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6月4日の馬見丘陵公園(菖蒲園)

6月4日          6月4日の馬見丘陵公園(菖蒲園)
                   午後4時~菖蒲園
午前中に用事を済ませて午後から馬見丘陵公園へ花菖蒲を見に出かけてみた・・・
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まだまだ
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5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-2

6月4日        5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-2
                近鉄駅フリーハイキング 6㎞
此の日は、知人の・K場さん・O村さん・M村さん・M吉さんと5名で近鉄ハイキングに
参加、前半少し迷って?此の日の私の万歩計は、19046歩で約11.4km歩いた事に。
コース   近鉄鶴橋駅東口受付
近鉄鶴橋駅東口(受付)~久本寺~藤次寺~生国魂神社~齢延寺~源聖寺坂~
源聖寺~金台寺~大江神社~愛染坂~愛染堂~四天王寺~一心寺~堀越神社
~統国寺大雄殿・ベルリンの壁~ファミレスで外食~JR天王寺駅・阿倍野橋駅
近鉄鶴橋駅東口(受付)~久本寺へ
久本寺へ向かう
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公園で水分補給休憩
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久本寺(くほんじ)
当寺は永禄5年(1562)に日理上人が大阪平野郷の塩谷新兵衛の寄進により平野に
寺を建立したことに始まり、後に開祖(日理上人)の久本但馬守重時(讃岐の戦国大
名)の名を取り「久本寺」となったと伝えられている。京都の本能寺・尼崎の本興寺の
両山は一体不可分の一寺をなすが、久本寺は両寺を本山としていた。明治42年(19
09)からは京都の妙蓮寺を本山とする本門法華宗に属しています。
江戸前期の大坂兩替商の創始者天王寺屋五兵衞等歴代の 天王寺屋一族の墓が
有ります。
久本寺は大阪城南側と四天王寺の間にある寺町のひとつである谷町筋八丁目寺町
の中ほどに位置する日蓮宗寺院である。番神堂は境内の除厄守護の諸神を祀る堂。
番神堂は,妻飾りの鬼面を彫刻した大瓶束や孔雀を彫刻した蟇股、龍・象・獅子・浪な
どの木鼻の彫刻、支輪の彫刻なども華やかさを演出している。多種多様な装飾を破
綻なくまとめた技量は極めて高いものであり、この時期における大阪大工の到達点を
しめすものということができる。

境内の花々が綺麗
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藤次寺
藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は
如意山(にょいさん)。摂津国八十八箇所 第19番札所。大阪の融通さんと称される。
本尊・如意宝珠融通尊(にょいほうじゅゆうずうそん)=(宝生如来・ほうしょうにょらい)
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上
人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえ
に、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、
藤次寺と改称し、現在に至っている。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した
全28作の作品名が刻まれた石碑も存在する。
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生国魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、新字体:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区
生玉町にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の
別表神社。別称を「難波大社」とも云われる。
かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も
建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷
座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、
国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の
即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた
重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。
また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮
との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代
社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社
の1つである。
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齢延寺(れいえんじ)・・・生魂山 齢延寺
天王寺七坂のひとつ源聖寺坂の降り口に、銀山寺と向かい合って建つ寺院です。阿
吽2体の仁王像を納める楼門が見事な寺院で、藤田東湖らの墓所もあるようです。
本尊は大阪市の有形文化財に指定されている定朝様の聖観音像です。
曹洞宗のお寺です。立派な山門に驚きました。柱が何本もあるような門、彫刻も施さ
れていて見事な楼門に吸い込まれる様に入りました。以前訪問した時にバナナに似
た植物が気になり和尚さん に聞いたところバナナだと言う事でした。
今回、チャイニーズイエローバナナを見に行ったが花は無かった
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チャイニーズイエローバナナ咲いて無かった
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※以前見た(2018年5月18日の大阪七坂巡り)
花が上向きのバナナを初めて見た
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※地湧金蓮(チヨウキンレン)チャイニーズイエローバナナ
地湧金蓮(チヨウキンレン) はバショウ科ムセラ属の常緑多年草である。ムセラ属は
バショウ属から分離したもので、1属1種である。 中国の雲南省からインドシナ半島に
かけて分布し、高山に生える。 名は「地から湧き出た金色の蓮」という意味になる。
漢字では「地涌金蓮」とも書く。 読み方は「チユウキンレン」とするものもあるが、正式
名は「チヨウキンレン」である。 英名はチャイニーズイエローバナナである。
草丈は60~100センチくらいである。 葉は長い楕円形で、芭蕉(バショウ)やバナナ
に似ている。花の構造も芭蕉(バショウ)やバナナと同じだが、鮮やかな黄色い苞(花
序全体を包む葉の変形したもの)に特色がある。開花時期はは6~10月くらいである。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)
天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、名称は坂下にある寺院名に由来する。
松屋町筋に面する坂下の源聖寺と金台寺の間から東へ石畳を登り、上町台地の急
崖に差し掛かると石段となり、少し東南東に向きを変える。再び石畳を登り、坂上の
齢延寺と銀山寺の間で水平となる。道は坂上からも東へ伸び、中寺筋を横断して谷
町筋・生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。下寺町(25ヶ寺)・生玉寺町(14ヶ寺)を
横断し、坂上から東は生玉中寺町(12ヶ寺)を横断するため、周辺には寺院が多い。
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源聖寺(げんしょうじ)
源聖寺縁起によりますと、当寺を建立(こんりゅう)された初代は、深蓮社遠誉上人荷
公和尚(じんれんじゃおんよしょうにんかこうかしょう)とおっしゃって、奥州衣川(おうし
ゅうころもがわ)(岩手県)の出身で、継母の妬みにあい、父の勧めによって常陸国瓜
連(ひたちのくにうりづら)〈茨城県〉浄福寺にて出家し、六十歳の時、慶長元年春、諸
国行脚に出られ、西成郡寺嶋〈現在の大阪西区九条あたり〉に草庵を結ばれました。
従って、東国より来て行業(ぎょうごう)〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、その
寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。
また、安阿弥(あんみ)が彫刻した二尺五寸の阿弥陀如来像をご本尊として祀っていま
したが、大坂の陣の際に、戦乱によって失われてしまうことを案じて、初代遠誉上人は
ご本尊像を寺地の前の浜辺から海に流されました。大坂の陣の後、徳川家康の治世
になって世の中が安定すると、浜辺で光明を放つものがあり、確認してみると海に流し
たはずのご本尊像でした。この像を拾い上げ、民家を譲り受けて寺観を整えて、そこで
お祀りされました。その際、初代遠誉上人は、源空上人(げんくうしょうにん)浄土宗開
祖法然上人(ほうねんしょうにん)のみ教えを源とし、吉水(法然上人がお念仏の教え
を説き広めた地、現在の知恩院付近)の流れを汲む聖ということから、寺名を「東営山
西岸院源聖寺」と改められました。
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金台寺(こんたいじ)
1656年(明暦2年)創建と云われる浄土宗の寺院で、浄土宗寺院の本堂としては大阪
市内では最古といわれ、本堂の天井には火事除けの水を司る龍の彫刻が祀られてお
り、現在迄度重なる戦火や大火を逃れ被害を受けずに当時のままの姿を残しています。
伽藍の建築群や平安~鎌倉時代の多数の仏像は大阪市の有形文化財に指定されて
います。
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此処までは、
5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-06-04
此処では、続きの愛染坂~ についての詳細を掲載します。
愛染坂(あいぜんざか)
天王寺七坂の一つで、坂の上に勝鬘院(愛染堂)と大江神社がある。
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大江神社
大江神社・パワースポット
当大江神社は、上之宮、小儀、土塔、河堀、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と云
われ、四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられています。当社は、
天王寺北村の産土神(うぶすながみ)で豊受大神を祭祀しています。いつの頃よりか
神仏を混淆して毘 沙門天を祀り、乾の社と称して四天王寺の所管となり、境内に神宮
寺を建て祭祀も僧徒(四天王寺東光院神宮寺の別当)が当っていましたが、明治維新
後神仏が分離され、慶應三年今の社名に改められました。社名は大江岸(おおえのき
し)に続いた社地であったところから大江神社となりました。先の戦争にて絵馬堂と神
器庫を残しすべて焼失しましたが、昭和三十八年、氏子崇敬者により本殿、拝殿が復
興されました。千八百坪の広い境内には約百三十本もの榎木、楠木等の樹木が覆い
繁り、大阪市の保存樹林の指定を受けています。
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愛染堂・・・勝鬘院(しょうまんいん)
山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染
十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。
この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代
執権・北条時頼から寺領を寄進されたという。
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愛染かつら
愛染堂の藥医門をくぐった右奥に「愛染かつらの木」があります。樹齢数百年といわ
れる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、桂とカズラが一体となった
その姿は、まるで仲の良い男女が寄り添っているように見えることから、カップルの
縁を取り持ってくれる「恋愛成就・夫婦和合の霊木」として何百年もの間、この地で親
しまれています。
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大力金剛尊
藥医門のすぐ左には、スポーツや勝負事には特に霊験あらたかな勝利開運・善因
善果の仏様、大力金剛さまがいらっしゃいます。
愛染堂の大力金剛さまは、清王朝時代のもので、大正時代に活躍した大阪市天王
寺区出身の横綱(第26代)大錦が、満州巡業の折に自身の守護神として気に入っ
て中国から持ち帰り、初めは大阪国技館に奉安されていましたが、昭和25年に愛
染堂にやってこられました。
また、盗難・火災等の災難除けとしても篤く信仰されています。
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四天王寺
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七
大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(ぐぜ
かんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこ
くのてら)ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の
区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の
寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派
にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院として
は最古のものである。
四天王寺の草創については『日本書紀』に次のように記されている。
用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間
に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河へ攻め込んだが、
敵の物部守屋は稲城(稲を積んだ砦)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦
するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は蘇我氏の軍
の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、
「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をし
た。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦
いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子
は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるため
には、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという(なお、蘇我馬子の法興寺は上
記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であっ
た)。以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円
に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、
その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。
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一心寺へ向かう
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一心寺(いっしんじ)
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳
院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。
天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法
然上人二十五霊跡第七番札所。
1185年(文治元年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王
寺の西門の坂のほとりに、四間四面の草庵を結び、「荒陵の新別所」後に「源空庵」と称し
て住んだという。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を修した。
当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったという。1596年
(慶長元年)、三河の僧侶であった本誉存牟上人が法然の旧跡であるこの地で一千日の
念仏修法を行い、寺を再興した。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名
になったといわれる。
又、大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓所があ
るが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦
したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ
ることから「酒封じの神」とされるようになった。今でも墓所には禁酒を誓う人が詣でている。
ジャカランダが咲き始めて・・・
キリモドキ属は、ノウゼンカズラ科に属する中南米原産の低木または高木からなる属で、
ジャカランダ属とも呼ばれる。ジャカランダ と総称されるが、うち1種キリモドキ
Jacaranda mimosifolia の別名でもある。マメ科のブラジリアン・ローズウッドもジャカラン
ダと呼ばれることがあるのでこの属と混同されることもあるが、別目である。タルコ とも・・・
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茶臼山公園・・・茶臼山 茶臼山古墳
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。
大阪府指定史跡に指定されている。
古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備
されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけとも
言う)があるが、これは788年(延暦7年)に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運
のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地とも言われる。和気橋もある。
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堀越神社
推古天皇の時代、四天王寺建立と同時期に、聖徳太子が叔父の崇峻(すしゅん)天皇を
偲んで茶臼山に建立したと伝えられ、四天王寺七宮の一つに数えられる神社です。
古くから明治時代の中頃まで境内の南沿いに美しい堀があり、此の堀を越えて参詣した
ので「堀越」と言う名を付けられたと言います。都会に有りながら樹齢数百年に及ぶ樹木
等ミドリが多く、境内は閑静な雰囲気で、雑誌等でパワースポットとして取り上げられてい
ます。大阪では、「堀越さんは、一生に一度の願いを聞いて下さる神さん」との言い伝え
が有り、古くから親しまれています。
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統国寺へ向かう
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統国寺・大雄殿・ベルリンの壁
統国寺は聖徳太子が開創し、百済の僧観勒(かんろく)が開山住持として招かれたと伝え
られています。全山が大阪夏の陣の兵火によって焼失しましたが、元禄16年(1703年)
法源和尚によって再建されました。寺は近代に入って衰退した時期も有りましたが、現在
は統国寺と命名され、境内の整備も進められています。大雄殿(本殿)は、質素な外観と
異なり、創意に満ちた空間で構成され大阪市の有形文化財に指定されています。
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ベルリンの壁・・・統国寺HPより
1998年9月、統国寺信徒さんより御喜捨。
このベルリンの壁は崩壊前の大きさそのままの実物です。写真の正面が西独側です。
これと同じものが逆Lのかたちで東独側に建っていたそうです。
御喜捨いただいた方いわく「民族の統一を願って統国寺に置くのが一番いいですよ」
いつの日か、ドイツのように南北統一の日が来ることを心より祈念して・・・・・。
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※ベルリンの壁
冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設された、東ベル
リンと西ベルリンを隔てる壁。1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ド
イツが統一されるまで、この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となっていた。

ファミレスで外食
JR天王寺駅・阿倍野橋駅へ向かう

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