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6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-2

6月6日        6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-2
                    JRふれあいハイキング 10㎞
此の日は天気良かった、大阪へ出て来て約8年間住んで最寄駅が千里丘だったので
岸辺駅は隣の駅、今は摂津市だが私が住み始めた時は三島郡島本町だった、懐かし
い場所、勿論1970年の万博当時も未だ此方に住んでいて土日休みの金曜日の夜は、
会社の同僚達が私のアパートに泊まり込んで万博見学に行った千里丘のボーリング
場へ早朝ボーリングに行ったりしていた懐かしい青春のく思い出の場所だった・・・
コース   JR岸辺駅 10時集合 大阪・関西歩け歩け協会主催  参加費用300円
JR岸辺駅(10時集合)~市場池公園~吉志部瓦窯跡~吉志部神社~紫金山公園~
せせらぎの道~佐井寺南ヶ丘公園(昼食休憩)~せせらぎの道~関西大学~片山公
園~片山神社~JR吹田駅(解散)    参加者171名だった様です
JR岸辺駅(10時集合)
出発式&新設された国立循環器病研究センターの横を通り
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市場池公園へ向かう
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市場池公園
摂津市と吹田市の境目に位置する公園です。のどかな雰囲気あふれる公園で散歩し
たりするには最適なスポットです。
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吉志部瓦窯跡へ向かう
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吉志部瓦窯跡
吉志部瓦窯跡は、延暦(えんりゃく)13(794)年に桓武(かんむ)天皇が着手した平安
京の造営当初の瓦を生産した瓦窯跡です。これまでの調査で丘陵の南斜面上段に登
窯4基、下段に平窯9基の計13基の窯跡と平窯群の背後を走る排水溝が確認されま
した。窯跡は等間隔に計画的に配置されたものと考えられます。また、近年、瓦窯の
南側で掘立柱建物跡、井戸跡、回転台跡、粘土採掘坑等の遺構が検出され、大規模
な造瓦工房を伴ったことが判明しました。
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吉志部神社
吉志部神社は、大阪府吹田市の紫金山に鎮座し、遥か古代より鎮守の社として村の人
々に崇敬されてまいりました。
社伝によりますと、崇神天皇の時代に大和から奉遷して大神宮と称し、極めて壮麗な社
殿を構えていたといいます。その後、応仁の乱で焼失しましたが、文明元(1469)年には
再建、さらに慶長15(1610)年には本格的な再造営をいたしました。本殿は、全国的にも
大変めずらしい七間社で、桃山様式の絢爛たる紋様が施された華麗な社殿でした。
その歴史的な価値の高さから国の重要文化財※に指定されていましたが、本殿建立か
ら400年を目前にした平成20(2008)年、不審火により全焼いたしました。
幾度も災禍に見舞われ、その都度、再建を果たしてきた吉志部神社ですが、この度の不
幸も氏子の皆さま、地域の皆さまのご努力とご支援を賜り、迅速な工事を進めることがで
き、平成23(2011)年5月22日、本殿および覆屋、拝殿を竣工いたしました。
新たに建てられた本殿は、保存されていた資料と半年以上を費やした火災跡の調査を基
に正確に復元したもので、400余年前の建立当時の建築様式はもとより鮮やかな装飾が
蘇りました。
※焼失によって、平成20(2008)年9月8日に重要文化財の指定は解除されました。
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本殿の脇道を上る
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「吹田34号須恵器釜跡」があります。
吉志部神社の直ぐ横手にある吹田34号須恵器釜跡。
吉志部瓦窯で作られた軒瓦には蓮華紋軒丸瓦が6種類、唐草紋軒平瓦が5種類、
他に丸瓦や平瓦、さらに緑釉瓦が生産されていた。
瓦の供給先は平安宮が主体だが、市内の垂水南遺跡や高浜神社、枚方市百済寺
跡、茨木市新庄遺跡などでも吉志部瓦窯産の瓦が出土し、淀川・三国川(安威川・
神崎川)とその支流域に点在している
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※吉志部古墳
吹田34号須恵器釜跡の東側に隣接して「吉志部古墳」の石柱が立っている。
墳丘の大半は流出し、石室も半壊して古墳の旧状は失われているが、横穴式石室
が現存する市内唯一の古墳である。正確な規模は明らかではないが、径 9~10m
の規模の円墳と考えられ、石室は現存部分は長さ 3.3m、幅 1.1m、高さ 0.6mであ
る。出土した須恵器等から構築時期は7世紀初頭と考えられ、当地の有力 者の墓
と考えられる。
古墳の発見当時、石室はすでに半壊していたが、残存した床面にはいくつかの副葬
品が残されていた。須恵器は完形の杯身が1点あったが、他は破片で長頸壺2点、
壺1点、はそう1点である。さらに須恵器窯の窯壁片が熔着した甕破片があり、須恵
器生産地帯の一画にある、その他に鉄刀子1点、鉄鏃1点、ガラス玉3点があり、ま
た、鉄釘があることから木棺が埋納されていたと思われる。

紫金山公園
遊具や起伏のある散歩道をはじめ、神社、国の史跡、博物館など、親子で自然を感じた
り歴史を学ぶこともできる多彩な公園です。名神高速道路を挟んで広がる大きな園内に
は広場や山道散策など様々なゾーンに分かれています。
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吹田市立博物館
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名神高速道路を潜る
隧道の壁画が綺麗・・・
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消防署
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せせらぎの道へ向かう
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せせらぎの道・・・水が流れていなかった
吹田市の中央付近、紫金山公園から総合運動場、片山中学校、佐井寺南が丘公園を
結ぶバス通りに沿ったゆったりとした遊歩道。延長約1.2kmの間には、「吹田の水にま
つわるストリートギャラリー」をテーマにせせらぎや壁泉のある池、掛樋をデザイン化し
た水のモニュメントがあります。
パーゴラやベンチも備えられ、木漏れ日の中で散歩や水遊び、ベンチに座っておしゃべ
りを楽しむ人々の姿が見られます。春はハナミズキ、ツツジをはじめとする花木が咲き
誇る中を、木々の緑風に吹かれながら歩くことができる道です。
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水が流れていない
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佐井寺南ヶ丘公園へ到着
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此処までは、
6月5日の岸辺駅~吉志部瓦窯跡・紫金山公園コース-1 として
            下記のセカンドブログへ詳細を投稿します。
         https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-06-06
此処では、続きの佐井寺南ヶ丘公園~ の詳細についてを掲載します。
佐井寺南ヶ丘公園(昼食休憩)
市立総合運動場の西、ちょうど吹田市の中心に位置する公園で、ゆったりとした広場
や水景、健康遊具などの施設が整備されています。植物の種類も多く、ボケ・ウメ・モ
クレン・ヤマブキ・アジサイ・ハギをはじめ様々な可憐な花木が四季を通じて咲き続け
ます。近隣公園であるこの公園と周囲の4つの街区公園は、四し神じん(玄武・青龍・
白虎・朱雀)をイメージしてデザインされたという話があります。
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午後は
佐井寺南ヶ丘公園をスタート
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せせらぎの道を
関西大学千里山キャンパスへ向かう、此処も水が無い
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関西大学・・・千里山キャンパスの裏門から入って正門へ通り抜ける
千里山キャンパス
法・文・経済・商・社会・政策創造・外国語・システム理工・環境都市工・化学生命工学
部および大学院・関西大学第一高等学校・中学校・幼稚園
※関西大学のあゆみ
関西大学の前身である関西法律学校は、フランス人法学者ボアソナードの教えをうけ
た井上操、小倉久、堀田正忠らの司法官と自由民権運動家・吉田一士の連携によっ
て、1886(明治19)年11月4日、大阪西区京町堀の願宗寺において設立されました。
当時、大阪控訴院長であった児島惟謙は、名誉校員として創立に参画し、監督的役
割を果たしています。
    大学(旧制)への昇格
1922(大正11)年、千里山に学舎を新設。法学部と商学部の2学部をもつ大学として
認可されています。総理事兼学長となった山岡順太郎は、新しい大学の理念として
「学の実化」(学理と実際との調和)を提唱し、公開講座や語学講習会の開催、留学
生の派遣、体育の奨励などに力を注ぎました。
   今日の関西大学
現在、関西大学は法、文、経済、商、社会、政策創造、外国語、人間健康、総合情報、
社会安全、システム理工、環境都市工、化学生命工の13学部、大学院、法科大学院、
会計専門職大学院、臨床心理専門職大学院、留学生別科を擁する総合大学として
発展し続けています。
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関西大学を後に
関大を歩くと、ほっとする。
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片山公園(トイレ休憩)
子どもたちには「タコこうえん」でおなじみで、ピンクのタコ型すべりだいが大人気。
ほかにも地下水を利用したせせらぎやジャブジャブ池、桜や平和のバラ園など、みど
ころもいっぱいです。ほかにも中央図書館、片山市民体育館、市民プールなど多くの
公共施設が集まる、健康と文化の拠点です。

モニュメント・・・「平和と健康の鐘」銅鐸を挟んだ大きなモニュメントです。
このモニュメントは、吹田市が昭和58年(1983年)に行った「非核平和都市宣言」と
「健康づくり都市宣言」のシンボルとして、吹田市制施行50周年を記念し、平成2年
(1990年)に建てられました。モニュメント中央部の鐘は、明治22年山田村で発掘
された弥生時代の祈りの鐘である「山田の銅鐸」をモチーフにしました。
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※平和のバラ園
赤や白、黄色のバラ園です。平和のバラは、広島で被爆者の治療に尽力した広島
市名誉市民の医師、故原田東岷さんが「地上をバラでいっぱいにし、争いのない世
界を」との願いを込めて、世界の人々に広島の名をつけた新しい品種のバラ作りを
呼びかけて作られました。中でも「メイ・ピース」は、平成9年(1997年)に広島から
贈られたバラの新種に公募で命名し、このバラ園に植栽したものです。

※壁泉(へきせん)
石積みの壁から滝のように地下水を流しています。吹田はかつて千里丘陵からの豊
富な地下水が有名でした。片山公園周辺は、千里丘陵と淀川の沖積低地との境目に
あたり、泉殿宮(いづどのぐう)の霊泉や、垂水の滝に代表されるような湧水地帯で、
ビール工場が造られる大きな要因となっていました。そこで平成2年(1990年)の公園
再整備の際に井戸を掘り、地下250メートルの地下水をせせらぎや池の水として利用
しています。地下水に含まれる鉄とマンガンを除去しているが、飲むことはできません。

ドレミの滝
階段と平行して水が滝のように流れています。階段状に壁泉からの水が流れます。
滝の段差がそれぞれ違うので、水の音を聴いていると、まるで音楽のよう?です。
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片山神社へ向う
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片山神社・・・片山神社と古代の片山
大和時代から平安時代にかける、その昔、この地より千里に至る一帯が丘陵地に
なっており、良質の粘土が多量に出土し、その頃の人達は「須恵器」や「瓦」を作り、
生計をたてていた。
この窯焼きは大陸文化によるもので、大和朝廷(4世紀・西暦300年頃)が誕生の
頃から食器類や屋根瓦の需要が高まり、その時代の成長産業であった。
この地で生産される須恵器は、質の良さから生産も相当なものであったらしい、そし
て平安京(8世紀・西暦800年頃)が遷都された頃には屋根瓦も需要も最高に達し活
気あふれる産業地域であった。
しかし、平安時代が過ぎると、これらの産業も斜陽の一途をたどり、ついには廃窯と
なり以後、この地は農耕へと移行していった。
この歴史を実証する50基余の《登窯》が発掘されている。
その頃、この地で焼き物に携わる人達が【陶芸の祖神】であり、方除け・災難除け・火
防の守護神である素盞烏尊(すさのおのみこと)を祀り崇敬を集めていたのが、当神
社の創始と思われる。
当神社は、天正の御代(室町・安土桃山時代 西暦1500年頃)の兵火と大正3年の
2回、建造物一切が焼失され、古文書等が存在していなので、建立ならび由緒等に
ついては不明である。 昭和59年に『昭和の大造営』として、老朽化が著しくなった
社殿を建て替えて、今日に至る。  御祭神 (主神)素盞烏尊 スサノオノミコト 
(相殿)天照皇大御神 アマテラススメオオミカミ、(相殿)住吉大神 スミヨシノオオミカミ
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※スサノオノミコト
天照皇大御神(伊勢神宮)の御弟神であられ、出雲国(島根県)における八岐大蛇退
治は、災いを振り払い人々に幸運を受けた英雄の功績を称えた神話であり、〈厄除の
神様〉として、スサノオノミコトを御祭神とした神社が全国津々浦々に鎮座し人々の崇
敬を集めている。

片山神社を後に
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アサヒビール吹田工場の横をJR吹田駅へ
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JR吹田駅(解散)

その他 お・ま・け
八幡屋公園のジャカランダ
朝潮橋迄出て八幡屋公園のジャカランダを撮ってかえりました。
十数本あるジャカランダの木、花が咲き始めてるのは3本~4本だけでした。
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6月4日の馬見丘陵公園、菖蒲園以外にも・・・

6月5日            6月4日の馬見丘陵公園、菖蒲園以外にも・・・
                    午後4時~の馬見丘陵公園
午前中の用事を済ませて、午後4時に馬見丘陵公園の花菖蒲を見に出かけてみた・・・
菖蒲園の花々は「6月4日の馬見丘陵公園(菖蒲園)」と題して既に投稿済みです。
此処では、
菖蒲園の花菖蒲以外にも気になる花があり、汗をかき一回りして撮って来た花々を?
シモツケ
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クリ
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アメリカデイゴ
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バラ園のバラ
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チャイニーズイエローバナナ
4株有るが近付けないのでアングルを色々変えて・・・
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帰り道もバラ園のバラ
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此処にもシモツケ
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菖蒲園の横を通り
キンシバイと花菖蒲
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古墳の丘
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下池
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下池のクリの花
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公園館から駐車場へ
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6月4日の馬見丘陵公園(菖蒲園)

6月4日          6月4日の馬見丘陵公園(菖蒲園)
                   午後4時~菖蒲園
午前中に用事を済ませて午後から馬見丘陵公園へ花菖蒲を見に出かけてみた・・・
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まだまだ
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まだまだ
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5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-2

6月4日        5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-2
                近鉄駅フリーハイキング 6㎞
此の日は、知人の・K場さん・O村さん・M村さん・M吉さんと5名で近鉄ハイキングに
参加、前半少し迷って?此の日の私の万歩計は、19046歩で約11.4km歩いた事に。
コース   近鉄鶴橋駅東口受付
近鉄鶴橋駅東口(受付)~久本寺~藤次寺~生国魂神社~齢延寺~源聖寺坂~
源聖寺~金台寺~大江神社~愛染坂~愛染堂~四天王寺~一心寺~堀越神社
~統国寺大雄殿・ベルリンの壁~ファミレスで外食~JR天王寺駅・阿倍野橋駅
近鉄鶴橋駅東口(受付)~久本寺へ
久本寺へ向かう
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公園で水分補給休憩
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久本寺(くほんじ)
当寺は永禄5年(1562)に日理上人が大阪平野郷の塩谷新兵衛の寄進により平野に
寺を建立したことに始まり、後に開祖(日理上人)の久本但馬守重時(讃岐の戦国大
名)の名を取り「久本寺」となったと伝えられている。京都の本能寺・尼崎の本興寺の
両山は一体不可分の一寺をなすが、久本寺は両寺を本山としていた。明治42年(19
09)からは京都の妙蓮寺を本山とする本門法華宗に属しています。
江戸前期の大坂兩替商の創始者天王寺屋五兵衞等歴代の 天王寺屋一族の墓が
有ります。
久本寺は大阪城南側と四天王寺の間にある寺町のひとつである谷町筋八丁目寺町
の中ほどに位置する日蓮宗寺院である。番神堂は境内の除厄守護の諸神を祀る堂。
番神堂は,妻飾りの鬼面を彫刻した大瓶束や孔雀を彫刻した蟇股、龍・象・獅子・浪な
どの木鼻の彫刻、支輪の彫刻なども華やかさを演出している。多種多様な装飾を破
綻なくまとめた技量は極めて高いものであり、この時期における大阪大工の到達点を
しめすものということができる。

境内の花々が綺麗
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藤次寺
藤次寺(とうじじ)は、大阪市天王寺区生玉町にある、高野山真言宗の寺院。山号は
如意山(にょいさん)。摂津国八十八箇所 第19番札所。大阪の融通さんと称される。
本尊・如意宝珠融通尊(にょいほうじゅゆうずうそん)=(宝生如来・ほうしょうにょらい)
藤次寺は弘仁年間(810年~824年)に藤原冬嗣の発願により、甥(おい)の、任瑞上
人を開基とする。藤原家の安泰を願い建立された。藤原家を治める寺であるでゆえ
に、藤冶寺と称していたが、明治初年には、生玉十坊の一つである地蔵院を合併し、
藤次寺と改称し、現在に至っている。
作家・山崎豊子の墓所も藤次寺にあり、墓石の右隣には山崎が生前執筆した
全28作の作品名が刻まれた石碑も存在する。
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生国魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ、新字体:生国魂神社)は、大阪府大阪市天王寺区
生玉町にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の
別表神社。別称を「難波大社」とも云われる。
かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も
建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷
座されている。
この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、
国土の神霊とされる。両神は平安時代に宮中でも常時奉斎されたほか、新天皇の
即位儀礼の1つである難波での八十島祭(やそしままつり)の際にも主神に祀られた
重要な神々で、生國魂神社自体もそれら宮中祭祀と深い関わりを持つとされる。
また、同様に大坂城地から遷座されたという久太郎町の坐摩神社とともに、難波宮
との関わりも推測されている。その後中世・近世を通じても崇敬を受け、戦前の近代
社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられた、大阪の代表的な古社
の1つである。
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齢延寺(れいえんじ)・・・生魂山 齢延寺
天王寺七坂のひとつ源聖寺坂の降り口に、銀山寺と向かい合って建つ寺院です。阿
吽2体の仁王像を納める楼門が見事な寺院で、藤田東湖らの墓所もあるようです。
本尊は大阪市の有形文化財に指定されている定朝様の聖観音像です。
曹洞宗のお寺です。立派な山門に驚きました。柱が何本もあるような門、彫刻も施さ
れていて見事な楼門に吸い込まれる様に入りました。以前訪問した時にバナナに似
た植物が気になり和尚さん に聞いたところバナナだと言う事でした。
今回、チャイニーズイエローバナナを見に行ったが花は無かった
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チャイニーズイエローバナナ咲いて無かった
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※以前見た(2018年5月18日の大阪七坂巡り)
花が上向きのバナナを初めて見た
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※地湧金蓮(チヨウキンレン)チャイニーズイエローバナナ
地湧金蓮(チヨウキンレン) はバショウ科ムセラ属の常緑多年草である。ムセラ属は
バショウ属から分離したもので、1属1種である。 中国の雲南省からインドシナ半島に
かけて分布し、高山に生える。 名は「地から湧き出た金色の蓮」という意味になる。
漢字では「地涌金蓮」とも書く。 読み方は「チユウキンレン」とするものもあるが、正式
名は「チヨウキンレン」である。 英名はチャイニーズイエローバナナである。
草丈は60~100センチくらいである。 葉は長い楕円形で、芭蕉(バショウ)やバナナ
に似ている。花の構造も芭蕉(バショウ)やバナナと同じだが、鮮やかな黄色い苞(花
序全体を包む葉の変形したもの)に特色がある。開花時期はは6~10月くらいである。
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源聖寺坂(げんしょうじざか)
天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、名称は坂下にある寺院名に由来する。
松屋町筋に面する坂下の源聖寺と金台寺の間から東へ石畳を登り、上町台地の急
崖に差し掛かると石段となり、少し東南東に向きを変える。再び石畳を登り、坂上の
齢延寺と銀山寺の間で水平となる。道は坂上からも東へ伸び、中寺筋を横断して谷
町筋・生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。下寺町(25ヶ寺)・生玉寺町(14ヶ寺)を
横断し、坂上から東は生玉中寺町(12ヶ寺)を横断するため、周辺には寺院が多い。
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源聖寺(げんしょうじ)
源聖寺縁起によりますと、当寺を建立(こんりゅう)された初代は、深蓮社遠誉上人荷
公和尚(じんれんじゃおんよしょうにんかこうかしょう)とおっしゃって、奥州衣川(おうし
ゅうころもがわ)(岩手県)の出身で、継母の妬みにあい、父の勧めによって常陸国瓜
連(ひたちのくにうりづら)〈茨城県〉浄福寺にて出家し、六十歳の時、慶長元年春、諸
国行脚に出られ、西成郡寺嶋〈現在の大阪西区九条あたり〉に草庵を結ばれました。
従って、東国より来て行業(ぎょうごう)〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、その
寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。
また、安阿弥(あんみ)が彫刻した二尺五寸の阿弥陀如来像をご本尊として祀っていま
したが、大坂の陣の際に、戦乱によって失われてしまうことを案じて、初代遠誉上人は
ご本尊像を寺地の前の浜辺から海に流されました。大坂の陣の後、徳川家康の治世
になって世の中が安定すると、浜辺で光明を放つものがあり、確認してみると海に流し
たはずのご本尊像でした。この像を拾い上げ、民家を譲り受けて寺観を整えて、そこで
お祀りされました。その際、初代遠誉上人は、源空上人(げんくうしょうにん)浄土宗開
祖法然上人(ほうねんしょうにん)のみ教えを源とし、吉水(法然上人がお念仏の教え
を説き広めた地、現在の知恩院付近)の流れを汲む聖ということから、寺名を「東営山
西岸院源聖寺」と改められました。
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金台寺(こんたいじ)
1656年(明暦2年)創建と云われる浄土宗の寺院で、浄土宗寺院の本堂としては大阪
市内では最古といわれ、本堂の天井には火事除けの水を司る龍の彫刻が祀られてお
り、現在迄度重なる戦火や大火を逃れ被害を受けずに当時のままの姿を残しています。
伽藍の建築群や平安~鎌倉時代の多数の仏像は大阪市の有形文化財に指定されて
います。
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此処までは、
5月31日の新発見!こんな所に有形文化財-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
        https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-06-04
此処では、続きの愛染坂~ についての詳細を掲載します。
愛染坂(あいぜんざか)
天王寺七坂の一つで、坂の上に勝鬘院(愛染堂)と大江神社がある。
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大江神社
大江神社・パワースポット
当大江神社は、上之宮、小儀、土塔、河堀、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と云
われ、四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられています。当社は、
天王寺北村の産土神(うぶすながみ)で豊受大神を祭祀しています。いつの頃よりか
神仏を混淆して毘 沙門天を祀り、乾の社と称して四天王寺の所管となり、境内に神宮
寺を建て祭祀も僧徒(四天王寺東光院神宮寺の別当)が当っていましたが、明治維新
後神仏が分離され、慶應三年今の社名に改められました。社名は大江岸(おおえのき
し)に続いた社地であったところから大江神社となりました。先の戦争にて絵馬堂と神
器庫を残しすべて焼失しましたが、昭和三十八年、氏子崇敬者により本殿、拝殿が復
興されました。千八百坪の広い境内には約百三十本もの榎木、楠木等の樹木が覆い
繁り、大阪市の保存樹林の指定を受けています。
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愛染堂・・・勝鬘院(しょうまんいん)
山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染
十七霊場・第一番札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所。真言密教勝鬘流根本道場。
この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代
執権・北条時頼から寺領を寄進されたという。
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愛染かつら
愛染堂の藥医門をくぐった右奥に「愛染かつらの木」があります。樹齢数百年といわ
れる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、桂とカズラが一体となった
その姿は、まるで仲の良い男女が寄り添っているように見えることから、カップルの
縁を取り持ってくれる「恋愛成就・夫婦和合の霊木」として何百年もの間、この地で親
しまれています。
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大力金剛尊
藥医門のすぐ左には、スポーツや勝負事には特に霊験あらたかな勝利開運・善因
善果の仏様、大力金剛さまがいらっしゃいます。
愛染堂の大力金剛さまは、清王朝時代のもので、大正時代に活躍した大阪市天王
寺区出身の横綱(第26代)大錦が、満州巡業の折に自身の守護神として気に入っ
て中国から持ち帰り、初めは大阪国技館に奉安されていましたが、昭和25年に愛
染堂にやってこられました。
また、盗難・火災等の災難除けとしても篤く信仰されています。
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四天王寺
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七
大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(ぐぜ
かんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこ
くのてら)ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の
区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の
寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派
にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院として
は最古のものである。
四天王寺の草創については『日本書紀』に次のように記されている。
用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間
に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河へ攻め込んだが、
敵の物部守屋は稲城(稲を積んだ砦)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦
するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は蘇我氏の軍
の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、
「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をし
た。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦
いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子
は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるため
には、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという(なお、蘇我馬子の法興寺は上
記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であっ
た)。以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円
に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、
その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。
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一心寺へ向かう
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一心寺(いっしんじ)
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳
院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。
天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法
然上人二十五霊跡第七番札所。
1185年(文治元年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天王
寺の西門の坂のほとりに、四間四面の草庵を結び、「荒陵の新別所」後に「源空庵」と称し
て住んだという。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を修した。
当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったという。1596年
(慶長元年)、三河の僧侶であった本誉存牟上人が法然の旧跡であるこの地で一千日の
念仏修法を行い、寺を再興した。彼の一心称名をもって寺ができたため、一心寺という名
になったといわれる。
又、大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓所があ
るが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏の陣で奮戦
したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれ
ることから「酒封じの神」とされるようになった。今でも墓所には禁酒を誓う人が詣でている。
ジャカランダが咲き始めて・・・
キリモドキ属は、ノウゼンカズラ科に属する中南米原産の低木または高木からなる属で、
ジャカランダ属とも呼ばれる。ジャカランダ と総称されるが、うち1種キリモドキ
Jacaranda mimosifolia の別名でもある。マメ科のブラジリアン・ローズウッドもジャカラン
ダと呼ばれることがあるのでこの属と混同されることもあるが、別目である。タルコ とも・・・
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茶臼山公園・・・茶臼山 茶臼山古墳
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。
大阪府指定史跡に指定されている。
古墳の周囲一帯は天王寺公園となっており、この古墳も公園の一部として遊歩道が整備
されている。公園本体との間には河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけとも
言う)があるが、これは788年(延暦7年)に和気清麻呂が、大和川や河内湖の排水と水運
のために上町台地をここで開削しようとして失敗した跡地とも言われる。和気橋もある。
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堀越神社
推古天皇の時代、四天王寺建立と同時期に、聖徳太子が叔父の崇峻(すしゅん)天皇を
偲んで茶臼山に建立したと伝えられ、四天王寺七宮の一つに数えられる神社です。
古くから明治時代の中頃まで境内の南沿いに美しい堀があり、此の堀を越えて参詣した
ので「堀越」と言う名を付けられたと言います。都会に有りながら樹齢数百年に及ぶ樹木
等ミドリが多く、境内は閑静な雰囲気で、雑誌等でパワースポットとして取り上げられてい
ます。大阪では、「堀越さんは、一生に一度の願いを聞いて下さる神さん」との言い伝え
が有り、古くから親しまれています。
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統国寺へ向かう
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統国寺・大雄殿・ベルリンの壁
統国寺は聖徳太子が開創し、百済の僧観勒(かんろく)が開山住持として招かれたと伝え
られています。全山が大阪夏の陣の兵火によって焼失しましたが、元禄16年(1703年)
法源和尚によって再建されました。寺は近代に入って衰退した時期も有りましたが、現在
は統国寺と命名され、境内の整備も進められています。大雄殿(本殿)は、質素な外観と
異なり、創意に満ちた空間で構成され大阪市の有形文化財に指定されています。
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ベルリンの壁・・・統国寺HPより
1998年9月、統国寺信徒さんより御喜捨。
このベルリンの壁は崩壊前の大きさそのままの実物です。写真の正面が西独側です。
これと同じものが逆Lのかたちで東独側に建っていたそうです。
御喜捨いただいた方いわく「民族の統一を願って統国寺に置くのが一番いいですよ」
いつの日か、ドイツのように南北統一の日が来ることを心より祈念して・・・・・。
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※ベルリンの壁
冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設された、東ベル
リンと西ベルリンを隔てる壁。1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ド
イツが統一されるまで、この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となっていた。

ファミレスで外食
JR天王寺駅・阿倍野橋駅へ向かう

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5月25日の初夏の天王寺区ぶらり名所旧跡巡り-2

5月30日         5月25日の初夏の天王寺区ぶらり名所旧跡巡り-2
                  近鉄駅フリーハイキング 歩程約6km
此の日は知人のK場さん・I 田さん・O村さんと4名で近鉄ハイキングに参加、暑い陽射し
の中、途中ショートカットしてコースを変えたりしながら熱中症に気を付けて歩いた。
此の日の私の万歩計は、12463歩で約7.4km歩いたことに・・・
コース  大阪上本町駅地上コンコース受付 9時30分~11時   10時集合で・・・
大阪上本町駅(受付)~大阪国際交流センター~吉祥寺(きっしょうじ)~安居神社~一
心寺~天王寺公園~堀越神社~四天王寺~大阪上本町駅
志都美駅~香芝駅~近鉄下田駅へ向かう 
鹿島神社
祀ってあるのは、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」で、ふつう「鹿島大明神(か
しまだいみょうじん)」という。この神社は、承安(しょうあん)1(1172 )年に源義朝(みな
もとのよしとも)の家来であった鎌田小次郎政光が常陸国(ひたちのくに)(現茨城県)の
鹿島本宮の神を連れてきたのが始まりという記録がある。伝承ではその時村人は塩餅
(しおもち)や押し飯(おしめし)を作り、大喜びでお祭りしたという。
鹿島神社には、昔から「結鎮座」(けいちんざ)と呼ばれる氏子(うじこ)の集団(宮座)が
あり、鎌倉時代の初期から記録が残されている。これは、約800年間にわたる独特の伝
統をもって今も生き続けている。日本の古い神社や寺には貴重な古文書がたくさん伝わ
っているが、民間の宮座記録としてはこの「鹿島神社文書」(かしまじんじゃもんじょ)が
最も古い。昭和37年には奈良県指定文化財となり、現在は奈良国立博物館で保管され
ている。
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近鉄下田駅
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大阪上本町駅(受付)
大阪国際交流センター~吉祥寺へ向かう
上本町七交差点角に「水と緑と台地」をテーマに整備された小さな公園?
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大阪国際交流センターはパスして吉祥寺へ着いた
吉祥寺
寛永7年創建、禅僧洞宗の寺院。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は吉祥寺に「万松
山」の山号を与え、自ら心の拠り所とし、事有る度に訪れたと伝えられています。
元文4年(1739年)には江戸の泉岳寺にさきがけて赤穂義士の墓が建立された。義士
討入り当時の住職は赤穂の出身で、浅野長矩とも親交があったという。
寺は大正5年(1916年)、失火により全焼。大正14年(1925年)に再建されるが、昭和
20年(1945年)、空襲により壊滅的被害を受け、赤穂浪士の墓を残して全焼した。
吉祥寺が全国にその名を知られるのは、ここが大阪における浅野家の菩提寺だから
です。あざやかな朱色の山門をくぐると、正面には大石内蔵助の像が鎮座し、そしても
う少し中に入ると、躍動感に満ちた見事な細工の四十七士の姿が。そして境内右手に
は、戦火を奇跡的に逃れた義士たちの墓がひっそりとたたずんでいます。
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境内入口に大石内蔵助像
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境内に四十七士像
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境内に四十七士墓塔
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大江神社
大江神社は四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつとして聖徳太子によって
創建された。当初の祭神は天王寺北村の産土神である豊受大神である。後に神仏
習合して毘沙門堂が建立されて毘沙門天を祀るようになると、四天王寺の乾の方角
にあることから「乾の社」と呼ばれるようになった。そして境内には如意山神宮寺が
建立され、神社の祭祀も四天王寺の僧徒が行うようになっていった。
しかし、幕末になり神仏分離の動きが出てくると、慶応3年(1867年)に大江岸にち
なんで名称を大江神社と改めた。明治に入るとついに神宮寺を廃寺とし、毘沙門堂
も廃した。1907年(明治40年)、小儀神社、上之宮神社(上野王子)を合祀する。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年) 3月に行われた第1回大阪大空襲によって絵
馬堂と神器庫以外のすべての建物が焼失するが、1963年(昭和38年)に本殿が再
建された。
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※狛虎
当神社には狛虎というものがある。狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作
と考えられている。その昔、狛虎の奥に如意山神宮寺の毘沙門堂があった。虎は毘
沙門天を護るとされている所縁のある動物である。狛虎は元々は阿吽で1対をなして
いたが、吽形の方が明治初期に滋賀県の某寺に持ち出されてしまったと言われる。
一方、残った阿形であるが大阪大空襲の際に焼夷弾を受けて損傷をしたものの、戦
後もそのまままにされていた。そこに、阪神タイガースのファンから「狛虎を一対にし
たら阪神タイガースは優勝するのでは」との話になり、吽形は2003年(平成15年)に
新たに作られて奉納され、阿吽の狛虎が久しぶりにそろった。その同年、阪神は18
年ぶりにセ・リーグ優勝してしまう。これにより狛虎はマスコミに大きく取り上げられた。
しかし、2011年(平成23年)10月、阿形は老朽化のために、2003年(平成15年)に吽
形と共に作られて保管されていた新しい阿形と交換されることとなり、元の阿形の狛
虎は蔵に保管された。
狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが
供えられていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張
り紙や木札がある。なお、普通の狛犬も存在す
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愛染さん(愛染堂勝鬘院)
「愛染さん」と親しみを込めて呼ばれる愛染堂勝鬘院は縁結び・良縁成就・商売繁盛
にご利益あついパワースポットとして、また名作映画「愛染かつら」のモデルとなった
縁結びの霊木が境内に鎮座されています。
日本最初の社会福祉施設、施薬院(せやくいん)として建立
愛染堂の歴史は、今を遡ること1400年ほど昔の飛鳥時代、西暦593年(推古天皇元
年)、聖徳太子は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院からなる四天王寺を建立されま
した。 その中の施薬院は、あらゆる薬草を植え、病に応じてあまねく人々に与えられ
るようにと四天王寺の北西の角(現在の愛染堂の場所)に建立されたのです。当時の
面積は現在より一層広大であり、また、建立の意味あいからいうと、我が国の社会福
祉事業発祥の地とも言えます。
施薬院が勝鬘院と呼ばれるようになったのは、このお寺で聖徳太子が勝鬘経というお
経を人々に講ぜられていたため、そして勝鬘経に語られるお姫様・シュリーマーラー
夫人(勝鬘夫人)の仏像が本堂に祀られているため、勝鬘院(しょうまんいん)と呼ばれ
るようになりました。
主な堂塔として、徳川秀忠(二代目)による再建の金堂(府の指定文化財)と、豊臣秀吉
による再建の多宝塔(国の重要文化財・旧国宝)があります。 
正式名称は勝鬘院ですが、平安時代以降は金堂に愛染明王が本尊として奉安され、
愛染明王信仰の普及とともに、勝鬘院全体が愛染堂と通称されるようになりました。
金堂に祀られる愛染明王は、主に縁結び・良縁成就・夫婦和合・愛嬌開運の功徳があ
ることと、境内にある「愛染めの霊水」は飲むと愛が叶うといわれ、女性参詣者が毎年
たくさん訪れます。
また、小説家の川口松太郎さんが、この近くに住んでいたこともあり、彼の代表作であ
り映画化もされた『愛染かつら』のモデルとなった縁結びの霊木「愛染かつら」が境内
にあることでも有名です。
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此処までは、
5月25日の初夏の天王寺区ぶらり名所旧跡巡り-1 として
           下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-05-30   
此処では、続きの安居神社へ向う~ についての詳細を掲載します。
安居神社へ向う
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安居神社
創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原
道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真が大宰府に流されるときに、
風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。
明治に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社
であり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺三名水の井戸があることから
「安井」となったと伝えられるが、考証がないため信じられない、としている。
大丸の創業者の下村彦右衛門正啓がよく信仰していたので大丸天神と称される事も。
大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之
碑が、他に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの
井)の址などがある。
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一心寺(いっしんじ)
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳
院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。
法然上人二十五霊跡第七番札所。
文治元年(1185年)の春、四天王寺の別当であった慈円の要請によって、法然が四天
王寺の西門の坂のほとりに、四間四面の草庵を結び、「荒陵の新別所」後に「源空庵」
と称して住んだという。後白河法皇が四天王寺参詣の際に訪れて法然と共に日想観を
修した。当時草庵の西は海を遠く見渡せ、極楽浄土の瑠璃の地のようであったという。
慶長元年(1596年)、三河の僧侶であった本誉存牟上人が法然の旧跡であるこの地で
一千日の念仏修法を行い、寿命山観称院一心寺として再興した。彼の一心称名をもっ
て寺ができたため、一心寺という名になったといわれる。

慶長5年(1600年)2月、徳川家康の8男仙千代が大坂で夭折し、その葬儀を一心寺で
行った。住持である存牟が家康と同郷の出身であり、また家康が浄土宗の信者であっ
たことによる。家康は境内の坂の孤松のすがたを讃えて、「坂松山」の山号とその寺額
を贈り、仙千代の戒名から「高岳院」の院号も贈った為、一心寺は坂松山高岳院一心
寺と改名した。
寺には大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで最前線に立ち討ち死にした本多忠朝の墓
所があるが、彼は酒を飲んでいたため冬の陣で敗退し家康に叱責され、見返そうと夏
の陣で奮戦したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺
言したといわれることから「酒封じの神」とされるようになった。今でも墓所には禁酒を誓
う人がよく詣でている。此の墓所にも6月にはジャカランダの花が綺麗に咲く。
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一心寺のジャカランダ
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天王寺公園はパスして
茶臼山~堀越神社へ向う
茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)
茶臼山古墳は、大阪市天王寺区茶臼山町にある前方後円墳。大阪府指定史跡に指定
されている。
古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級
の前方後円墳だが被葬者は不明である。1546年(天文15年)、細川晴元の家臣山中又
三郎が古墳の後円部に大塚城を築く。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一
帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)
の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
大阪五低山のひとつ
茶臼山(標高26メートル)、帝塚山(標高20メートル)、聖天山(標高14メートル)
御勝山(岡山)(標高14メートル)、天保山(標高4.53メートル 日本で二番目低い山)
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堀越神社
聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に
社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。かつて創建当
初から明治時代中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したことの
が社名の由来だとされている。
1615年(慶長20年)の大坂夏の陣の際、徳川家康が前年の冬の陣の時に茶臼山の山
頂に本陣を置いていた縁で、同じく茶臼山の山頂にあった茶臼山稲荷神社の使いであ
る白狐が家康を真田幸村の攻撃から救ってあげたことから、合戦後に家康がお礼とし
て現在地に社殿を建立させた、とされる故事から、江戸時代を通じて大坂城代が大坂
城に赴任した際は当神社と茶臼山の家康本陣跡に詣でることとなった。また、古くから
「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。
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外食&お茶は
天王寺公園のビックリドンキーで昼食&お茶
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以降のコース、四天王寺~上本町駅への2.8kmをパス(2kmショートカット)、
JR天王寺駅で解散
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5月24日の昼飲み会ハイキング(公園巡り)-2

5月29日         5月24日の昼飲み会ハイキング(公園巡り)-2
                住吉公園&住之江公園巡り&昼飲み会 
此の日は知人のM吉さん・S籐三と3名で昼飲み会ハイキング、当初は住吉公園だけ
のつもりが、S籐さんの提案で次回予定の住之江公園迄足をのばしてしまいました。
此の日の私の万歩計は、11549歩で約6.8km歩いたことに・・・
ハイキング終了後の昼飲み会&情報交換会は12時半~14時半迄阿倍野の居酒屋
で参加者7名で開催し、楽しい昼飲み会&情報交換会となりました。
志都美駅
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南海本線住吉大社駅で待合せて
直ぐ目の前に住吉公園が・・・・
明治6年に開設された大阪府営住吉公園は、2023年に開設150年を迎えます。
ご存知ですか?住吉公園は日本最初の公園
住吉公園は、明治の新政府からの通達によって大阪で最初に指定された公園です。
草創期は住吉大社の境内を母体として誕生し、はじめは歓楽遊興の公園として、後
には都市型の府営公園として、今日まで府民に広く親しまれています。
近代日本の公園は、明治の初期に新政府からの通達によって設置が開始されまし
た。明治六年(一八七三)一月十五日に政府から各府県に対して公園設置に向けて
の通達がありました。(太政官布達第十六号)
これを受けて、大阪府下でも公園地が選定され、同年の八月二日、住吉大社の境内
全域をもって最初の公園地指定となりました。また、九月には『公園地規則』が制定
され、名実ともに住吉公園の開設となったのです。その後、十二月には浜寺公園も
開設されました。
源氏物語碑・・・説明銘板
真住吉(ますみよ)し 住吉の国」は 万葉の昔から数多くの和歌や文学作品にその
名をとどめている
源氏物語 澪標(みおつくし)に描かれた 明石上(あかしのうえ)の悲しい恋もこの地
が舞台である 船で訪れた明石上はなつかしい 光(ひかる)源氏の華やかな住吉詣
に出合ったが 再会することなくそのまま帰る
中世の住吉は王朝貴族の住吉詣が多く平安のみやびにつつまれていたこの碑はか
かる王朝をしのび 歴史を振り返り 郷土を愛するためのよすがである
昭和五十七年四月吉日   財団法人住吉名勝保存会 建之
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やたらとアオサギが多い?
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汐掛道を住吉大社方面へ
汐掛道
昔、住吉大社の参道でした。住吉公園の東西を走る石畳の情緒あふれる通りで、
四季折々の姿を楽しめます。この通りを歩くとゆるやかに時間が流れるような気が
します。汐掛道顕彰碑には昔の面影と名前の由来が記されています。
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公園案内看板
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芭蕉句碑・・・芭蕉の没後170回忌に建てられました。
芭蕉が住吉大社の「升の市」に訪れたときの句が刻まれています。
毎年9月に住吉公園で「升の市」が開かれています。
1864年江戸末期に建てられました。
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心字池へ向かう
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コデチアの花が綺麗
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心字池・・・真上から見ると心の字に似てます。
人工の池ですが、サギなどの鳥たちが羽を休めに来ます。静かな水面は季節ごと
にいろんな風景を写しだしているようです。公園事務所横からは川の流れのように
心字池に水が流れ、川の流れは周りの花や樹木の風景にリズムをつけています。
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汐掛道で
国道26号線を渡った所に高灯籠が有る
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此処までは、
5月24日の昼飲み会ハイキング(公園巡り)-1 として
          下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
        https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-05-29   
此処では、続きの住吉高灯籠~ の詳細について掲載します
住吉高灯籠・・・日本最初の灯台だ! 今は、資料館になっています。
日本で最古とされる灯台。 夜はライトアップされます。 昭和49年12月復元。
資料館へは、第1第3日曜日 10:00~15:00入館できます。
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此処から急遽住之江公園へ行ってみる事に
住吉川堤防遊歩道を歩く
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姫松橋・・・橋下を通ったので風景を見る事はできなかったが・・・
かつてこの付近は美しい松原の続く海岸で、住吉浦とよばれていた。毎年春には、
潮干狩りで大いに賑わったといわれる。江戸時代の中頃には新田を開発する為、
両岸の入り江が埋め立てられ川として残されたものが現在の住吉川である。
姫松は、住吉大社社頭にある松の美称として知られ、当地の地名にも残っており
橋名もこれにちなむものである。
今の橋は昭和60年に架け替えられたもので常夜灯をイメージした親柱や簡素で
清潔感のある高欄など、この橋が当地のシンボルとなるよう工夫をこらしている。
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住吉川遊歩道を歩く
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橋を渡って
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住之江公園に到着
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此処の公園にも心字池が?大池でした、大池が有る
大池
水面に映る緑の木々、のんびりと泳ぐ水鳥たち…大池にかかる太鼓橋に立てば、
ここには自然が息づいていることが実感できることでしょう。ストレスもす~っと消
えていきます。
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公園案内看板
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此処の公園の一角に大阪護国神社が有る
大阪護国神社へ向う
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大阪護国神社
当地大阪府には戦没者の御霊を恒久的にお祀り申し上げる施設がなかった。
昭和12年「日支事変」が起こり、大阪府出身の多くの若者が戦場へ赴き、勝利は
したものの尊い命が異郷の地で散華された。
この事を契機に大阪府にも戦没者の御霊をお慰めする恒久的な施設が必要であ
ると、大阪府民から自発的な運動が起こり、昭和14年、時の府知事が奉賛会長
に就任し、当大阪護國神社が、内務大臣指定護國神社として創建された。いわば、
当時から大阪府民の神社として創建されたのである。
その後、戦争の激化、大東亜戦争の開戦、終戦等様々な苦難を経て、昭和38年
5月、現社殿が創建され、同時に境内整備が行われ現在に至っている。
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慰霊碑や記念碑
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大阪護国神社を出て
大阪メトロで天王寺の居酒屋へ向かう
居酒屋 甘太郎
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5月22日の絵手紙クラブ屋外活動

5月28日          5月22日の絵手紙クラブ屋外活動
                   社友会 同好会活動 
令和元年五月度定例会、今月は屋外でスケッチに挑戦です。参加者8名でした。
因みに私は、社友会の同好会活動として、歩こうj会、歴史探訪の会、絵手紙クラブ
に所属して活動しています。
歩こう会は、<美容と健康>の為、毎月第4火曜日に、神社仏閣・博物館・古墳・記念
館などをお参り、見学しながら6キロ~10キロ程度歩く。会員は147名 年18回開催。
歴史探訪の会は、歴史に好奇心、歴史には古代~近代まで、人物・街道・古墳・神社
・寺院等々色々な伝説や謂れなど現地に出かけて学ぶ。会員は、47名 年7回開催。
絵手紙クラブは、下手で良い、いや下手が良いのです。じっくりものを見て、上手さよ
りも一生懸命を大切に絵手紙をかくことは観察力や集中力を培います。同時に、自分
の長所や個性も発見できます! 会員は11名、年12回開催。

今月の絵手紙クラブは、久宝寺緑地公園へ出て屋外スケッチに挑戦して来ました。
志都美駅
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JR久宝寺駅改札口へ10時集合
久宝寺緑地公園へ向かう
久宝寺緑地陸上競技場側の入口から入る
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管理事務所前の花壇
此処は木陰が無い・・・
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木陰の有る
管理事務所裏の花壇でスケッチ
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中央広場のバラ
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中央広場の木陰で昼食休憩&作品発表
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野球場の入口で集合写真撮影後解散
JR久宝寺駅へ4名、JR加美駅へ4名が向かった

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5月18日の若草山ボランティア活動 他

5月28日          5月18日の若草山ボランティア活動 他
                  若草山グリーン・キャンペーン
若草山グリーン・キャンペーンは、若草山の景観保全と伝統の山焼きの継承を目的に、
シャープ・グリーン・クラブが、奈良公園管理事務所のご協力を得て、2003年より実施
している環境保全ボランティア活動で、社友会会員も参加しています。
主に外来種である南京ハゼの除伐と日本固有種であるススキの植栽を行ないます。
今年も南京ハゼやシダの除伐と500株のススキの植栽を行います。
SGC(シャープ・グリーン・クラブ)の挨拶、奈良公園管理事務所の挨拶の後に準備体操、
若草山に入る注意事項の徹底等が有り、現役社員とその家族が100名、社友会会員が
13名参加して10時スタート、12時迄に南京ハゼやシダの除伐と500株のススキの植栽
を終え、記念写真を撮影して解散。社友会会員参加者の内12名は今年も恒例の近鉄奈
良駅前東向き商店街で昼食を兼ねて懇親会迄、充実したボランティア活動となった・・・・
JR奈良駅~近鉄奈良駅へ向かう
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近鉄奈良駅~奈良公園へ
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東大寺前の交差点で鹿が・・・
交差点の真ん中で鹿が交通整理?
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奈良公園
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水谷茶屋
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若草山麓へ・・・
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SGC受付
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朝礼&準備体操
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若草山の作業場所へ登る
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作業場所へ入る前に一休み
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作業場所
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作業を終えて
麓へ降りる・・・
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終礼
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此の後
全員で記念の集合写真を撮り、社友会会員だけの周濠写真を撮り解散
社友会会員13名中12名が昼食懇親会に参加する為近鉄奈良駅前東向き商店街へ

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5月15日の淀城跡と飛行神社&石清水八幡宮巡り-2

5月24日         5月15日の淀城跡と飛行神社&石清水八幡宮巡り-2
                   5月度歴史探訪の会 オープン企画                  
此の日は、素晴らしいハイキング日和で参加者19名。淀城跡と平安京の門戸を鎮守
する石清水八幡宮を訪れました。淀駅の前には、昔、淀川から淀城内部に水を供給
した大きな“水車”が復元されており、駅から約10 分歩くと淀城跡に到着、お堀には黄
色い菖蒲の花が咲いていた。此の日の私の万歩計は、13492歩で約8.3km歩いた・・
コース   京阪 淀駅集合 10時10分
京阪淀駅(集合)~淀城跡・與杼神社~淀駅-八幡市駅~飛行神社~頓宮~高良
神社~参道とケーブルカーに分かれて~展望所(昼食休憩)~石清水八幡宮~エジ
ソン記念碑~石清水八幡宮参道を下る~方生川・安居橋(解散)~八幡市駅
京阪淀駅
淀城に水を供給する為の水車の復元模型(水車が2つ使われていた)
城で使用の水を川からくみ上げる為直径16M の水車が西・北堀の2 ヵ所に有った。
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淀城跡・・・淀城と呼ばれる城は2 つあった。
此の日見学した淀城は、德川幕府による京都・大坂支配の一環として築かれた近
世城郭である。淀君が住んだ城は約500M北にあった戦国時代の淀古城として区
分され 別の城である。淀古城は応仁の乱後に築かれ、転々と城主が変わった後、
天正17 年(1589 年)に秀吉が愛妾茶々(淀君)のために改築して入城させた城だ
が、文禄4 年(1595 年)に廃城となった。
現存する淀城跡は德川幕府が元和9 年(1623 年)に京都護衛の要衝として建設
した。 当初の城主は松平定綱3 万5 千石、その後城主は変遷し江戸後期には、
稲葉氏が任じられた。幕末の稲葉正邦は徳川慶喜の老中として活躍したが、鳥
羽伏見の戦いでは官軍に属して幕府軍の入城を拒んだ。
建築当初の天守は宝暦6 年(1756 年)に落雷で焼失、その後二条城の天守を
移築した。なお、この天守は元々豊臣秀長が築いた大和郡山城の天守を德川幕
府により二条城に移されたもので、更にその後淀城に移された。
当時水車があったとされる場所
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天守台
天守台は打込み接ぎの美しい石垣。当時この上には二条城の旧天守が移築された
が、天守台に比べ旧天守が小ぶりだったため、天守台の四隅に小さな櫓を建てそれ
らを多聞櫓で繋ぎ、その中央に天守を載せるという独特の構造になっていたという。
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與杼(よど)神社へ
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城跡内に 與杼(よど)神社と稲葉神社が祀られていた
稲葉神社
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與杼(よど)神社
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栴檀の大木に花が咲いていた。
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この後、淀駅に戻り八幡市駅まで電車で移動。
淀駅ホームから京都競馬場を・・・
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八幡市駅~方生川を渡り飛行神社へ向う
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飛行神社・・・二宮忠八と飛行神社
米国のライト兄弟が1930 年に発動機付き有人飛行機の離陸に成功する以前
(1891 年)に我が国の二宮忠八が模型飛行機の飛行実験を成功させていた。
当時の軍に提言したが却下され、自力で数々の模型飛行機の飛行を成功させ
たが、限界があり有人化に至らなかった。ライト兄弟が成功した有人飛行機の
原理に近かった事で、後に軍の幹部が忠八に謝罪したそうである。
この『飛行神社』はその二宮忠八が航空事故犠牲者の慰霊と航空の安全を祈
願して創建、自ら宮司を務めた。
神社のまえに、ジェットエンジン、境内に海中から引き揚げられたゼロ戦のエン
ジン部(プロペラ付き)が展示されていた。
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石清水八幡宮
一ノ鳥居の扁額の八幡宮の文字は、平安時代政治の中枢にいた藤原行成の書。
扁額の八幡宮の「八」の字は八幡さんのお使いである向合う2 羽の鳩になってる。
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頓宮(とんぐう)
男山山上の上院(じょういん)に対して下院(げいん)と呼ばれる頓宮は、石清水
八幡宮の御旅所である。年に一度だけ、9 月15 日に行われる石清水祭りには、
八幡大神など三柱の神霊を乗せた御鳳輦(ごほうれん)が渡御される。
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高良神社
頓宮の南門外にある高良神社は八幡神の伴神である“高良玉垂命(こうらたます
だれのみこと)がまつられている。山上の本社が国家鎮守の社であるのに対し、
八幡町の氏神として庶民の信仰を集めてきた。
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此の後、此処から本殿までは、階段や急坂となるので一部の人はケーブルカー
を利用。徒歩組みは結構きつい坂や階段を登る。私は、ケーブルカーで・・・
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ケーブルカーを降りて男山山上の展望所へ向かう
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此処までは、
5月15日の淀城跡と飛行神社&石清水八幡宮巡り-1 として
             下記のセカンドブログへ詳細を投稿すみです。
          https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24-1
ここでは、続きの、展望所入口から  についての詳細を掲載いたします。
展望所入口
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展望所で参道組と合流、天王山、愛宕山、比叡山などの山に囲まれた美しい
京都の街並みが見られる。ここで昼食休憩。
展望所から京都方面を撮る
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石清水八幡宮本殿へ向かう
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石清水八幡宮
日本四大八幡宮の一つである。(他は 宇佐・宮崎・鶴岡)
平安前期の貞観2 年( 859 年)に大安寺の僧である行教( ぎょうきょう )が豊後の
宇佐神宮に参詣した際、八幡神の神託を受けて 神霊を平安京南西の男山に奉安
し、翌年に清和天皇の勅命を受けて社殿6宇を建立、3柱を勧請したのが始まり、
社名は男山の山腹に湧く霊泉に因む。
平安時代は朝廷の崇敬を受けて伊勢の皇大神宮に次ぐ宗廟と仰がれ天皇や上皇
の行幸は 250 回を超えた。
源義家が社殿で元服して八幡太郎義家を名乗った事から、源氏の守護として鎌倉
時代も隆盛を極め、室町・江戸時代にも幕府や武家たちの 庇護に支えられ地位を
保った。
横長の本殿には中央に八幡大神(譽田別尊)、西に宗像三女神、東に息長帯比賣
命(神功皇后)を祀り、本殿から軒を連ねた外殿・幣殿・舞殿は、楼門と東西門のつ
く回廊で囲まれている。(いずれも 徳川 家光の建 立)
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見所
① 南総門からの参道の向きが、社殿(真南)と少しずれているのは お参りの帰りに
神様にお尻を向けないようにとの配慮と云われている?
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②楠木正成公寄贈の樹齢700年の楠
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③校倉造り
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④ 京の都の鬼門は比叡山延暦寺、に対し石清水八幡宮は裏鬼門に当たり、鬼門
封じのため、社殿東北の石垣を切り取った造りになっている。
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⑤信長塀は、織田信長公寄進、瓦と土を幾重にも重ねる事により 銃撃や耐火性、
耐久力に優れていた。
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エジソン記念碑へ向かう
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エジソン記念碑
発明家のエジソンが白熱電球を開発する際、フィラメントの素材として6千種の材料
を試みた が満足出来るものが無かった。その内日本の“うちわの竹を試して思わぬ
成果を得た。エジソンに 協力していた探検家のムーアが探しあてたのが此処男山の
真竹だった。
       「発明は1%の霊感と99%の努力からなる」 エ ジソン
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全てのコースを終えて今度は表参道を下り、途中の美しい反り橋「安居橋」を経由し 、
(解散)。我々は石清水八幡宮の一の鳥居前の八幡の老舗、銘菓走井餅を食べて帰
りの八幡市駅へ向かう。
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八幡の老舗、銘菓走井餅
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5月14日の馬見丘陵公園散策-2

5月21日        5月14日の馬見丘陵公園散策-2
               息抜きになんじゃもんじゃを?
此の日は朝一番の眼科検診を終えて、馬見丘陵公園散策へ出かけてみた・・・
車で出かけたので、此の日の私の万歩計は5266歩で約3.1kmの公園散策でした。
公園館前の極楽鳥花
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なんじゃもんじゃは終わって
蛙がお出迎えの森のウッドデッキ通路へ
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上池が見える
此処のなんじゃもんじゃも終わって
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梅林の前を通り
倉塚古墳前~一本松古墳の間を下池へ
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下池のウッドデッキ通路を
菖蒲を見ながら
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此処までは、
5月14日の馬見丘陵公園散策-1 として
        下記のセカンドブログへ詳細を投稿済みです。
       https://tahara-nara-amami.blog.so-net.ne.jp/2019-05-21
此処では、続きのカタビ古墳の古墳の丘へ~ の詳細を掲載します。
カタビ古墳群の古墳の丘へ
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下池の
ウッドデッキから亀を・・・
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未だ花の無い
花菖蒲園
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栗の花、紫蘭、シロバナ紫蘭
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バラ園
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バラ園から公園館へ向かう
台風で途中から折れたベニバナトチノキに花が咲いて
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シャリンバイ白い花
ツツジ
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公園館前で
最初に撮った極楽鳥花をもう一度撮った
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