛らを妃にしている。倭国香媛との間には崇神天皇の時代に四道将軍となった彦五十狭芹
彦命、疫病や反乱を収めるのに重要な役割を果たした倭迹迹日百襲姫命を得た。即位76年、
128才で崩御。 『日本書紀』・『古事記』ともほぼ系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人
に数えられる。『古事記』には大吉備津日子命と若建吉備津日子命による吉備平定が簡潔
に書かれている。此れが後の桃太郎伝説になる。
IMG_5169.JPG
IMG_5171.JPG

孝霊天皇陵から田原本町法楽寺方面&天理方面を見る・・・
IMG_5175.JPG
IMG_5177.JPG
王寺駅へ向かう
葛下川の堤防道路で信貴山を・・・
IMG_5178.JPG

nice!(25)  コメント(2) 

1月19日の冬枯れの馬見丘陵公園散策-2

1月27日          1月19日の冬枯れの馬見丘陵公園散策-2
                  冬枯れの馬見丘陵へ家内と二人で
此の日は、家内と二人で冬枯れの馬見丘陵公園へ、運動不足解消への御付き合いに
行って来ました、此の日の私の万歩計は、7924歩で約5.8km歩いたことに・・・
馬見丘陵公園
馬見丘陵は、香芝市・広陵町・河合町など2市3町に跨る標高70m程度の東西約3km、
南北約7kmに及ぶ低い丘陵地で、この丘陵は馬見古墳群のエリアと一致し、古墳の集
積地となっています。
昭和40年代後半より丘陵西部では真美ヶ丘や西大和ニュータウンなどの大規模宅地
開発が始まりましたが、丘陵東部に位置する馬見丘陵公園は、これらの開発から自然
や古墳群を保全するため、「歴史と自然に囲まれた憩いの空間」を目指して、昭和59年
8月に都市公園(広域公園)として都市計画決定し、同年より公園事業に着手しました。
平成22年9月18日から11月14日の間は「第27回 全国都市緑化ならフェア やまと花ご
よみ2010」のメイン会場となり、多くの方に来園いただきました。
平成24年6月、馬見丘陵公園は中央エリア及び南エリアの一部を開園し、全面開園し
ました。
広陵町・河合町にまたがる馬見丘陵の歴史的遺産(馬見丘陵古墳群4~5世紀築造)と
豊かな自然環境を 保全・活用するために、奈良公園に次いで県下2番目の広域公園と
して昭和59年度に都市計画決定を受け 事業に着手しました、計画面積は65.3haです。

中央エリア駐車場へ車を入れて先ず北エリアへ向かいました。
バラ園を通り
IMG_5012.JPG

北エリアへの連絡道路(トンネル)を通り北エリアへ向かう
IMG_5015.JPG

北エリア藻殆ど花が無い
IMG_5016.JPG

花サポータ花壇
IMG_5017.JPG

集いの丘も人はいない
IMG_5020.JPG

大型テント
IMG_5021.JPG

池部駅への連絡道を少し歩いてみる
IMG_5022.JPG

集いの丘へ戻ると人影が数名・・・
IMG_5024.JPG
IMG_5025.JPG

馬見花苑にはパンジーが・・・
IMG_5026.JPG
IMG_5027.JPG

ダリア園には何もない
IMG_5029.JPG

連絡道(トンネル)を戻り、
IMG_5031.JPG

ススキの丘を乙女山古墳の横を通り
IMG_5030.JPG
IMG_5033.JPG

はなももの丘の紅梅&白梅の木を・・・
IMG_5034.JPG
IMG_5035.JPG

はなももの丘を下池へ
IMG_5037.JPG

ムクロジの大木にカラスが羽を休めて
IMG_5039.JPG
IMG_5042.JPG

ムクロジの実が・・・
IMG_5043.JPG

何時もの亀エリアには、今日は鴨たちが・・・
IMG_5045.JPG
IMG_5046.JPG
此処までは、
1月19日の冬枯れの見丘陵公園散策-1 として
      下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
     https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-01-27
此処では、続きの下池の亀エリア~古墳の丘の前~ の詳細を掲載します。  
古墳の丘の前から下池を
IMG_5048.JPG
IMG_5049.JPG
IMG_5050.JPG

古墳の丘
IMG_5051.JPG

下池のウッドテラス
IMG_5052.JPG
IMG_5053.JPG
IMG_5054.JPG
IMG_5055.JPG
IMG_5056.JPG
IMG_5057.JPG

一本松古墳
IMG_5058.JPG

倉塚古墳
IMG_5059.JPG
IMG_5060.JPG
梅林へ向かう
古墳休憩所・・・北今市1号墳 2号墳
IMG_5061.JPG
IMG_5062.JPG

梅林は紅梅がチラホラ
IMG_5063.JPG
IMG_5064.JPG
IMG_5065.JPG
IMG_5066.JPG

帆立貝式古墳
IMG_5067.JPG

上池
IMG_5068.JPG
IMG_5069.JPG

ウッドデッキへ向かう
IMG_5070.JPG

ウッドデッキ
IMG_5071.JPG
IMG_5072.JPG

ウイルソン株?
IMG_5073.JPG

カエル
IMG_5074.JPG

ナガレ山古墳
IMG_5075.JPG

結びの広場
IMG_5076.JPG
公園館へ向かう
サンシュユの実が綺麗
IMG_5078.JPG
IMG_5079.JPG

公園館
IMG_5080.JPG

芝生の丘
IMG_5082.JPG

駐車場へ
IMG_5081.JPG

nice!(28)  コメント(2) 
前の10件 | -