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8月28日の神戸ハーバーランド~クルージング-2

8月31日        8月28日の神戸ハーバーランド~クルージング-2
                    8月度の歩こう会 歩程約5km
酷暑のなかでの歩こう会は歩く距離を減らして涼しい場所へ避暑、此れが良い・・・
此の日は12時集合・スタートで半日コース?神戸ハーバーランド~クルージングに、
参加者は70名だった、クルージング終了後、神戸ハーバーランドで中締め解散して、
歩き足りないGrメンバーは湊川神社へ、もう一つのGrはバスで市内観光へと別れて、
自由行動となった、私は帰るGrで此の日の万歩計は、8223歩で約6km歩いた事に・・
コース  JR神戸駅  ハーバープラザ 12時集合・スタート
ハーバープラザ~アンパンマンミュージアム~MSAIC~港(クルージング船乗り場)~
クルージング・ハーバーランド・造船エリア・第一防波堤灯台・空港連絡橋・神戸空港・
ポートアイランド・神戸大橋・メリケンパーク・第一防波堤灯台・ハーバーランドへ戻る~
中締め解散~港川神社へ向うGrと共にJR神戸駅へ・・・此処で別れて帰るGr
服部台バス停前
レジャービル
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Jr神戸駅~ハーバープラザ(集合・スタート)
ハーバープラザ
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神戸ハーバーランドへ向かう
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アンパンマンミュージアム
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ハーバーランドへ向かう
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神戸ハーバーランド
集合写真撮影
神戸の代表的な景観である観覧車とポートタワー。毎週末にぎわいを見せる神戸
モザイクやショッピングセンターのumieもあり、ショッピングやグルメを楽しむことが
できる、アミューズメントエリアです。
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対岸のメリケンパーク
ハーバーランドと並ぶ、神戸のお洒落な定番スポット。ホテルや海洋博物館など特徴
的な形をした建造物が多く、また、水際の遊歩道や広場には、港町の情緒が強くあふ
れています。
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ファンタジー号乗り場へ向かう
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此処までは、
8月28日の神戸ハーバーランド~クルージング-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
        https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-31
此処では、続きのファンタジー号乗り場~の詳細を掲載します。
ファンタジー号乗り場
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ファンタジー号へ乗る
ファンタジー号
青い海原と潮風を感じる木張りのデッキ。陽光のさしこむラウンジ。 明るく清潔な船
内で、ゆったりとお過ごしください。
定員:300名、総トン数:152トン、全長:32m、幅:7m、深さ:2.9m、馬力1,100PS、航海
速力:14.3ノット
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造船エリア
川崎重工は民間初の潜水艦の建造で著名であり、ファンタジー号からは、三菱重工
潜水艦の迫力あるその容姿を間近で見ることができます。
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明石海峡大橋
曇り空だったので見えなかったが
神戸市と淡路島の間に架かる、世界最大の吊り橋。夜のクルーズではライトアップさ
れた橋を見ることができ、その幻想的なムードは、一気に雰囲気を盛り上げてくれる。
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空港連絡橋
人工島であるポートアイランドと、神戸空港を結ぶ連絡橋です。
神戸の遊覧船は数あれど、連絡橋をくぐることができるのはファンタジー号だけ。
デッキから眺めるその迫力を存分に満喫してください。
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神戸空港
神戸市が建設と運営を手がけ、今年開港10周年を迎えます。
タイミングが良ければ、ちょうど空港から飛び立つ航空機の姿を見ることができます。

ポートアイランド
近代的な都市開発の先がけとされる人工島。1981年にポートピア'81(神戸ポートアイラ
ンド博覧会)が開催され、その成功は80年代後半の地方博ブームのモデルとなりました。

神戸大橋
日本初のダブルデッキ型鉄橋は、神戸市の突堤とポートアイランドを結びます。夜間は
ライトアップされ、イベント時に特別な演出もあります。
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第一防波堤灯台から入る
神戸港の入口に位置する、「神戸港」の文字が印象的な沖合の灯台。徒歩で行くこと
はできませんが、釣りのための渡船が運航しています。実は、全国3300基ある灯台
の中でも文字が書いてあるのは、この灯台だけなんです。
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ハーバーランド到着
ファンタジー号から下りて、中締め解散、9月度歩こう会の案内
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JR神戸駅へ向かう
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8月26日の大念仏寺「幽霊の掛け軸」と地蔵巡り-2

8月28日          8月26日の大念仏寺「幽霊の掛け軸」と地蔵巡り-2
                     近鉄ハイキング 約10km
此の日は大阪阿部野橋駅・地下東改札口へ知人と6人が集まり、1名は自転車で大念佛寺
の幽霊の掛け軸を見に先回りして終了?残り5名はコースをてくてく歩いて全興寺を見て昼
食(餃子の王将)を済ませて解散、1名は大阪メトロ平野駅から帰り、残り4名はゴールの針
中野駅迄歩いて、ドトールコーヒーで休憩して解散、未だ未だ暑い暑い一日でした・・・
此の日の私の万歩計は、21037歩で約15.5km歩いたことに・・・
コース  大坂阿部野橋駅受付・スタート  10時集合で6名参加?
阿部野橋駅・地下東改札口(受付・スタート)~八反田一願地蔵尊~寺田町駅~子安地蔵尊
~小池地蔵尊~源ヶ橋~生野本通り商店街~桑津天神社~京善寺~今川緑道~馬場口地
蔵尊~大念仏寺~平野アーケード商店街~全興寺~流口地蔵尊~昼食(餃子の王将)~駒
川商店街(ドトールコーヒー)~針中野駅(ゴール)
大阪阿倍野橋駅~八反田一願地蔵尊
八反田一願地蔵尊
八反田地蔵尊は、文政年間に天王寺村の人々が五穀豊穣、無病息災を願ってこの地に奉
祀したのが始まりです。
ご本尊は じつは阿弥陀如来様で古くは大坂夏の陣で亡くなった豊臣方の武士の霊を弔う
ために奉祀されたという説もあるんです。今では霊験アラタカな阿弥陀様と地蔵菩薩様をお
参りするため 八月に盛大なお祭りが行なわれます。
「八反田地蔵尊」。長い間、お地蔵さんとして信仰を集めてきたが、専門家による調査の結
果「地蔵菩薩」ではなく「阿弥陀如来」であることが判明した。しかし、長らく信仰されてきた
「お地蔵さん」を引き継ぐため、わざわざ新たに「地蔵菩薩」が建立された。
正面にお地蔵さんとして信仰されてきた「阿弥陀如来」。左に新たに建立された「地蔵菩薩」。
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寺田町駅~子安地蔵尊
子安地蔵尊
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直ぐ近くに、小池地蔵尊
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源ヶ橋~生野本通り商店街
源ヶ橋の由来・・・生野の民話より
今はもう暗渠となってありませんが、昔この辺りには猫間川という川が流れていました。185年
ほど昔、江戸時代は文化の頃、猫間川の渡し守をしている「源さん(源兵衛)」という人がいまし
た。この人は通行人から金品を強奪したり、法外な渡し料を要求したりする悪人でした。源さん
には女房と男の子が一人いましたが、愛想をつかして出て行ってしまいました。何年もたった
ある日、舟の上で一人の若者を殺して荷物を取り上げた源さんは、その若者が自分の息子で
あることを知ります。さしもの源さんも深く悲しんで自分の行いを悔やみ、出家をして仏門に入
りました。そして罪ほろぼしのために全財産を投げ打ち猫間川に橋をかけました。その橋は香
りの良い伽羅という名木で造られていました。そのことを知った人たちは、源さんの名にちなん
でその橋を「源ヶ橋」と名づけたということです。現在橋はなくなりましたが、地名となって残って
います。

生野本通り商店街
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桑津天神社(くわづてんじんじゃ)
桑津天神社は、大阪市東住吉区桑津にある神社。祭神は少彦名神をはじめ、明治時代の合
祀により菅原道真、須佐之男命、奇稲田比売命、野見宿禰、天児屋根命、布刀玉命、天宇受
売命、猿田毘古神、経津主命、健甕槌命の計11柱。旧社格は村社。
社伝によれば、仁徳天皇の妃である日向髪長媛が病気に罹ったとき、天皇が少彦名神に全
快を祈って快癒し、それが縁でこの地に同神を勧請された。
髪長媛は、神の資格のある采女として日向国より召され、仁徳天皇妃となり、桑津の地に居
住していたという。
明治5年(1872年)村社に列した。明治41年(1908年)近隣の林神社(牛頭天王社)を合祀し、
翌明治42年(1909年)神饌幣帛料供進指定神社となった。
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京善寺(きょうぜんじ)
京善寺は、大阪市東住吉区にある真言宗御室派の寺院。山号は心王山、院号は殊勝院。
桑津古新書によると、元和元年(1615年)に大坂夏の陣で焼失、承応2甲午年(1652年)に
復興。近畿三十六不動尊霊場第4番。 摂津国八十八箇所41番。
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今川緑道へ向かう
歩道のギンナン
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今川緑道
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大念佛寺へ向かう
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馬場口地蔵尊(ばばぐちじぞう)
平野郷・十三口の地蔵尊の一つ。
大坂道と繋がる場所で、人の往来が多かった所にある地蔵尊です。
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※平野庄本郷は壕(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた環濠集落。本郷七町には惣門
(そうもん)といわれた十三の出入口があって、そこには地蔵尊が置かれていました。
その地蔵尊が現在も残っています。

大念佛寺へ向かう
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此処までは、
8月26日の大念仏寺「幽霊の掛け軸」と地蔵巡り-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-28 
此処では、続きの大念佛寺~の詳細を掲載します。
大念仏寺・・・融通念佛宗 総本山
融通念佛宗は 浄土宗、 浄土真宗の一派。  寺院数356、信者数123,000。
京都 嵯峨の清涼寺は 融通念佛宗に属する。
1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢の
お告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建した。
平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、浄土教の最初の宗派で
日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に
本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。
(融通念仏宗 大本山 大念仏寺 ホーム・ページより)
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※融通念佛宗とは・・・(大念佛寺 パンフレットとホームページより )
平安末期 良弁上人が比叡山での修行を終え、さらに仏道を求めようと京都大原に住ま
い来迎院、 浄蓮華院 を創建。 永久五年(1117年)  良弁上人が来迎院にて修行中、
阿弥陀仏から 速やかに佛の道へ至る方法として 
一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行
是名他力往生 十界一念 融通念佛 億百万遍 功徳円満のの偈文(げもん)を授かり 
融通念佛宗を開いた。
融通念佛宗の教義は 「南無阿弥陀仏」を唱えれば 阿弥陀仏の本願力と自己の力が共
鳴しあって(融通して)極楽浄土へ行ける。 この教義から・浄土宗・浄土真宗へ発展した。

平野アーケード商店街~全興寺
平野アーケード商店街
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全興寺(せんこうじ)
全興寺は、大阪市平野区にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は野中山。平野薬師
としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館
を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏
の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん
博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり、
「大阪のおもろい寺」、「寺のディズニーランド」とも称されている。
飛鳥時代、聖徳太子が当時野原だったこの地域に仏堂を建て、薬師如来像を安置した
のが起源とされる。寺の名前の由来は不明であるが、この一帯が杭全荘と呼ばれた事
から、「杭全を興す寺」から全興寺になったという説がある。薬師堂の建立後、周りに人
が住み始め、町を形成していった。これが後の平野郷となる(「平野」という名前は平安
初期、この地の領主だった坂上田村麻呂の子の坂上広野(坂上広野麿)の「ひろの」が
転化して「ひらの」になったと言われている)。
中世には藤原氏の荘園となり[8]、応仁の乱以降は戦乱に巻き込まれないようにと豪商
らが環濠を築き上げ[9]、堺と並ぶ環濠都市として栄えた。大坂冬の陣では徳川秀忠の
軍勢が河内路より平野に入り、全興寺の隣にある野堂町会所を本陣にしたと伝えられ
ている。大坂夏の陣により町は戦火に飲まれたが、すぐに再建。大阪大空襲の被害も
逃れ、今日もこの一帯は江戸時代からの古い町並みが残っている。全興寺の本堂は天
正4年(1576年)に建造され、大坂夏の陣で一部を焼失。1661年に再建されたもので、
大阪府内でも有数の古い木造建築となっている。
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流口地蔵尊~昼食(餃子の王将)
流口地蔵尊(ながれぐちじぞう)
平野郷・十三口の地蔵尊の一つ。
流口門の傍らにあったもので、大門であった木戸口から南下する道は中高野道と称し、
喜連(きれ)、瓜破(うりわり)を経て、かって平野川の水源であった狭山池で堺から来る
西高野道と合流する信仰の道であった。
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駒川商店街(ドトールコーヒーで休憩)~針中野駅(ゴール)
駒川商店街(こまがわしょうてんがい)
駒川商店街とは、大阪市東住吉区駒川にある商店街。天神橋筋商店街や千林商店街、
十三本一商店会などと共に大阪を代表する商店街の一つ。
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近鉄針中野駅
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おまけ
小さな秋見っけ! ハゼの木の紅葉
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8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキング-2

8月21日         8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキングー2
                   てくてくマップ奈良1  約13㎞ 
此の日は知人と3名で近鉄てくてくマップ奈良1の矢田寺・松尾寺コースハイキングに挑戦、
しかし矢田寺~松尾寺への道路が崩落して歩く事が出来ず、矢田寺へ戻り、近鉄郡山駅
行きのバスに乗って大和郡山市へ出てお茶して知人二人は近鉄郡山駅へ、私はJR郡山
駅へ、此の日の私の万歩計は、20854歩で約15.4km歩いたことに・・・
コース  てくてくマップ 南生駒駅~平群駅だったが平群駅へは道路崩落で歩けず・・・
南生駒駅(スタンプ)~足湯~榁木峠~榁木山大師堂~矢田山遊び森~東明寺~矢田寺
~尾根道~松尾寺~三重搭~石仏群・竹林~地蔵堂~千手観音石仏~地蔵堂~平群駅
矢田寺~松尾寺へ向かう途中の山道が崩落していて歩く事が出来ず、矢田寺から・・・
バス停留所前の
レジャービル(ボーリング&カラオケ&ダンススタジオ&ファミレス等々) 
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王寺で近鉄生駒線に乗る
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南生駒駅(スタンプ)スタート
富雄川&生駒山
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足湯へ向かう
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足湯
小瀬保健福祉ゾーンの中にある無料の足湯、歓喜の湯
いつも多くの人で賑わっており、なかなか足をつける隙間が空いていることが少ない。
夏の暑い日か、天気の悪い日には空いてる?このひは丁度良く空いてた・・・
泉質も正真正銘の温泉で、美人の湯と言われるアルカリ性温泉。
この施設内には、温泉自動販売機という珍しい施設もあり、100リットル100円で
温泉を持ち帰って、家の湯船に入れて楽しめるという仕組み。
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榁木峠へ向かう
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榁木峠(むろのきとうげ)・榁木山大師堂
榁木峠に立つ五尺地蔵石仏とも称される峠の地蔵さん。奈良街道八体の石仏の1つ。
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榁木山大師堂(むろのきざんたいしどう)
昔は法隆寺の当頭寺院でしたが、明治29年ここ榁木山へ門と共に移転して、本尊は秘
仏の「弘法大師修行成道立像」で、榁の木の「お大師さん」として広く庶民に親しまれる。
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矢田山遊びの森へ向かう
少し下り坂
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矢田山遊びの森
芝生一面でピクニックやちょっとしたボール投げ程度の遊びならOK。ゴルフの練習や野
球は禁止になってるので、小さいお子さんでも安心して遊べると思います。とにかく芝生
一面で、ちょっと山の中に入るとハイキングコースになっています。
管理棟でトイレ休憩して
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池の間を東明寺へ向かう
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暫らく登り道が続く
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此処から下り道
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此処までは、
8月19日の矢田寺・松尾寺コースハイキング-1 として
         下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-21
此処では、続きの東明寺~の詳細を掲載します。
東明寺(とうみょうじ)
東明寺は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院である。山号は鍋蔵山。
矢田寺(金剛山寺)の北方、矢田丘陵の中腹に位置する。当寺は、持統天皇7年(693年)、
舎人親王により開基されたと伝わっている。
矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を江戸時代には勤めていた。
本堂の西側には九・六騒動で活躍した郡山藩家老の都筑云成の墓が現存している。
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※舎人親王(とねりしんのう)
舎人親王は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。舎人皇子(とねりのみこ)とも記さ
れる。天武天皇の皇子。淳仁天皇の父。
天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力と
して権勢を振るう。『日本書紀』の編集も総裁した。子孫の清原氏は高市皇子裔の高階氏
と共に、天武系後裔氏族として長く血脈が続いた。
天武天皇5年(676年)、天武天皇の皇子として誕生。母は新田部皇女。
持統天皇9年(695年)、浄広弐に叙せられ、大宝元年(701年)の大宝令の制定に伴う位階
制度への移行を通じて二品となる。
養老2年(718年)、一品に昇叙される。翌養老3年には元正天皇より異母弟の二品・新田部
親王とともに皇太子・首皇子(のち聖武天皇)の補佐を命じられ、また皇室の年長者として褒
賞されそれぞれ内舎人・大舎人・衛士・封戸を与えられた。養老4年(720年)5月に自らが編
集を総裁した『日本書紀』(紀30巻・系図1巻)を奏上する。同年8月には当時の朝廷最大の
実力者であった右大臣・藤原不比等の薨去に伴って、舎人親王は知太政官事に就任して太
政官の首班に立ち、知五衛及授刀舎人事・新田部親王および右大臣(のち左大臣)・長屋王
とともに皇親政権を樹立する。
没後20年以上たった天平宝字2年(758年)に、第七王子の大炊王が即位(淳仁天皇)するに
及び、翌天平宝字3年(759年)、天皇の父として崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)と
追号されている。

矢田寺へ向かう
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矢田寺(やたでら)
矢田寺は、奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を
金剛山寺(こんごうせんじ)という。
別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。
さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流(ようしんごりゅう)華道の家元として、華道研
究も盛んに行われている。
なお、京都寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺
伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。
寺伝によれば天武天皇の勅願により天武天皇8年(679年)に智通が開基。七堂伽藍四十
八坊を造営、十一面観音菩薩と吉祥天を安置したという。その後の戦乱などにより多くを焼
失し、現在は矢田寺北僧坊・矢田寺大門坊・矢田寺念仏院・矢田寺南僧坊の4つの僧坊を
総称して矢田寺と呼ばれている。
矢田寺の名は万葉の昔からの地名が矢田の里であったことに由来する。
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松尾寺へ向かう
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山道が崩落(奈良県の立て看板 道路崩落の為行けない)
矢田寺へ引き返す

大門坊
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矢田寺から市街地へ下り、バス停留所「横山口」でバスに乗る
全国金魚すくい大会が開催されていた・・・
横山口バス停の向日葵
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大和郡山市
金魚の形をした椿の葉(金魚葉椿)
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※松尾寺・・・今回は行けなかったが奈良に移り住んでから毎年初詣に行く場所だ
松尾寺は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀
洛山(ふだらくさん)。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。
日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。
境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつの
おさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。
矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する山寺である。慶長11年(1606年)成立
の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、当寺
は天武天皇の皇子・舎人親王が養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完
成を祈願して建立したと伝わる。なお、松尾寺の北方の矢田丘陵に位置する東明寺(大和郡
山市矢田町)も舎人親王の開基を伝える。
『続日本紀』延暦元年(782年)7月21日条には、「松尾山寺」の尊鏡という当時101歳の僧に
ついての言及がある。また、松尾山の山頂近くに位置する鎮守社の松尾山神社境内からは
奈良時代にさかのぼる古瓦や建物跡が検出されており、当寺が奈良時代の創建であること
は間違いないと思われる。

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8月17日の羽曳野・藤井寺史跡古墳巡り-2

8月20日       8月17日の羽曳野・藤井寺史跡古墳巡り-2
              昼飲み会てくてくマップ大阪5 約8km
知人のS藤さん・K場さん・M吉さんと4名で昼飲み会てくてくマップハイキング&銭湯へ、
銭湯で汗を流してJR天王寺駅で昼飲み会参加メンバ-と合流して居酒屋へ11名参加、
此の日の私の万歩計は、21870歩で約16.1km、久し振りにとても涼しい中を歩けた。
コース  てくてくマップ大阪5をアレンジして、14時迄に阿倍野へ出て銭湯へ・・・
古市駅~白鳥神社~東高野街道~誉田八幡宮~誉田山古墳(応神天皇陵)~大鳥塚
古墳~小室山古墳・頂上~中津山古墳~古室八幡神社~澤田八幡神社~市野山古墳
(允恭天皇陵)~大水川遊歩道~津堂城山古墳・津堂八幡神社~古山産土神社~小山
善光寺~藤井寺アーケード商店街~葛井寺~藤井寺駅
藤井寺駅 →大坂阿部野橋駅~湯処・あべの橋温泉へ
昼飲み会・・・集合場所&時間・・・・JR天王寺駅中央改札 551蓬莱の前辺り 
昼飲み会 15:00~17:00 会費@2600円 居酒屋で15品+飲み放題
参加者 11名 終了後二次回のカラオケへ7名参加
古市駅~白鳥神社
白鳥神社
日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命を祀る。明治時代に近隣の高屋神社を合祀し、その
祭神である饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)を合せ祀る。
元は軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と呼ば
れていた。南北朝・戦国の兵火により衰微し、峯ケ塚古墳の頂の小祠として祀られてき
たが、1596年(慶長9年)の慶長の大地震で倒壊し、そのまま放置されていた。1784年
(天明4年)に古市の氏神として現在地に移された。
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東高野街道~誉田八幡宮
東高野街道(ひがしこうやかいどう)
東高野街道とは、かつて京都から高野山への参詣道として用いられた街道。
数ある高野街道のうち、いちばん東側に位置する道筋。八幡(京都府八幡市)で京街道
(大坂街道) と別れ、河内国の東部を通り、長野(大阪府河内長野市)で西高野街道と
合流し、 以南は高野街道として紀見峠、橋本、高野山へ至る。
いつ頃に形成されたかは定かでない。既存の集落を経ず、出来るだけ直線になるように
通されており、自然発生的に形成された道ではなく、計画に基づいて建設された古代道
路であると言われている。 淀川水系の河川や、かつて存在した巨大な河内湖(深野池)
周辺の湿地帯を避けて生駒山地の麓を通り、河内国府(現在の藤井寺市)付近で大和
川を越えると石川の左岸に沿って通った。 平安時代には駅が設置され、京と河内国府
を結ぶ官道としても重要であったとされる。
その後は官道としての重要性は薄れたものの、仏教信仰の一般化に伴い、高野山参り
が盛んになると参拝道として賑わうようになった。
現在では、府道長尾八幡線、枚方バイパス、府道枚方交野寝屋川線、府道枚方富田林
泉佐野線と国道170号(旧道)各道の大半に相当または平行する。
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誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)
誉田八幡宮は、大阪府羽曳野市にある神社で、旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、
誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。
社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神
天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を
称している。奈良時代には行基によって神宮寺の長野山護国寺も創建された。永承6年
(1051年)の後冷泉天皇行幸の際に、元の鎮座地から1町ほど南の現在地に遷座した。
八幡神が源氏の氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信
仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって
保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより社殿・
伽藍を焼失し荒廃した。三好氏により滅ぼされた応神天皇末裔の誉田氏の一部は、四国
や九州に逃れ、また、江戸期には、関西一円の香具師(やし)(露天商)の元締めとして君
臨したといわれている。河内国を支配下に置いた織田信長により、社領をすべて奪われ、
その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建した。天正14年(1586年)に社殿が
焼失したため、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の
建造中に大坂夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。
江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。 神宮寺の長野山
護国寺は、明治の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。
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東高野街道
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誉田山古墳(応神天皇陵)
誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)又は誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大
阪府羽曳野市誉田にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみ
ささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されている。また外濠と外堤は1978年(昭和5
3年)に国の史跡に指定されている。
名称は「応神天皇陵」とも呼ばれ。全国で大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ第2位の規模の
巨大古墳である。
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大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)
大鳥塚古墳は、大阪府藤井寺市古室にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構
成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。
大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、
中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である。
墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段
築成。墳丘表面では葺石・円筒埴輪列や、形象埴輪(家形・蓋形・盾形・靫形・冑形埴輪
など)が認められる。墳丘くびれ部両側には造出を付すほか、墳丘周囲には馬蹄形の周
濠が巡らされる(空濠、現在は埋設保存)。大鳥塚古墳は、古墳時代中期の5世紀前葉
頃の築造と推定される(赤面山古墳も同時期)。古市古墳群では大王墓の仲津山古墳
(藤井寺市沢田)と同時期とされ、巨大前方後円墳(大王墓)に次ぐ大型前方後円墳とし
て、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳になる。
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小室山古墳へ向かう
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小室山古墳(こむろやまこふん)・頂上
古室山古墳は、大阪府藤井寺市古室にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構
成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。
大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、
中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である。
墳形は前方後円形で、前方部を北東方に向ける。墳丘は3段築成。墳丘長は150メートル
を測り、古市古墳群では中規模になる。
古室山古墳は、古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃の築造と推定される。古市古墳群
では最初の大王墓と目される津堂城山古墳(藤井寺市津堂)と同時期とされ、巨大前方後
円墳(大王墓)に次ぐ大型前方後円墳として、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳。
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古室山古墳を後に
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仲津山古墳(なかつやまこふん)
仲ツ山古墳(仲津山古墳)は、大阪府藤井寺市沢田にある古墳。形状は前方後円墳。古市
古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「仲津山陵(なかつやまのみささぎ)」として
第15代応神天皇皇后の仲姫命の陵に治定されている。
古市古墳群の北部、誉田御廟山古墳の北東に位置する。全長290m、後円部径170m、高
さ26.2m、前方部幅193m、高さ23.3mで、古市古墳群で2番目、全国でも9番目の大きさを
誇る。国府台地の最高所にあるため、周濠は空濠に近い湿地帯になっている。 出土した埴
輪の特徴から、古市古墳群の巨大前方後円墳では、津堂城山古墳に次いで古く、5世紀前
半の築造と推定されている。
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古室八幡神社
神社に由緒書きはありませんが、國府八幡神社由緒に「藤井寺市内には、江戸時代初期の
頃に誕生した八幡神社が五社あり、国府八幡神社以外の八幡神社 は、誉田八幡宮(羽曳野
市)の分霊を勧請したものとされています。沢田八幡神社、古室八幡神社、土師里八幡神社、
津堂八幡神社の四社です。」とあり、江戸時代の初め頃、誉田八幡宮の分霊を勧請した古室
地区の氏神様のようです。
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澤田八幡神社
境内には近鉄南大阪線が横切っており、踏切が設けられている。これは1922年大阪鉄道が
布忍駅 - 道明寺駅間を開通した際、町内の中を通ることを避け、仲姫皇后陵の堤に沿って
走らせることにした結果、陵の堤に続く斜面にあった神社を横切ることになったものと考えら
れる。同じように境内に鉄道の線路が横切っている神社の一つに坂田神明宮がある。
当時の住民は線路敷設に肯定的であり、公有地の一部が無償提供されている。
国府八幡神社由緒書によると、国府八幡神社を除く近隣の八幡神社(古室八幡神社、土師
里八幡神社、津堂八幡神社)と同じく、江戸時代初期に誉田八幡宮から勧請されたものとさ
れている。拝殿の棟札には、1655年(明暦元年)11月に旧地の一町西へ遷宮したと伝えられ、
次いで1777年(安永6年)の棟札からこれらの時期に建直しが行われている。沢田の氏神と
して機能し、かつては「先度社」という宮座も存在した。明治5年に村社に列せられる。
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此処までは、
8月17日の羽曳野・藤井寺史跡古墳巡り-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-19
此処では、この続きの市野山古墳へ向かう~の詳細を掲載します。
市野山古墳へ向かう
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市野山古墳(允恭天皇陵)
市ノ山古墳(いちのやまこふん、市野山古墳)は、大阪府藤井寺市にある古墳。形状は
前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我長野北陵(えがのながののきたの
みささぎ)」として第19代允恭天皇の陵に治定されている。
墳丘長は227mで全国20位。前方部の高さ23.3m、後円部の高さ22.3m。允恭天皇陵とも。
出土した埴輪などから、築造年代は5世紀後半とされる。
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大水川遊歩道を津堂城山古墳へ
大水川(おおずいがわ)
藤井寺市のほぼ中央部を南から北へ流れる1級河川・大水川(おおずいがわ)の堤防
上にある散策公園で、大阪外環状線を境に、北は翠花堤苑(すいかていえん)、南は
彩花堤苑(さいかていえん)と命名されています。

津堂城山古墳・津堂八幡神社
津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)此処で昼食
津堂城山古墳は、大阪府藤井寺市にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成
する古墳の1つ。 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」
(被葬候補者:第19代允恭天皇)として陵墓参考地に治定されている。
前方部は南東を向き、二重の周濠が墳丘を囲んでいる。外側の周濠は宅地や田畑となっ
ているが、これを含めると古墳の全長は400m以上になる。
これまでの発掘調査などから築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古
墳であり、誉田山古墳よりも先行する。
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古山産土神社
創建はさだかではないが、小山地区の氏神として、1590年代に創建されたものと推定さ
れる。その昔は、「辛国神社」を岡村と共有の氏神としていたが、祭礼の度毎に小山村の
氏子と岡村の氏子との間に争いが起こり、両村の間で紛争が絶えないので、豊臣秀吉が
全国統一後(1590年)に、高鷲地区の宮村(現在の羽曳野市高鷲八丁目)の大津神社よ
り「神霊」を分神して、小山地区独自の氏神として祭祀することとなった。
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小山善光寺(こやまぜんこうじ)
小山善光寺は、大阪府藤井寺市にある浄土宗の寺院である。山号は南面山。詳しくは南
面山無量壽院善光寺と称する。別名に元善光寺。信濃善光寺の元祖。
天正年間まで城山古墳の後円部外側に接する小字名善光寺屋敷址といわれる位置に
あったが、天正年間織田信長の河内小山城攻めの折、小山城と共に戦火をうける。堂舎
焼失後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)になって現在地に移転再建される。
小山善光寺は南面山無量壽院善光寺と称し、本田善光の伝説を持っている。その内容と
しては、推古天皇の御代若使主東人(オカオミアズマビト)本田善光が信州に帰国する途
中、難波の堀江で一光三尊仏を拾ってこれを背負って小山の里の隆聖法師の庵に宿泊し
た。法師はその仏像をまつらせてほしいと善光に所望したが一体しかないので二人で三日
三晩にわたり念仏したところ第三日目に一光三尊仏が二体になったので隆聖法師はその
一体を入手して本尊とし河内小山に一寺を建立した。本田善光は他の一体を背負って信
濃に帰り信濃の善光寺の本尊とした。日本で最初に建立されたので日本最初の善光寺と
称するようになった。
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藤井寺アーケード商店街
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葛井寺
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金
剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興した
とされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、百済王族
の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)により8世紀中頃に創建され
たとも推定されている。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も
藤井氏である。
百済辰孫王の後裔氏族である、船氏、津氏とならぶ白猪氏の氏寺として7世紀中葉に建
立が開始された。奈良時代の720年に白猪氏は葛井氏に改姓している。一族からは大
安寺僧慶俊が出ている。
社伝では、大同元年(807)に葛井連道依娘の藤子と後の平城天皇との皇子である阿保
親王によって再建された。また阿保親王の皇子である在原業平が奥の院を造営した。
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藤井寺駅
藤井寺駅 →大坂阿部野橋駅~湯処・あべの橋へ
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湯処・あべの橋・・・4名
天然温泉・・・大阪市港区の『天然温泉テルメ龍宮』から毎日搬送しています。
源泉名 龍宮温泉 1号 阪市港区2丁目3番33号  深さ  1,500m
泉質 ナトリウム塩化物強塩温泉   泉温 摂氏53.9度(浴槽温度40~42℃)
効能 ・神経痛・筋肉痛・関節・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき
    ・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷
    ・やけど・慢性皮膚病・虚弱体質・慢性婦人病
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昼飲み会集合場所へ
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JR天王寺駅中央改札
飲み会へ
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二次回はカラオケへ 7名
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8月11日の宇治回遊コースハイキング-2

8月15日         8月11日の宇治回遊コースハイキング-2
                 てくてくマップ京都2 歩程約9km
このひは知人と3名で近鉄のてくてくマップ京都2宇治回遊コースをハイキングして来た。
コース   大久保駅で待合せてスタンプを貰って 宇治橋西詰めへバスで移動
大久保駅~バス(15分)で宇治橋西詰~宇治川沿い~宇治観光センター~宿木之古蹟
~宇治川沿い~天ケ瀬吊橋~宇治川沿い~白虹橋~天ヶ瀬ダム・鳳凰湖(昼食)~白
虹橋~第一志津川橋~山吹橋~宇治川沿い~興聖寺山門前~宇治川発電所前~朝
霧橋前~宇治神社前~宇治十帖~宇治橋を渡る~お茶休憩?~宇治橋西詰め(知人
と別れる)~JR宇治駅へ
未だ未だ夏の暑い日射し、此の日の私の万歩計は、18319歩で約13.5km歩いた事に・・
近鉄大久保駅~バス(15分)で宇治橋西詰へ向かう
近鉄大久保駅
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宇治橋西詰
紫式部像、縣神社鳥居
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宇治川沿い~宇治市観光センター
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宇治川沿い
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宿木之古蹟
源氏物語 宇治十帖(五)宿木
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宇治川沿い~天ケ瀬吊橋へ向かう
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天ケ瀬吊橋
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宇治川沿い
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白虹橋
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天ヶ瀬ダムへ向かう
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此処までは、
8月11日の宇治回遊コースハイキング-1 として
       下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
      https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2018-08-15
此処では続きの、天ヶ瀬ダムからの詳細を掲載します。
天ヶ瀬ダム
IMG_2156.JPG IMG_2157.JPGIMG_2158.JPG IMG_2159.JPG 天ヶ瀬ダム・鳳凰湖(昼食) IMG_2160.JPGIMG_2161.JPG IMG_2162.JPG IMG_2163.JPGIMG_2164.JPGIMG_2166.JPG 記念碑前の木陰で昼食 IMG_2167.JPGIMG_2168.JPGIMG_2169.JPG 白虹橋~ダムを IMG_2170.JPGIMG_2171.JPG 白虹橋東詰 IMG_2172.JPG 第一志津川橋~山吹橋 山吹橋 IMG_2173.JPG 宇治川沿い IMG_2174.JPGIMG_2175.JPGIMG_2177.JPG 興聖寺山門前 IMG_2176.JPG 宇治川発電所前 IMG_2178.JPGIMG_2179.JPG 朝霧橋前 IMG_2180.JPG 宇治神社前 IMG_2182.JPG 宇治十帖モニュメント IMG_2181.JPG 宇治橋を渡る 宇治橋から上流を眺める IMG_2183.JPG お茶休憩? IMG_2184.JPGDSC_0173.JPG 宇治橋西詰め(知人と別れる)~JR宇治駅へ JR宇治駅前のポスト IMG_2185.JPG
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今年2回目の明日香の森ブルーベリー収穫祭り

8月15日       8月4日の今年2回目の明日香の森 ブルーベリー収穫祭り
  社友会会員11名&明日香SGCメンバー14名
シャープグリーンクラブ※(SGC)では、シャープの事業拠点や営業・サービス拠点の所在地
を中心に「シャープの森」づくりを展開しています。「シャープの森」は、基本コンセプトを「森・
いきもの・人のつながりを理解し、きずなを深め、地球環境への優しい心をはぐくむ」とし、植
林に加えて、植えた苗を育て上げる「育林」活動にも重きをおいています。この活動を通じて
森林の再生に貢献するとともに、従業員の環境意識を育んでいます。
8月4日は、SGCの活動拠点の明日香の森で今年2回目のブルーベリー収穫祭りに知人と
参加した(歩こう会から4名参加)・・
王寺駅で歩こう会仲間の知人と待ち合わせて近鉄桜井駅経由で明日香の万葉文華館の
駐車場前(集合場所)へ、此の日の参加者は、25名で酷暑の中でたわわに実ったブルー
べりー畑の草刈をした後、ブルーベリーを各々で収穫、帰りに橿原市の福祉施設、やわら
ぎの郷のお風呂で汗を流して昼食休憩をして帰った、楽しいブルーベリー採りでした・・・
8月4日のブルーベリー収穫祭り
万葉文化館前交差点
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二上山が見える
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収穫したブルーベリー
此の日の私の収穫量は1.6㎏だった
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400gでジャムを作り
400g×3袋を冷凍保存 
ブルーベリージャム
ブルーベリー400gとグラニュー糖150gとレモン汁大さじ2
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8日にハイキング仲間達 5名で
明日香の森へブルーベリー採りに行った
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此の日の私は2.2㎏収穫、200gは其のまま食卓で食べる・・・
400g×5袋、うち800gを家内が知人へおすそ分けして・・・
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冷凍の400gでジャムを作り子供に・・・
400gとグラニュー糖150gとレモン汁大さじ2
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冷凍400gでブルーべりーシロップに緒戦
冷凍400gと氷砂糖200g
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おまけ
8月13日、今年初めてのゴーヤ収穫
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7月30日の明日香稲渕の棚田&案山子ロード・他

8月3日         7月30日の明日香稲渕の棚田&案山子ロード・他
                    歩こう会9月コース下見
9月度歩こう会のコース下見に・M越さん・K場さん・M吉さんと田原の4名で行って来た、
涼しくなって来たとはいえまだまだ暑い、此の日の私の万歩計は、21666歩で約16km
コースは
飛鳥駅~高松塚古墳~文武天皇陵~八坂神社~朝風峠~稲渕の棚田~稲渕の案山
子ロード~男綱~稲渕勧請橋~マラ石~石舞台古墳前広場(昼食)~玉藻橋~橘寺~
川原寺跡~明日香村中央公民館~亀石~天武・持統天皇陵~国営飛鳥歴史公園館~
飛鳥駅

自宅近くの服部台バス停
バス停前のレジャービル・ボーリング場
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飛鳥駅~高松塚古墳を通り~休憩所
文武天皇陵の後ろを通り、直ぐの栗の木
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八坂神社の前を通り、朝風峠へ向かう
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朝風峠を抜けて、朝風峠石碑&稲渕の棚田
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※朝風峠の地蔵さん
以前、朝風峠でガイドさんに下記の伝説を聞いた事が有ります。
明日香・栗原集落の朝風峠のお地蔵さん、右の肩の上が大きく欠けているのは、
「朝風地蔵」と平田集落にある「みみなほし地蔵」が争って、片方の「朝風地蔵」は
肩を取られ、片方の「耳なほし地蔵」は耳を取られた。というおもしろい言い伝え
があるそうです。

稲渕の案山子ロード
巨大案山子はイノシシを連れた「西郷どん」
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男綱
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※綱掛神事
綱掛神事は明日香村稲渕と栢森(かやのもり)に伝わる神事です。 稲渕は「男綱」、
栢森は「女綱」がかけられます。
子孫繁栄と五穀豊穣を祈り、飛鳥川と道路をまたいで綱を渡し、悪疫が川や道路を
とおって進入することを押しとどめ、住民を守護するための神事と言われています。

稲渕勧請橋
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マラ石
国営飛鳥歴史公園祝戸地区への入口付近にあり、男性の陰茎を思わせる石が斜めに
突き立っている。宮域を示すための標石、橋脚として利用されたなどの説が出されてい
るが確かな用途は不明である。
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石舞台古墳前広場へ向かう
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石舞台古墳前広場(昼食)~
玉藻橋を渡って橘寺へ向かう
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橘寺&川原寺跡
称徳太子御誕生の橘寺
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川原寺跡
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明日香村中央公民館~亀石
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亀石
微笑んだような表情が愛らしい明日香を代表する謎の石造物のひとつ。巨大な花崗
岩に亀のような動物が彫られています。亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死
んでしまった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変え
ており、亀が当麻の方向である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという怖
い伝説も残されています。
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天武・持統天皇陵の横を通り、国営飛鳥歴史公園館へ
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国営飛鳥歴史公園館で休憩
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飛鳥駅
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帰りの西田原本駅ホームで
近鉄田原本線100周年、100年前の電車の色に
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他、7月28日
予定してた近鉄ハイキングが中止になり、スタンプだけ貰って
王寺駅近くの舟戸公園のSL D51を撮る、念願のD51撮影タイム・・・
王寺駅の線路沿い、近鉄田原本線とJR関西本線の細長い土地を利用した公園。目を引
くのは公園の中央に置かれたSL(蒸気機関車)。このD51.895号は、昭和19年(1944)に
製造、国鉄関西本線・草津線を走っていた車両で、昭和47年(1972)に廃車となってより、
展示保管されている。中に入ることもでき、子どもたちの格好の遊び場にも。王寺町は鉄
道とともに発展してきた交通の要衝で、公園のSLはいまもその歴史を語り続けている。
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近鉄田原本線100周年、100年前の電車の色に・・・
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