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2月22日の古代~近世の柏原市史跡巡り-2

2月28日          2月22日の古代~近世の柏原市史跡巡り-2
                  てくてくマップ大阪14ハイキング
此の日は素晴らしいハイキング日和、知人のM村さんと二人、河内国分駅で待合せて
てくてくマップハイキング、古代~近世の柏原史跡巡り10kmをショートカットで歩いた。
此の日の私の万歩計は、21413歩で約12.8km歩いたことに・・・
コース  近鉄河内国分駅~JR柏原駅へ  私が弁当を忘れた為外食する羽目に・・・
河内国分駅(10:04集合)~松岳山古墳~国分神社~西法寺~阿弥陀寺~不動明王
~田辺池~田辺廃寺跡・春日神社~初吉稲荷神社~原川コミュニティー道~国分駅
前餃子の王将(昼食)~国豊橋から大和川~大和川治水記念公園~黒田神社~平野
川・旧三田家・寺田家~柏原神社~浜地蔵~堅下オガタ通り商店街~JR柏原駅
   ・・・登り坂のきつい玉手山古墳、小松山子船場をパスして歩いた
JR高井田駅
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白坂神社・・・宿奈川田神社(すくなかわたじんじゃ)
宿奈川田神社は、大阪府柏原市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。地元で
は通称 白坂神社(しらさかじんじゃ)と呼ばれ、地図や看板でもそのように表記されてる。
祭神は、宿奈彦根命・高皇産霊命・級戸辺命を主祭神とする。
創建の由緒は不詳である。近くにある天湯川田神社(柏原市高井田)とともに、当地を拠
点としていた鳥取連が祖神を祀ったものとみられる。弘仁式の時から官社となっており、
延喜式神名帳に「河内国大県郡 宿奈川田神社」と記載され、小社に列している。
中世には「白坂大明神」と称していた。一説には、現在二宮神社(柏原市安堂町)。大正
時代に2社を合祀して現在地に遷座)のある地が「字白坂」であることから、元の宿奈川
田神社の鎮座地であるという。
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国豊橋から大和川を撮る
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近鉄河内国分駅で合流、改札印を貰ってスタート
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河内国分駅~松岳山古墳へ向かう
西町地蔵尊
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宮本地蔵
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国分神社
国分神社は鎌倉時代御宇多天皇の朝に創建されました。御祭神は大国主命(おおく
にぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、飛鳥大神(あすかおおかみ)の
三神。境内の山頂は国指定史跡の松岳山古墳(まつおかやまこふん)で。これより出
土した船氏王後首墓誌は、我国最古のもので国宝に指定され東京の個人(三井記
念美術館所蔵)。
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※銅製船氏王後墓誌(どうせいふなしおうごぼし)
墓誌は、松岳山古墳群から出土したと伝えられていますが、出土の詳しい場所や時期
など経緯は不明です。縦約30cm、横幅約7cm、厚みが0.1cmの 極めて薄い短冊形の
銅板で、表面に86文字、裏面に76文字、計162文字が刻まれています。668年につくら
れたと考えられており、わが国最古の墓誌で す。また、文字使いや内容などから学問
的にも貴重な資料です。

松岳山古墳
国分神社の奥に広がる丘陵上にある全長約130mの前方後円墳です。この古墳には、
円筒埴輪や巨大な鰭付楕円筒埴輪(ひ れつきだえんとうはにわ)が立てられていまし
た。後円部墳頂には組合式石棺(6枚の石板を組み合せた棺)が露出しています。石
棺を覆う竪穴式石室の原状は 不明ですが、周囲に板石が大量に散乱する現状から
石室は墳丘上に積石塚のように築かれていたと推定されます。石棺の南北には大板
石が立てられています。南 の立石は高さ2.3m、幅1.4m、北の立石は高さが1.8m、
幅が1.4mで南立石には1箇所、北立石には2箇所の円孔があります。立石の用途や
何のた めの孔なのかは不明(謎)です。古墳からは銅鏡、装飾品、武器、農工具、土
器、埴輪など様々な遺物の出土が知られています。
松岳山古墳を見学の際には、隣接する国分神社社務所にお声をかける様にと注意
書きが有ります。
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国分神社
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国分神社御旅所
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西法寺へ向かう
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西法寺・・・浄土真宗本願寺派 塩出山 西法寺
大阪府 柏原市に位置する西法寺は、聖徳太子建立と伝えられ、本願寺の第8代
蓮如上人の 教化により浄土真宗の寺院となり現在に至っています。
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阿弥陀寺へ向かう
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阿弥陀寺
綺麗なトイレが有り、助かりました。
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不動明王
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田辺池
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田辺廃寺跡・春日神社
田辺廃寺跡
田辺廃寺は現在の柏原市田辺を本拠地とした百済系渡来氏族の田辺史(たなべのふ
ひと)氏が建てた氏寺と言われている。1971 年の発掘調査によって金堂、東西両塔、
南大門などが確認され、薬師寺式の伽藍配置であることが判明しました。東塔の基壇
はセン(レンガ状の焼物)を積み上 げたセン積み基壇、西塔と金堂の基壇は瓦を積み
上げた瓦積み基壇で、東西両塔ともに三重塔が建てられていたと考えられます。遺跡
は春日神社の境内にあります。白鳳時代から中世までの間法灯を伝えるが、終始そ
の間同氏を背景に盛衰した寺院と考えられる。

春日神社(かすがじんじゃ)
境内は「国指定史跡 田辺廃寺跡」があります。 田辺廃寺は現在の柏原市田辺を本拠
地とした百済系渡来氏族の田辺史(たなべのふひと)氏が建てた氏寺と言われている。
1971 年の発掘調査によって金堂、東西両塔、南大門などが確認され、薬師寺式の伽
藍配置であることが判明しました。東塔の基壇はセン(レンガ状の焼物)を積み上 げた
セン積み基壇、西塔と金堂の基壇は瓦を積み上げた瓦積み基壇で、東西両塔ともに三
重塔が建てられていたと考えられます。遺跡は春日神社の境内にあり、 瓦などの出土
遺物も境内の収蔵庫に展示されています。
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此処までは、
2月22日の古代~近世の柏原市史跡巡り-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-02-28
此処では、続きの初吉稲荷神社~ の詳細について掲載します。
初吉稲荷神社(はつよしいなりしゃ)
由緒等の詳しい事は分かりませんが、鎮座地は古墳時代の横穴式石室古墳の跡と推定
されているそうで、大正時代までは巨石を組んだ石室の中にまつられていたそうです。朱
塗りの鳥居は二十一基あるそうで、その奥に小さなお社があります。一対の狛狐と燈籠が
ありますが、燈籠の方には昭和十八年(1943)の年号があります。お社の裏には「初吉
大明神」のお塚があり、狛狐の傍らに風化の激しい狛狐が一基、あと顔の部分が欠損して
いる狸の石像がありました。お社まで行きますと周囲より小高くなっていますので、ここが
古墳だった事が良く分かります。
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原川コミュニティー道へ向かう
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原川コミュニティー道
原川沿いの遊歩道を歩く
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国分駅前餃子の王将(昼食)
国豊橋を渡る、大和川を撮る
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大和川治水記念公園
「大和川治水記念公園」の場所は築留と言われ、1704年に北に流れていた大和川を、
堤を築いてせき止め、西へ流れを変えた所だと言う事です。中甚兵衛(1639~1730)
は「河内」といわれるほど氾濫の多い大和川をつけかえる運動のリーダーでした。
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※中 甚兵衛(なか じんべえ)
中 甚兵衛は、寛永16年(1639年) - 享保15年9月20日(1730年10月31日))は江戸
時代初期の農民。河内国河内郡今米村(現・大阪府東大阪市今米)の庄屋。次男と
して生まれた。 大和川の付け替え工事に奔走した人物であり、周辺の芝村の曽根三
郎右衛門と吉田村の山中治郎兵衛らの協力を得て、江戸幕府に大和川付け替えや
治水計画を50年近くにわたって嘆願し続け、最後は農民の身でありながら並み居る
幕臣に交じって、付け替え工事を指揮した。
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柏原黒田神社へ向かう
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黒田神社・・・柏原黒田神社
昭和44年に藤井寺市の「北条黒田神社」より分社。過去は別名を塩殿神社(ショウデン
さん)といい、海運・交通安全の神として塩土老翁を祀っていた。「黒田」由来は、農民た
ちが耕している田畑が、黒々と肥えてほしい、と願ったことからだという。
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平野川・旧三田家・寺田家
柏原舟 ふなだまり跡地
柏原は竜田越奈良街道の要衝で、石川と大和川が合流した直後の下流に位置し、農
業地・商業地として栄えたが、度々水害にも襲われた。ことに元和6年(1620)と寛永
10年(1633)の大水害で柏原地域は壊滅的な被害を受けた。当時の代官末吉孫左衛
門長方は、大坂・京橋と柏原の間に物資運搬船「柏原舟」を往来させ、その売上で地
域復興を企てた。上流の「国分舟」と合わせて明治になって鉄道が開通するまで大い
に栄えた。
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三田家住宅(さんだけじゅうたく)
三田家住宅は奈良街道に面した町家で、裏は了意川(りょういがわ:平野川)に接し、
柏原船(かしわらぶね)の積荷をそのまま荷揚げできる造りになってい ました。三田
家は、元は大坂伏見呉服町で「大文字屋」と称した有力商人で、寛永13年(1636年)
に代官末吉孫左衛門に協力して柏原船を興し、寛永17 年に柏原に移り住んで柏原
船の運航や肥料商を営みました。明和3年(1766年)から明和5年にかけて屋敷の
大改築(大普請)が行われ、その屋敷がそれ以 後大きな改築を行われず今日まで
遺されています。この時の普請関係の文書も多数遺され、建設時期が明確に示され
るとともに当時の生活・経済状況も窺い知る 事が出来る貴重な資料として、文書類
も合わせて重要文化財に指定されています。
※三田家住宅は一般の住宅で、現在もお住まいのため見学はできません。
寛永17年(1640)に今町に移り住んだ三田家は、明和3年(1766)から5年にかけて
建物の普請を行いました。これが現存する三田家住宅です。明和5年(1768)の竣
工から今年(平成30年・2018)で250年となります。三田家住宅は、昭和44年(196
9)に国の重要文化財に指定されています。
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寺田家と柏原船
寺田家は「北条屋」の屋号をもち、志紀郡北条村(現在の藤井寺市北條町)から今町
に移り住んだようですが、くわしいことはわかっていません。寺田家の初代七郎兵衛
の没年が寛文8年(1668)であることがわかっているので、17世紀中ごろではないか
と考えられています。その後明治に至るまで、寺田家の当主は代々七郎兵衛を名乗
っています。柏原船の営業に大坂組が参加したのが寛永17年(1640)のことで、この
ときには寺田家の名が見えないことから、その直後に今町に移ってきたようです。しか
し、当初は柏原船の営業には参加していませんでした。
宝永元年(1704)の大和川付け替え後に、柏原村の東にある川跡には市村新田が開
かれました。新田の開発には七つの組に分かれた23人が共同で参加し、今町からも
「四人組」として吉田与治兵衛、高島平右衛門、三田七左衛門と寺田七郎兵衛が名を
連ねています。寺田家は市村新田の経営に深く関わり、有力地主らとともに輪番制で
市村新田の庄屋を努めていました。そしてのちには、寺田家のみが庄屋を務めること
になりました。明治になると、堺県から市村新田の戸長にも任命されています。
また、三田家とともに柏原船の営業にも中心となって参加し、肥料商を営んで手広く商
売を行っていました。寺田家が最初に柏原船の船持ちになったのは、享保元年(1716)
のことでした。このとき2艘の船持ちとなり、その後寛政元年には9艘、そして弘化元年
(1844)以降明治まで14艘を所有していました。三田家の船数は、寛永17年(1640)に
2艘、寛政元年(1789)に16艘、文政4年(1821)から10年まで21艘で、文政11年(18
28)から明治まで寺田家と同数の14艘でした。柏原船の総数は70艘なので、幕末には
三田家と寺田家で40%の船を所有していたことになります。もっとも、このころには船は
半分程度しか運航していませんでした。
寺田家には、市村新田や柏原船に関する史料が多数残されております。寺田家住宅も
現在お住まいのため、普段は公開されておりません。
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柏原神社
創建の年月は詳ならず。元、とある邸内に鎮座せしを、明治十三年信徒の協議に依りて
当所へ遷座。 無格社なりしも、泉北郡向井村の村社若林神社「天照皇大神、表筒男命、
中筒男命、底筒男命、息長帶比賣命」を合祀するとともに村社に列し、更に志紀村の稲
荷神社「倉稻魂命」を合祀。
柏原黒田神社の北に鎮座、やはり下町風の風景の中で、地域の氏神さんとして慕われ
ているようです。
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浜地蔵
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堅下オガタ通り商店街
ワイングラスを逆さにした街灯が可愛い・・・
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JR柏原駅
知人と此処で別れて・・・
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JR柏原駅~王寺駅へ戻って
バス停で・・・
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コメント 2

mamu7010

 松岳山古墳、石棺の上蓋が非常に印象的でした。
国分神社下りの階段も、コレマタ!gooですネ。
柏原神社、柏原舟ふなだまり跡地・旧三田家・寺田家
堪能しました。
by mamu7010 (2019-03-01 19:59) 

taharas

mamu7010さん
コメント有難う御座います!(^^)!
3日は酒蔵みてある記に参加予定だが天気が気がかり、
次の6日も天気悪そうで折角の酒蔵巡りが雨じゃねエ・・・
by taharas (2019-03-01 23:35) 

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